農産物は人間や家畜が食べるのか,あるいは自動車を走らせるのか.この「食料か燃料か」の争いが世界的に熾烈になってきた.日本でも遅ればせながら,環境省と経済産業省が,国内で使用されるすべての自動車用ガソリンを,2030年までにエタノールを10%混合した「E10ガソリン」に切り替える方針を決めた.砂糖キビやトウモロコシなどの植物を発酵させてつくったアルコールは,バイオエタノールと呼ばれる.
 計画では,第1段階として3%のバイオエタノールを混ぜた「E3」を,ガソリン需要の半分程度まで普及させ,2030年には最終的に全量をE10に切り替える.現在販売されている新車はE3に対応できるようになっており,E10対応についても環境面や安全面の問題は,自動車メーカーがすでに解決済みという.砂糖キビの産地,沖縄・宮古島では昨年10月からE3の実験がはじまり,県と市の公用車の約100台に使われている.ただ,競合する石油業界はその普及に抵抗している.
 植物やその製品を燃やして放出される二酸化炭素は,京都議定書では温室効果ガスとはみなされない.計画通り普及すれば,2030年には1000万トンの二酸化炭素の排出が削減できる計算だ.原油価格は史上最高の高値を更新しており,石油消費と二酸化炭素排出量を同時に削減できるバイオエタノールは,一石二鳥という呼び声も高い.果たしてそんなにおいしい話なのだろうか.


 小麦,トウモロコシ,米,大豆,砂糖キビなど,私たちが食べる農作物はほとんどすべてを燃料に変換できる.また,菜種油など植物性の食用油はディーゼル燃料となり,こちらはバイオディーゼルとよばれている.
 世界のエタノール生産量は,1975年は55万6000kℓだったのが,2005年には4487万kℓと80倍にもなった.とくに,最近の10年間は年率6%近い高い伸びを示している.エタノール生産は,それぞれ穀物と砂糖の世界の最大の輸出国である米国とブラジルが抜きん出ている.2005年の生産量はトップの米国が1620万kℓ,次いでブラジルの1600万kℓ,中国の380万kℓ,EUの230万kℓとつづく.日本は11万kℓしかない.
 アジアでは中国とインドが熱心だ.2005年に,中国は約200万トンの穀物をエタノールへ転換した.原料はトウモロコシだが,一部米や小麦も含まれている.インドでは砂糖キビ,タイではキャッサバが原料になっている.
 世界の砂糖キビ生産のほぼ10%が,バイオエタノールの原料に回されている計算だ.ブラジルだけをとると,この数字が50%にもなる.ブラジルは,1973年の石油危機の後に世界ではじめて大規模に導入した.順調に消費が伸びたものの,1990年代は石油価格の低迷で伸び悩んでいた.しかし,2000年以降の石油の高騰とともに消費も急上昇している.


 穀物がどう自動車に食べられているのか.バイオエタノールの利用が進んでいる米国にみてみよう.米国農務省は,2006年は前年比で全世界の穀物生産量が約2000万トンの増収になると見込んでいる.だが,このうちの1400万トンは,アルコール発酵に回される.家畜飼料を含めて人間の胃袋に回されるのはわずか600万トンしかない.
 自動車は人間よりも大食いだ.SUV(スポーツ汎用車)の25ガロン(約98ℓ)入り燃料タンクをバイオエタノールだけで満たすとしたら,1人が1年間に食べる穀物が必要だ.2週間毎に満タンにすれば,1年間に26人分の食事に相当する.米国ではすでにエタノールを85%含む「E85」が販売されており,絵空事ではない.
 バイオエタノールは投資家にとっても魅力的で,バブル状態になっている.暴騰をつづける石油価格によってバイオエタノールへの投資が急増して,米国では毎日のようにエタノール蒸留工場の計画が発表される.トウモロコシの大産地であるアイオワ州では,55の工場が稼働中あるいは建設中だ.これらがフル操業をはじめたら,同州のトウモロコシ生産量をすべてエタノール原料に回しても追いつかなくなる.やはりトウモロコシの大生産地であるサウスダコタ州では,すでにトウモロコシ収穫量の半分以上がエタノール原料に回されている.


