ヒゲとメガネの舞台は続くよどこまでも

ヒゲヒゲメガネめがねの「オジサン」ふたり、酒を片手に語り合う、

自由気ままな観劇ブログ。 「よしなしごと」をあれこれと・・・。

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第百談 「怪談 乳房榎」

メガネ  すいません、半月も更新しませんで。一重に私の責任であります。詳しくは言えないのですが、本業、および、本業に隣接する自分の仕事が忙しくて…。実は、その後者も、随分、予定が後ろにずれ込んでおりまして…どうもすいません。

ヒゲ  ま、要領を得ないのは今の日本の流行という事で。

メガネ  まあ、取りあえず言い訳はこれくらいにして、今回の話に行きましょう。1日の「雲助月極十番」は何だったんですか。

ヒゲ  「怪談乳房榎」。前半、磯貝浪江がおきせを口説くところが良かった。

メガネ  ふーん。

ヒゲ  亡くなった三遊亭圓生師匠だと、浪江は最初から完全な「色悪」なんだけど、雲助師匠のはそうではない。おきせの方にも、心の隙がある、という印象を感じた。…圓生師匠って人は、自分が「色悪」みたいな人だったから(笑)、そういう形になったのかもしれないけれど、雲助師匠は持ち味が違うから、そういう「普通の人たちの噺」である所が面白かった。

メガネ  浪江の役は芝居だと完全に個々の場面は「色悪」ですけどね。8月は、新橋演舞場の第三部で、芝居の「怪談乳房榎」がかかってます。いつも思うんですけど、この作品くらい、落語と歌舞伎のアプローチが違うものも珍しい、と思うんですよ。

ヒゲ  ?

メガネ  落語の方は三遊亭圓朝作品らしい「幽霊による復讐劇」ですが、芝居は早替わりを見せる「納涼夏芝居」ですからね。

ヒゲ  近年では、先代の(実川)延若さんが得意にした芝居だよね。上方は明治以前、幕末の尾上多見蔵辺りから、早替わりの趣向を凝らした芝居や舞踊が多くなっていたから、『乳房榎』では使っていないけど宙乗りなんかのケレンの技術が昭和の終わりまで残っていて、延若さんは、その技術を継承していたんだよね。上方の芝居との関わりが深い文楽でも、『五天竺』や『竹中砦』にも、そういうケレンの要素が残っていたでしょ。

メガネ  そうですね。

ヒゲ  明治前半になってからも、後に市川斎入になった(市川)右團次とか、上方にはケレンの名手が一杯いたからね。、その分、東京の歌舞伎に比べると近代化が遅れた代り、古風な芝居の面白さが残っていた訳だ。これは推測だけど、明治に入ってから、ケレンを入れた作品が得意な作家、並木正三みたいな作者がいなかったんだろう。圓朝作品は、出版もされていてメジャーだったし、いわば、「絵草紙的芝居」のベースとして、使わせて貰ったんだろうね。

メガネ  推測ですけどね。そういうことかもしれません。

ヒゲ  『乳房榎』自体、戦後の東京落語界の大看板では三遊亭(圓生)師匠以外、余りやらない噺だったのも理由があるというか…圓生師匠がこの噺を第四次の落語研究会だったかな、初演するのを袖で聞いていた黒門町の師匠(先代桂文楽)と先代(三遊亭)金馬師匠が「何でゲスな、あれ(磯貝浪江)はあの人の了見でゲスな」と言って笑ってた、という話も残っているくらいだから。

メガネ  さっきの「色悪」の話ですね。

ヒゲ  考えてみれば怪談らしい場面は、南蔵院の龍の絵に目を入れる所ぐらいだし、怪談といっても『真景累ケ淵』の『豊志賀』や『迷いの駕籠』、、圓朝作品ではないけれど『小夜衣草紙』の『蛤吸物』みたいに、心理的に凄く恐いという怪談ではない。芝居として手を入れやすかったろうな。上方の芝居でいうと『敷島譚』も軽い怪談じゃなかったっけ?

メガネ  なるほどね。ただ、芝居になると、余りにも「ご景物」的ですからねえ。もう少し、違う形、つまりは因縁話的な演出で作る舞台があってもいい、とは思いますねえ。

ヒゲ  芝居と落語は別だから。中村屋も、元々、時蔵歌六は上方の役者だし、その参何である先代勘三郎も、戦前、訳あって上方に暫くいた人だったから、どこか上方の香りは残している家だよ。僕の推論だけでなく、小山観翁先生なども「先代勘三郎は上方で二代目延若、中村魁車、先代梅玉の芝居を見ているのが大きい」と書かれていたるらいだから、勘太郎さんがやる狂言としては、いいチョイスなんじゃないの。

メガネ  そんなもんですかねえ。

ヒゲ  そんなもんなんだよ。演劇でなく芝居なんだから。夏芝居は軽くなくちゃ。

(基本的には敬称略です)

第九十九談 「江戸の夕映」

メガネ  七月の歌舞伎は「市川海老蔵復帰興行」で、昼夜とも超満員。やっぱり海老蔵はスターなんだな、と思いました。昼は「勧進帳」、夜は「鏡獅子」が目玉でしょうけど、ボク的に面白かったのは、夜の切れの「江戸の夕映」でした。

ヒゲ  何が面白かったの。

メガネ  ポイントは三つ。「江戸の夕映」は、御一新後の東京へと変わりつつある江戸が舞台。海老蔵の役は、薩長の新政府に迎合することを阻んで、函館の五稜郭にまで籠って抵抗の戦いを続けるサムライ。その帰りをじっと待つ許嫁が中村壱太郎。「戦はいけねえ、生きていてこそ意味がある」といい、自ら侍を捨てる道楽者、というか世慣れた不良御家人が団十郎センセイです。
ラストシーン。結局、函館でも死ねず、東京に舞い戻って来た海老蔵サムライは、自責の念と無常観に囚われながら酒を飲んでいる。団十郎センセイの不良御家人がやってきて、「許嫁のもとに顔を出してやれ」と押し問答をしている所に、その御当人が通りかかる。言葉もなく見つめ合うふたり。空の茜色が深まっていく…。

