帰ってきた神保町日記      ~Return to the Kingdom of Books~

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

今年最初の神保町

 今日が仕事始め。そして今年最初の神保町。

 毎年この日は首都高ががら空きで、東名川崎インターから30分足らずで到着。

 午前中が社員が集まっての新年仕事始めの式。

 僕の同期で能登の七尾市出身の女性がいます。気になっていたので探していると、彼女の旦那さんを発見。ちなみに彼も僕の同期。

 話を聞くと今年は帰省しなかったとのこと。でも彼女の親戚は被災したそうで、大変な新年を過ごしているとのこと。1日も早い支援と復旧を祈るしかありません。

 

 昼休みはギャラリー珈琲店・古瀬戸でランチ。古瀬戸ブレンドとクロックムッシュサンドを注文。

 

 

 コーヒーとサンドウィッチをいただきながら、昨年末に出版された大島渚の「わが封殺せしリリシズム」を拾い読みしました。これは大島監督が1958年から1998年の間に書いた様々なエッセイ等を編集したもの。その他に大島監督ゆかりの人々のエッセイも挟まれてます。

 

 

 

 1958年に書かれた今井正監督の作品に対する映画評を読みました。厳しく辛辣に批評しながらも、今井氏の可能性も評価し、さらに日本映画界にとって何が必要なのかを問いかけているところは、本当にこの人は映画のことを真摯に考えているのだなあ、と感動。

 昨年、国立映画アーカイブで没後10周年の大島渚監督作品特集上映で何本かの作品を観たのですが、今観ても衝撃的なものが多かったです。まだ未見の作品がたくさんあるので、少しずつ観ていこうと思います。

 

 ランチの後は、すずらん通りにある森八へ。連休中に友人宅へ行く用事があるので、その時のお年賀を買いに来ました。

 森八は本店が石川県の金沢市にある、地元では有名な和菓子の名店。お店の人に「金沢の本店は大丈夫でしたか?」と尋ねると、モノが落ちたりはしたそうですが、工場も含め幸い大きな被害はなかったとのこと。でも昨日までは、金沢から届く予定のお菓子が着かなかったとのことです。

 

故郷

 久しぶりの更新、そして新年最初のブログです。

 昨年は、春先から入院していた父が秋に亡くなったこともあり、公私共にバタバタしていてブログを書く余裕がなくなっていました。

 年が明けて気を取り直してブログを再開しようと考えていたのですが、元日から能登半島地震が起き、甚大な被害が広がっています。

 その能登半島は、僕の故郷です。

 地震発生のニュースを聞き、すぐに向こうにいる親戚や友人と連絡を取りました。幸い連絡が取れた方々は家族も含め無事でしたが、町は道路が寸断し通行不能となり、家屋は居住困難となり、水道や電気などのライフラインも止まっていました。

 いちばんの気掛かりは津波でした。

 僕の育った町には、世界的にも珍しい普通乗用車で波打ち際まで走れる千里浜海岸があります。僕の実家も海のそばにあり、もし津波が来れば自宅も流されてしまうな、と覚悟していました。

 幸い、僕の町には津波は来ませんでしたが、友人たちは今もライフラインが壊れ、支援物資も届かない中で困難な生活を続けています。

 僕自身、できることならすぐにでも故郷に駆けつけ、支援活動をしたい気持ちでいっぱいですが、悲しいかな今は車椅子の身体障害者です。こんな自分が現地に行ったところでできることなどほとんどなく、それよりも足手まといにしかならず、むしろ復旧活動の妨げにしかなりません。

 せめて支援物資を送りたいと思っているのですが、現在能登半島内の道路はあちこちで土砂崩れや陥没などで寸断され、車両の通行が困難な状況です。

 ヤマト運輸や佐川急便など、各運送業者のウェブサイトを見ても、能登半島への配送は当面受け入れられない、と書かれています。

 それでも何人かの個人のボランティアが現地に入り、水や食料などを届けてくれています。僕の親戚が住む志賀町にも、物資が届けられた様子がLINEで送られてきました。ありがたいことです。

 今はまず、輸送ルートの確保が最優先です。自衛隊や道路建設機材の搬入を最優先させるべきだと思います。道路が復旧すれば必要な支援物資がスムーズに送れます。

 個人で支援のために現地に向かうボランティアの人たちには本当に感謝しかないのですが、それでも輸送ルートの復旧を行う人たちを優先し、妨げとならないようお願いしたいと思います。

 新年早々、愚痴っぽい話になってしまいました。

 今はただ、これ以上被害が拡大しないことを祈り、一刻も早く支援物資が送れる状況になることを祈るのみです。

シリーズ史上最高の人間ドラマ!そして最高の神木隆之介!「ゴジラ-1.0」

『ゴジラ -1.0』

 

 2ヶ月ぶりの更新です(笑)

 明日から公開の「ゴジラ -1.0」ですが、昨日、東京国際映画祭のクロージング上映で一足お先に観てきました。

 山崎貴監督と、主演の神木隆之介くん、浜辺美波さんが舞台挨拶に登壇し、映画祭らしい華やかな上映でした。

 さて、映画はと言うと、おっと、内容を知りたくない人はここから先は読まないでください。

 でも、一言書いておくと、これは「ゴジラ」シリーズの中でも傑作であることは間違いありません!