 一方,ディーゼル車が普及しているヨーロッパでは,バイオディーゼルの利用が盛んだ.世界のバイオディーゼルの生産量は,1991年にはわずか1万1000kℓにすぎなかったのが,2005年には376万kℓと340倍にも増えた.トップはドイツの192万kℓ,次いでフランスの55万7000kℓ,米国の28万4000kℓである.
 このために菜種油の価格が高騰して,同じ原料を使っているマーガリン,マヨネーズ業界は頭を抱えている.この4~6月だけでも,日本の菜種油の卸値は7%も上昇した.世界の菜種油生産量は,昨年は約4800万トンあったが,その半分はバイオディーゼルに回されたとみられる.2010年には欧州のバイオディーゼル需要のために,4400万トンもの菜種油が必要になると予測されている.欧州では食用油の高騰に悲鳴をあげたマーガリン業界が,欧州議会に救済を要請したほどだ.
 ヤシ油の世界1位,2位の生産国であるマレーシアとインドネシアは,ヤシ油からバイオディーゼルを生産し,マレーシアは昨年1年間だけで32のヤシ油精製工場の建設が承認された.しかしその後はヤシ油の品不足が心配されて,工場新設は凍結された.


 最近の数カ月,小麦とトウモロコシ価格は2割も上昇,世界で6億2000万人の裕福な乗用車所有者と8億5000万人の飢えた貧しい人々の間で,食料奪い合いの様相を呈してきた.米国で年間にエタノールにされるトウモロコシだけで,世界の1億人が食べるのに十分な量だ.
 昨年の世界の穀物生産量は34年ぶりの低水準にあり,毎年あらたに7600万人が増える世界人口の増加も考えねばならない.米国は世界のトウモロコシ輸出の半分を占めており,米国にトウモロコシを依存している国にとっても輸入がむずかしくなる.とくに日本は世界最大のトウモロコシの輸入国であり,その95%までを米国に依存している.世界人口の約20億人は,収入の半分以上を食べ物に費やすほど貧しい生活を強いられている.穀物価格の上昇は彼らを直撃し,飢餓が広がれば社会や政治の不安定化にもつながる.
 「食料か燃料か」と問われれば,食料に軍配を上げざるを得ないだろう.ガソリンにバイオエタノールを3%混ぜる「E3」は,価格的に自動車の燃費を20%上げるのと同じ価値があるという.それならば,自動車の小型化や低燃費化をうながす政策の強化,代替エネルギー開発と電気自動車の普及といったものの方が急務だ.いまや投機の対象となったバイオ燃料を市場原理にまかせておけば,エネルギー危機はいずれ食料危機に姿を変えるだろう.
 しかも,砂糖キビやトウモロコシ畑がどんどん侵入しているブラジルのセラード(中央高原)やアマゾン,さらには東南アジアの熱帯林に急速に広がる油ヤシのプランテーションは,深刻な自然破壊を引き起こしている.バイオ燃料のバブルは,さらに破壊を広げることになるだろう.