ヒゲ  近代的ヒューマニズム文芸作品だね。武智鐡二氏とかが大嫌いだったタイプ。

メガネ  まあ、無言で見つめ合っているその状況の、海老蔵のカッコいいこと…。とにかく、台詞がない場面の美しさは天下一品。

ヒゲ  今の海老蔵丈は、飽くまでも見た目のスター役者だからね。

メガネ  いいんですよ、誤解を受けても。それぐらいカッコいい。…二番目は、そのシーン前半の市村萬次郎。近所のお囲い者のオバサンで、海老蔵が飲んでるソバ屋にやってきて、色んな事をパアパア言って帰るんだけど、これが無類に面白い。

ヒゲ  三谷さんの「PARCO歌舞伎」でコメディエンヌとしての面白さを発揮していて以来、役柄が広がったね。新劇役者と違って、歌舞伎の御曹司系ベテランってのは本質的に地力は大したもんだから。

メガネ  そうですね。三番目が壱太郎。8月3日で21歳になる若手の女形なんですが、これがいい。いつ帰るとも分らない婚約者をじっと待つ名門武家のお嬢様らしい、楚々とした佇まい、清純さ…実にそういう所を上手く出している。…科白回しは一寸硬いけど、かなりの女形になる素質があると見ました。

ヒゲ  ボクたちは、若いころに孝玉の洗礼を受けた。十代の坂東玉三郎を見ている身からすると、そんなに持ち上げるものなのか、と思っちゃうけどね。

メガネ  …ここで玉三郎さんを比較対象物としてだされるとツライですが…。壱太郎クン自体、十九歳で南座で、「曽根崎心中」のお初に抜擢されたくらいだから、元々素質は買われていた。…残念乍らボクは、その舞台は見ていないんですけどね…。ボクが見たのは昨年の「苫舟の会」で、藤間勘十郎が書いた新作歌舞伎に出た時で、この時は体に色気があってよかった。だから、もともと期待株として、注目してたんですよ。
 まあ、順調に育てば、玉三郎さんはともかくとして、(中村)福助、(中村)時蔵のレベルには達すると思います。時蔵さんの長男の梅枝クンもいい女形だと思うので、切磋琢磨して上を目指して欲しいですね。

(基本的に文中敬称略です)

第九十八談 「オレスタイル」

メガネ  ヒゲさんもボクも、春風亭昇太師匠の独演会「オレスタイル」に行ったわけですが、どうですか、感想は。

ヒゲ  ☆☆☆か☆☆☆と半分はあるね。

メガネ  ボクは☆☆☆ですね。演目は「二十四孝」「二階ぞめき」「船徳」「マサコ」でした。

ヒゲ  自分が城好きっていうもあるだろうけど、「二階ぞめき」みたいなマニアックな話は面白い。「二十四孝」は「天災」みたいな入り方で「あれ?」と思ったけど。

メガネ  まあ、でも、昔に比べると、あくせく動かない感じになってきて、随分、聞きやすかった。

ヒゲ  年相応、とはいわないけれど、年齢とともに落ち着きは増してきたんだろうな。

メガネ  やっぱり昇太師匠の高座を見ると、「落語はマンガだ」という五代目柳家小さん師匠の名言は正しい、と思っちゃいますね。

ヒゲ  家元や(柳家)小三治師匠が、目白から受け継げなかった部分でしょう。家元は「業の肯定」、小三治師匠は「落語は演劇の一部だ」というスタンスだから。

メガネ  「落語は舞台芸術、舞台芸能の一部である」という考え方には賛成します。

ヒゲ  それとは、一寸ニュアンスが違う考え方でしょ。もっと論理的にマジな感じがするよね、二人の師匠の考え方からは。

メガネ  昇太師匠の場合は、完全に赤塚不二夫的なギャグマンガの雰囲気ですね。デフォルメされたキャラクターの動きで、ギャグを作っていくという。

ヒゲ  最近は、そんなにキツイデフォルメでもないけどね。「船徳」の若旦那なんかでは、(三遊亭)遊雀師匠の方が遥かにデフォルメが激しくて可笑しさ。

メガネ  そうかもしれません。だから、ボクなんかは「落ち着いてきたかな」とも思うし、もうひとつ、昇太師匠で言えることは、KERAだとかの小劇場演劇をよーく見てますよね。演出面とかで、そういうセンスを吸収しているんだと思いますよ。歌舞伎も実は見ているし、いろいろなエッセンスを外の世界から取りこんでいる。

ヒゲ  それは、その前の世代、五街道雲助師匠とか、柳家小満ん師匠にも言えることで、実はいい噺家ってものは、他ジャンルのいい芸をちゃんと見ているんだよ。昇太師匠の落語を見ていて改めて思ったのは、「古典落語的な味わい」は、やっぱり一寸薄いよね。声質もあって、「宿屋の仇討」の侍みたいなものは一寸無理がある。ユックリは喋れるんだけれど、低い声を使えないから、どうしても芸幅が狭くなるのは仕方ない。

メガネ  そうですか。

ヒゲ  「マサコ」なんかは(立川)生志師匠のやった方が「落語」って感じはするんだよ。昇太師匠のは「悪意のない、無邪気で残酷で可笑しいコント」という感じがする。その意味では、野田秀樹以降の小劇場が描いてきた「笑い」と共通する点がある。ある意味、「新作落語」を作り演じるために生まれてきた人なんろうな。