 

 「ゴジラ」の主役は言うまでもなく「ゴジラ」です。それは1作目から一貫しています。

 今作においてもゴジラが主役であることは間違いありませんが、一方で人間ドラマがしっかりと作られていて、ラストはこの物語で泣きそうになりました。

 舞台は戦後間もない日本。「ゴジラ」の1作目は1954年公開で、当時も戦後からの復興の真っ只中でした。そのため今作での戦後間もないという時代設定は、初代ゴジラへのオマージュかと思っていました。確かにそういう面はあるのですが、実はこの時代設定でなければならない必然性があったのです。

 神木隆之介くん演じる主人公・敷島浩一は、特攻隊員でした。しかし任務のため飛び立ったものの、死ぬのが怖くなり、飛行機の不調を偽って特攻を中止し、生き残ります。

 そして着陸した島でゴジラに遭遇し、さらにそこでゴジラに襲われる軍の仲間たちを見殺しにしてしまいます。

 そんな生き残った罪悪感を抱えながら敷島は戦後を迎えます。

 戦後、生き残った人々は、多かれ少なかれ敷島と同じように罪悪感や無力感を抱えていました。

 国に言われるがままに戦争を戦い、手にしたのは荒廃した国土と無数の死者でした。

 それでも新たな日本の再生に向けて進み始めた人々に、まるで追い討ちをかけるようにゴジラが現れ、復興半ばの東京を破壊し尽くします。

 ここで、この時代設定が効いてきます。

 1951年のサンフランシスコ平和条約が結ばれるまでの日本は、軍備を持つことは許されませんでした。さらに当時はアメリカとソ連が緊迫した状態にあり、ゴジラを駆逐するためにアメリカが軍事介入することを拒否していました。

 巨大で強力なゴジラに対して、十分な軍備も武器もなく、他国の支援も受けられない日本。

 そんな中、生き残るために元軍人たちが立ち上がり、アメリカから払い下げられた非武装の軍艦を使い、一撃必殺の作戦を決行します。

 彼らは太平洋戦争では、個人の意思とは関係なく国の命令に従わされ、国のために死ぬことを強いられました。

 しかしゴジラを目の前にした彼らは、今度は生きるため、家族と故郷を守るため、自らの意思で戦うことを選びます。

 日本が、日本人が、自らの意思で選択し、生きるために立ち上がる姿を描くのが、この映画のメッセージだと思いました。

 間違いを恐れずに書けば、もしも本当にあの時ゴジラが日本に現れていたら、今の日本はもっとマシな国になっていたのかもしれません。そいう意味ではこの映画は、現代日本に喝を入れる作品でもあると思います。

 ゴジラによる銀座の破壊シーンや、クライマックスの決戦は、本当に見応えがあります。日本のVFXはハリウッドに全然負けていません。いや、胸を張って世界に見せつけられる会心の出来栄えです!

 迫力あるVFXと人間ドラマのバランスがとても良く、まさに王道のエンターテインメントとなっています。

 神木隆之介くんは、これまで観た中で最高にカッコイイ姿を見せてくれます。神木ファンは必見です!!

 ぜひIMAXでもう一度見直したいと思います。

 

14年目、人生の4分の1

 今日で脊髄を損傷してから14年目になりました。

 僕は現在56歳なので、これで人生の4分の1を脊髄損傷者として生きてきたことになります。

 下半身は麻痺したままですが、これまでに大きな病気にかからず、新型コロナウイルスにも感染せず、元気に過ごしてきています。ありがたいことです。

 先日、定期的に通っている脊髄損傷者のためのジム・J-Workoutで、半年に一度の身体測定がありました。身体測定といっても身長や体重を測るのではなく、足の太さや身体の筋肉量、足の骨密度を計測します。

 車椅子生活をしていると、足を使うことも立つこともほとんどないため、足の筋肉量が落ち、足の骨密度も下がり、骨折しやすくなってしまいます。そこでJ-Workoutでは、様々な器具を利用して立位を保ち、足に負荷をかけ、足の筋肉量をできるだけ保ち、骨密度が下がらないようなトレーニングを行なっています。

 これは再歩行に向けてのトレーニングであると同時に、将来再生医療が進歩し、脊髄の再生医療が確立されたときに、足の筋肉量や骨密度がある程度保てていなければ、手術をしても無駄になる可能性があるからです。その時に備えての準備でもあります。