 定年になった友人が、相談にきた。引退後は社会の役に立ちたいので、どこかNGOを紹介してくれないか、という。彼はゼネコンに入社して、アジア各地を転々としながらさまざまな開発プロジェクトを手がけてきた。熱帯の太陽とゴルフで焼き上げた黒光りのする精悍(せいかん)な顔つきは、昔より迫力がある。確かにまだまだ第一線で働けそうだ。
 「現場で貧しい人々の生活をみてきたので、小学校の校舎を建てるような援助団体を手伝いたい」というのが希望だった。心あたりのある2、3の組織を紹介した。しかし、ちょっと不安をおぼえる部分もあった。私の世代の例にもれず、彼も「オレについてこい」というモーレツ人間である。果して、若い人が中心の支援団体でうまくやっていけるだろうか。
 彼は、アジアの国で教育や地域開発の支援をしているNGOで、勇んで働きはじめた。しばらくして会ったら、「いまの若いものも捨てたものではないぞ。思ったよりもしっかりしている」と、ご機嫌だった。「きもい(=気持ち悪い)」「はずい(=恥ずかしい)」「あぶい(=危ない)」といった、若者言語を得意気に使いこなしてみせた。
 2ヵ月もたっただろうか。そのNGOの代表が訪ねてきた。「実は、ご紹介いただいた方の件ですが、メンバーから苦情がいろいろ出まして」といいにくそうに切り出した。独断専横が目に余るらしい。何かにつけて、「こう見えても、オレだって昔は・・・・・・」と自慢話が止まらない。最近は「こう見えても」と切り出したとたんに、皆逃げ出すようになりました、という。
 間もなく、本人がやってきた。「せっかく紹介してもらって悪いが、もう辞めた」と機嫌が悪い。ことばづかいもしつけもなっていない若い女性のメンバーがアタマにきた。ついつい「親の顔が見たい」と叱ったら、本当に若い母親がやってきて「うちの子が何か悪いことをしましたか」といわれたらしい。
 何か別な活動はないか、というので、69歳まで働ける国際協力機構(JICA)のシニア海外ボランティアへの応募を勧めた。


 さる新聞社の調査によると、団塊世代の約5割は60歳以後も働きつづけたいと思っており、退職後に地域のボランティア活動に参加したいと考えている人は6割以上いるという。その調査は「団塊パワーがボランティア活動の団体にとって、貴重な新戦力になることは間違いない」と締めくくっている。
 埼玉県が県民に行ったアンケート調査では、「団塊世代が地域・社会活動に参加してほしい」と答えたのは約55%。「どちらかといえば参加してほしい」と合わせると93%を占めている。活動の対象は、「福祉」と「青少年育成」が4割を超えてもっとも多い。
 引退パワーがこの高い期待感に応えて「新戦力」となるどうかは、にわかに判断しがたい。先の私の友人ではないが、いろいろと摩擦も聞こえてくる。会社や組織に人生を捧げて、「タテ関係」の生活を送ってきた人が、年齢性別学歴を越えた「ヨコ関係」の市民グループに飛び込んでも、適応障害を起こす人が少なくない。
 引退を控えて今後の人生設計として「地域・社会活動」を考えている人も多いだろう。余計なお節介だが、このあたりをよく見極めてからにした方がよさそうだ。

 都市問題に取り組む国連人間居住計画(ハビタット)が6月に公表した「世界都市白書」によると、世界中のスラムに住む人口は10億人を超えた。このまま住宅や生活が改善されない限り、毎年2700万人ずつ増えつづけて2020年までに14億人まで膨らむことが予想される。つまり、世界の都市人口の3人に1人がスラム住民という事態になる。
 スラムの爆発地点は、サハラ以南アフリカ(以下、アフリカと表記)、南アジア、そして西アジアである。都市人口に占めるスラム人口の割合は2005年時点で、アフリカ71.8%、南アジア57.4%、西アジア25.5%だ。スラムの人口増加率は、アフリカ4.53%(都市全体では4.58%)、南アジア2.20%(同2.89%)、西アジア2.71%(同2.96%)である。アフリカでは20年たらずで倍増することになる。
 Slumという言葉は、19世紀にロンドンで使われるようになったという。職を求めて農村から都会にでてきた労働者が集まった貧困地域のことだった。100年余にして、スラムはこれほどまで広がってしまった。
 今後、20年間に増える世界人口の95%は途上国の都市に吸収される見通しだ。人口の集中で機能を失っている途上国の都市の多くは、さらに混乱をきわめることになる。すでに、世界の都市人口の約半分が50万人以下の都市に住み、2割が100万~500万人の都市に住んでいる。新たに都市に流入する人口の大部分は、100万人以下の比較的小さな都市に集中するとみられる。
 白書は「多くのスラムは、もはや都市の一部地域の貧困地帯ではなく、巨大な部分になりつつある」と指摘している。これまでスラムを抱えた政府や自治体は「スラムは一時的な貧困者の居住地域で、開発と所得の向上で消滅に向かう」と信じてきた。だが、サハラ以南アフリカやアジア、中南米の多くの都市では、スラムは消滅するどころか増殖をつづけている。


