ブルベ入門 (再入門編)

ブルベ入門 (再入門編)

自転車で走る200キロ、300キロ、400キロ、600キロ、1000キロ、そして1200キロ。 
スポーツであり、アドベンチャーであり、そして旅でもある「ブルベ」(オダックス)についてのブログです。 
膝故障による4年のブランクを経て、2014年5月に自転車再開しました。

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高尾23時スタートは、こんな事を考慮して決めた。

・交通量の多い時間帯に、スタートから青梅までと秩父R299を走らない

・PC2めがね橋には明るくなってから到着
 (写真撮影のため)

・軽井沢のコンビニの営業時間内に補給
 (営業時間 6:00~23:00)
 
・渋峠夜間通行止め時間帯を避ける

・菅平から上田へも明るいうちに下る
 (路面が悪いとの情報あり)
 
・上田に宿をとって洗濯と入浴と仮眠をする
 
・ビーナスラインはできるだけ夜を避けて景色を楽しむ

・白樺湖のローソンの営業時間内に補給
 (営業時間 7:00~21:00)
 
・PC9麦草峠は明るい時刻に
 (写真撮影のため)

・高尾駅近くの健康ランド「ふろっぴぃ」で仮眠できる時間帯にゴール
 (9時~10時の1時間クローズするらしいので、9時まで十分な時間が欲しい)

ここまでの条件で、野辺山と野辺山からの下りは昼間になり、道志みちは夜間になることが確定。
道志みちの下りは走行経験少ないけれど、確か夜でも不安は無かったはず。


結果的には一部プラン通りにならなかったけれど、良いプランだったと思う。

難点は、出走日の昼間に昼寝をしないといけない。ということかな。
私は仕事を休んで昼寝しました(^o^;)


■鬼石、藤岡

PC1山伏峠から下って、横瀬、秩父、長瀞、鬼石、吉井、そして故郷の富岡。

埼玉の長瀞から群馬の鬼石の間には、ちょっとした峠越えがある。

埼玉の上尾に住み群馬の富岡に実家がある私は、膝を痛める前に埼玉のブルベで憶えたこの道を頻繁に通る。

藤岡の運動公園沿いの綺麗な道、進行方向左手にいつも寄る焼きまんじゅうの店がある。

はずなんだけれど、真っ暗で見えない。

上州名物焼きまんじゅう。
上州名物だと知ったのは、高校を卒業して富岡を出てから。それまでは、全国どこにでも有るもんだと思っていた。

今、富岡には、中に餡の入った焼きまんじゅうを売る店がある。
あれは焼きまんじゅうではないと思うんだよね。違う食べ物。

この店の焼きまんじゅうは、普通の焼きまんじゅう。


■吉井

農産物直売所で左折してからの直線は、山並みの景色が素晴らしい道。


左に牛臥、稲含
正面に荒船、妙義、浅間
右に榛名、赤城。

ぜーんぶ見える。

はずなんだけれどでも、まだ真っ暗で何も見えない。


■富岡

富岡大橋から七日市を4時前に通過。

コースは、R254の旧道とバイパスが併走するうち、旧道の方を通る。

通っていた小学校を右手に見ながら走ると、校歌が自然と頭の中に流れる。
これから先ボケていった時、最後まで覚えている歌はこの校歌に違いないと思う。

さびれた雰囲気の商店のつらなりをあっという間に通り過ぎ、通っていた高校の前を過ぎればもう街の中心部は終わり。
あっという間である。
こんな小さな街の中で、高校を卒業するまで暮らしていた。


あの頃に自転車で遠くまで走る遊びをしていたら良かった。
きっと、異なる世界観を育むことができただろうと思う。

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今回用意したタイムテーブルは、調子がいいケースの47時間版と、ランドヌール認定ぎりぎりの52時間版の2種類。
富岡までは47時間ペースを上回っている。

5月に復帰してからこれまでの中で、膝の具合が一番いい。

このペースで行くと、上田の宿に早く着き過ぎて眠れなかったら嫌だなぁ。
そんな悠長な心配を、ボイスレコーダーに呟いている。
その心配が現実のものになるのは、まだ12時間以上先の話。

私はいつも、考え事をしながら走っている。
くっだらない妄想だったり、結構大切な事だったりする。
結構大切な事を考えて、思考や着想を後でちゃんと反芻したい時のために、ボイスレコーダーを持って走っていて、録音しておく事が多い。
まぁその録音のほとんどはゴミなんだけどね。なんでこんな事が大切だったんだろうというような。

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ブルベで夜に山中を通る時はいつも、野生動物の気配に脅かされる。
ナイトサファリ。
真夜中に山の中でパンク修理して、空気圧がなかなか上がらず焦った時の事は、今思い出してもちょっと笑えない。

しかし、富岡の街を過ぎたとはいえまだぽつりぽつりと家がある街道筋を走っている時には、野生に脅かされることは無い。

、、、と思っていたら!?  右前方にサイ発見っ!!! 危険危険!!!


サイ!!、、、サイっ!???

や、や、

サイは無いだろ。無い無い。
猿、鹿、カモシカ、狸、あとは猪と、熊ならともかく。

サイ???

はっ(@o@;) 

群馬サファリパーク!?
逃走???

いやいやいや、ヤバい ヤバいって


と、以上がたぶん2秒くらいかな。

スタートからこの時点までの最高心拍を記録した後、サイに見えたのは農家の玄関先の植え込みであった。と確認するまでに1秒。


心拍下がるまで30秒(^_^;;)


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そろそろ時刻は4時30分。
スタートしてから5時間半。
「夜更かし」と「早起き」の境目の時刻である。

まだ暗い中ジョギングしてるおじいさんに挨拶。
この人は、きっと早起き。


■CP2 めがね橋

準備中のおぎのやを通り過ぎて碓氷を登り始めると同時に、明るくなり始めた。



さほど登らず、すぐにめがね橋。
郷土自慢だった親父の、何十個も有った郷土自慢ポイントのひとつである。




スタートから133キロ。まだ全く疲れていない。

めがね橋2





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かつて、初めて600のブルベに出た時は完走できる自信が無くて、輪行バッグを持って走った。
気分はアドベンチャーだった。

その後走った最長距離は、4年前に開催された北海道1200。
その時、北海道を海岸線沿いにぐるりと走るとおよそ2000キロと聞いて、漠然と「次の北海道は2000キロ」と思っていた。

北海道1200を走った頃の私にとって、600キロは日常の領域になっていた。
土曜の朝にスタート、日曜の昼前にゴールして、帰宅して風呂入って洗濯して片づけして、夜に寝る。翌日から仕事。
一晩徹夜しただけ、という感覚だった。

再び600キロコースの完走に再び憧れを抱いてドキドキワクワクできるとは。

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2014年8月14日、SR600Fujiにエントリーした。

出走日時は、1週間前まで変更できる。
入念に計画して、最終的に決めた出走日時は10月2日 23:00。

待ちに待ちに待ちに待ったSR600Fujiの日が来た。

準備を重ねて迎えたその日の気分は、もう「このために生きてきた!」と言うしか。

待ちきれない


台風を心配していたけれど幸い台風と台風の間になって、直撃は免れた。
遠い台風の影響で前線が云々の雨予報。
これなら大丈夫。
ツイてる。


■10/2(木) 21:30 タイムズ高尾駅北口

事前に調べて列挙しておいた駐車場の中で第一候補だったタイムズ高尾駅北口に入れた。
24時間800円の上限料金が繰り返し適用される。
駐車時間が上限の48時間を超える予定のため、コールセンターに電話しておく。

タイムズ24 東日本エリア連絡先 0120-77-8924

伝達事項:
   ・駐車場名称
   ・お客様氏名
   ・連絡先(念の為の電話番号です)
   ・利用予定期間
   ・車両ナンバー
   ・メーカー、車種、色
   ・駐車位置
    (板のタイプの場合:車室番号、ゲートタイプの場合:大体の位置)