 先日の身体測定では、僕の足の太さは前回から維持できていました。足の骨密度も、誤差の範囲ではありますが、前回よりも少し上がっていました。身体の筋肉量も、健常者と遜色ないレベルでした。

 元々骨太体質で、受傷前は毎週のようにシーカヤックを漕いだり、毎朝10キロ走ってから出社したりしていたので、その時の蓄えがまだあるのかもしれません(笑)。

 車椅子生活になってからも、神保町にある勤務地に出社すると、毎日のように街の中に出ています。車椅子で走り回っている様子は目立つようで、よく社内の人から「すごいスピードで走っていたねえ(笑)」と言われます。そんなに飛ばしているつもりはないんだけどなあ。

 

 さて、今回は読書とバリアフリーについて少し書いてみます。

 先日発表された第169回の芥川賞は、市川沙央さんの「ハンチバック」が受賞しました。市川さんは10歳のころに難病のひとつである筋疾患の“先天性ミオパチー”と診断されました。

 

 

 

 

 「ハンチバック」は著者と同じ障害を抱えた主人公が、健常者が当たり前に享受している暮らしに向けて、辛辣な言葉を投げかける姿を、皮肉とユーモアを込めて描いています。

 その中で、読書の世界に向けて衝撃的な言葉があり、出版業界で話題になっています。

 それはこんな一文です。

 

 私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、ーーー5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。

 

 業界的には衝撃を持って受け止められたようですが、実を言うと僕自身は「ようやくこういことが公に知られるようになったのか」という思いでした。それは、14年前の受傷後の入院・リハビリ生活中のある体験があったからです。

 それはこんなことです。

 僕が入院していたリハビリ病院に、同じ時期19歳の青年が入院していました。彼は友人たちと川で遊んでいて、川に頭から飛び込んだところ、運悪く水深が浅く首の骨を折り、頸髄を損傷してしまったのでした。命は助かったものの、首から下が麻痺してしまいました。腕は動かすことはできましたが、握力はほとんどなく、物を持つのも困難な状態でした。それでも必死にリハビリをして、日常生活に戻れるよう努力していました。同じリハビリルームで顔を合わすことが多かったので、次第に言葉を交わすようになりました。

 その年は、村上春樹の「1Q84」が発売になり、話題になっていました。僕も買ってあったので、入院中は家族に病室に持ってきてもらい読んでいました。

 何かの折にそのことを彼に話すと、彼も村上春樹のファンで「1Q84」を読みたがっていました。そこで読み終わった本を彼に貸してあげました。彼は本を持って行こうとしましたが、腕が不自由なため本を持つのも、ページをめくるのも大変なようでした。それでも嬉しそうに不自由な手で本を抱えていました。

 その当時はすでに電子書籍は登場していましたが、ガラケーで読むいわゆる「携帯小説」が主流で、村上春樹の作品は電子化されていませんでした。

 iPhoneは発売されていましたが、今ほどスマホは普及していませんでした。iPadなどのタブレットPCはまだ発売になっていませんでした。

 その時に思ったのは、iPhoneで様々な本が読めるようになれば、彼のような頸髄損傷者でも、苦労せずに読書ができるのになあ、ということでした。

 僕にはiPhoneやiPadは、読書のバリアフリーを進めるための画期的なアイテムに思えました。

 スマホやタブレットPCを使った読書が本格的に広がり始めたのは2012年頃からです。コミックの分野では飛躍的にデジタル化は進んでいきましたが、書籍の分野ではいくつかのハードルがありました。そのひとつは、電子化を拒否する著者が多かったことです。その頃は、違法なデジタルコピーや海賊版などデジタル化に対する得体の知れない不安が今よりも大きかったことは間違いありません。また、出版とは紙の文化である、ということにこだわっている著者がいたことも確かです。

 現在は、デジタル化されていない出版物が少数派になりつつあります。それでもまだデジタル化を拒否する著者、それも全国的なベストセラー作家の中にもいます。

 先日、Eテレの「バリバラ!」に市川沙央さんが出演し、読書のバリアフリーについて語っていました。その中で以前に、自身の障害を踏まえ書籍の電子化を進めてほしいという要望をある出版社とある人気作家に手紙で訴えたそうですが、なしのつぶてだったそうです。

 「ハンチバック」が芥川賞を受賞したことを見て、その出版社と作家はどう思っているのでしょうか?