 この背後には、都市人口の急膨張がある。国連人口統計によると、1950年当時、世界人口のうち都市の居住者は約30%に過ぎなかった。それが、2007年には50%を超える見通しだ。史上はじめて人類の半数が都市に住むことを意味する。先進国はすでに75%の人口が都市住民だ。途上国は1950年には都市に住んでいたのは18%に過ぎなかったのが、現在では43%を超えた。この都市の膨張部分の大半がスラムの人口増加である。
 都市の膨張は農村の疲弊の裏返しでもある。人口増加や自然環境の悪化で食糧生産が落ちて食べられなくなり、現金収入を求めて都市へ殺到する。といって、手に職があるわけではなく言葉が通じない場合も多い。勢い、同郷者を頼ってスラムに転がり込む。また、スラムの人口増加率は一般的に高い。この理由として10代の若者の結婚率が高いことがある。たとえば、ウガンダの例ではスラムに住んでいる34%の若者が家庭をもっており、非スラム地域の5%に比べてはるかに高い。
 ほとんどの場合、スラムには家族が安心して住める住宅もスペースもなく、電気や安全な水もトイレもない。アフリカでは17%、南アジアでは39%のスラム住民が、小さな部屋に4人以上が住む過密状態だ。これが栄養不足とあいまって、エイズ、コレラ、結核など多くの感染症の温床にもなり、寿命は非スラム民と比べてはるかに短い。就職率や就学率は極端に低く、栄養不足や家庭内暴力や犯罪が蔓延している。つまり、スラム民が貧困のワナから容易に抜け出られないことを意味している。


 途上国では、一般的に都市居住者は栄養条件も医療施設へのアクセスもよく、農村の居住者よりも裕福で健康と信じられてきた。都市は経済成長と文化的創造の中心であり、人類発展の拠点にもなってきた。しかし同じ都市居住者でも、スラムの生活の質は貧しい農村と変わらない。
 スラムと農村とでは、健康、教育、就労率、死亡率はほとんど同じだ。バングラデシュ、エチオピア、ハイチ、インドの調査では、スラムの栄養不良率は農村地帯とほぼ同程度である。多くのサハラ以南アフリカの都市では、スラムに住んでいる子どもたちは、農村よりも水に起因する病気や呼吸器感染で死ぬ率が高い。
 エチオピアの例では、子どもの栄養不良の率は、スラムでは47%、農村では49%に対して、都市の非スラム地域では27%にすぎなかった。ブラジルとコートジボワールの調査では、子どもの栄養不良率は、スラムの方が農村より3~4倍も高かった。エイズが流行しているアフリカでは、スラム住民の感染率がとくに高く、ケニヤ、タンザニア、ザンビアのスラムでは農村の2倍もあった。
 むろんすべてのスラムが同じというわけではない。最悪のスラムはアフリカである。安全な水、衛生設備、適切な家屋のうち、アフリカではスラム人口の51%がこのうちの2つ以上が不足している。これに、南アジアと中南米がつづき、スラム住民の3分の1は過密な粗末な住宅に住むか、水と衛生設備が欠如している。一方で、東南アジアと北アフリカのスラムでは、最低条件で生活しているスラム民は、それぞれ26%と11%でかなり低い。