事前準備で調べておいた通りに流れるように作業が進んでいたが。

シューズを履くと、左足親指の爪が食い込む感じがした。
セブンイレブンで爪切りを買って食い込む部分を切った。

これで、もう走るだけ。あらゆる準備を整えたという気持ちになった。



■10/2(木) 22:30 セブンイレブン八王子高尾北口店

スタート前におにぎりとドリンクを買う。
おにぎりは日高昆布、ドリンクは緑茶。

セブンイレブン前に行ったらなんと!
@mino16さんが見送りに来てくれていた。
私の復帰を応援してくれていた@mino16さんに感激固く握手

足首用の反射ベルトをもらって、両脚に巻いた。


■10/2(木) 23:00 高尾駅北口

駅前に移動して、@mino16さんと話しながら23:00を待つ。
スタート時刻の記録は、高尾駅北口に2つあるコンビニのレシートでもいいのだけれど、私は今まで経験が無かった「切符」にしたかった。

23:00ジャストに自動券売機で入場券を買って大切に仕舞い込んで、@mino16さんに挨拶して。

スタートした。


高尾から青梅までは信号の多い区間。ところが、私が信号に近づくと、減速を要さない絶妙なタイミングで赤信号が青信号になる。

私は赤信号に近づく時はかなり早い段階で脚を止めて尻を上げ、自然に減速しながら交差点に近づいて、最後にリアを2~3枚シフトダウンする分だけ脚を回してブレーキかけて止まる。
これは尻への負担を減らすため。

ところが私がまさに脚を止めて尻を上げる寸前に、赤信号が青信号に変わる。
変わり続ける。

天皇陛下の気分。
正確には、天皇陛下を乗せた車の運転手の気分。
いや、天皇陛下を乗せた車を先導する車の運転手の気分か。

などという事を、ボイスレコーダーに吹き込んでいる。嬉しかったらしい。


信号の多い区間は、コンビニ街道でもある。コンビニだらけである。むしろコンビニしか無いくらいである。
上田から野辺山の無補給区間に、このうち1軒でも有ってくれればなぁ。などと思いながら快調に飛ばす。

いや、快調に飛ばし過ぎである。
どうやら@mino16さんにパワーをもらってしまったようで、出力が上がってしょうがない。軽く回してるつもりが、平地で300W出ている。それは頑張り過ぎだ。
心拍も150超えていた。

意識して、踏まないよう、踏まないように走る。


■10/3(金) 00:10 よそよそしい山道

緩斜面ワインディング。右手に川。道沿いに家もある山道。

夜は、知っているはずの道が、知らない道のようになる。
よく知っている曲がり角も、日本中どこに行っても見かけるよく似た曲がり角にしか見えなくなる。

知ってるはずの道なのに、なぜかよそよそしい。
それに気付いてハッとする。
さては間違えたか!?

で、慌ててハンディGPSの画面を見ると、間違ってないのだ。
(間違える時は「ハッと」しない時。GPS画面見ちゃいないんだよ、、、)

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ブルベを走っていると、初めて走っている道なのに記憶にある、という事がしばしば有る。特に、夜に多い。
皆さんもそうですよね?
絶対ここ来たことあるわぁ。でもいつだっけ?

実際には「そっくりな風景は日本中にたくさんある」のに違いないと思う。

・畑の中の三叉路に電柱とコイン精米スタンドがあって、ちょっと離れた脇に祠がある。とか。

・坂の途中の小さな石垣と古い民家。

・田んぼの脇を走る道沿いにある全面シャッターの倉庫、その隣は立派な松の木と2つ並んだ自動販売機。



夜は遠景抜きで近景の画像情報だけが流入する。そうすると、近景の類似点だけで記憶が検索されるので、ヒットし易いんだと思う。

こういう既視感に慣れ親しむと逆に、本当に慣れ親しんだ道が、日本中にあまた有る「似てる場所」にしか見えなくなる、という現象が起きる。
それで、慣れている道がよそよそしく見える。


、、、というリロンを、走りながら考えた。


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成木街道の小沢トンネルを抜けた下りで、このブルベ最初の野生動物との遭遇。
小鹿だった。


■10/3(金) 01:10 CP1 山伏峠

山伏峠は街に近く集落もある峠だけれど、場所によっては人工の明かりが全く無い。
曇天の空はわずかに明るく、上を見上げると空を背景に真っ黒な木々のシルエットが見えた。

街灯の灯りの下を登ってしばらく行くと、左手のガードレールの下に街灯が見える。
それがさっき通った道だと気付いて、昼間とは違うやり方で九十九折の道を体感した。

01:10 CP1山伏峠到着。

看板の下でバイクを降り、ゼッケンプレートが見えるように180度向きを替えて標識に立てかける。

メットを脱いで少し離れた路面に置いて、メットのライトでバイクと看板を照らす。
そしてデジカメで何枚か撮り、続けてiPhoneで撮ってTweet。

カメラのフラッシュを使うとうまく撮影できないと先達のブログで読んでいたため、我ながら何だか初めてとは思えない手際の良さである。

CP1山伏峠


最初の小休止。お握りを食べて、1:30に出発。

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山伏峠の下りは濃い霧。
アイウェアが曇ってよく見えない。

一度バイクを止めてアイウェアを外し、タオルで拭いて再び下り始めるも、全く拭き取れていない。
???

実は、ヘルメットに付けたライトの光が霧に反射して白く光っているのを、アイウェアのレンズが曇っていると勘違いしていた。

ハンドル周りのサブ前照灯をひとつ、前ハブに移動。
フォグランプは低くから照らすと路面が見えやすい。これは、地面近くは霧が薄いためらしい。
メットライトだけでなくメイン前照灯も、白く反射してしまうため消灯。

暗い灯りでゆっくりと下る。

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山伏下るとR299。
午前2時頃というのにいつも通りのトラック街道だけれど、多くは対向車ばかりで助かった。

横瀬でコンビニ休憩。またおにぎりを買った。
ご飯ものや麺類を食べたいと思えるうちは、ご飯ものや麺類を食べる。
それがキツくなってきたら、パン。
パンもキツくなったら和菓子系。
それも無理になったらゼリー。
最後は高カロリーな飲み物。


負荷の高い走りをすると、食欲が低下し易い。
今回は低負荷の走りなので、最後まで食欲が持つかなぁと期待している。


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尻の問題会陰や臀部の話の続きである。

、、、、あんまり「会陰会陰」書いていて、今後どんな検索でこのページがヒットするかが心配になってきた。

えー。

コホン。

これは自転車のはなし。
です。

臀部会陰肛門陰嚢も、陰毛剃毛も、ぜーんぶ自転車のはなしです。
検索でヒットして来た、自転車に興味の無い方、、、
怒らないでくださいね。


■尻の負担が大きい走り方

今回SR600Fujiに使用した自転車は、4年前に乗っていたもの。

同じ2007年型 TREK Madone SL 5.9フレーム
同じカンパのShamal UltraにHutchinsonのチューブレスタイヤ Fusion
サドルは同じFIZIKのふっかふかのAliante。

4年前には起きていない股間トラブルを起こした原因は従って、私の乗り方の変化にある。

4年前に膝を痛める前と、今年5月に復帰してから後とで、私の乗り方の最も大きな違い。
それは「踏まない」という事。

ペダルを踏む力が弱まっている。
脚力が落ちているのに加えて、膝を守るために強く踏まない走り方をしている。


踏まない乗り方は強く踏む乗り方と比較して、上半身の体重を脚が負担する割合が減って、その分を尻が負担することになる。

ロードバイク初心者の頃、ロードレースチームのたかが120キロ130キロ程度の練習走行で、尻の坐骨が当たる所が痛くて仕方なかった。
その時と同じ状態。
チームの隊長から、「もっと強く踏めば尻は痛くならない」と言われたのを思い出した。