メガネ  それはある意味、仕方ないとは思いますけどね。…まあ、1990年代中盤から後半の実験落語グループのリーダーとして、落語界を盛り上げてきた功績は大きい、と思いますよ。

ヒゲ  実験落語では、プロデューサーの渡辺敏正さんの功績も大きい。たとえば、みんなが面白さに気づいていないころの林家彦いち師匠あたりを、よく見出して、見捨てずに育て上げたものだと感心する。そして、今もそれぞれの現状にちゃんと目を注いでいる。

メガネ  90年代の実験落語が何を現代にもたらしたかについては、改めて話し合う必要があると思いますね。

第九十七談 「ベッジ・パードン」

メガネ  三谷幸喜がシス・カンパニーで書き下ろした「ベッジ・パードン」ですが、どうでしょう? ボクは☆☆☆ですが。

ヒゲ  ☆☆と半分。一幕目だけなら☆☆☆と半分。「久々の傑作か!」という出来だったけど。二幕目が酷い…。☆の出来。見ているのがイヤになって、二幕途中で帰ろうかと思ったほどだった。

メガネ  いつもの通り、どんな作品かを紹介しますと、舞台は19世紀末から20世紀初頭のロンドン。留学していた若き日の夏目漱石、夏目金之助が主人公です。将来の文豪がロンドンに馴染めず、人種差別に悩み、神経衰弱になったのは有名ですが、下宿屋にいた下町育ちの女性とは心を通わせていたらしい。…「ベッジ・パードン」とは、その女性のニックネームで、訛りがきつく「アイ・ベッグ・ユア・パードン」が「ベッジ・パードン」にしか聞こえないから、というんですけど…。そういう「史実」を三谷流の想像力で膨らませていったのが、この物語です。

ヒゲ  説明をありがとう。

メガネ  いえいえ(笑)。…大まかな出来の評価については、ボクもヒゲさんと同じ。一幕目は面白いけど、二幕目はどうも…というのには、賛成します。思うに、二つの問題があると思うんですよね。
まず、ロンドンの下町っ子…コックニーって言いますが…の描き方の問題。もう一つはベッジ・パードンと金之助の関係の問題。

ヒゲ  詳しく言えば・・

メガネ  なんか、ロンドンの下町っ子のはずなのに、えらい田舎者的な描き方をされていますよね、ベッジ・パードンが。日本の芝居に例えれば、つまりは鶴屋南北の生世話の世界で生きている人たちのことでしょ、コックニーって。粗野で教養がない部分はあるかもしれないけど、決して「田舎者」ではないはず。その辺りがうまく描かれていない。
 金之助とベッジ・パードンは一幕目の最後で、色々あって関係を持つ、という設定なんですが、時代背景だとか、当時の人々の性感覚を考えると、どうもこれが馴染めないんじゃないか、とも思うんです。寧ろプラトニックな関係のまま、進行させた方がスムースに展開できたんじゃないかと思いました。

ヒゲ  事実、余りにも話を作り過ぎていて、納得出来ない部分が多い。ボクはもう一つ、かの明治の文豪について、三谷さんが見逃していることがある、と思う。

メガネ  何ですか、それは。

ヒゲ  金之助自身、江戸の牛込で生まれた「明治の江戸っ子、東京っ子」だってこと。牛込は本来の下町ではないけれど漱石の気質は江戸っ子だもん。アメリカの都会と違い、歴史を持った東京とロンドンという都市に生まれ、町っ子感覚で育った者同士が気が合ってしまう、という設定の方が自然でしょ。ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生』シリーズに「チープサイド」というロンドンっ子の雀が出て来るけど、それなんて「江戸の職人下町っ子」そのものでね。そういう「親代々、町っ子でぃ」という雰囲気か漱石にもヒロインにも全然無い。

メガネ  なるほどね。

ヒゲ  森林太郎鴎外が『阿部一族』を書いていた時代に、「吾輩は猫である」とか「坊ちゃん」を書いた漱石なのに、根は洒脱な筈なんだ。その要素が抜け落ちている。

メガネ  それはそうかもしれませんね。

ヒゲ  話自体も漱石の世界、というより鴎外の『舞姫』みたいな感じでね。…寧ろ「笑の大学」みたいに「菊田栄がモデルなんだけど、菊田栄そのものではない架空の人」とした方が、違和感はなかったと思う。

メガネ  ああ、そうですね。「漱石みたいなんだけど漱石ではない、当時の日本人留学生代表」みたいなイメージの方が、そういう意味では、実像とのイメージギャップは生まれない。

ヒゲ  「彦馬がゆく」なんかは、主人公の神田彦馬が実在の人物とはいえ、一般に馴染みの薄い人だったから、こういうことは起こらなかったけど。何しろ、夏目漱石だから。…大体、三谷さんは実在の人物を動かしていく、セミドキュメントタイプの戯曲世界とそぐわないタイプの作家なんじゃない?