 スラムの環境改善に積極的に取り組む国もある。とくに、エジプト、チュニジア、タイでは、過去15年間、スラム対策に多額な投資をして住民の生活条件が改善されるとともに、スラム人口を減らすのに成功している。また、ブラジル、コロンビア、フィリピン、インドネシア、南アフリカ、スリランカなどの途上国でも、経済成長の恩恵がスラムにまで及んで貧困層の雇用が伸び、スラム人口の押さえ込みに成功している。
 こうした国々では、スラムを取り壊してから住民を立ち退かせるのではなく、スラムから代表者が選挙に立候補するなど積極的に政治に参画することによって、スラム改善の糸口をつかむことに成功した。
 だが、失敗例もある。人口1830万人のインドのムンバイ(旧ボンベイ)は、世界で4番目に大きな都市だ。同時に500万人を超えるスラム民を抱える最大のスラム都市でもある。このスラムだけでノルウェーの人口を上回る。一方で、映画産業や金融の中心でもあり、全国の税収の4割はこの都市から上がっている。
 この「スラム都市」の汚名を返上するために、2004年に上海なみの「世界水準都市」をめざす国家プロジェクトが、80億ドル(約9200億円)の予算ではじまった。スラム地区における公営住宅、地下鉄、幹線道路などの野心的なものだった。だが、急ぐあまり9万戸の家を取り壊してスラム民の反発を買い、ついに強制的な再開発計画を昨年中止せざるをえなくなった。
 ハビタットの事務局長アンナ・ティアバイジュカさんは「これまで都市は理想の生活の場と考える人も多かったが、いまや1つの都市の中に2つの都市がある。その日の生活もままならない極貧層のスラム街と豊かな都市生活を享受している富裕層の住宅街と。世界の矛盾が集約されたスラムの解決こそが人類の責務だ」と語っている。


(岩波書店「科学」に連載のコラム「地球・環境・人間」からの転載です。)

 釧路動物園で飼われているタンチョウのマリに会った。彼女は三十一歳。人間では九十歳に手が届こうという高齢者だ。だが、最近「老人性認知症」が進んできてすっかり元気をなくし、ショボンとしている日が多くなった。動物園の主幹、井上雅子さんによると、タマゴを産んだのを忘れてまた別のところに産んで、一緒に住んでいるオスがどっちを世話してよいか、困ってウロウロしているという。老眼鏡を置き忘れて探し回る身には、他人事ではなない。
 むかし、アフリカのタンガニーカ湖畔で、野生のチンパンジーの群れを追っていたことがある。チンパンジーも年をとると、白髪が増えてきてヨダレをたらしながらボーっとしている。周囲に気がねすることもなく、大きなオナラをぶっ放す老害もいる。そのうちに、仲間からいじめられたり、群れから離れたりして孤独な死を迎えるようだ。野生動物の世界では、子孫を残す能力がなくなれば消え去るしかない。これも身につまされる。


 友人の同族会社の社長が、あるとき真剣な面持ちでこう切り出した。「親友と思って頼みがある。認知症が進んでいるのに社長の椅子にしがみついて、会社をめちゃくちゃにしてしまった老害を何人も見てきた。もしもボクにその兆候がでたら、はっきりと忠告してくれよ」
 そのうちに、社長はおかしな行動が目だってきた。後継者としてかわいがってきた娘婿をわけもなくクビにしたり、行きつけの飲み屋の女将を役員に迎えようとしたり。どうみても、彼が心配していた症状だった。家族に頼まれて、約束どおり彼に「引導」をわたすことになった。
 最近の彼の行動を説明し、「そろそろ引退の潮どきだよ」といったとたんに、彼は烈火のごとく怒り出した。「オレを老害扱いする気か。お前なんか友だちとは思わん。絶交だ」と、私のほうが引導をわたされた。それ以来まったく付き合いがない。
 加齢現象は、生物としての避けがたい宿命である。だが、宿命を直視してすなおに認めるのはむずかしい。私自身まだ大丈夫のつもりでいるが、くだんの社長のごとく、おかしな行動をとっているのかもしれない。そう思うと空恐ろしくなる。


 人口比で六十五歳以上が一四%になると「高齢化社会」、二一%を超えると「超高齢化社会」と定義される。日本は近く超高齢化社会に入り、二〇三〇年には六十五歳以上が三〇%、二〇五〇年には三六%に達すると政府は予測する。かく申す私も超高齢者のひとり。私のようなのがウジャウジャいる社会は、あまり想像したくない。
 日本は、人口史上例をみない高齢化社会を突っ走っている。人口に占める六十五歳以上の人口が、七%から一四%に増える年数を「高齢化速度」という。フランスは百十五年、比較的短いドイツでも四十年かかったのが、日本はわずか二十五年でやってのけた。
 現在、痴呆症の人は全国で約百五十万人とされ、六十五歳以上の十三人に一人が該当するそうだ。三十年後には三百万人に倍増するという。「ピンピンコロリ」(略してPPK)が、世のご老体の願いという。元気にピンシャンと生きて最後はポックリ成仏する。ぜひ、そうありたいものだ。