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先日、あまりにも長引く会陰の痛みに、アソコガドーカナッチャッテンジャナイカと心配になって、患部を見てみようと愛機SONY RX-100で撮影したところ、左右の坐骨先端部分が青黒く痣になっていた。

52歳のおっさんがコンデジで自分の肛門周辺のマクロ撮影をする姿 などという、全くもって想像したく無いものを想像させてしまい、大変申し訳ない。
素晴らしいカメラを作ってくれたSONYさんにも申し訳ない。

写真掲載は控えさせていただく。

で、その坐骨部分の痣。今回は特に痛まず全く気にしていなかったので驚いた。

驚きはしたが、臀部と会陰セットでダメージ受けたとなれば、これはやはり強く踏まない走り方による当然の結果であろうと得心が行く。


今回SR600Fujiの後半は会陰の痛みから尻をサドルから浮かせている時間が長く、尻を下ろすにもひたすら「そっと」下ろしていたわけで、この痣は前半の300キロで形成されたものだと思う。

臀部も会陰も300キロで大きなダメージ。
そうなるような、尻に負担の大きい走り方をしていた。
違う言い方をすると、私の尻は脆弱であり、以前は「強く踏む」事で尻の負担を下げていたのかもしれない。

じゃ、強く踏む走り方に戻せるかというと、それはできない。
また膝を悪化させて乗れなくなるのが怖い。
そのリスクだけは冒せない。


踏まずに走ると、単位時間あたりの尻への負担が増す。
そして走行時間も長くなるため、結果的に尻への負担は掛け算で増すことになる。


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というわけで、ブルベ再入門の私は、尻周辺の痛み対策も再開することになった。

次のブルベは10月25日、AJ埼玉のアタック小諸。300キロである。
この300キロでまず試すことを考えた。


■ペダリングを元に戻す

今年5月に復帰してしばらくして、バイクのコンポを更新した。
その時同時に、Pioneerのペダリングモニター(パワーモニターの一種)を導入した。
これはチェーンホイールにかかっている力のベクトルをリアルタイムに表示してくれるもので、つまり、自分がいかに無駄な力(推進力にならない力)を使っているかをまざまざと見せてくれるというものである。

最近の私は、自分のペダリング効率を改善するために、
 ・上死点でペダルを前に送る動き
 ・下死点でペダルを後ろに送る動き
 ・引き足
を心がけていた。
当たり前の事、、、とはいえ、漠然と心がけているのと、モニターのフィードバックを受けながら殊更に心がけるのとでは大きな違いがある。

そしてこれが、以前の3時付近でガンと踏むペダリングに比べて、サドルコンタクトを強めたのではないか。
と思っている。

同時に、復帰後悩まされ続けの脚部の痙攣を防ぐため、ペダリングの単調な動作に時々異なる運動を織り交ぜていた。
脚を回しながら、脚と逆方向に骨盤を回す動きとか、大きくアンクリングしながら回すとか。
これも、思えば臀部と会陰部をサドルに擦り付けるような動きになっている。


両方ともやめる。
効率よりも臀部保護を重視したペダリングをする。
また、痙攣防ぐストレッチは、ダンシングしながら、もしくはバイクを降りてにする。


■荷物は自転車に背負わせる

Wingnut Hyper2.5は、ウェストバッグというか、バックパックというか、その中間のようなバッグである。
実に使い勝手が良いバッグだが、腰の位置にあるため中身の重さがほぼ全量サドルコンタクトを強める結果になる。

先輩ランドヌールに、荷物は全て自転車に背負わせるんだ と教わった。
バックパックやウェストバックはもっての他である。
バックポケットも空にするのだ。バックポケットに入れたアームカバーですら重いのだと。

私がロードバイク初心者の頃、プレスタのバルブの先端に付いているプラスチックのキャップを付けたままにしているのを見た先輩ロードレーサーが、「重くない?」と聞いてきた。
アームカバー云々はそれと似た話で、「冗談」と「冗談めかした本気」の区別をわざとしない、という遊びであろうが、それでも感じるところあって私は、バックポケットこそ使うもののバックパックやウェストバッグは使わずにブルベを走ってきた。

が、4年前の北海道1200でもともと持っていたWingnutを使ってしまい。
そしてその時も尻の痛みに苦しんだ動かぬ証拠がTwitterに。

 ・元気は残っているけど尻はヤバイ。薬を塗る指に、やばーい感じの感触が。
 ・拝啓、お尻が痛いです。お尻と、お尻のそばのアソコのアノへんが。
 ・メーテル、僕、機械のおケツをもらいに行く。
  サドルなんて要らなくなるんだ専用ピラーにダイレクトアタッチ!
  ジャッキーン!!
  、、、はぁ
 ・そうだ!ずっとダンシングで札幌まで帰ろう!ダンシンオールナイッ、、、
  しまった朝だぁ??


脆弱な尻を持つ身の程を知り、しばらくはWingnutは封印しようと思う。


■ポジションの微調整

現在のサドル高は、ロードレース時代より少し高く、たぶんかなり高めの調整になっている。
ロングファストランをしながら煮詰めた高さで、もう長いこと変えていない。

4年のブランクの後だし、ポジション見直しは必要なんだろう。

5月に復帰した後、登坂で前ハンドルが近すぎると感じて、一度ステムを長くしてみた。
当然ブラケットが遠くなる。それをしばらく試して。
結果的には元に戻した。

というような事も含め、固定していたポジションも再度見直してゆこうと思う。


まずはサドルの高さをちょっぴり下げてみる。尻痛対策の基本ね。
2ミリとか3ミリとか、その位だけれど。


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もちろん
尻を「浮かせる」走り方は継続。
・路面が悪い所では脚を止めて尻を浮かせる。
・悪い路面が続く時は、ギヤを重くして立ち漕ぎする。
・信号待ちの時はサドルから尻を下ろして脚で立つ。


「剃る」「塗る」も継続。
・ジレットフュージョンによるケツ毛の剃毛
・シャーミークリーム。



BRM埼玉1025アタック小諸では、まずここまでやってみる。

そしてその後は、以下の事をひとつずつ試してゆこうと思う。


■サドル

Alianteで終了にしていたサドル遍歴だけど、同じFIZIKのVERSUS X Alianteを試してみることにした。
会陰に当たる部分が前後に凹んでいる、溝付きサドルの一種。
会陰保護対策である。

基本形状がAlianteなので、尻に合う可能性が高いと期待している。


■会陰部の皮膚の保護

私は不勉強にして世間の会陰事情にいささか疎いのであるが、自分自身の会陰に関しては若干の知識がある。

私の会陰の、「蟻の門渡り」などと呼ぶらしい稜線の、比較的肛門寄りの所。肛門が小淵沢で会陰が八ヶ岳だとすると、ちょうど赤岳のあたり
ここが、赤岳だけあって比較的大きく盛り上がっている。擦れて切れ易い。

ブルベの後は大抵そこがヒリヒリしていて、風呂でそこを洗う時は優しくタッチするようにしていた。

この擦り切れ対策として私は、ReSkinという商品を試した事があった。

ReSkinは会陰に「貼る」商品。貼って擦過傷を予防する。私はこれしか知らないが類似商品が他にもあるかもしれない。

最初に見たのは、どこかのレース会場のブースだったと思う。
ブルベを走るようになってしばらくしてから、たしか御徒町のY's(のうちの1軒)で買った。

こいつは、伸縮性に優れた柔らかい材質の、穴だらけのシートである。
清潔にした会陰に貼る。貼ると「ぺたり」と貼りつくようにできている。
パッドとこすれる側はぺたぺたせず、さらさらしている。

