前々回の"中国の漢字廃止論"、前回の"ベトナムの漢字廃止論"に続いて、本日は「朝鮮半島の漢字廃止」について整理してみたいと思います。近くて遠い存在なので資料不足は否めないのですが、敢えてトライすることにしました。

 

四十年前に初めて「大韓民国」(韓国)に出張した折に、日本語で「朝鮮半島」と言った僕に対して、韓国の年配者から、「韓国では韓半島と言います。朝鮮半島と言うのは、北朝鮮と日本だけ!」と注意された事がありました。

 

その時は、初耳の「韓半島」が円滑に口から出てこなくて、仕事言葉のKorian Peninsula」を使ってその場をなんとか取り繕った事を思い出しました。

 

朝鮮半島」に漢字が伝来したのは、紀元前2世紀~3世紀頃に黄河中下流域の中原から朝鮮半島に移住して来た漢民族がもたらしたとする説があるようですが、漢字が本格的に「朝鮮半島」で広まったのは、9世後半以降とする資料がありました。

 

黄河流域中原と朝鮮半島の位置関係

 

その資料によると、中国(唐)に留学して科挙試験に合格した新羅人の"崔致遠"が西暦884年に故国に戻り、新羅の官僚や知識人に中国の漢字文化(儒教、仏教、文学、思想)を啓蒙したことにより徐々に難解な漢字が広まったと書かれていました。

 

朝鮮半島で漢字を広めた崔致遠
 

時代は下がって西暦1443年、李氏朝鮮第4代国王・世宋は、難解な漢字を是とする官僚や知識層に対して、「漢字の素養の無い庶民に漢字の読みを教える音標文字が必要である」と主張し、自分が考案した独自の「音標文字」(表音記号)を公布します。

 

ハングルの考案者:李氏朝鮮第4代国王・世宋

 

世宋の考案した「音標文字」は、一つの表音記号としてはアルファベット機能を有し、表音記号を組み合わせて1字とすれば漢字1字を表記できる字体のようですね。韓国では「ハングル」、北朝鮮では「チョソングル」と呼ばれ、英語では「Korean Alphabet」と訳されていました。

 

下図のハングルの読み方は、上左字=S、上右字=A、下字=Nとなり、全体の発音としてはSANとなります。同音異義語として山、酸、算、散、産があるために、この字の意味を解するには、文章の前後関係を読んで判断することになります。

 

ハングルの一例  上左=S、上右=A、下=N

 

ハングル」(チョソングル)の公布当初は、中国漢字を是とする知識層の抵抗を受けたようですが、時代が進むにつれて、「中国漢字ハングル」の混じりあった文章が使われるようになり、西暦1883年には公文書でも採用されるようになります。

 

漢字とハングルの混じりあった文章

 

その時代から更にもっと下がって西暦1948年、朝鮮半島南部に大韓民国(韓国)と北部に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が樹立して敵対するようになります。

 

北朝鮮初代最高指導者となった金日成は、直ちに漢字廃止を宣言して、全面的にチョソングルに置き換える大号令を発したのですが・・・1960年代に入って漢字廃止政策に修正を加えます。

 

北朝鮮の初代最高指導者:金日成

 

つまり全面的に漢字廃止をすると、中国、日本、南朝鮮(韓国)の出版物を読めなくなって情報入手が困難となり安全保障に支障を来すとして、漢字廃止を国内向け出版物に限定し、情報収集と研究分析分野での漢字教育漢字使用を許可します。

 

一方、大韓民国(韓国)の初代大統領・李承晩(在任1948年-1960年)は、「ハングル専用法」を制定し、公文書、出版物、教科書等における漢字使用を廃止する政策を打ち出しました。

 

しかし経過措置として、ハングル文字に括弧表示で漢字を付記する併用方式を続けたことにより、完全なる漢字廃止体制に持ち込む事は出来なかったようです。

 

大韓民国(韓国)初代大統領・李承晩

 

第三代大統領・朴正煕(在任1968年-1972年)も当初はメディアや学校教育における漢字排斥を推進したのですが、漢字存続派の学界や言論界からの強力な反対運動により、やむなく中等教育における漢字教育を容認したのですが・・・実際には、国民の漢字への関心度がとても低く、漢字存続派の期待を大きく裏切ったようです。

 

大韓民国(韓国)第三代大統領・朴正煕

 

その後の第13代大統領・盧泰愚➡第14代大統領・金泳三➡第15代大統領・金大中時代と続いた1990年後半から2004年頃にかけては、新たな漢字教育策が行われなかったにも拘らず、韓国経済の発展によって中国や日本からの観光客が増えたことからハングルと漢字併記の道路標識や看板を見かけるようになります。

 

復活したハングルと漢字表記の道路標識

 

漢字復活の兆しに乗って、全国漢字教育推進連合会が初等学校での漢字教育の復活や国防軍の新兵教育での漢字教育導入への動きもあったようですが、漢字は特権層の反民主的文字」とするハングル協会によって、またもや漢字教育復活や義務化の動きは停滞します。

 

2014年になると、第三代大統領・朴正煕の娘で漢字教育の重要性を唱える朴槿恵氏第十八代大統領(在任 2013年-2017年)に就任し、小学3年生以上の教科書でハングルと漢字の併用を提案するも、またもハングル関連団体の抵抗によって"脚注で漢字表記"することで妥協します。

 

但し大学における漢字教育の導入については、学長の裁量と学生の選択に任されて、ハングル関連団体が介入することはなかったようです。

 

大韓民国(韓国)第十八代大統領・朴槿恵

 

しかしながら2017年に就任した第十九代大統領・文在寅(在任20217年-2020年)は、朴槿恵前政権がかろうじて維持した小学3年生以上の漢字教育を完全に白紙に戻してしまいます。


大韓民国(韓国)第19代大統領・文在寅

 

2022年5月に第二十代大統領に就任した尹錫悦氏は、新聞情報によえば前大統領の文在寅氏とは違った歴史観を持たれているようでしたが、漢字教育に関する政策は、今もってよく分かりません。

 

大韓民国(韓国)第20代大統領・尹錫悦

 

しかし現在の韓国では、公的出版物や民間の出版物は、既に全面的にハングルになっています。学校の漢字教育も選択科目扱いなので、漢字の読み書きが出来ない世代が急速に増えています。

 

ある大学が韓国人の30代~80代に行った漢字の読み書き能力調査によれば、自分の子供の名前を間違えて書いた人が約48%、全く書けなかった人が約30%もいたそうです。更には自分の姓すらも書けない親も少なくなかったそうです。

 

韓国における漢字文化は、仏教学、漢文学、古典等を研究する専門家、学生、愛好者に限定された世界だけで通用する存在になってしまいそうですね。

 

次回ブログでは、日本国で実際に起こって消えた漢字廃止による「仮名文字化」や「ローマ字化」、更には日本語を廃して「英語化」や「フランス語化」するという驚きの言語革命について書いてみたいと思います。