(北海道新聞の連載コラム「老い老い」からの転載です)

進行する温暖化


 18世紀半ばに英国ではじまった産業革命以後、化石燃料の大量消費がはじまり、その燃焼によって合計2700億トンの二酸化炭素(CO2)が大気中に排出された、と推定される。このうちの半分は、1970年以降に排出されたものだ。だが、この総排出量に占めるアフリカの割合は1%に遠くおよばない。
 大気中の二酸化炭素濃度は現在も刻々と上昇しており、世界平均で370ppmを超えて産業革命以前に比べて33%も上昇した。最近、異常気象や自然界の異変が多発しており、地球温暖化の影響ではないかとする不安も広がっている。
 アフリカの化石燃料起源の二酸化炭素の排出量は年間2億2300万トン(1998年)で、1950年から8倍に増えた。とはいえ、アフリカ53ヵ国の排出量を合わせても世界のわずか3.5%にすぎず、米国、中国、ロシア、日本、インドの一国よりも少ない。1人あたりの排出量も同じ時期に3倍に増えたが、これもわずか0.3トンで、米国の70分の1、日本の30分の1にすぎない。他の温室効果ガスの排出量にいたってはほとんど問題にもならない低い数字だ。
 アフリカの排出量は、南アフリカ共和国(南ア)が42.0%、エジプトが35.5%を占めており、残りの51ヵ国で、22.5%を占めるのにすぎない。だが、この最大の排出国の南アでも、世界の総排出量の2%を占めるのにすぎない。


異変がはじまった


 このように、アフリカの二酸化炭素の排出量は小さいが、皮肉なことに温暖化が進めば、世界でももっとも地球温暖化の影響が顕著に現れるとみられており、大きな被害がでる可能性が高い。地球環境の悪化の被害は弱者に集中する、という典型的な例であろう。異常気象や自然の異変の頻度が世界的に増しているなかで、南極や欧州アルプスなどの氷河や氷床の後退が各地で目立っている。アフリカも例外ではない。
 なかでも世界の注目を集めているのが、アフリカ最高峰キリマンジャロ山頂(5895メートル)の氷河である。タンザニア北部のケニア国境近くにそびえ立ち、赤道直下でありながら白く輝く雪冠は、いつの時代にあっても地元民の畏敬の対象であり、多くの観光客を引きつけてきた。また、この麓で栽培されているコーヒーは世界的に人気がある。
 ヘミングウェーは『キリマンジャロの雪』の最終部分で、こう描いている。
 「前方の視界いっぱいに、さながら全世界のように広く、大きく、高々と、信じがたいほど真っ白に陽光に輝いて、キリマンジャロの四角い頂上がそびえていた」(高見浩訳『ヘミングウェー全短編2』より)。


 この山頂氷河は約1万1000年前の湿潤期に形成されたが、近年は急速に後退をつづけている。氷河の観測記録は1912年まで遡れるが、70年代にはいって空中写真や衛星写真なども含めてひんぱんに観測されるようになった。
 それらの記録からみると、氷河の縮小面積は1912~53年に45%、53~76年に21%、76~2000年に12%。この88年間に8割近くも縮小したことになる。米国オハイオ州立大のロニー・トンプソン教授らの2000年2月の調査では、氷河の面積は2.2平方キロしかなかった。2005年3月には、気候変動取り組む英国のNGOが、さらに雪冠が縮小して、見る角度によってほとんど見えなくなっていると報告した。
 とくに、山頂の平坦な場所ではなく、周辺の傾斜の強い場所から雪が消えている。私が70年代半ばに、ふもとからはじめて山頂を眺めたときには、まさに『キリマンジャロの雪』の世界だったが、最近はかすかにしか見えなくなった。
 トンプソン教授によると、失われる氷河は毎月300立方メートルにおよび、このままの速度で融けつづければ、2020年までには消失してしまうという。「キリマンジャロ」とは現地のスワヒリ語で「きらめく山」を意味する。この予測通りなら、きらめきを失うのはもはや時間の問題である。この一帯では、1800種の顕花植物と35種の哺乳動物が知られているが、それも大きな影響を受けそうだ。