 

 読書のバリアフリーというと、古くは視覚障害者のための点字本や、朗読を吹き込んだものが主流でした。

 今はアマゾンのAudibleオトバンクのAudiobook.jpなどのオーディオブックが普及してきています。僕も最近、これらのオーディオブックを使い始めました。僕は車椅子生活になってからは通勤に車を使っているので、運転中は読書ができませんでした。しかしオーディブックを使うと、運転しながらでも本が「聴け」ます。慣れるとこれがなかなか快適で面白いのです。

 2018年、視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律、いわゆる「読書バリアフリー法」が成立しました。

 これを受けて、出版業界では読書のバリアフリー化に向けていくつかの出版社が動き出しています。

 視覚障害者のためのオーディオブックの製作に力を入れ始めているところが多いようですが、「ハンチバック」は必ずしもそれだけが読書のバリアフリーではないことを示してくれました。

 僕自身も身体障害者ではありますが、幸い上半身は健常者と同じなので、本を自分で持ち、めくって読むことに不自由はありません。でも書店に行こうとする時、車椅子の障害者ならではの不便を感じることはあります。それは、入り口に段差がある書店であったり、エレベーターがなく階段でしか上がれない書店であったり、店内が狭く車椅子で動き回れない書店であったりです。書店の棚の上の方には手が届かず、そこに欲しい本がある時は、誰かの助けが必要なこともあります。

 「ハンチバック」は、ほとんど多くの人が当たり前だと思っていた「読書」という行為が、実はそうではないと指摘したところが画期的でした。

 読書とは「文字が印刷された紙を束ねたものを、手に持ち、めくって読む行為」だけとは限らないのです。このスタイルが確立されたのは、15世紀にグーテンベルクが活版印刷技術を発明して以降です。

 遥か昔には、口承が伝える手段の主流でした。そういう意味では、オーディオブックは原点回帰と言えなくもありません。

 また文字を読むことに困難がある「ディスレクシア」という障害もあります。日本語では難読症、識字障害、読字障害など呼ばれます。 

 こういった読書における様々な障害をきめ細やかに乗り越えていかなければ、本当の意味での「読書のバリアフリー」は実現できません。

 僕が出版社の社員として働けるのはあとわずかですが、残りの会社生活は「読書のバリアフリー」に本気で取り組んでいきたいと考えています。

 

2023年上半期 映画のベスト10

気がつけば今日で7月も終わり。上半期の映画ベスト10をまだ書いていなかった!

というわけで、取り急ぎ発表です。

 

日本映画のベスト10


 

1:せかいのおきく
2:怪物
3:BLUE GIANT
4:ケイコ 目を澄ませて
5:少女は卒業しない
6:あなたの微笑
7:Winny
8:目の見えない白鳥さん、アートを見に行く
9:人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版
10:波紋

 

今年の上半期は、やはり是枝監督の「怪物」に注目でした。でもあえて1位は「せかいのきおく」を推します!
エコロジカルの本質を問いかけつつ、うんこまみれでも清々しい青春映画となっています。

ここ数年、映画やドラマの世界で障害者に焦点が当てられることが多くなってきました。相変わらず感動ポルノも多いのですが、「ケイコ 目を澄ませて」と「目の見えない白鳥さん、アートを見に行く」は、ユニークな視点で障害者の世界を描いています。

熱さでは「BLUE GIANT」がダントツでした!

そして特に映画好きの人にぜひ観てほしいのは「あなたの微笑」。映画館好きなら必見です!


 外国映画のベスト10
 

 

1:アフターサン
2:TAR/ター
3:ザ・ホエール
4:イニシェリン島の精霊
5:小さき麦の花
6:RRR
7:モリコーネ 映画が恋した音楽家
8:フェイブルマンズ
9:逆転のトライアングル
10:ノートルダム 炎の大聖堂

 

父と娘の2人だけの旅を、録画ビデオを見ながら回想するだけの話なのに、なぜこんなに衝撃をうけるのか?「アフターサン」は今年必見の1本です。

「TAR/ター」は2度見したくなる仕掛けがいっぱい。ケイト・ブランシェットの演技も圧巻です!
「ザ・ホエール」もブレンダン・フレイザーの熱演から目が離せませんでした。

「RRR」は昨年公開の作品ですが、ようやく観ることができました。これは推さずにいられません!

 

番外編・リバイバルの10本


・冬の旅
・タイタニック【IMAX・3D】
・時をかける少女
・さびしんぼう
・愛と希望の街
・日本春歌考
・戦場のメリークリスマス
・ビデオドローム 4Kディレクターズカット版
・日陽は静かに発酵し…
・タワーリング・インフェルノ

 

今年は例年になく旧作を見直すことが多かったです。

「タイタニック」をIMAXで観られたのは嬉しかった!やはり今観ても名作です。
今年は「時をかける少女」公開40周年。「さびしんぼう」も一緒に観られて最高です!
国立映画アーカイブで開催された大島渚没後十周年記念上映にも何度か通いました。

