「「安吾さんの太平洋戦争」 半藤一利 著 PHP文庫」 

著者の半藤一利さんは、戦後東大を卒業して文藝春秋の駆け出し編集者だったとき、坂口安吾の担当になります。坂口さんとお酒を交わしながら、歴史の話なんかをしたのでしょう。半藤さんは、坂口さんを初代歴史探偵と尊敬し、自分もやがて歴史探偵になっていきます。

 

安吾さんは、戦時中、一貫した姿勢だったようです。

 

昭和12年、似中戦争が勃発し、日本は神国であると言われた時に、「日本精神も今日では必然的に世界精神に結びついている。また結びつかざるを得ないのである。(p.49)」と安吾は書いています。勇気あります。

 

昭和13年に国家総動員法が成立し、もはや軍批判はできないという空気が言論界にも広がり、昭和14年になって、各出版社は競って神がかり的となり、戦争協力に力を尽くしはじめ(p.89)、小林秀雄ら文士たちは、伊勢神宮に戦勝祈願に行きます。

 

その頃、安吾は取手で暮らしています。「当時の雑誌は坂口安吾なんかお呼びでなかったのである。安吾さんが嘆くように「実力」がないせいばかりではなく、受け入れられるのは、所詮は、勇ましい従軍記風の作品ばかり(p.91)」という状態でした。

 

雑誌社は競って作家たちを現地に特派しました。例えば、「『中央公論』が尾崎士郎、林房雄、石川達三。『主婦之友』は吉屋信子。『文藝春秋』が岸田国士、小林秀雄。『改造』が立野信之(p.106)」といった具合です。

 

昭和15年になると、安吾は小田原に移り住みます。

二代目歴史探偵の半藤さんは、その当時について、「各雑誌もまた多くの流行作家も足並みそろえて、時流に棹さしてどんどん流れていった。念のために記すけれども、流されていったのではない。みずから流れていったのである(p.106)」と考えています。

大政翼賛会が立ち上がり、日本が戦争に向かっていった中、安吾は「私は近頃切支丹の書物ばかり読んでいる(p.113) 」だったのです。

 

そして、昭和16年12月8日に真珠湾攻撃があり、太平洋戦争が勃発します。

いわゆる文化人たちは、興奮し万歳を叫び、感涙に咽んでいます。

例えば、

高村光太郎(詩人)。
「ハワイ真珠湾襲撃の戦果が報ぜられていた。……私は不覚にも落涙した。国運を双肩に担った海軍将兵のそれまでの決意と労苦を思った時には、悲壮な感動で身ぶるいが出たが、ひるがえってこの捷報を聴かせたもうた時の陛下のみこころを恐察し奉った刹那、胸がこみ上げて来て我にもあらず涙が流れた」(p.138)

 

安吾はどうだったかというと、

「オカミサンがやってきて、なんだか戦争がはじまったなんてラジオがいっているよと教えてくれたが、安吾はまったく気にもせず昼ごろまで寝ころんで本を読んでいたという(p.121)」という話が残っています。そして、夜遅くまで、ただ酔っ払っていたようです。

 

昭和18年には、「僕は断言するが、日本精神とは何ぞや、などと論じるテアイは日本を知らない連中だ。(p.183)」なんてことを言っているのですが、幸い当時あまり売れていなかったせいか、お咎めはなかったようです。

 

昭和20年には、「私は戦争を「見物」したかったのだ。(p.225)」とのことで、東京の蒲田あたりに住んでいます。3月10日の東京大空襲では、「人間が焼鳥と同じようにあっちこっちに死んでいる(p.226)」ところを目撃します。安吾の住んでいたあたりは、奇跡的に焼け残ります。それには理由がありました。工場に勤めていたものの問題児だった不良たちが徹底的な消火活動をしたからです。その消火活動に安吾も参加しています。

 

真面目な真っ当な人たちは、消火活動をせずに、家財を持って逃げてしまいます。安吾は、「模範少年に疑義あり」という文章の中で、「日頃自分の好き嫌いを主張することもできず、訓練された犬みたいに人の言う通りハイハイと言ってほめられて喜んでいるような模範少年という連中は、人間として最も軽蔑すべき厭らしい存在だと痛感したのである。(p.232)」と書いています。

 

これは、逃げた人たちに厳しすぎるかもしれません。危機の時は、てんでんこで逃げるのが鉄則ですから。でも、安吾の言うこともわかります。危機の時、最初に逃げるのは、偉い人、すなわち模範少年の成れの果てだったりするようですから。日中戦争・太平洋戦争でも、前線の兵士に比べ、エラい人の戦死者は非常に少ないようですし。東日本大地震・原発事故のときも、メルトダウンが公表される前に海外に家族を逃した「エラい人たち」もいたという話を聞きました。

