最近、疲れたなあと常に思考のBGMのように心底感じている自分に気づいた。
肉体的なもの以上に精神が本当に疲弊していることに気づいた。
呆然と歩いていて「このままでは生きていけない」と明確に認識した。
今までそれを自分の中では甘えだ怠けだと突っぱねて気を張ってきたけれど、
もうこの行動の延長線上に救いなんてないことをいい加減に認めなければ、
自分が壊れてしまうと本能で察知してしまった。
そもそも甘えって何?怠けって何?っていう事にも気づく。
人間ってみんな違って当たり前で人と比べても何も意味がないのに、
もっともっとと無い物を求め続けたって幸せなんかになれないのに。
そもそも幸せになるなんて認識がおかしいんだよね。
いまが幸せだと認識する事が最もの安楽なんだって思う。
例えいい事なくても悩みがあってもそれが今の自分だと受け入れることで、
やっと心が解放されて違う風が入ってくるのではないかなと思う。
どん底にいる時はそこで動きを止めて思考を停止させてしまうのが酷く恐ろしいが、
もがけばもがくほど溺れていくように苦しむことになる。
無論、それで幸運をつかむ事もあるしあったけれど、今は本当に疲れた。
とっくにガス欠してるのにアクセルばかりを踏んでいたような気分だ。
今になって思う事だが、人間って何かをするっていうハードルよりも、
何かを辞めるっていうハードルの方がずっとストレスがかかるし、
勇気がいることなのではないか?と思ったりする。
辞めることはやり始めるそとより遥か彼方に難しい。
そして、それと同様に嫌な事をやり続けることよりも、
好きなことだけをしていくということの方がよっぽど覚悟がいるってこと。
一見、何かを始めることの方が大変だし嫌な事を続ける方が忍耐いる事に思うし、
ぶっちゃけ世の中の風潮としてそれがまるで美しい事のように思われがちだけど、
結局その真意ってその方が世の中にとってお得だからなだけな気がするんだよね。
そりゃ辞められるよりやり始められた方が世の中は成長するし、
嫌な事をやり続けてくれる人が増えた方が世の中は円滑に進むわけで、
それを常識だとか美徳として捉えられれば誰も悪者にならなくて済むけれど、
たった一度きりの短い人生なのだから悪者になったって自分の人生が一番大切。
今、私に必要なのは何かをすることじゃなくて、辞めることなんだと思った。
世の中、みんなが出来て当たり前なんてことはない。
誰かが出来ても自分が出来ないなんてことこそが当たり前なんだと認識しないと。
気分が塞ぐ時、塞いでいいんだって認めないと。
歩き続けることよりも立ち止まる努力を覚えないと。
「このままでは生きていく自信がない」って心に正直にならないと、
本当に自分を立て直すための自分が疲れ果ててしまう。
まあ、それにしたって人より全然がんばってない生活には変わりないけれど、
それでいいじゃない。これくらい出来て当たり前なんて思考は無駄。
そもそも甘えたって怠けたって何が悪いの?