メガネ  …大胆なことを、また。

ヒゲ  いや、資料を読み込んで、事実を生かしながら想像力を膨らませて行く、というやり方よりも、最初から虚構の世界を作り上げる方が上手いのでは、ということだよ。日本には珍しい「ジューイッシュ・コメディー」の書き手なんだから。

メガネ  二ール・サイモンとかウッディ・アレンみたいな、一寸ひねった感じの都会的なコメディーってことですね。

ヒゲ  言えばウッディ・アレンの方が近いかな。『カメレオンマン』みたいな大ウソで物語を作れる才能がある。だから、この芝居でも、冒頭、台詞を英語から日本語に切り替える場面とか、物凄く流暢な英語をしゃべる階下の日本人が日本語になると物凄く訛っている、なんてギャグは切れ味がいい。『みんなのおうち』だっけ、映画そのものよりパブリシティ番組の構成の方が優れているの三田谷さんにはあるけれど、あのパブリシティ番組でも田中邦衛さんや八木亜希子に外国語で喋らせるアイディアが抜群だった。そういう切れが三谷幸喜だから、資料を読み込んで、自分なりの人格を作るのは得意ではない。

メガネ  「英国人は誰を見ても同じ顔に見える」と言う金之助の悩みを逆手にとって、浅野和之さんに男女何役もやらせる発想も面白いですよね。

ヒゲ  浅野さんが若い頃の「電激」時代から、そういう「良い意味であざとい演技」が巧い人だから、これが実に嵌っている。…この芝居で一番いいのは、浅野さんだよね。

メガネ  それは否定しません。

ヒゲ  …という風に、フィクションのアイデイアを拾っていくと、前半はかなりの高点数なんだよ。だけど、後半がねえ…。

メガネ  無理に話を動かそうとして、歪みが出ているんですよね。礼儀上、書きませんが、最後のシーンにも説得力がなくなっている。それでもボクは前半が面白かったので、「国民の映画」よりは高評価なんですけど。

ヒゲ  どうしても、後半の印象が悪いと、その印象が強く残るから点は辛くなるよ。一幕と二幕は丸っきり違う芝居だもん。「下手でもシリアス」な作家の方が、確かに評価されやすいのが明治以降の日本の演劇風土であるけれど、三谷さんには「仕掛けの作家」「フィクションの達人」である事に、もっとプライドを持ってほしいと思うんだよなァ。

(基本的に文中敬称略です)

第九十六談 「ノバ・ボサ・ノバ」

メガネ  宝塚歌劇団の星組公演を何度も見てますね。何かお目当てでも?

ヒゲ  12年ぶりに上演された「ノバ・ボサ・ノバ」。これは舞台、特にショーやミュージカルを愛好する者なら、一度は見ておかなければいけない傑作だと思う。

メガネ  へえ。

ヒゲ  ブラジル、カルナバルの日の夜明けから次の日の朝までを、ほぼ歌と踊りだけで綴ったショーだけど、作・演出の鴨川清作の天才ぶりを遺憾なく物語っている。姉妹が宝塚の生徒で、幼い頃から宝塚漬けで育った鴨川さんの、レビュー・ショーに対する感覚は小池(修一郎)さんや(宮本)亜門さんを明らかに上回っている。「こういう、天才的なショーエンタテインメントの作家が日本にもいた!」ということを語り継ぐためにも見て欲しかったね。

メガネ  絶賛ですね。

ヒゲ  日本人が書いた「歌」の入る舞台で本当に絶賛出来るのは『ノバ・ボサノバ』と『上海バンスキング』くらいだもん。兎に角大変なんだよ、この作品は。舞台゛がズーッと斜めに傾斜している、いわゆる開帳場(俗に言う「八百屋舞台」)のステージで、女性の体力では限界をある意味超えた踊りを最初から最後まで要求している。池波(正太郎)さんが「昭和40年代の宝塚の作品は、ブロードウエーを凌駕していた」と書いていたのは、加茂川作品を指していた訳だからね。しかも、それだけレベルが高いのに、アートになっていない。正に流れるように場面場面のアクセントをつけながら展開するショーの途中で、パレードのシーンがあるんだけど、カルナバルらしい、キンキラキンのラテン衣装をつけた組のスターたちが、開帳場の奥から次から次へと出てきて歌い踊る構成になっている。そのワクワク感が堪らなくエンタテインメントとして楽しめる。また、ハレードと対照的に、ラストシーン近くで、登場人物が凧になって飛んでいく、というアーティスティックなイメージのシーンも僕は大好きなんだ。何しろ昭和46年の初演当時、ラテンの古典的名曲の中に、サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」をいち早く取り入れたセンスといい、卓越しているね。

メガネ  ふーん。

ヒゲ  とはいうものの、トップから二番手、三番手、娘役もトップから二番手、三番手くらいまで歌って踊れる役者がそろっていないと出来ないから、まあ、なかなか上演する機会も少ないんだけど。傑出したダンサーだった亡くなった大浦みずきが花組のトップ男役だった時代、本当にダンサーが揃っていたから、何故、再演しなかったのか?と当時から言われていたけれど、大浦さんは膝が弱くて開帳場の舞台を苦手にしていたからかなぁ。だとすれば惜しい話なんだよね。

メガネ  ということは、次にみられるのは12年後、ってことですか(笑)。

ヒゲ  さあて(笑)。今、今回は星組トップの柚希望礼音が優れたダンサーたせから出したんだろうけれど、今、月組トップの霧矢大夢が1999年の新人公演で「ノバ・ボサ・ノバ」の主役に、いわば抜擢されて凄い舞台を見せたんだ。歌詞がない場面で、本役のトップには出来なかったインプロビゼイションのスキャットでズーッと歌うなど、圧倒的な評判になった。宝塚の新人公演初のカーテンコールが起きたくらいだったからね。そう考えると、霧矢がいるうちに最大の当たり役として、これを出してくるかもしれない。

メガネ  ふーん。そうですか。所で聞き忘れていましたが、今回の出来を☆で表すと?