「愛と希望の街」は大島監督のデビュー作。初見でしたが、大島監督ならではの衝撃がありました。
「日本春歌考」はまさに怪作!でも好きなんだよなあ。

「戦場のメリークリスマス」は今観ると、とても素晴らしい映画だと思いました。時間と共に熟成されていく、まさに名作だと思います。そして坂本教授に合掌。

「ビデオドローム」と「日陽は静かに発酵し…」は、まさかまさかのリバイバルで興奮でした!
そしてリバイバルされるたびに必ず観る「タワーリング・インフェルノ」。突っ込みどころも多いのですが、超大作とはこうじゃなきゃいけません。

ハリソン・フォードに拍手を!!「インディ・ジョーンズと運命のダイアル」

『インディ・ジョーンズと運命のダイアル』

 

 シリーズ開始から42年、ハリソン・フォード81歳での最新作にして集大成!

 1作目の公開時から観てきたものとしては感慨深かったです。

 正直、前作の「クリスタル・スカルの王国」が残念な出来だったので、「ハリソン・フォードの年齢的にも、これでシリーズも終わりだろうな〜」と寂しく思っていたのですが、まさかの新作!

 しかし80歳のハリソン・フォードに往年のインディ・ジョーンズが演じられるのだろうか?という不安はありました。

 その不安は杞憂でした。

 さすがにアクションに全盛期のキレはないものの、年齢を考えれば信じられないような活躍を見せてくれます。

 オープニングからクライマックスまで、インディ・ジョーンズらしいアクションの連続。過去のシリーズへのオマージュ的な場面もところどころ散りばめられていて、ファンなら思わずニヤリとしてしまいます。

 今回の時代背景が1969年というのも興味深かったです。

 映画の中でも出てきますが、おりしも人類が初めて月面に着陸した直後。帰還した宇宙飛行士の歓迎パレードが行われる中、派手な追撃戦が展開されます。

 インディ・ジョーンズは人生を賭けて古代のロマンを追い求めてきた人物。そのインディも大学教授の職を引退することになります。

 その年に当時の人類が最新鋭の科学で月面に到達したことは、何か象徴的な感じがしました。

 それでもインディはアルキメデスが遺したとされる時間を制御できるダイアルをめぐり、第二次大戦中から続くナチスとの因縁の戦いに決着をつけるべく、新たなパートナーと共に冒険の旅に出かけます。

 ライバル役のマッツ・ミケルセン、旧友役のアントニオ・バンデラスという豪華な配役に加え、1作目から出演しているジョン・リス=デイビスの出演は、ファンとしてはとても嬉しいことでした。

 キャラクターの設定にも過去作へのオマージュが感じられます。

 パートナーのヘレナ・ショウを演じたフィービー・ウォーラー=ブリッジは、過去のシリーズに登場した女性パートナーのキャラクターをミックスしたような感じです。

 もう一人のパートナー、14歳の少年イーサン・イシドールは、「魔宮の伝説」に出てきたショート・ラウンド(キー・ホイ・クアン)を彷彿させます。

 しかしこの作品で最も驚かされたのは、冒頭で展開する1940年代のナチスとの戦い。ここでは40代の姿のハリソン・フォードが全編に渡って活躍します。

 予告編でも若いインディの映像が出ていたので、僕はてっきり回想シーンで過去のシリーズで撮影された映像が引用されているだけだと思っていました。

 実はそうではありませんでした!

 実際のシーンは現在のハリソン・フォードが演じているそうです。そこにルーカス・フィルムが保存していた「インディ・ジョーンズ」や「スター・ウォーズ」の未公開シーンも含む膨大な映像の中から、それぞれのシーンに適したものをAIが検索し、デジタル技術で取り込んでいったのだそうです。

 映画を観ていても全く違和感がなく、まるで40年前のハリソン・フォードで撮影したとしか思えません!

 改めて現代のデジタルとAI技術の進歩のすごさを感じました。

 この技術を使えば、ブルース・リーの「死亡遊戯」も完璧な形でリメイクできる!なんて思いました。

 クライマックスの展開には賛否があるようですね。僕もあれはやりすぎかな〜(笑)と思いましたが、古代のロマンを追い求め続けてきたインディへのご褒美と考えれば、あれはあれで良い気がします。

 ハリソン・フォードが演じるインディ・ジョーンズは、さすがにこれが最後でしょう。

 映画史に残る最高の活劇キャラクターを演じ続けてくれたハリソン・フォードに、心から拍手を贈ります。

まさかのリバイバル!その2「日陽はしづかに発酵し•••」

『日陽はしづかに発酵し•••』

 

 先日、まさかのリバイバル!ということで「ビデオドローム」について書きましたが、実は同じ日にもう1本、「まさか!」のリバイバル作品を観ていたのでした。

 それがアレクサンドル・ニコラエヴィッチ・ソクーロフ監督の「日陽はしづかに発酵し•••」です。

 1988年製作のロシア映画で、日本での初公開は1995年6月17日。偶然にも僕が先日久しぶりに観た日も6月17日でした!