穴だらけなので蒸れない。
会陰を覆って皮膚に貼り付き、皮膚と一緒に伸縮するので皮膚が擦れない。

理論的には実に良い。
で、これを試して具合がどうだったのか、、、一番肝心な事を覚えていない(^_^;)。

使い続けずに残りを仕舞っていたという事は、良くなかったのかなぁ。
それとも、、、値段がけっこうお高いので、それでケチって使わなかったのか。

これに頼るようにはなりたくないので、試す順番としては後回しにする。

ああ、ひょっとしたらそういう事を考えて使わずにいたのか。だとしたら、自分らしい。


■少し時間がかかるけれど、減量

4月に脳動脈瘤の手術をした後の減量で7~8キロ落としたけれど、そこでピタッと止まっている。

自分の本来の体重まで、あと3~4キロ落とせる。
これで尻の負担も減るはず。

今回の辛い思い出をモチベーションにして、もう一絞り頑張る。


でも、、、、辛いはずの思い出も、速やかに美化されてしまうからなぁ(^_^;)


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久しぶりに自転車で長時間走ると、以前学んだことを改めて思い出す。

例えば、尻周辺の痛みへの対応。

・路面が悪い所では脚を止めて尻を浮かせる。
・悪い路面が続く時は、ギヤを重くして立ち漕ぎする。
・信号待ちの時はサドルから尻を下ろして脚で立つ。

これで、随分と違う。
厚いパッドや柔らかいサドルもいいけれど、こちらの方が確実に効果がある。

そういった過去に走って学んできた事を、今再び走りながら学習し直している。
復活した私の、ブルベ【再】入門のはじまりである。

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尻周辺の痛みの話。
ロングライドの長時間のサドルコンタクトに起因する問題には、複数の種類がある。

痛む場所は大きく2通りで、臀部の坐骨のあたりか、肛門から陰嚢にかけての会陰部。前立腺もこちら。
痛む原因も大きく2通りで、圧迫/打撲系の痛みか、擦り傷/切り傷系の痛み。


2014年10月2日 夜23時。高尾駅北口からSR600Fujiに出走した私はその24時間後に、擦り切れた会陰の痛みに耐えていたり、耐えきれずにいたり、、、していた。

という、今回はその話。


■SR600Fuji スタート


関東平野が涼しくなったこの時期に山に登ると、下りでとんでもなく寒いことがある。
かつ、今回の天候は幸いにして台風とは重ならなかったものの途中で前線に出迎えられるという予報だった。
ので、必要なウェア類が多い。
両腕両脚の防寒カバー、冬用ジャージ上下、雨合羽上下、シューズカバー、靴下と下着は着替えも持ち、下山専用含めてグローブ3種類。

600キロの距離と10,000メートルの登坂を頑張ってもらう膝のためには、膝関連筋群をコントロールするキネシオテープの貼り換え、インドメタシンゲル、膝ストレッチ用のテニスボール。
また、ここで無理だけはすまいと輪行バッグも持った。

予定走行時間は過去走った1,000キロなみで、600キロでは初めて宿泊もする。
必要な替え乾電池や充電器具も結構な重さになり、間違いなく過去最高重量の荷物をTopeak DynaPack DXWingnut Hyper2.5に詰め込んでいた。


ずっしりと重い、その重さに対して感じていた不安は、しかし、スタート地点高尾駅北口で消し飛んだ。
私の復帰を応援し続けてくれた@mino16さんが、まさかの見送りに来てくれたのだ。
感激で私は無敵になった。
@mino16さんがくれた足首用の反射ベルトを両脚に巻いて、ゼッケンプレートを付けた2007年型TREK Madoneで出発。
無敵の私が交差点に近づくたび赤信号が青信号に変わり続けて信号ストップが無い。無敵は便利である。


■陰部剃毛の習慣


ブルベに参加するようになる前の年に、それまでの最長になる360キロという距離を走った。
初めて会陰に傷を負ったのは、そしてそこを「会陰」と呼ぶと知ったのはこの時だった。

私にとってこれがロングライドの洗礼だった。
ロードレースをしていた当時の私の最長距離は、一般道では冬の練習コースの160キロ。サーキットでは富士スピードウェイの200キロ。
360キロは全く想像がつかない距離で、実際に想像つかない事が起きたってわけか。

傷の原因は陰毛による「毛切れ」だろうと判断して、この毛を何とかしようと無駄毛のお手入れ用品をいくつか遍歴した。

除毛ケミカルは、敏感なアソコがかっかと火照るのがちょいと怖くてダメ。
電気シェーバー型は、会陰の「蟻の門渡り」の皮膚の凹凸を噛みそうで怖くてダメ。

怖いんですよ、基本的に。あの辺りに何かするの。
幸せなことに、そこに何もせずとも無事生きて来れたし。

結局、すね毛を剃るのに使っていた普通の4枚刃の髭剃り用剃刀を採用。
肛門周辺から陰嚢までの間の陰毛(以下「ケツ毛」)を、マタグラ覗き込んだり手探りしたりしつつ剃るようになった。

ケツ毛を剃るようになってわかったのは、これはなんと快適な人生なのか、と。
自転車関係無くですよ。日常生活に於いて。
日常排便生活に於いて、である。

ケツ毛の無い人はこんなに幸せな排泄人生を送っていたのかと。羨んだ。

この時にケツ毛剃毛という新習慣を身に付けて生まれ変わった私は、幸せな排泄人生の始まりとともに、会陰擦り傷問題を克服したつもりでいた。

SR600Fujiまでは。

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昨年5月。
久しぶりに自転車クラスタの情報に触れる気力を取り戻すと間もなく、SR600というパーマネントコースが出来た事を知った。
コース概要を見ると、大好きなあの道この道がたくさん含まれている。

自分が自転車に乗れずにいる間にこんなに楽しい事になっていたのかと、胸が本当にズキンとなった。
私は、諦めかけていた膝の治療にもう一度本気で取り組み始めていたところだった。
私の心の中にSR600という確かな目標ができた。


そして今年5月に復帰した時から、なるべく早い時期にSR600を走ろうと決めていた。
完走できないかもしれない、という位の頃合いで挑戦しようと。

ロングファストランを始めた当初の、段階的に最長距離を延ばしていた頃は、毎回自分の限界が広がっていく明瞭な感覚があった。
それはとんでもなく手応えのある経験で、またそれを味わいたかったのだ。


2014年10月2日。その日がやって来た。


■SR600Fuji 後半


私のSR600Fujiの色々についてはまた改めて書くことにして、今回の話はいきなりコース後半に飛ぶ。

その時刻は深夜1時。その場所はおよそ320キロ地点、武石から美ヶ原高原美術館への登り坂。
斜度が急に増すカーブの真ん中にわざわざ小鹿が立っている。
でおなじみの、あの坂である。

無補給区間が長いため、補給食のお握り(日高昆布、日高昆布、日高昆布、辛子明太子)で腰のWingnutがさらに重い。
その重さがかかるためか、どうやら会陰が痛い。ような気がする。

なるべくダンシングするようにしよう。重たーいシートポストバッグを振って、、、

それにしてもいつも思う事だけれど、夜の山道の野生動物って意外と明るいライトを怖がらないよね。
逃げてくれよ、、、
りーん、とベルを鳴らす。距離10メートル、小鹿まだ無反応。 ギヤはとっくにインナーローだから、いつでも一時停止できる。

とその時。 前照灯の中の小鹿突然慌てふためき(おせーよ)、4つの蹄をそれぞれアスファルト路面で盛大にスリップさせつつ、4本の脚をバラバラな方向に動かして漫画のように逃走。
ほっ(^o^;)

ほぼ同時に暗い木々の奥から、悲鳴のような、出会っちゃいけない何かの声のような、長い鳴き声が響き渡る。
ぎょっ(@_@;)
小鹿が怖がったのはこっちじゃなくあっち??