自分を守れる人は自分しかいないのに。
もう無駄な抵抗を辞めます。
前のブログを閉じた時にも書いたけど、
本当に私はいろんなことに抵抗して生きてきて疲れ果てたよ。
そんな事は前のブログを閉じた時から分かっていたはずなのに、
ついつい人生の癖でそれからも思いっきりいろんな事に抗ってきたなあ。
立ち止まるってただ単に何もしないって事じゃないんだよね。
ありのままを受け入れて心をそこに落ち着かせることなんだよね。
例え一人で部屋にこもっていたとしても、
そこに心の安静がなければ何も休んでないのとは同じなんだな。
考えることを辞める。言葉にすれば簡単だけど実際とても難しい。
今必要なものだけ、そしてその中から更に好きなことだけを選びとって、
自分のペースでダメでもともとで生きていく勇気、
それが今の自分には一番必要なこと。
抗って気張って生きてきたことで得た多数の成功体験が今は仇。
といっても、それを否定してるわけじゃないし、
今の自分を救っているのは紛れもなくその頃の自分の頑張りによるもの。
あの時の頑張りがなかったら今の幸福は何一つないから。
ただ、いずれどんな手法だって自分が変化する以上、絶対のものではなくなる。
当時それで成功が出来たのは当時それが出来たからに他ならないわけで、
出来なくなった今その手法をヤケになって繰り返したところで通用はしない。
何故なら“事態は変わった”のだから。
人間って変化にとても無意識のうちのストレスを感じる生き物だと思う。
だから、変化を受け入れる事に勇気がいるし抵抗がある。
だけど、変わらないものなんて絶対にないわけで、
まず事態が変わったという認識を受け入れること。
それでいいじゃない。
本当に今更だけど、もう20代で出来ていたことが30代では一切通用しなくなった。
20代の頃の自分の中の軸って受け入れないこと抗うこと気張ること。
それだけが幸せを掴む手段だったんだよね。
でも、もうそれは終わりだ。
今は受け入れること、倣らうこと、気を楽にすること。
それ抜きに自我の存続は不可能くらいの覚悟で今までの手法を捨てること。
今、私に必要なのは何かをすることではなく、何かを辞めること。
思考や生活にプラスをしていくことではなく、マイナスしていくこと。
やめること。
簡単なようで難しい。
しかし、本当に人生って好きなことだけをするぶんには短すぎる。
だからこそ、好きなことだけをしていく覚悟をもって、
これからあらゆることをやめていく。
思い返せば、これまで31年の人生、
開けなくていいはずの扉を自ら片っ端から開けてきたような人生だった。
けれど、全て開けざるを得ない扉だったとも思う。
開ける必要はなかったけれど開けざるを得なかった。
何故なら、間違いなくその扉の前にたどり着いてしまったから。
だから、開けなくてはならなかった。
それが“運命”っていうんだなあと今なら思う。
今だから思う。
さっき、20代は抗って気張ることが幸せを掴む手法って書いたけれど、
本当にその通りで20代以前の頃を取り返すように生きてきたって思う。
劣等感の塊で弱い自分も醜い自分も貧しさも何もかも嫌で全否定して、
本来ただただ弱くて醜くて貧しい自分に吸引されないただ一つの手段が、
そんな自分に抗って気張って生きていくことしかなかったんだな。
でも、それで本当に触れたかった幸福に今触れられているんだね。
あの時の全否定があったから今があるんだなって思う。
だから、もう抗わなくていいんだよ、気張らなくていいんだよ、ということ。
今の幸せに倣って気を楽にしよう。
もし例えいつかネガティヴな変化が来る時があったとしても、
それはそれでいいじゃない。
もちろんポジティブな変化を信じているし夢見ているけれど、
それだけが全てじゃないのだから。
私って大切な気に入ってる服を汚したくないあまりにあまり着られず、
着ないうちに自分が歳をとって似合わなくなりきれなくなる事が多々あったけれど、
今の状況はほんとそれ。
今まで自分の得たい幸せを得るために必死で抗って気張ってきたのに、
いざそれを手にしてもその幸せに身を任せず抗い続けているようなもので、
そんなことしているうちに人生あっという間に過ぎてしまう。
それなら、今謳歌しなければ。
今まで頑張ったから今がある。
それを受け入れて、これからの人生は自分の好きなことだけをしていく。
ということで長くなりましたが、
気張り続けてきた末の最後っ屁のようなこのブログも辞めます。
前のブログを辞めてからも散々ここで理屈を捏ねて喚いてきて約一年、
ある意味最後の力を振り絞った一年だったなと思う。
まあ、今となっては誰も読んでないけどね。
この一年の間、もっともたる変化が起こったのも、
あの時の私の気の迷いがあったからだと思うと人生って本当に一寸先は、だね。
これからは、今とこれからのことだけをありのままの自分で受け入れて、
日々落ち着いて暮らして生きたい。
もっと、でもなく、ずっと、でもなく、今を受け入れること。
それが今の私の一番したいこと。
なので、それではさようなら。
最後になりますが、ブログ移転のお知らせです。
http://blog.livedoor.jp/megamino2017/
アメブロ使いにくいンゴねえ。
これからはただの日々の他愛もない日記がてら、
のんびりスローライフなブログを自分のために書いていこうと思います。
それでは、またどこかで^_^
きっと大丈夫♡神のご加護がございます♡