 

戦後の昭和21年、安吾は「大義名分だの、不義はご法度だの、滅私奉公だの、忠君愛国だの、七生報国だの、ありとあらゆるニセの着物を脱ぎ捨てよ。そして好きなものを好きだと言い切れる赤裸々な心になれ」と言っています。つまり、半藤さんの解釈によれば、「既成概念の打破、支配者側が強制したタテマエ論を捨てよ、偽善をすてて“堕落”しろ、そうすれば、そこから生きる道が見つかる。それこそが人間再建の第一歩であると、安吾さんはその一事を元気よく言いつづけるのである(p.256)」ということになります。
 

僕は、模範少年、模範青年、模範壮年になり損ねましたので、このまま非模範老年で行くことになろうかと思います。

 

 

 

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「 「発達障害が多すぎる」そだちの科学 No.42 April 4,2024」 

やっとこういう声が上がってきましたね。

「発達的視点に基づく精神科診断学の最前線 黒木俊秀 pp.2-8」

 

アメリカ国内でのASD有病率は、

2000年 1000人あたり6.7人

2012年 1000人あたり14.5人

2020年 1000人あたり27.6人

と、20年間で4倍増えています。

 

診断基準が明確になったから・・・ということもあるのかもしれませんが、すごい増え方ですね。日本ではどうなのでしょう?

ちなみに、自閉症の第一号症例となったドナルド・トリプレット氏は、2023年6月米国ミシシッピー州で亡くなったのだそうです。享年89歳。

 

思春期を迎えた頃から周囲を困惑させる症状は影をひそめ、発達のマイルストーンも人よりは遅れたかもしれませんが、次第にキャッチアップして行きました。。

 

大学卒業後、父親が経営する地元の銀行に長年勤めました。独特なユーモアのセンスがあり、最晩年に至るまで家族や地域の人々から愛されたとのことです。

 

「マルトリートメントがもたらすそだちの変化 滝口慎一郎 pp.48-53」では、以下のようなことが書かれていました。

マルトリートメントとは、児童虐待を含み、子どもの健全な発育を妨げる「不適切な養育」を指し、親・養育者の認識欠如や配慮不足なども包括した概念です(p.48)。

マルトリートメントにより、身体の発達、脳構造・機能、こころの発達に影響を与える可能性がある(p.49)ことが指摘されています。

 

 

発達障害は、本来遺伝的要因や胎児期の発達過程での問題によって引き起こされるものですが、マルトリートメントによって、それっぽく見られてしまうこともありうると、僕は考えています。


 

 

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「クライアントのプロセスを徹底的に信じる」 

クライアントが回復していく原動力は、自己治癒力、あるいは、成長へのエネルギーです。

回復のプロセスは、例えば、さなぎが蝶になるプロセスにたとえることができます。

さなぎから蝶へ羽化というのは、観察していると実に大変なプロセスです。

しばらくの間、自分をさなぎという狭い世界にとじこめ、時期が来ると、そのさなぎを破っていくわけです。

蝶が羽化するプロセスは感動的です。

蝶は、さなぎの殻を破った後、徐々に体を外に引き出します。このとき、蝶の羽は非常に小さく、しわが寄っていて未発達です。

身体を完全に蛹殻から引き出した後、蝶は羽を広げ始めます。蝶は体内の液体を羽に送り込み、羽を広げて形を整えます。これには数分から数時間かかり、羽が完全に広がり固まるまで静止して乾燥させる必要があります。

蝶は自分の力で全てのプロセスを完遂する能力を生まれながらに持っています。でも、側から見ているととても苦しそうです。だからといって、人間が手伝ってあげようなんてことをすると、大変なことになります。そんなことをすると、その蝶は、飛べない蝶になってしまいます。

カウンセリングにも似たところがあります。カウンセラーにできることは、クライアントのプロセスが始まったら、クライアントの力を徹底的に信じるということです。

カウンセラーが下手に手を出すと、クライアントは、カウンセラーに依存するばかりになってしまうかもしれませんし、自分でプロセスをやり遂げるモチベーションを失ってしまうかもしれません。自分の内側から湧き出てくるエネルギーを信じることができなくなるかもしれません。

カウンセラーができることは、さなぎになる安全な場所を一緒に探し、プロセスを邪魔しようとする外部からの動きを防ぎ安全を確保する程度のことです。

クライアントのプロセスを徹底的に信じるには、勇気が必要です。プロセスが始まったら何もしない勇気。
・・・それが、カウンセラーには必須の能力です。

 

 

 

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