 初公開当時は今はなき銀座テアトル西友で観ました。

 この作品については2021年3月4日に書いた下記のブログでも取り上げました。

 

 
 とにかくわけがわからなかったけれど、何だかすごいものを観てしまった!という印象だけは強烈に残りました。
 今回の上映は、ソクーロフ監督の新作『独裁者たちのとき』の公開に合わせたもので、川崎市アートセンターでの上映でした。
 最初、上映スケジュールでこの作品を見つけた時、思わず「ウオーッ!!」って叫んでしまいました。まさか今になってこの作品がまたスクリーンに観られるなんて!!
 しっかりとスケジュールを空けて、ワクワクしながら映画館に向かいました。
 さて、28年ぶりに観た「日陽はしづかに発酵し•••」はと言うと、これがものの見事にほとんど内容を覚えていませんでした(笑)。
 オープニングからして「あれ?こんなんだっけ??」てな感じです。
 でもこの冒頭のシーンがすごいのです。荒涼とした大地を大空からの俯瞰で眺めるショットから始まり、やがてカメラは地上へと降りて行き、ものすごい速度で地上スレスレを疾走していきます。
 そして次に中央アジアの人々と思われる人々の様々なクローズアップが映し出されます。この人たちの表情がこれまた印象的です。
 こんなに衝撃的なオープニングにも関わらず、まったく記憶から消えていました。人間の記憶なんてあてにならないですね〜。
 さて、物語はというと、これがどう言っていいものやら。
 舞台は中央アジアにあるトルクメニスタンのようなのですが、はっきりとは説明されません。この地に赴任してきた若いロシア人医師が、ここで体験する不可解な出来事を、セピア色の画面と哀感漂う音楽で綴った映像詩です。
 この映画が作られたのは、ソ連からいくつかの共和国が脱退し、中央集権体制が崩壊し始めた頃。映画の中にも旧ソ連への体制批判の暗喩がところどころ込められています。
 またチョルノービリ(チェルノブイリ)での原発事故が起きたすぐ後ということもあるのでしょうが、核の恐怖を暗示するような描写もあります。
 しかし明確な物語の展開があるわけではなく、時には幻想的、またある時には悪夢のような描写が繰り返されます。
 常に背景に流れている囁きの会話も、何だか意味深です。
 まるでどこかで発掘された正体不明のフィルムを見せられているような不思議な感覚に陥ります。
 今回見直して気づいたのですが、主人公の青年医師がイケメンの上にすごくいい身体をしています。まるでバレエダンサーのようです。アレクセイ・アナニシノフという俳優で、この他には同じくソクーロフの「マザー、サン」にも出演しています。
 今回は35ミリフィルムでの上映でした。上映後に川崎市アートセンターの映写技師さんと話をしたのですが、この作品の上映素材はフィルムしかないようだとのことでした。でもプリントの状態は良く、また映画自体が色褪せたセピアのトーンの場面が多いので、フィルム上映こそがこの作品の魅力が引き出す最良の方法だと思います。
 昨今のロシア情勢に関心を持ち始めたので、初公開時よりも内容は理解できたように思いますが、それでも難解な場面は多かったです。でもやはり何とも言えない吸引力のある作品です。
 次にまたスクリーンで観る機会はあるのでしょうか?

名古屋城にエレベーターは必要か?

 名古屋城天守閣の木造復元計画を巡り、障害者に対する差別問題が持ち上がっています。

 

 これについて車椅子ユーザーの立場で私見を書いておきます。

 天守閣は当時のままで復元するので、エレベーターなどの昇降機は必要ない。身体障害者にそこまで配慮する必要はない、というのが反対派の意見のようです。
 僕はこの意見に異論があります。
 参加者の発言によると「河村市長が作りたいと言っているのは、エレベーターも電気もない時代に作られたものを再構築する」ことだそうです。
 これを忠実に実行しようとするならば、当時は存在しなかったコンクリートやプラスチックなどの素材は一切使用せず、電動工具等も使用せず、もちろんクレーンなんか使ってはいけません。さらに材料となる木材も、当時と同じ工具を使い、同じ工法で切り出し加工しないと「エレベーターも電気もない時代に作られたものを再構築する」ことにはなりません。
 そこまでしてやる覚悟があるのであれば、僕はエレベーターがないことに不満は言いません。