うなじに鳥肌が立った自分を勇気づけようと、ふっと苦笑いをひとつして、そっとサドルに尻を戻す私。


おわっ!! いって(@o@;;)!!


会陰をやってしまった。
暗い木々の奥の、猩々だか鵺だかに負けない鳴き声を上げそうだった。

満天の星空を見上げて、とりあえず、再びダンシング。
それしかない。

----

そこから坂を登り切った所にあるCP7まで、ほぼダンシングで登り切った。

深夜、美ヶ原高原美術館の道の駅の綺麗なトイレでレーパンをずり降ろし、血の混じった浸出液を確認。
トイレットペーパーと水道水で清拭してから、軟膏をヌリヌリ。ヒリヒリ。チクチク。ズキズキ。

軟膏塗った後の患部を傷絆創膏とキネシオテープで防護しようかどうか思案し、むしろ悪化する可能性があると感じてとりやめ。
小分け瓶に入れたシャーミークリームをパッドにヌリヌリ。履く。おー、ひんやりしてキモチイイ。
よしもうこれで大丈夫! ってことにした。
一旦ね。



Twitterではこの事はつぶやかなった。

武石の観光センターに自販機が無くてドリンクが補給できなかった事、
星がとても綺麗な事、
美ヶ原美術館の自販機と水道でドリンク補給できた事、
トイレに暖房が入っていて暖かい事、
冬服を着た事、、、

そういった写真付きのつぶやきの裏で私は、@vyv00411さんが宿泊(^_^;)したという明るく広く清潔なトイレで、一人下半身を露出させこんな悲喜劇を繰り広げていたのでした。

綺麗なトイレで助かった。人が来なくて助かった。ホントに。


■ダンス上達

その後も痛みを緩和するためにダンシングを多用せざるを得ず、SR600Fuji後半は踊りまくり。

どうやら出力上げるとサドルコンタクトが強くなるようで、登りはほぼダンシング。すずらん峠も裏麦草もダンシング。
芦川から若彦トンネルまでがきつかった。

下りは脚を止めて尻を浮かしっぱなし。
平らな時だけそっと尻をおろして回す。

今の私の身体は、
 心肺 > 筋力 > 膝関節
と言う順番に耐久力がある。
ダンシングは心肺の負担を上げるから、これでちょうどいいんだと。
ダンシングも上手になるしと。

アソコの痛みに耐えながらも超前向きだった。走れている自分が嬉しくて。幸福感情の閾値が下がっている。
それに、@mino16さんがくれた足首の反射ベルトが護ってくれて、無敵だったから。


踊り踊り続けて、SR600Fujiを無事完走した。

SR600Fujiを完走して今私は、これからまた自転車に乗って生きて行けるんだと信じることが出来る。


■3日後

高尾駅にゴールしたのが10月4日の22時過ぎ。
それから3日が経ったが、会陰の痛みは治まっていない。
まだウォッシュレットが痛いレベル。切れてるなぁ。

初めて360キロ走った後は、何日くらい痛んだんだっけ。

今後ブルベを走る続けるにあたり、この会陰の擦過傷は再発を防ぎたい。
こうして私のブルベ【再】入門が始まった。


この話、実はまだ終わらない。
長くなったので、続きは後日また書きます。



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Dura Ace 9000の凄さはブレーキにある。という話を前回書いた
Dura Ace 7800との比較で減速を、より繊細に思い通りに、楽に、気持ちよくコントロールできる。

で、ブレーキ以外はどう変わったか。

長いよ(^_^;)。 そして、参考になるかどうかはわからん。


-----
まず、全体的な見た目

7800は基本的に銀色。アルミ合金そのままの色。
9000は、いろいろ黒い。
これは7900の時からそうみたい。

7800の見た目は好きだった。
黒いのって、なんかプラスチッキーだと思って。
でもまぁ、最近じゃ黒い方が普通で、むしろ銀一色のコンポはいささかビンテージ風なんだろう。

ブルベ用のバイクとして、ビンテージ風は似合ってる。
でもさすがにダブルレバーはキツいけど > みのいちさん

銀色は素材の色だから、削れても銀色だった。
黒って、これ塗装だろう。
削れたらどうなるんだろう。下地が出たらみっともないなぁ。黒く塗るか。

いやいやいや。
マスドレースはやめたんだから、自爆しない限り落車は無い。
もうコンポ削らないようにしよう。
体も。

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STI

下りでは下ハンを持つもんである。
ブラケットのポジションだと、ブレーキレバーを十分に引いたり、微妙にコントロールしたりするのが難しいから。

ところが9000は、ブラケットを持ったポジションで指先がかかる位置に僅かな凹み形状が有って、ブレーキが引き易くなっている。
ほんの僅かな歪みのような複雑な曲面が、実によく作られている。

これはブレーキそのものが良くなったことと不可分な話なんだけど、ブラケットのポジションで山下りして、何の不安も無かった。

良いことではないだろうと思う。ちゃんと下ハンを持つべき。
でも、長距離走る疲労を軽減するというのも、安全に寄与することだよね?
いやいや。それは言い訳だ。やっぱり下りは下ハンでしょう。

、、、
でも、きっとまた楽しちゃう、、、

-----
フロントディレーラ

トリムが増えた。

なんでも7900はトリムが無かったとか?
それはつまり、不要だった(チェーン鳴りしなかった)という事でしょう。
でも9000で復活したのは、無理があったって事?

トリムは、105からDura Aceに替えて良くなった事の1つだった。

フロントがアウターに入っている状態でリアを大きいギアにしてゆくと、チェーンラインが斜めになってフロントディレーラに当たり鳴り始める。その時、フロントディレーラをちょっとだけイン側に動かして鳴りを止めるのが、7800のトリム。

9000はそれに加えて、インナーの状態でちょっとだけアウター側に寄せるトリムが追加された。

(1) アウター
(2) アウター ちょっとインより
(3) インナー ちょっとアウトより ← NEW
(4) インナー

こんなん。
アウターからインナーに落とした時はまず(3)になる。

操作がより一層面倒臭い感じだけど、この追加は私にはメリットがある。と思う。


私はチェーンをインに落とすことを怖がっている。
ほぼ勝っていたレースを、そのせいで落としたことがある。
ブルベで結構重いメカトラを招いて、修理に手間取ったこともある。

走る時は、整備用にワークマンでまとめ買いした白い綿の手袋(タクシー運転手のやつ)を必ず持っていく。これが無いとチェーンが外れた時に手が油まみれになるから。

どうやら私は、フロントインナーへの変速が下手なのだ。
いやね。ちゃんとやれば、ちゃんとやれるんだけど。ついうっかり、雑にやってしまって痛い目に遭う。

そんな私にとって、アウターからインナーに落とした時にちょっとアウトよりな(3)の位置になっているのは、チェーンが落ちにくくて大変助かる。すごーく安心感がある。

-----
フロントのギヤサイズ

9000では、コンパクトクランクに相当する50-34を選んだ。

「コンパクトクランク」は死語になったらしい。クランクが共通になったから。
7800の頃はノーマルとコンパクトでチェーンリング固定位置が違ってて、互換性が無かったのだ。

DuraAceでコンパクト相当の小さいチェーンホイールを使えるというのは、多くの人にとって9000の大きなメリットだと思う。

7800の頃は、フロントギヤは好き勝手に交換してた。
私は、富士スピードウェイのレースの時だけ、少し大きいインナーに交換していた。でもって小さいカセットを使う。こうすることで、修善寺や群馬のサイクルスポーツセンターみたいに上り下りが激しくもなく、他の自動車サーキットのように平坦でもないという、独特な富士スピードウェイにちょうどぴったりのギヤレシオにしていた。

