日本中世史を楽しむ♪

日本中世史を楽しむ♪

―武士道と云は極道と見付たり。―

<お知らせ>
細川重男『頼朝の武士団』(朝日新書、2021年11月)
よろしゅうに~~~
 実は、けっこー前から、腰と右股関節と左肩(肩甲骨)が痛かったのである。

 それがさ。昨日の夜から、特に腰と股関節が、メッチャ!!! 痛くなり、今朝からは、日常生活に支障が出るハメになった。

 んで、朝、9時前に、いつも行ってる近所の針灸院に電話掛けて、急遽、午後3時に予約入れてもらった。

 んで、ワシャ、ふだん、ほとんど徒歩生活者なのであるが、ひさびさにチャリンコ(ひさびさ過ぎてサドルにホコリが積もってた)で針灸院行ったわけですよ。

 ほえたら、原因は、先生曰く、
「歩き過ぎ」

 ありゃ、りゃ。
 仕事が字ィ書くコトだから、仕事してりゃ、ヘタすると、1日、殆ど座ってるので、意識的に近所を徘徊してたのであるが、過ぎたるは、及ばざるが如しね。

 先生御夫妻から、二人がかりで、お灸されまくり、
「ギックリ寸前だから、今週中に、もう1度来た方がいい」
 と言われたので、また木曜日に予約したのであった。やれ、やれ。
 5月24日(金)の夜にサナギに成ったイモムシのその後である。

 24日(金)昼間から、UPしてみる。


 糸で柚子の枝にくっついて動かなくなったが、まだ幼虫。


 ちょと引きで。


 さらに引きで。

 んで、24日(金)の夜にサナギになり、翌25日(土)の昼間。

 サナギが、細~~~い糸1本で柚子枝にくっついてる。
 糸の強靱さがわかる。


 ちょっと引き。

 んで、昨日、26日(日)の朝。


 26日(日)の夜。


んで、今日、27日(月)の夜。つーか、今(19:50)。



 アップ。

 だんだん色が薄くなって来たが、あんま変わらんね。そら、そーか。

 坂口太郎
「源義朝の「逆罪」と「王命」
  ─ 平治の乱、二条天皇黒幕説の誤謬 ─ 」

 (『古代文化』215号、2023年12月)

 桃崎有一郎『平治の乱の謎を解く ─ 頼朝が暴いた「完全犯罪」 ─ 』(文藝春秋、2023年7月)への批判論文。

 狩野亨吉言うところの「生命を取るには一箇の致命傷にて足る」(同氏「天津教古文書の批判」)を地で行く一撃必殺の見事な論証。
 オモシロイし、読んで損は無いぞよ。

 ただ、ワシは、敗れたとはいえ、それでも、この本を世に問うた桃崎氏の蛮勇は買う

 間違えるコトは、誰にでもある。
 言うべきだと思ったから、批判覚悟で書いたンじゃろう?
 言いたいコト、言わんじゃ、研究者やってる甲斐が無い。 
 しばらく見ないうちに、サナギに成った。


 光ってしまったな。


 今度は、少し陰になってしまったが、まァ良かろう。

 形はサナギに成ったが、色はキレイな緑色
 ワシャ、喰ったミカン類の種とか漬物作った時に漬け汁に使った柚子の種とかをよく花壇に播く(捨てる?)のじゃが、そしたら柚子(ゆず。葉っぱの形状からの推定)が1本生えて来たんで、植木鉢に移したのが去年。

 今月初旬のある朝、水やる時に見たら、その柚子(まだ高さ30数センチくらい)の葉っぱの1枚に、枯れた木の葉の破片みたいな濃い茶色(ほぼ黒)いゴミが付いてるのに、気付いた。
「ゴミであるなァ~」
 と思っただけで、放っといた。
 数日後、また見ると、なんと! ゴミだと思ってたモノが、ちっこい(2センチ弱くらい)イモムシになっていた。濃い茶色(ほぼ黒)で、白いVの字の筋があった。
 蝶か蛾の幼虫ならん。