 別の視点で述べます。
 なぜ当時の名古屋城にはエレベーターなどの昇降機がなかったのでしょうか?当たり前ですが、当時はそのような技術がなかったからです。
 ではもしも当時にそういった技術が存在したとしたら、どうなっていたでしょうか?おそらく100%に近い確率で名古屋城には昇降機が設置されたと思います。なぜなら利用者にとって便利だし、理にかなっているからです。
 当時の名古屋城に昇降機がなかったのは、そうした技術がなかったからだけで、未来永劫にわたり階段で上り下りする文化を継承しよう!という意図があったわけではないはずです。
 建築物というのは、その時代の最新技術を駆使して作り上げられていくものです。また経年劣化が進めば、リニューアル、アップデートしていくのは建築物として当然の対応です。
 現代において昔の建築物を復元する、または保存するということは、当時の姿を継承しながらも、時代にあった形でアップデートしていくことだと思います。
 もしも本当に当時のままの姿で復元、保存するのであれば、耐震技術も取り入れないことになり、安全面がないがしろになります。

 僕が車椅子ユーザーになってからスペインのバルセロナを訪れたことがあります。そこにはアントニ・ガウディがデザインした「カサ・バトリョ」や「カサ・ミラ」といった世界遺産の建築物があります。それらの建物には、建築当初はなかったエレベーターが設置され、車椅子でもすべての階に上がることができました。
 また車椅子で沖縄を訪れた時、まだ焼失する前の首里城を訪れたことがあります。そこには、わずかな段差であっても車椅子で上り下りできるリフトがあちこちに設置されており、そのきめの細かな配慮に感動しました。100%ではないものの、十分に城の中を移動することができました。

 建築物とは人間が利用するものです。誰もが快適に利用できることが建築別の基本的な理念だと思います。それを無視して、復元の意味も中途半端にしか理解せず、一部の人たちを排除しようとするのはエゴ以外の何物でもありません。

 一方、富士山に頂上まで登れるエスカレーターかリフトを設置してほしい、という声も聞いたことがあります。
 この意見には車椅子ユーザーの僕でも反対です。
 環境への配慮ということもありますが、僕はそれを登山とは考えないからです。
 登山とは自らの身体を使って頂上を目指す行為です。それは車椅子ユーザーであっても同じだと思います。
 もちろん、普通の車いすで登山は無理ですが、下半身の機能が使えない人のための登山用車いすがあります。これを使って登ることは可能なようです。相当大変だと思いますが。
 車椅子で富士山に登った人はいますが、支援者におぶられたり、車いすごと抱えてもらっての登頂です。もちろんそのことを否定するつもりはまったくありません。でももしも僕が富士山を目指すとしたら、その方法は選択肢にありません。あくまでも自力登頂にこだわります。

 自然の中で困難な場所にアプローチすることと、人工の建築物でのそれとは、意味合いが違います。

 名古屋での出来事は、単に障害者差別という問題だけではなく、建築物とはそもそも何なのか?という問いかけでもあると思います。

まさかの40周年リバイバル!「ビデオドローム 4Kディレクターズカット版」

『ビデオドローム 4Kディレクターズカット版』

 

 まさか今、この作品がスクリーンで、しかも4Kで観られるとは思いませんでした!

 デヴィッド・クローネンバーグは僕の大好きな映画監督のひとりですが、そのきっかけになったのがこの「ビデオドローム」です。

 この作品を知ったのは映画が製作された1983年。当時購読していたSFヴィジュアルマガジン「スターログ」で紹介されていました。そこには今回のポスタービジュアルにもなっているテレビのブラウン管から飛び出てくる拳銃を握った腕や、身体が内側から破裂していく人間の特殊メイクの写真が出ていました。

 そのグロテスクなビジュアルに「何だこれは!!」と衝撃を受けながらも、何だか無性にこの作品に惹かれてしまいました。

 日本での公開は2年後の1985年。すごく観たかったのですが、こんなマニアックな作品は一般劇場では上映されず、都内でもユーロスペースなど一部のミニシアターでしか公開されませんでした。さらに当時の僕は大学受験を控えており、こんなマニアックな映画を観に都内まで出かける余裕はありませんでした。

 この映画を実際に観たのは数年後、レンタルビデオででした。思っていた以上に衝撃的、かつ難解な内容でした。しかしこの作品にハマってしまい、レンタルビデオをダビングして何度も繰り返し観ました。そしてクローネンバーグ監督にもハマり、以前の作品はもちろん、新作が公開されるたびに観るようになりました。

 そんなクローネンバーグ監督体験の原点がこの「ビデオドローム」です。そして今回、初めてスクリーンで観ることができて、感無量です!