ヒゲ  …☆☆☆と半分かな。

メガネ  あれ、作品を絶賛している割には、意外と平凡な☆ですねえ。

ヒゲ  そこが今の宝塚の悩みでね…昔ほどスターが数限りなくいる訳じゃないし、12年前の公演と比べてもスケールが小さい。トップ男役が踊れるだけでは作品としてはダメなんだ。12年前の舞台を覚えている身からすると、このくらいが妥当じゃないかな。12年前だって、月組の真琴つばさも雪組の轟悠もトップ男役は大して踊れないし、歌もそんなに巧かった訳じゃない。ただ、出演者全員のレベルが明らかに今回より高い。後にトップ男役になった朝海ひかるのブリーザという女役のダンスとか、これも後にトップになった紫吹淳の二番手男役が女装するシーンの綺麗さなんて忘れられないからね。宝塚だと「『エリザベート』を公演すると組の歌唱レベルが上がる」というのがあるけれど、

メガネ  なるほどね。まあ、今は人材が拡散してますからね。ヒゲさんがこれだけ絶賛する作品だったら、ボクも無理して見に行けばよかった、と今さらながら思いますね。

ヒゲ  ステージの恐いのはそこだね。「見た者勝ち」の基本は変わらない。ただ、これは噺家の柳家小満ん師匠に「“自分は良い舞台にぶつかるんだ”と信じてないと、不思議と良い舞台には巡りあわないもんだよ」と言われた。篠山紀信さんも「これ!というシャッターチャンスに巡り合える何かを持っているのがプロのカメラマンとして成功する大鉄則」と言われていたけれど、確かに僕は割とそういう意味で「自分はチャンスに出会いやすい」と自任してるとこがある。ちあきなおみさんの神がかりみたいな出来のビリー・ホリディを見たり(宮本亜門氏が同じ日に観ている)、さっきの霧矢大夢の劇的な新人公演も観てれば、談志師匠が「引退していたアダチ龍光先生を寄席の高座に連れてきた」みたいな、何か意外な事をしでかす高座にもよく出あっていた。そういう意味で、メガネさんは「観客としての自分」に対する「信用」がまだ足りないんじゃないの(笑)。

第九十五談 「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

メガネ  三越劇場の新派「ふるあめりかに袖はぬらさじ」を見ました。文学座で杉村春子さんが初演した時から、作品内容については評価が高いので、今更ではありますが、☆☆☆は付けられる出来だと思います。

ヒゲ  ま、そうだろうね。

メガネ  横浜の遊郭で自殺した遊女をかわら版などが「異人と友寝をするのを潔しとせずに自決した」と書き立て、その話が独り歩きしてしまうという内容。主役は死んだ遊女、亀遊とは古い付き合いの芸者・お園です。

ヒゲ  ザッとした説明でいえば(笑)。

メガネ  イヤイヤ(笑)。今回は新派公演だから、お園役は水谷八重子センセイでした。

ヒゲ  まあ、そうなるだろう。

メガネ  ここのところ、坂東玉三郎丈のお園で見る事が多くて、まあ、現代では玉三郎版が決定版だろうと思っていたのですが…。

ヒゲ  あにはからんや。

メガネ  八重子版は、玉三郎版とは違う味わいがあって、甲乙つけがたい、と思いました。

ヒゲ  どういうとこ?

メガネ  「女形」と「女優」の違い、とでもいえばいいのでしょうか。

ヒゲ  八重子さんなら、いい意味で「女の生臭さ」が出せるだろう。玉三郎丈は「キレイ事」の人だから、そういう所は出さないだろう。黒門町の文楽師匠と同じ。

メガネ  誤解を生みそうな言い方しますね(笑)。翻訳しますと、玉三郎さんの「女形の芸」はスタイリッシュだから、お園の「業」のようなものは余り強調されないけど、物語の輪郭をくっきりと浮かび上がらせることができる、んですよね。

ヒゲ  そういう言い方も出来る。

メガネ  逆に八重子さんの「女優の芸」は、より生理的な所に立脚しているから、お園の気持ちの動き、人間としての「業」の深さみたいなものが、自然と滲み出る。ただ、そこがどうしても観客の心に残ってしまうから、話全体のインパクトとしては少し弱くなる。

ヒゲ  でも、作者の有吉佐和子さんは本来そこが描きたかったんじゃないの。

メガネ  それは解釈次第です。そういう長所短所を考えると、どっちもいい出来で、後は個人の好み、って気もするんですよ。甲乙つけがたい、というのは、そういう意味です。

ヒゲ  甲乙というか、芝居という水商売における「接客」と「芸術」の違いだね。

メガネ  当然かもしれませんが、八重子さんの腕前には今更ながら感心させられました。八重子さんと玉三郎丈以外、今、この芝居を出来る人はいますかねえ。

ヒゲ  私なんぞは、三田和代さんならば面白いんじゃない?と思うけれどね。

メガネ  そうですかねえ。まあ、「腕がある」のは確かですが。ボクには中村福助ならできるだろうな、としか浮かばない。後は若村麻由美かな…。

ヒゲ  福助丈は岡本町の歌右衛門丈と同じで、ある意味、「おかわの匂いのする女形」だからね。淀川長治さんが岡本町をそういう風にいってた。

メガネ  そうですねえ。

ヒゲ  今は現代劇の女優さんが、和物の芝居を見て育ってないから、こういう芝居ができる素養を持った人は少なくなるね。

メガネ  そうですねえ。何だかんだ言って、八重子、(波乃)久里子の「新派ツートップ」は、その辺りしっかりしてますからねえ。有吉(佐和子)さんの作品は、「三婆」とか「華岡青洲の妻」とかいいものが多いけど、すっかり新派の独壇場になってますね。

ヒゲ  昔は杉村さん、太地(喜和子)さん、と文学座にもそういう伝統はあったけどね。寧ろ宝塚で育った女優の方が、和物は出来るかも知れない。これは昔、宝塚に関する本で書いた事があるんだけれど、宝塚と一番共通項のある「演技の様式」を持っているのは新派の演技なんだよ。まあ、杉村さんも八重子さんも女優として妙にベタベタしない、男っぽいところがあるのも宝塚男役的なんだけどね。そういうキッパリした所と新派や歌舞伎の「様式性」がアウフヘーベンしないと、逆に作品の「生臭さ」が出過ぎちゃって、妙に生々しくなりかねない。当分、新派以外だとこの手の作品は歌舞伎役者がやることになりそうだね。

