民主主義でものごとを決めるとき、「人類史の究極の目的は何なのか」ということがベースにないといけないと思います。


人類史の究極の目的は、神の理想です。


神の理想と言うと、反発される方もいらっしゃるかも知れませんので、


その場合は、人類史の究極の目標、ということでよろしいと思いますが、


そうした究極の目標、いったい、私たちは、何を理想として生きているのか、ということを、明確にして、判断する必要があると思うのです。


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民主主義の一つの問題は、


何か判断するとき、


人類史の崇高な目的を意識して判断しているのか、


というと、そういうことはないだろう、と言うことなのです。


別の言い方をすれば、


高度な判断は、ごく少数しかできないと思われますが、その少数の人の判断が、大多数の集合想念に負けて、消される可能性がある、と言うことでもいいと思います。



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民主主義では、ふつうは、最大多数の人が利益を獲得する方向に、ものごとが決まっていくのだと思いますが、それが、人類の本当の理想かどうかは、また、別だと思います。



もちろん、たとえば、「消費税8%」を決めたときに、「今国家は危機である。私たち一人一人が重荷を背負うべきである」という義務感はあったと思います。


しかし、消費税を8%にするのかどうかは、本当には、相当、高度な判断が必要だろうと思うのです。


それを、最大派閥の思惑で決めてしまうと言うのは、まずいと思うのです。


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今日は、民主主義について、お話させていただきました。







4010号「民主主義に代わるものはあるのか(2)」

砂辺光次郎

講義録4010号

(2015/8/1)



ご訪問、心より感謝申し上げます。




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