 今回、久しぶりに観て思ったのは、時代を予見していたかのような内容だということです。

 

 

 ストーリーは、ケーブルテレビを経営しているマックスが、ある日発信先不明の過激な番組を発見します。それは拷問を見せ物にした番組。彼はその番組に惹かれ、発信先を探していくと「ビデオドローム」という言葉に突き当たります。それを見ることで精神に影響を与え、脳に腫瘍ができ、身体に変化を起こす番組だということ。ビデオドロームに魅せられたマックスは、現実と幻覚の狭間で自らの身体と精神に異常をきたしていきます。

 映画の制作された頃は、まだインターネットが普及していない時代。その代わりケーブルテレビという多チャンネルを売り物にした放送が広がっていました。その中には視聴率を稼ぐために過激な内容を売り物にしたものもありました。

 主人公のマックスの経営する番組は、過激な内容を求めアンダーグラウンドマーケットのポルノビデオを探しています。そこで出てくる日本製の「SAMURAI DREAM」というビデオが結構笑えます。割とファンタスティックな内容で、マックスもサンプルを見て「ソフトすぎる」とダメ出しをします(笑)。

 この作品で描かれる刺激的な内容の番組を追い求め、精神に異常をきたしていく人々の姿は、現代においてYou TubeやTikTokなどのSNS動画に過激で刺激的なものを求める人々。またそういった内容でバズらせ、再生回数を増やそうとする動画の作り手に重なるように感じました。

 この作品では「ビデオドローム」を観ることで、精神のみならず肉体まで変容していく人間の姿を描いていますが、現代におけるインターネットに囲まれた環境は、多かれ少なかれ間違いなく精神に何らかの影響を与えていると思います。もちろん全てが悪いことだとは思いませんが、使い方によっては危険なものになりうるのではないかと思います。

 もしもクローネンバーグが現代を舞台にして「ビデオドローム」をセルフリメイクしたら、どんなものになるのか興味深いです。

 この作品の見どころのひとつはリック・ベイカーによる特殊メイクの数々。まだCGが映画で使われていない時代、特殊メイクは職人技の見せどころでした。中でもリック・ベイカーは今や特殊メイクのレジェンドと言える人物。当時のベイカーは絶好調の時期で、映画史に残る数々の特殊メイクを創り出していました。

 その中でもこの「ビデオドローム」での特殊メイクは屈指の出来だと思います。テレビから飛び出る腕や、息づくビデオカセット。主人公マックスが自分の腹の中に拳銃を入れたり、また腹から取り出した拳銃が自分の腕と徐々に一体化していったり。クライマックスの人体破壊も凄まじいです。

 CGでは出せない生々しさがあり、今見ても遜色はありません。

 クローネンバーグは一貫して精神への過剰刺激が肉体に与える変化を描き続けている監督です。

 そんな彼のマスターピースだと思っています。

 ちなみに8月18日はクローネンバーグ監督の最新作「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」が公開されます。これも楽しみです!

 

 

 

コーマック・マッカーシー、逝く

 今日、アメリカの作家コーマック・マッカーシーの訃報が伝えられました。6月13日に亡くなり、享年89歳でした。

 

 

 僕の大好きな作家のひとりで、新作が出れば欠かさず読んでいました。

 また彼は、ノーベル文学賞に最も近い作家のひとりと言われていました。毎年ノーベル賞発表の時期になると、村上春樹よりも彼の受賞が気になり、ドキドキワクワクしていました。

 でもその夢も叶わなくなりました。

 

 彼の作品は暴力を冷徹に描きながらも、自然の描写においては叙情も感じられ、どの作品も決して敷居は低くはありませんが、読み始めるとどんどん引き込まれました。

 映画化された作品も多いです。

 コーエン兄弟監督でアカデミー賞を受賞の「ノー・カントリー」

 

 

 

 

 
 
 

 

 

 マット・デイモン主演の「すべての美しい馬」

 

 

 

 

 

 リドリー・スコット監督、キャメロン・ディアス、ブラッド・ピット、マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、ハビエル・バルデム豪華競演の「悪の法則」

 

 

 

 

 

 

 僕がいちばん好きなのは「ザ・ロード」。映画化もされています。

 

 

 

 

 この小説を読んだ時の衝撃と感動は忘れられません。今でもこれまでの人生で読んだ小説の中でベスト10に入ります。

 当時のブログではこんなことを書いていました。

 

 
 彼の新作をもう読むことができないと思うと、残念でなりません。
 唯一の救いは、未邦訳の作品が2冊残っていること。
 2022年の作品で『The Passenger』『Stella Maris』
 早川書房から刊行予定で、公式サイトによると、

「数学の天才である若い女性とのその兄の物語。二人は第二次世界大戦中の原爆開発に参加した科学者を父親に持ち、その影を背負うかのような人生を歩む。作中では量子論や数学をめぐる対話が交わされ、核兵器の脅威に象徴される化学の発達がもたらす危機のものと、人が生きることに価値はあるのかが突き詰められていく。」作品とのこと。

 発売になった暁には、噛みしめながら読みたいと思います。

 

 コーマック・マッカーシー氏のご冥福をお祈りします。

 

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>