メガネ  北條秀司さんの「狐狸狐狸ばなし」なんかもそうですからねえ。今回、亀遊さん役の瀬戸摩純さんも、儚げでキレイで結構でした。ただ、瀬戸さんぐらいキャリアがあったら、もう唐人口の遊女、マリアくらいの役を振ってもいいと思う。

ヒゲ  それはプロデュースサイドへの注文という話だね。まあ、確かに北條秀司先生の作品とか、新派の演技様式が無いと出来ない名作が実は結構あるので、次代の新派の人材育成については、松竹さんに考えて貰いたいな。

第九十四談 「吹雪峠」

メガネ  で、こちらの方ですが、一寸五月末から風邪をひきまして(笑)。おまけに珍しく、本業のサラリーマン仕事が忙しく、余り舞台を見られなかった。まあ、新橋演舞場の歌舞伎を見たくらいですかね。

ヒゲ  ふーん。

メガネ  その歌舞伎で拾いモノ…なんて言ったら怒られるかな…だったのは、夜の部の最初の「吹雪峠」。

ヒゲ  また、珍しい演目だねえ。本で読んではいるけれど、生で観た事がない。

メガネ  これが結構、面白かった。ちょっとだけ解説しますと(笑)。

ヒゲ  例によって(笑)。

メガネ  身延山への参詣の帰り、大雪の中で道に迷った夫婦連れが這々の体で山小屋に辿り着き、取り敢えず一夜の宿を得て、ほっとする。女の方は元は侠客の女房で、弟分だった亭主と不倫の末に駆け落ちした、という過去が会話の中から分かって来ます。そんな所に、やはり雪で道に迷った男が現れます。三度笠に道中合羽、渡世人の身なり。実はその男こそ、2人に裏切られた侠客で…。

ヒゲ  和製三人芝居(笑)。ひと幕物にはよくあつたタイプなんだけど。

メガネ  作者は宇野信夫さんで、落語にも造詣の深かったこの人らしく、三遊亭圓朝作の「鰍沢」を下敷きにしている。

ヒゲ  下敷きというか、パクリというか。

メガネ  「鰍沢」は身延山への参詣の帰り、雪に降られた旅人が山中の一軒家に一夜の宿を請うと、そこにはノドにキズのある絶世の美女がいて…って話です、蛇足ながら。

ヒゲ  (笑)。

メガネ  これを念頭に見ないと面白さが半減しますからね。…で、夫婦連れは侠客に命乞いをし、一旦は侠客も男らしく受け入れるのですが、夫婦連れのうち、男の方が実は病み上がりで、それを甲斐甲斐しく看病する女を見るうち、侠客の胸中にムカムカと…。

ヒゲ  ムラムラじゃないのね(笑)。

メガネ  そう。嫉妬というか怒りの心が蘇って来る。で、「やっぱり、許して置けねえ」となる。この後は書きません(笑)。

ヒゲ  まあ、上演時間も30分と短いからテンポも早いし、密室劇でまとまっちゃいるから、見ていて疲れない芝居だよね。

メガネ  そうですね。宇野さんの芝居は、ともすれば構成とか台詞に関して、川松さん(川口松太郎)や、北條(秀司)先生に比べると、少し常道になずむ面があるのですが、この作品は気にならない。というか、さっき言ったように、「鰍沢」を念頭に置いたスケッチと考えたら、肩が凝らずに見られる小品としてはなかなかのもの。

ヒゲ  また、褒めますね(笑)。

メガネ  まあまあ(笑)。染五郎、愛之助、孝太郎、という3人の役者の配置も適材適所。夜の部のアタマ、としては重過ぎず、いい作品選択だと思いました。

ヒゲ  昼の部のアタマは何なの?

メガネ  「頼朝の死」。

ヒゲ  真山青果ものが好きだねえ。今の役者はそんなに長~いセリフ、理屈っぽいセリフを喋りたいのかね。真山青果は「お浜御殿」と「大石最後の一日」くらいで良いよ。

メガネ  そう(笑)。いつも思うんですけどね。こういう妙にマジメな「新歌舞伎」を、何で役者連はやりたがるんでしょうね。

ヒゲ  正確にいえば「観客迷惑な新歌舞伎」。二代目左團次の「歌舞伎新劇」なんだけどさ。同じ二代目左團次所縁物でも、岡本綺堂作品みたいに、話の展開に艶や花が殆どないから、エンタテインメント芝居である歌舞伎には辛いよね。まあ、主役は立っている訳だし、朗々と台詞は回せるから、役者さんは気持ち良く、「俺は今、芝居をしてる」って実感があるのかもしれない。でも、どっかで客席をおいてきぼりにしてェる訳だしさ、まして「新劇的な科白表現」として考えると「今なら平幹二郎さんが演じた方が巧いかもしれない」と思ったりするよ。

メガネ  この時代の作品って、実は観客に人気があるのは人情喜劇の方だと思うんですよね。「ぢいさんばあさん」だとか「お江戸土産」だとか。…何か、そういう作品が不当に軽く見られている気もするんですよね。青果ものみたいに、マジメな作品の方が上等だと思われているような気がしてならない。