 んで、夕方、仕事から帰宅した嫁に見せたら、
「ホントだ。幼虫だ」
 と云々。

 2・3日したら、汚く貧相であったイモムシは、少しデカくなり鮮やかな緑色になった。
 明らかに、アゲハの幼虫である。


 保護色で見え難(にく)いが、これ。

 イモムシは柚子の葉を喰いまくり、大量にフンをして、どんどんデカくなって行った。
 反比例して、柚子は葉っぱが、どんどん無くなり、かなり哀れな姿となった。

 んで、金曜日(5月17日)、嫁に、
「このまま行くと、葉っぱを失った柚子は枯れ、エサを失ったイモムシは餓死して、共倒れとなるであろう」
 と言ったところ、嫁は予想以上に心配し、
「大きめの柚子を買おうか?」
 と言うので、ワシャ、
「買わんでも、その辺の空き地かジャングルに勝手に生えてるのがあるじゃろーから、その内、引っこ抜いて来る」
 と答えた。

 そしたら、翌日の土曜日(5月18日)、「ほけんの窓口」から帰った嫁は、「柚子を買いに行く」と言い出し、ワシをお供に近所のホームセンターに行き、70センチを超える「とげなし柚子」(1700円くらい)というのの苗と土(300円強)を買って来て、自ら、家にあった余りのデカい植木鉢に新人柚子を植えた。
 ところが、植木鉢が嫁の予想を超えてデカく、土が足りない。
 嫁は又も、ワシをお供にホームセンターに向かい、大袋の土(600円強)を買って来て、めでたく柚子の植樹を完了した。

 小っこい先輩柚子とデカい新人柚子の枝がくっつくように並べ、イモムシに自ら引っ越しさせようという作戦である。


 ほとんど見えぬが、拡大すると、イモムシがいるのが(辛うじて)みえる。


 こっちは、イモムシ、見えますな。

 月曜日(5月20日)の昼頃、イモムシが新人柚子に引っ越してたので、嫁にラインで伝えた。
 ところが、その後、先輩柚子に戻ってしまい、その後も見るたんびに移動しており、イモムシはかなりアクティブであることがわかった。
 イモムシと人類では時間の観念が違うようである。

 水曜日(5月22日)、イモムシは新人柚子への引っ越しを完了した。



 ほいで、仕事から帰った嫁に、
「引っ越したのはいいが、もうデカくて目立つから、カラスに連れ去られる危険がある」
 と言ったら、また大変心配して、新人柚子の鉢ごと、家の中に入れるこことなった。


 アップ。日が当たるよーに窓際に置き、昼間は風が通るよーに窓開けて、網戸にしてある。


 窓越しに見えるのは、中先代号のケツ。 


 ボケちまったが、背後に見えるのは、上から小学館『日本国語大辞典』、吉川弘文館『国史大辞典』など。

 木曜日(5月23日)。午後4時半頃に見たら、新人柚子にイモムシが見えぬ。いっくら見ても、見付からない。床に落ちたか? と見てみたが見えぬ。カーテンに登ってしまったか? と、見てみたが、やっぱ見えぬ。
 うっかり踏んづけでもしたら、エライことなので、嫁が帰るまで、そのまま放置して、晩飯の下準備(アスパラを茹でる。米研いで、水に入れて、冷蔵庫に入れる。味噌汁を作るなど)をやる。
 6時過ぎに、嫁が仕事から帰って来たので、カクカクシカジカと伝えたら、
「え?!」
 と驚き、新人柚子のもとへ。そして、ほとんど間を空けずに、
「いた!」
「どこに?!」
 とワシが見ると、床を這ってやがる。
 どーゆーこと?! さっき、ワシが見た時は、いなかったクセに!!
 嫁は、八王子原住民なので、虫もトカゲも素手で触れるのであるが、「潰したら大変だ」と、マスクにイモムシを乗せ、新人柚子の枝に戻したのであった。

 夜、イモムシは新人柚子の枝で、なんか身体を縮めて動かなくなった。
 嫁曰く、「サナギになるのかもしれない」と云々。

 んで、↓ 本日、5月24日(金)、朝(7時頃)のイモムシ。


 糸で枝と繋がっており、サナギになる御様子。
 なんか、さっき朝のニュース見てたら、最近、金に続き銀が値上がりしてると云々。

 あっしにゃーかかーりあいの無ェコトでござんす。

 ワシにゃ、↓ こっちの方が、比較にならん程、価値がある。




 ニュース見た直後に、朝メシ中(7時頃)に嫁に撮ってもろた。
 バックは、猫渕さん長袖Tシャツ着たワシ。そのバックは、見にくいが三鱗手拭い二種。
5月7日(火)
 原稿、やっとこ完成
 夜8時過ぎに、出版社にメール添付で送信

