前回の拙ブログでは、漢字の本家本元の中国で「魯迅」や「銭玄同」が主張して受け入れられなかった「漢字廃止運動」について書きましたが、本日のブログは、「ベトナム国の漢字廃止の歴史」に目を向けてみたいと思います。

 

僕が業務出張でベトナム社会主義共和国を初訪問したのは、ベトナム戦争(1955年~1975年)が終ってから11年後の1986年でしたが、まだ至る所に戦争の傷痕が色濃く残っていました。

 

ベトナム初心者だった僕は、街の彼方此方に掲示された社会主義スローガンの看板に書かれていたラテン・アルファベット文字がベトナム固有の国字だろうと勝手に思い込んでいたのですが・・・

 

実はそうではなく、その昔のベトナムは、朝鮮半島や日本と同じように漢字文化圏だった事を、後日になってベトナムの友人から教わりました。

 

ベトナム語の社会主義スローガン WEBより拝借

 

大看板に記されていたラテン・アルファベット文字は、ベトナムがフランス領インドシナの植民地だった頃、カトリック教イエズス会のフランス人神父 Alexandre de Rhodes (1591年生ー1660年没)が難解な中国漢字+ベトナム製の疑似漢字(Chữ Nôm)発音表記として1651年に考案した「Chữ Quốc Ngữチュ・クォック・グー)と呼ばれる国字である事を知りました。

 

下欄の右写真の冊子がカトリック神父の Alexandre de Rhodesが1651年に考案したベトナム語の表音文字について著した書籍だそうです。

 

 

神父:Alexandre de Rhodesの著作 WEBより拝借

 

フラン人神父の考案したラテン・アルファベット文字の読み方が漢字よりも容易であったことから庶民の間で広まります。1945年9月2日のベトナム民主共和国の独立時には、初代国家主席のホーチミンが発した「独立宣言書」(下欄写真)の記載文字として採用され、名実ともにベトナム国の正式な国語字Chữ Quốc Ngữ」(チュ・クォック・グー)となって現在に至ります。

 

余談ですが、ベトナム民主共和国が独立宣言を発した1945年9月2日といえば、大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦国となった大日本帝国政府がポツダム宣言による降伏文章に調印した日ですね。

 

ベトナム独立宣言書 Tuyên ngôn độc lập
 

それでは、フラン人神父の考案したラテン・アルファベット文字で表記した「Chữ Quốc Ngữ(チュ・クォック・グー)がベトナムの正式国字となる以前まで、ベトナムで使用されていた中国漢字ベトナム漢字(Chữ Nôm)の歴史を辿ってみたいと思います。

 

紀元前111年〜938年まで中国から属国のように扱われていたベトナムは、中国文化(漢字、儒学、仏教、科挙等)の影響を強く受けていました。しかし西暦938年に北部ベトナムの呉権の軍隊が「白藤江の戦い」(陣白藤 Trận Bạch Đằng)で中国の南漢軍に勝利して王位に就き、千年余りに亘る中国支配から脱します。

 

白藤江の戦い  中国軍に勝利した呉朝ベトナム軍 WEBより拝借

 

但し文字文化の面では、その後も長く中国漢字に頼らざるを得なかったのですが、15世紀になってから中国漢字では表現の難しかった事を表現するために、𡨸(チュ-・ノム)と呼ばれる疑似漢字を考案され、中国漢字と「𡨸(チュ-・ノム)の併用が19世紀まで続くことになります。(下図)

 

下線字=疑似漢字𡨸(チュ-・ノム)、下線無し=中国漢字、意味:「私はベトナム語を話します」

 

しかし𡨸(チュ-・ノム)を使いこなすには、難解で画数の多い中国漢字の知識が前提となるために、ベトナム国民から疎んじられて表舞台から遠離り、やがてthe former script」と呼ばれる遺物となってしまいます。

 

その後に登場するのがブログ冒頭で触れたフラン人神父が考案したラテン・アルファベット表記のChữ Quốc Ngữチュ・クォック・グー)でした。フランス人神父の考案した文字は、ベトナム語の発音をなぞった表音文字だったので、ベトナム庶民の間で急速に広まります。

 

 

上段のラテン・アルファベット文字が現在のベトナムの正式国字Chữ Quốc Ngữ(チュ・クォック・グー)であり、下段が旧時代の漢字体となりますが、両方とも「私はベトナム語を話します」の意味となります。

 

現在のベトナム社会では、中国漢字と疑似漢字(𡨸 チュ-・ノム)が使用されるのは、大学教育や研究分野だけに限られているようですが、それでも過去に漢字文化圏に属していたこともあって、中国、日本、朝鮮半島と同じ意味を持ち、少しばかり似た発音の単語も少なくないようです。

 

例えば日本語の「飛行機」の単語をベトナム、中国、朝鮮半島の単語と比べると次のようになります。

 

ベトナム語=phi cơ=フィコ

中国語=飞机 / 飛機=フェィヂィー

韓国語=비행기=ピヘンギ

 

しかしながら、1960年代後半以降、旧漢字体を正式国字のChữ Quốc Ngữ(チュ・クォック・グー)に置き換える全国的運動が推進され、今では公立小学校での漢字教育は消滅しているようです。

 

地政学的にも歴史的にも中国の影響を強く受けて来た漢字文化圏(ベトナム、朝鮮半島、日本)でしたが、その内の一角が「漢字廃止」の流れの中で押し流されてしまいました。

 

しかしベトナムにおける漢字廃止は、単なる「漢字廃止論」ではなく、漢字を読む事も書く事も出来ない人々のために、少し努力さえすれば容易に読み書きが出来る表音文字のラテン・アルファベットへの移行運動であり、その意味では、江戸期の新井白石等が提唱した「漢字廃止➡仮名遣い」への移行提案と似かよっているように思うのですが・・・でしょうか?

 

次回は、「漢字廃止➡ハングル文字」への道を辿った朝鮮半島について書いてみたいと思います。