ヒゲ  「真面目な物の方が上品」というのは、明らかに「明治時代の錯覚」でね。落語もシェイクスピアも、洒脱かつコミカルで馬鹿馬鹿しい中に人間の真実をチラッと描く方が難しい。さっきの宇野信夫さんが圓生師匠に『江戸の夢』『大名房五郎』を書いたり、菊田一夫さんが「水神」を書いたりしてるけれど、みんな人情噺しか描けない。悪いけど、大野桂さんの「宝石病」とか「敵の首」「のびる」なんかの方が遥かに優れているとおもうね。逆に「塩原太助」を「立身出世だけを描いた馬鹿真面目な教訓噺」と私もつい先日まで勘違いしてたんだけど、それも「塩原」のうち「教訓臭い件」ばかりを噺家さんが演りたがり、文士系の評論家が褒めてきたからなんだね。大体、内外共に小説でも「笑い」が分る人はまずいないし、笑える小説を書く文士って文学界的に評価が低いじゃない。ジェロームの「ボートの三人男」とか私は大好きなのは、井伏鱒二の消し妙洒脱な翻訳で「ドリトル先生」を読んで育ったおかげだけど、そういう洒脱さが評価されない。

メガネ  コミカルな新歌舞伎という意味では木村錦花の作品なんて、「研辰」の野田版以外、全然、上演されない訳だし…。まあ兎に角、今回の「吹雪峠」をきっかけに、明治から戦前に書かれた新作の洗い直しを松竹がやってくれたら嬉しいな、とは思います。

(基本的に敬称略です)

メガネの観劇履歴/3~5月

3/1 弥生の独り看板
3/8 池袋演芸場夜席
3/9 二兎社「シングルマザー」
3/10 モダンスイマーズ「デンキ島 松田リカ編」
3/13 新橋演舞場「三月大歌舞伎」昼夜
3/15 宝塚歌劇団「ロミオとジュリエット」
3/18 シアターコクーン「日本人のへそ」
4/3 新橋演舞場歌舞伎昼の部
4/5 トップガールズ
4/6 池袋演芸場夜席
4/9 新橋演舞場歌舞伎夜の部
4/11 「ピラカタノート」
4/13 坂東玉三郎特別舞踊公演
4/22 かもめ亭
4/24 遊雀玉手箱
4/26 「ゴド―を待ちながら」
4/29 「国民の映画」
5/1 「港町純情オセロ」
5/6 「たいこどんどん」
5/7 新橋演舞場昼の部
5/9 tpt「恋人」
5/11 新国立劇場「鳥瞰図」
5/14 青年座「をんな善哉」
5/21 明治座昼の部、夜の部
5/22 新橋演舞場夜の部
5/28 遊雀玉手箱
5/31 「黒い十人の女」

めがね

ヒゲの観劇履歴/3~5月

3/1 弥生の独り看板
3/2 馬生の会
3/3 池袋演芸場昼席/池袋演芸場夜席
3/4 菊之丞ひとり会
3/5 池袋演芸場昼席/白酒独演会
3/6 百栄の節句「新作っぽい日」
3/7 池袋演芸場昼席/池袋演芸場夜席
3/8 池袋演芸場昼席/江戸川落語会
3/9 池袋演芸場昼席/談春アナザーサイド
3/10 池袋演芸場昼席/池袋演芸場夜席
3/12 新宿末広亭夜席
3/13 生志のにぎわい日和/柳家小満んの会
3/14 池袋演芸場昼席
3/15 池袋演芸場昼席/新宿末広亭夜席
3/16 らくご古今亭
3/17 新宿末広亭昼席/新宿末広亭夜席
3/18 新宿末広亭昼席/真一文字の会
3/19 池袋演芸場昼席/新宿末広亭夜席
3/20 池袋演芸場昼席/新宿末広亭夜席
3/21 新宿末広亭夜席
3/22 新宿末広亭昼席/白酒ひとり
3/23 新宿末広亭夜席
3/24 新宿末広亭昼席/J亭落語会
3/25 新宿末広亭昼席/北沢落語名人会
3/26 雲助蔵出し/新宿末広亭夜席
3/27 三三馬石二人会/白酒玉手箱
3/28 新宿末広亭昼席/読売GINZA落語会
3/29 新宿末広亭昼席/シブヤ落語会
3/30 彦いち落語組手
3/31 池袋演芸場余一会昼の部/県民ホール寄席
4/1 池袋演芸場昼席/新宿末広亭夜席
4/2 池袋演芸場昼席/新宿末広亭夜席
4/3 扇辰喬太郎の会
4/4 池袋演芸場昼席/日本橋夜のひとり噺
4/5 新宿末広亭夜席
4/6 池袋演芸場昼席/月例三三独演会
4/7 池袋演芸場昼席/白酒ばなし
4/8 談春弟子の会/新宿末広亭夜席
4/9 池袋演芸場昼席/談笑月例独演会
4/10 池袋演芸場昼席/新宿末広亭夜席
4/11 池袋演芸場昼席/人形町らくだ亭
4/12 一朝・一之輔親子会
4/13 池袋演芸場昼席/談春アナザーワールド
4/14 J亭落語会
4/15 「トップガールズ」/人形町市馬落語集
4/16 文左衛門倉庫/池袋演芸場夜席
4/17 菊志ん独演会
4/18 池袋演芸場昼席/雲助月極十番
4/19 池袋演芸場昼席/三三独演会
4/20 池袋演芸場夜席
4/21 池袋演芸場昼席/新宿末広亭夜席
4/22 池袋演芸場昼席/かもめ亭
4/23 三田落語会昼夜
4/24 円橘独演会/遊雀玉手箱
4/25 池袋演芸場昼席/円丈の骨、白鳥の肉
4/26 白酒むふふふ
4/27 「紅姉妹」/真一文字の会
4/28 菊志ん独演会/新宿末広亭夜席
4/29 池袋演芸場昼席/真一文字の会築地支店
4/30 宝塚歌劇団月組公演
5/1 池袋演芸場昼夜
5/2 池袋演芸場昼席/大日本橋落語祭
5/3 池袋演芸場昼席/大日本橋落語祭
5/4 池袋演芸場昼席/柳家三三島鵆沖白浪六か月連続公演
5/5 圓朝座/池袋演芸場昼席/池袋演芸場夜席
5/6 池袋演芸場昼席
5/7 池袋演芸場昼席/犬猿二人会
5/10 池袋演芸場昼席/池袋演芸場夜席
5/11 宝塚歌劇団月組公演/談春アナザーワールド9
5/12 月例三三独演会
5/13 小満んの会
5/14 池袋演芸場昼席/白酒甚語楼ふたり会
5/15 明治座夜の部「怪談牡丹灯籠」
5/16 池袋演芸場昼席/雲助月極十番
5/17 池袋演芸場昼席/立川談笑月例独演会
5/18 宝塚歌劇団月組公演/池袋演芸場昼席/人形町市馬落語集
5/19 「をんな善哉」/白酒ひとり
5/20 池袋演芸場昼席/人形町市馬落語集
5/21 柳家甚語楼の会
5/22 宝塚歌劇団月組公演
5/23 春風亭一之輔独演会
5/24 池袋演芸場昼席/新宿末広亭夜席
5/25 真一文字の会
5/26 新宿末広亭夜席
5/27 新宿末広亭夜席
5/28 談春らくごin日本橋/遊雀玉手箱
5/29 三三らくごin日本橋/タカラヅカ亭
5/30 「ぼっちゃま」
5/31 春風亭一之輔の会