9000は、アウターとインナーは決まった組み合わせでしか使えない。

ショップの社長が実際にインナーを交換してみたところ、ほぼ変速不能だったとのこと。
でもってよく見てみたら、アウターの内側の形状がインナーのサイズに合わせて作られているんだって。

これもきっと、チェーン落ちの防止に寄与していると思う。


シフトフィールの新旧比較インプレは、できない。
Dura Ace 7800にはコンパクトが無かったので、ロードレース引退してコンパクトクランクにした時から、私のバイクのチェーンホイールはDuraじゃない。

なので当然なんだけど、すっごく良くなりました。
Duraらしいカッチリ感。
変速が速い!待たない。即座にトルクがかけられる。

そういえば、もとのクランクは何だったんだろう?
ULTEGRAとも105とも書いてない。
クランクに「SHIMANO」って書いてあるんだけど。

-----
リアディレーラ

シフトアップ(小さいギヤに落とす)で特にストロークが短くなっている。

7800で全く不満なかったのに、こうなるともう9000が絶対にいいと思ってしまう。
きっとDi2使ってしまったら、もう機械式には戻れないんだろうなぁ。

峠を登り切って下りに変わる時のフィーリングが、指が覚えてるのと違う。
カッチンカッチンカッチン → カチカチカチ  的な違い。

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リアのギヤサイズ

シフトフィールは、リアについても7800との比較評価ができない。
5月に復帰してから使っているカセットが、105の12-27Tだったのだ。
7800にはこんな大きなカセットは無かった。

9000は28Tをラインナップしてくれたのでそれを選んだ。

そりゃシフトフィールは良くなるはずである。
超いい。
覚えてないけど、きっと105からDura Ace 7800にした時もそう思ったんだろうなぁ。

9000は28Tを出してくれたけれど、でも本当は30Tが欲しい今の私。
登りが好き過ぎて登ってばかりいるんだけれど、今の私の脚だと28Tでもケイデンスが60を割り込むことが多い。

理想は、ローがクロースレシオなヒルクライム仕様。
こんなん。
14-16-18-20-22-23-24-25-26-28-30

ま、こんなの無いよね。
Duraでは絶対に出ないよね。出るとしても社外品か。

とりあえずULTEGRA11速で30Tが出てくれたら、買うだろうと思う。
せっかくのDura Aceの変速性能を犠牲にしてでも、SR600のためには30Tが欲しい。

-----
リアディレーラの音鳴り

やたらと静かになった。
今までリアディレーラ近辺が結構鳴っていたのだと、静かになって初めて気付いた。

静かなのは気持ちがいい。

峠の登りは静かなもの。
木の葉が風に揺れる音、岩肌を水が流れる音、鳥や動物の声、そして自分の呼吸の音を聞きながらゆっくり登る。

峠の登りでは、自転車は音を立てないで欲しいのだ。
Dura Ace 9000のリアディレーラはそんな要望にぴったりだ。

-----
ケーブル

ナントカ加工で滑りが良いとか何とか。
その件については、良くわかりませんが、私にとって影響が有った話を。

7800は、右STIレバーから飛び出しているリア変速ケーブルに、「今リアが何枚目か」がわかるシフトインジケータという小道具が付いていた。
Dura7800に付いてきたんだけど、たぶんDuraでなくても使えたんじゃないか。

これが有ると、上りで今踏んでるギヤからあと何枚残っているのかが一目でわかる。
フライトデッキ(SHIMANO純正のサイコン)を使うと、サイコンでギヤがわかるそうだが、私はフライトデッキは使ったことがない。ずっとこの小道具に頼ってきた。

カンパのようにシフトワイヤーがハンドル沿いになった今のDuraでは、この小物が亡き者となった。

ま、「ちらっ」と下を見ればわかることなんだよね。
慣れるでしょう。

-----
ペダル

私が使っていたペダルは、幅が狭い昔のタイプ。
ついに私も幅広デビューした。

これは、幅狭のほうが好みだった。見た目の好みね。

7800のペダルは、踏むところのプラ部品が消耗品。
レースやめてからは気にしなくなって、ずいぶん長いこと交換していなかった。
交換しないとどうなるかというと、キシキシ鳴るようになる。

新品9000は当然、鳴らない。
という点で改善した。そりゃそうだ。

同じ黄色のクリートでも、7800より9000は少し可動域が狭くなっている気がする。
でもこれは7800がくたびれて緩んでいたのかもしれない。

青いクリートがついてきた。
青、初めて見た。前から有った?
黄色(嵌めた状態で少し動く)と赤(嵌めた靴が動かず固定される)の中間で、黄色より狭く可動するらしい。

せっかくだから、そのうち試しに使ってみようと思う。


幅狭→幅広の変化は、踏んでても全くわからない。
これはやたら硬い靴(SPECIALIZED S-WORKS。軽いよ!)を履いているせいかもしれない。

-----
フリーボディー

10速と11速で、フリーボディー(カセットスプロケットを付ける円筒状の部分)に互換性が無い。

今使っているホィールはシャマルだけなので、シャマルだけフリーボディーを交換した。他のホィールはとりあえず放置。

つい先日、ハブのメンテの時にフリーが固着してて、交換したばかりだった。
この時はまだ9000に替えるつもりが無かったので、9速&10速用のフリーボディーに交換した。在庫処分価格だったとはいえ、もったいないことをした。


ところで。
ご存じのようにカンパのフリーは爆音である。
が、フリー交換直後はグリスが新しくておとなしい。

おとなしいフリーは気持ちがいい!!
リアディレーラも静かだったので、脚を回しても止めても静か。この週末は気持よく走れた。

でもその静かなフリーは長くは続かない。
月曜の帰路、入間川サイクリングロードでは、脚を止めるだけで歩行者に気付いてもらえる爆音が復活していた。
ベル要らず。なんだけど、威嚇的で嫌なんだよねー。


ホィールに対する物欲を抑えているのは、もはやシャマルのスポーク組みのカッコよさのみである。
G3カッコいい。

-----

以上、Dura Ace 9000のインプレ(?)でした。

新しいフレームを買ったら、今のフレームに7800を戻すつもり。
その時のため、外した部品は全部9000の箱に入れてお持ち帰り。
書斎のクローゼットに納まった。

7800はときめくので、断捨離的にもこれは保管していて良いのだ。


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ボコボコに凹み、ザックザク削れていた私のバイクのコンポ。
Dura Ace 7800。

ロングファストランにこんなもん要らない。

っていうか、ホビーレースにだってこんなもん要らないだろう。

でも、欲しかったの。
だから、買ったの。

105からDura Aceにした時の感動は、、、その感動は、、、、、

あれ? 忘れちゃった。
憶えてないや。

---

ランで膝を痛めて、その養生中に心肺機能を維持するために自転車を始めた。

その程度の目的だから、安い自転車が良かった。
のだけれど、色々調べているうちにそこそこ良いものが欲しくなり、
アルミフレーム、カーボンフォーク、105(当時9速)のANCHORを買った。

買った店が悪かった。いや違う。良かった。いや、うーんと、えーとえーと、、、

良い意味で悪かった。
そう。買った店が良い意味で悪かった。

店にはロードレースのチームがあり、それがとても強いチームだった。
練習に誘われ、レースに誘われて、
いつの間にかロードレースに没頭するようになっていた。


転落は速かった。

まずホィールを買った。MAVICのキシリウムSL。
そしてコンポを替えた。105からDura Aceへ。

当時はカーボンのホイールなんて雑誌の上だけのおとぎ話で、ヒルクライムレースに行けば半数はキシリウムだった。
カーボンフレームもまだ珍しかった頃である。

私のバイクはJCRCやヒルクライムで上級スペックを誇る状態になったのだ。

ライダーを差し置いて。

---

さらにその後、フレームを今のカーボンフレームに替えた。
この場合「フレームを替えた」っていうのが適切かどうか、よくわからないけど。
新しいTREKのフレームに、ANCHORから部品を全部移植した。