5月10日(金)
 朝カル新宿教室の5月・6月分レジュメ、やっとこ完成。
 夜9時半に、担当さんにメール添付で送信。

5月11日(土)
 先輩の著書出版のコトで、先輩・出版社社長・ワシ(仲介役)で、会議。
 朝11時から汐入(横須賀)の駅前ビルに入ってるファミレス(ステーキ屋)に集合。
 八王子からだと、横浜戦で横浜に出て、京急に乗り換えて、早くて1時間40分くらい(帰りも同じ)。
 仕事の話は、あっさり終わり、後は寅さんやゴジラの話で盛り上がってた。

 この日、義理のオヤジさん(嫁の父)が、車の保険で前代未聞の珍事(嫁曰く「至愚之又至愚也」by『御堂関白記』)をやらかしてくれてたことが発覚(〝親爺の禍〟勃発)。

5月14日(火)
 午後1時~2時半で、新宿朝カル5月講座。
 終わってから、同じビルのコーヒー屋で、講座に来てくれた中世内乱研究会構成員(今月は2人)とくっちゃべったのは、例の如し。

 八王子に帰って、午後6時に駅ビルで仕事帰りの嫁と待ち合わせして、「ほけんの窓口」に行く。

5月15日(水)
 家からバス乗って、駅前に行き、午後6時に(以下、昨日に同じ)。

5月16日(木)
 嫁は今日も仕事帰り、午後6時に「ほけんの窓口」に行く。。

5月18日(土)
 嫁もワシも精神的にも肉体的にも疲労困憊なので、10時から近所の針灸院に行く。

 そして、午後2時に、今日も嫁と「ほけんの窓口」に行った。
 担当してくれた人が、ひじょーに 優秀で、本日契約完了。〝親爺の禍〟鎮圧。

5月19日(日)
 5時半起床で、嫁と金沢文庫へ(横浜で横浜線から京急に乗り換え)。
 9時に、金沢文庫駅改札前で中世内乱研究会構成員1名と待ち合わせて、神奈川県立金沢文庫に行き、小特集展示「金沢文庫の史料にみる中先代の乱」を見学。

 東神奈川で、横浜線快速に乗り換えたら、なんと 同じ車両に、岡山からやって来た内乱研構成員も乗って来た。

 八王子に帰って、夢庵に行き、4人で昼メシ。
 家に着いて、嫁はほぼトンボ帰りで、もう1人の構成員を迎えに、駅へ。
 嫁が構成員連れて帰るまで、残り3名は元弘3年(1333)2月21日付「護良親王令旨」(大山寺文書。原本写真コピー)を読んでた。

 午後2時から、中世内乱研究会5月例会。
 参加者:総裁・会長・構成員3名
 『吾妻鏡』寛喜2年(1230)6月14日条を途中まで読んだ(残りは来月)。

 休憩挟んで、5時半頃に終了。
 嫁は、構成員3人を駅まで車で送って行き、ワシャ、後片付け。

 嫁戻って、風呂入って、バタッ と寝た。


 つーわけで、原稿送った後も忙しいコト甚だしく、又、くたびれてしまい、今日まで、ブログ書けなかったのであった。 
 昨日、5月21日は、承久の乱の乱鎌倉方総大将、北条泰時が鎌倉を出陣(門出【かどで】)した日である。

 んで、今日、5月22日は、鎌倉幕府滅亡の日。

 112年間、イケイケだったンじゃから、5月21日は、鎌倉幕府にとって吉日と言えよう。
 浮上するか。

 やれ、やれ。やっと、一段落。
『T・Pぼん』

 5月2日(木)から、やってる。

 おもしろいから、見なさい。

 詳しくは、↓ ここね。

 https://www.netflix.com/jp/title/81497635

 言うまでもないが、藤子F不二雄のSF。

 わしゃ、コミック、全巻持っておる。

 つーことで、また潜行するのであった。