ヒゲ

第九十三談 桂文治襲名など

ヒゲ  取りあえず、桂平治師匠の桂文治襲名、が一番最近の話題だね。まずは来年秋に決定して目出度い。

メガネ  「圓生問題」なんかと比べたら。ちゃんと遺族にも、芸協、落語協会の双方にも、大分前から話は通っていましたからね。

ヒゲ  近年の襲名では、林家正蔵以来、内容に文句のない妥当な襲名だろうな。

メガネ  正蔵襲名は2005年ですか。

ヒゲ  文治の名は江戸時代末期の尻取り歌に「桂文治は噺家で」という文句があるぐらいの大名跡。一寸九代目が芸風的に変わり種、十代目が江戸前乍ら、やや小粒な芸だったけど、平治師匠なら問題はない

メガネ  九代目も十代目も、どちらかというと軽妙なヒザの芸って感じの人ですね。

ヒゲ  九代目はそうだけど、十代目は一番向いていたのは仲入りだろうな。

メガネ  二人とも文句なく面白いけれど、人情噺や芝居噺などの大ネタをやる噺家ではない、という意味での「小粒」ですね。

ヒゲ  二人とも「典型的な寄席の噺家さん」だもん。長谷川町子さんが落語家を描くと必ず九代目の留さん文治師匠だった、というくらい、庶民的な親しみがあった二人。

メガネ  誤解されるとイヤなので、蛇足ながら一言加えてみました(笑)。

ヒゲ  話を戻すと、元々、江戸時代から続く上方の大名跡だから、江戸に移った後、「文治」と「三木助」や「圓枝」は今でもかみ方で返して貰いたがっている。それくらいの重さと価値のある名前です。平治師匠は一般的な知名度は低いけれど、戦後の落語芸術協会で初めて、四十代で五月ゴールデンウィークの寄席トリを取らせて貰ったように、協会内では実力は高く評価されている。寿輔師匠など「平治くんは落語芸術協会の宝です」と高座でマジに言っていたくらい。芸術協会の若手の行動隊長で、人柄にも問題が無い。

メガネ  「らくだ」のような大ネタも得意にしているんですね。

ヒゲ  寄席の主任でも演ってる。あの迫力にかなう「らくだ」は今の東京にはいないね。先代馬生師匠、六代目松鶴師匠、先代小染師匠と並び、私の聞いた『らくだ四天王』の一人。(昔々亭)桃太郎師匠も「今の芸協で目立っているのは平治と(三遊亭)遊雀だけ」と堂々と言うからね。襲名を機に更に発展してほしい。敢えて足りない所を探すと・・

メガネ  おっと、辛口ですね(笑)。

ヒゲ  褒めてばかりいるのも、ね(笑)。ブレーンというか、プロデューサーというか、そういう存在が回りにいてくれると、もっと世間に対してアピール出来ると思う。

メガネ  (春風亭)昇太師匠とか(柳家)喬太郎師匠みたいに、落語以外の世界にも人脈の広がりがあれば、ってことですね。

ヒゲ  そう。あの凄い明るさは、何処でも受け入れられる物だと思うから。

メガネ  まあ、人と人との縁だから難しいかもしれないですけどね…。これから、にそこは期待しておきましょうか。そのほか、最近見たモノで面白かったのは?

ヒゲ  「にぎわい座」の三三師匠「島鵆沖白浪」六カ月連続口演だけど、二回目は前回の「三日連続初演」では演らなかった部分を口演した。三日月小僧の庄吉と破戒坊主の玄若が三宅島送りになる件だけど、ここが面白かった。特に玄若は、こすっからい、小悪党というより「悪心」の男で、こういう人物を描かせると、三三師匠は本当に巧い。前回の三日連続公演や先月の一回目とは別人の出来。今後の売り物になるかもしれない。

メガネ  へえ。また、褒めますね。

ヒゲ  良いものは良いと言わなきゃ。次回は前回もやった「大坂屋花蝶」の部分かな。

メガネ  ふーん。そう言われると、聞きたくなりますねえ。ボクは前回、三日目の「島抜け」しか聞いてないから。
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