ANCHORは元通り9速105に戻して、ローラー台専用マシンになった。

---

TREK Madone 5.9 SL + Dura Ace 7800 のマシンで、私は何度も落車した。
私の脚、腰、腕、胸。
チームジャージ。
そして、Dura Aceのそこかしこに、あまたの落車傷が残る結果となっている。

そう。
私の身体と私のDura Ace 7800は、同じ落車で受けた傷で結ばれているのである。



------


Dura Ace 9000 買っちゃった。テヘっ。

テヘぺろ。

※ Dura Aceとは、シマノのコンポの最高グレードの名前
※ 7800とは、10速化された時のDuraの名前
※ 9000とは、11速化された現時点で最新のDuraの名前


この三連休の日・月と、Dura Ace 9000化したTREKで走りました。
7800から9000に替えた時の感動を、憶えているうちに書いておく。



っていうかブレーキだよブレーキ。凄過ぎ。

7800のブレーキに何の不満も無かったんだけど、もうダメね。
7800ダメね。ブレーキがね。


停まれなかったり、ロックしたりしないように、安全マージンを取るでしょ。
余裕持って減速する。
そのマージンの必要量が、全然違う。

で思い出したんだけど、105からDuraにした時も「ブレーキ凄え」と思ったんでした。

Duraなんて最高峰なわけです。もともと。
でも今まで7800では、道具に合わせて自分が何とかしている部分が有った。とわかった。
自分が「こうありたい」下りの攻め込み方を実現するために、7800の能力を超えて走っている部分があった。

しくじってヒヤリ。という経験を何度もしてる。みんなもそうでしょう。
ヒヤリとするちょっと前に、ヒヤリとするとわかる。そういうもんでしょう。

7800ではヒヤリとしてた場面で、9000は何の問題も無い。
プレヒヤリで終わる。後にヒヤリが来ない。

コントロール性の水準がもう全く違う。
感動した。


今まで、下りの速さがブレーキで決まるなんて思ってなかった。
ブレーキ性能は7800でもう限界で、あとはタイヤ性能だと思ってた。

でも違った。
7800の下りより、9000の下りの方が速い。
速くて、楽。あと、気持ちがいい。

こうまで自在にコントロールできるのかと。本当に気持ちが良かったのでした。





で、あとはシフトフィールとレバー形状なんですが、長くなるのでまた今度。



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自転車を再開して最初に走った時、左STIレバーの固着でフロントがアウター縛りになった。
これはショップに入院して治してもらった。

この時にケーブル類が一新された。
バーテープも巻きなおした。2010年の北海道1200用に入れたゲルパッドを取り除いて、ハンドルの太さが普通に戻った。

---

二週間前に八丁峠を登った時、フロントホィールのハブから異音。
静かで滑らかな道をゆっくり上っている時にしか聞こえない、鳴ったり鳴らなかったりの微かな微かーな音なんだけれど。

ホィールだけショップに入院。
ベアリングのメンテをしてもらうだけのはずが、フリーハブとシャフトが固着していたとの事で、少々大事化。

また固着

治してもらったホィールで先週は霞ヶ浦を走った。
フロントの異音が首尾よく消えたのはともかく、リアのフリーのラチェット音がえっらい静かじゃないですか!
新しいグリスが入って、カンパのフリーの爆音がかなーり大人しくなったのである。

でもそれも200kmほどの間のこと。
帰宅時のメーターは260km。爆音すっかり復活していた。

次のホィールはカンパはやめだな。フリーが静かなホィールがいい。
またMavicに戻るか。SHIMANOを試してみるか。

---

とかなんとか、次の買い物の妄想もいいけど。
4年半も乗らずにいたバイク、しっかりメンテしないとどうやらまずそうである。

以前乗ってた頃は、わりとマメにメンテしていた。
掃除と注油はもちろん、パーツの更新もしっかりやってた。
ブレーキシュー、チェーン、タイヤ、ケーブル、バーテープ。

消耗品を更新することで、コンディションが維持できる。
ざっくりボコボコの落車傷は治せなくてもね。

---

というわけで、チェーンとタイヤの交換をした。

リアを落とす時にちょっとDuraAceっぽくない衝撃がある。チェーンが伸びてるかもしれない。
前回いつ交換したか覚えてなかったけれど、クローゼットのコンテナから新品のDuraAceチェーンが出てきたので、交換することにした。

すぐ済んだ。


そしてタイヤ。
5年前にWiggleでまとめ買いしたHUTCHINSON FUSION3が何本か残っていることは覚えてた。

後輪は明らかに摩耗してるし、前輪は減りは少ないがひび割れが。
チューブレスタイヤの脱着って大変なんだよなぁ、、、と後送りにしていたけれど、まぁやっておこうと。

前輪。
なんとも拍子抜けするほど簡単に外れた。レバーも要らず。ビードが伸びていたのかなぁ。
嵌める時はレバー使ったが、石鹸水使うまでも無く空気が入ってゆく。
カンカンとビードが乗る。

すぐ済んだ。おぉ。案ずるよりも産むがやすしとはこのことか。

その勢いで後輪へ。

タイヤや手やシャツやズボンをオイルで汚さないよう、まずスプロケットを外す。
でもって、古いタイヤを外すのだが、今度は素手では外れそうにない。
レバー使って外し、新しいタイヤを嵌めて、空気を入れる。

が、シューシュー抜けて入らない。

仕方ないので石鹸水を使う。

だめ。

試しにオートバイ用のビードクリームを使う。

だめ。

外してまた嵌めなおす。

だめ。

---

ここから後輪と格闘すること4時間。

結論から言うと、在庫していたFUSION3は、前輪に使った1本を除き3本が全滅だった。

仕方ないのでショップに行き、新品のFUSION3を買って帰り装着した。
一発だった。石鹸水も無し。

チューブレスタイヤの脱着を、えーと、、、合計7回やった。
握力が限界だったね。

---

買ってから5年ほどの間、売られているままの畳まれた状態でしまってあったタイヤ。

折り畳まれている、その特定の折り目の部分でビードのゴムが切れて、そこから空気が漏れていた。

だから3本とも同じ場所からシューシュー抜けた。

深く切れているものでは、ビードのワイヤーが露出していた。
浅いものでも、幅で2ミリほどゴムが切れている。

これじゃ空気が入るわけがない。


畳んで売ってるチューブレスタイヤを保管するときは、広げて保管する必要があるのかもしれない。
そういうもんなのかなぁ?


もったいないことをした。
安いからといってタイヤを買い置きするのはもうやめようと思った。



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昨日は八丁峠を登ってきた。



初めて北から登り南に降った。

最高だった。

-----

いつも見下ろしていた九十九折を、初めて見上げた。

定峰峠を越えて、志賀坂峠を登り切った後の八丁峠。
この時点でだいぶ疲れていたけれど、それでもこの景色には気分が高揚するもんだ。

いつも両神登山の車がたくさん停まっている八丁峠の駐車場は、ドライブらしい車1台だけだった。
雨予報だったからね。
八丁ルートは登ったこと無いけれど、危険なコースと聞く。


真っ暗な八丁トンネル。

八丁トンネル

夜間走行用の前照灯も、真昼間にトンネル入った状態ですぐには目が慣れないため役立たず。
路面状況も信頼はできないので、おそるおそる進む。

日窒の廃墟で、結構な数の建物が崩壊していた。
寮の右半分など、完全に潰れていた。
これはおそらく、今年の大雪だろう。

郵便局は無事だった。
郵便局

窓ガラスに自分が映りこんでいる。こうして心霊写真が作られてゆくのか。

日窒の下のトンネル

この風情あるトンネルは、今でも鉱山のダンプが通る。
万が一にもすれ違いたくないし、追い越されたくない。
路面が信じられない、目も慣れない、でもダンプ怖さに一気に突っ走る。

一休みしてたら、来た!



おー。怖。

この後中津川沿いの県道でも、ガードレールや法面に崩落の傷跡多数。
通れて良かった。
大腿四頭筋が悲鳴をあげていた。引き返すだけの余力は無かった。


ここから帰路。滝沢ダムのループ橋を経て秩父に戻り、正丸トンネル経由で入間川サイクリングロードで帰宅した。
正丸トンネル選んだのは、もう登坂は避けておこうという判断なんだけれど、299が結構地味に踏ませてくる。むしろ山伏峠登った方が気分的には楽だったかもしれない。


おまけ。
中津渓にある、使徒的な何かを迎撃する何か。
首都防衛


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読んでくれてありがとう(^o^)/


ロードレースやめてブルベを始めた頃、装備が色々と変わっていった。

ロードレースの頃は、練習は長くてもセンチェリー(160km)で、レースの最長も富士スピードウェイの200km。どちらも6時間くらい。

一方ブルベは最低でも8時間。
ま、8時間位ならまだいいんだけれど、600なら24時間超える。

そんなに長時間乗るという事に対応するために、装備が変わっていった。

---

まずサドルが変わった。

当時は大流行中のアリオネだったけれど、尻の痛みに耐えかねてサドル遍歴スタート。
そして最終的に落ち着いたのがアリアンテだったという、、、
まさかそこに行くとは思わなかった。同じFizik。
「お隣」のサドルだからむしろ、なかなか試さなかった。

復帰後の今も、同じアリアンテに乗っている。
遍歴した上だから、他を試す気は今のところない。

---

Fizikのサドルは、Fizikロゴを外して専用のサドルバッグが装着できる。
でもブルベでは、クリンチャーのチューブ1本しか入らないような小さなサドルバッグは使わない。もっとずっと大きな入れ物を使う。

私はTOPEAKのDynaPackを使っている。
不思議と使ってる人が少ない。リクセンカウルが多いよね。
私は断然、DynaPackが好きである。

---

DynaPackは「シートポストバッグ」というもので、シートポスト(ピラー)にアタッチメントをしっかり締め付けて、そのアタッチメントに取り付ける。

このためにピラーをカーボンからアルミに変更した。
そうしろって。取説に書いてあるから。カーボンのピラーは駄目って。

でも、カーボンのピラーだって色々だ。
しっかり厚みがある真円断面のピラーなら、大丈夫なんじゃないかな。

アルミよりカーボンの方が振動吸収性が高いというし。
尻にいいかも。
カーボンピラーに戻してみようかな。

アタッチメントは同じものを2つ持っている。
DynaPackのサイズ違いを2つ持っているから。アタッチメントは共通なのだ。

---

ステムも替えた。

もともとは軽量で、ちょっと四角っぽい断面のカッコいいステムを使っていた。

GARMINのハンディGPSをRAMマウントで装着するために、ステムにスチールベルトを巻きつけることにした。そのためアルミで断面の丸い頑丈そうなステムに交換。

---

ハンドルも替えた。

ハンドルには、ライトやサイコンを装着するためのエクステンダー類を固定する。カーボンハンドルには荷が重いので、金属ハンドルに替えた。
ピラーと違ってカーボンのハンドルは、ペッラペラに薄いから、エクステンダーの固定は無理だろう。

ピラーと違ってハンドル交換は手間かかる。
もうカーボンハンドルに交換することは無いだろうなぁ。

---

チェーンリングをコンパクトに替えた。

「ロングファストランするから」というのは、自分への良い言い訳になった。
本当はレースしてた頃から、コンパクトで十分だったのだ。
コンパクトの方がスプロケの歯数を有効に使えるのはわかってた。

でもねぇ。
レース会場で小さいチェーンリングは、カッコ悪かったのよ。

---

ホィールをチューブレスに変えた。
振動吸収性が劇的に良くなり、疲労軽減に役立っている。

---

そうそう。
サイコンも替えた。

レース中は心拍とケイデンスしか見ないけれど、練習中は色んな情報が見たいもので。
レースでもブルベでも、サイコンに求める機能は大差無い。

私は自転車始める前からPOLARの心拍計を使っていた。
また、通っていたジムの有酸素運動マシンがPOLARの心拍センサーの信号を拾って表示してくれた。

そんなわけで自然とPOLARのサイコンを使うようになったんだけど。

PLOARサイコンの有名な欠点は、スピードセンサーとケイデンスセンサーの電池が交換できないこと。
電池が切れたら、センサーまるごと買い直しなのである。あり得ない!
これがまた、安いサイコンより高価なのだ。

となるとそう易々と交換できない。ギリギリまで使いたい。
で、どうなるか。絶対、遠出の最中に電池が切れるのだ! 絶対だ!!

POLAR許し難し!!!

それでもね、、、レースの頃よりはマシになったんだよ。
レースはコースによってホィール替えてた。
そうするとスポークとフォークの距離が変わって、スピードセンサーの角度を再調整しなくちゃいけなくなる。でもPOLARのセンサーは角度を調整する機構が無いんだ。だから、力を入れて無理やり「むりっ」って調節するしかなかった。

その点、ブルベはホィール交換しないからね。


とかなんとか、自分を騙してたのかな。
でもどこかで遂にキレちゃったんだな。
POLARと離婚して、SIGMAというブランドのサイコンと再婚。

復帰した今、このSIGMAのサイコンを使ってるんだけど、、、、なかなかうまく行ってなくて、、、


次は、ブルベで必要なサイコンについて考えてみる。


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人生最後のダイエット開始から、今日でちょうど3週間。
週1kgを目標にカロリー収支を赤字にしてきたが。

5/27(火)夜 68.6kg
6/17(火)夜 65.6kg

3週間で3kg。 見事に予定通りだ! ちょっと出来過ぎだ。

実は5/27に計測した時点では、もうダイエットの助走は済んで体脂肪が減少を始めていたはずなのだ。ジム再開してしばらく経っていたし、自転車も再開してたし。
でないとこうはスタートダッシュできない。


この3週間の計測での最低体重は、6/15(日)に三峰神社に行った後の64.4kg。
これは前日6/14(土)朝の66.9kgからなんと2.5kg減。
体内のグリコーゲンをだいぶ消費した状態であることがわかる。

そしてその翌朝は66.1kg。


そういうものだとわかっていても、理論的にも経験的にもそれでいいとわかっていてもなお、
こういう上ブレを残念に感じてしまうし、うっかりすると水分を控えたくなったりもする。

そういう事を考えず、ひたすらカロリー収支を赤字に保っていればちゃんと体脂肪は減ってゆくと自分に言い聞かせるのも、ダイエットの大事なポイント。

わずか3キロだけど、まず内臓脂肪から減るために、腹回りはもうだいぶ変わった。
ベルト2穴分絞れた。

今、鏡を見て一番「これは俺じゃない」と感じるのは、臀部である。
が、臀部と大腿部の脂肪は、落ちる順番がなかなか回ってこなかった気がする。

次の3週間も週1kg減をキープして、変化を体感し続けたい。


膝は、通勤電車の立ちっぱなしが一番辛い。
自転車漕いだり歩いたりよりも、通勤電車の立ちっぱなしで痛む。
それだけうまく乗り切って自転車運動を継続できれば、あと3kgは週1kgペース行けるだろう。


そのために今週後半は頑張らないといけない。

明日の水曜は会社の仲間が快気祝いをしてくれるので、ダイエット休養。
金曜も会社の後輩が快気祝いをしてくれるので、ダイエット休養。
水曜と金曜はカロリー収支が黒字を覚悟しておく。

水曜分の黒字は木曜の夜にジムで無駄遣いしてチャラにする。
金曜分は週末に自転車で無駄遣いして、大赤字にする。


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