 さらに過去100年の間に、キリマンジャロに次ぐ高峰のケニア山(5199メートル)の山頂付近のティンダル氷河も92%縮小したとみられる。1997年にこの氷河の融けた部分から、保存のよいヒョウとコロブス(サルの一種)の死体が発見された。
 京大の水野一晴助教授らの調査では、約900年前の温暖期に死に、その後の寒冷期に氷漬けになっていたものと考えられた。同助教授によると、氷河の後退速度は、1958~97年は年平均約3メートルだったのが、1997~2002年は平均約10メートルと3倍以上に加速している。死体は氷河の後退によって氷の下から現れたのだ。
 これらの山以外にも、アフリカ3番目の高峰でウガンダとコンゴ民主共和国(旧ザイール)国境にそびえるルウェンゾリ山(5110メートル)山頂の氷河も、1990年代以後75%も縮小し、20年後には消失する可能性が高い。
 氷河の雪融け水は多くの川の水源になり、山麓で泉となって湧き出て周辺の村を潤してきたが、その縮小とともに川が涸れはじめた。また、キリマンジャロ山はタンザニア観光の目玉であり、日本人も含めて毎年、約2万人がキリマンジャロ山を目当てに世界中からやってくる。政府は氷河の消失が観光産業に打撃を与えるのは、と心配している。


 この原因は、地球規模の温暖化傾向にあるとする見方が強い。ただし、キリマンジャロ山頂の平均気温は過去100年で0.5度前後の上昇と推定され、地球全体の昇温とほぼ変わらない。1万1000~4000年前の温暖期に山頂氷河ができたが、降水量はこの時点から半減したとみられ、乾燥化による降水量の減少が氷河の縮小をもたらしたとみる専門家もいる。
 一方、米国航空宇宙局(NASA)ゴダード研究所のジェームズ・ハンセンらは、温暖化の原因は、二酸化炭素の増加だけでなく、産業活動に伴う燃焼によってできた黒い煤が大気中に滞留し、また地上に降り注いで太陽光を吸収して、地表近くの気温上昇を招いているという説を唱えている。アフリカでは焼き畑や山火事によって煤が発生するので、その説にも一理ありそうだ。


(森林文化協会刊「グリーンパワー5月号」から抜粋)

 私は赤ちゃんコンクール全国優勝、という輝かしい人生のスタートを切った。戦前のことである。残念ながら、そのまま「デブ」という形容詞つきで育った。戦争直後の食糧難の時代には、栄養十分のデブは羨望の的でもあった。だが、日本が豊かになるにつれて、一転して「肥満症」という病人扱いになった。
 そして、ついに「メタボリック症候群」なるオソロシゲな病名が登場した。こうなると、気分は重病人だ。ウエストが男性で85センチ以上、女性で90センチ以上、「高脂血症」「高血圧」「高血糖」の3つのうち、2つ以上に該当する人だそうだ。40~74歳の男性の2人に1人、女性の5人に1人がメタボかその予備軍だという。この3つに「肥満」を加えて、「死の四重奏」というそうだ。私のからだのなかでは、いつも「二重奏」か「三重奏」が奏でられている。
 だいたい、年をとれば体重が増えるのはあたり前である。統計的には、50歳を超えると20歳ごろから5~10キロは太るという。ことしのサラリーマン川柳入選作に「たまったなぁ、お金じゃなくて体脂肪」(作者・サラ川小町)というのがあった。
 フィギュアスケートの国際試合をみてごらんなさい。選手とコーチが並んで採点を待っている姿は、まさにこの生きた見本だ。あの妖精のような女子選手が、いずれは隣に座っているオバサンかオジサンみたいになるのかと思うと、「時間」という悪魔を呪わずにはいられない。
 世の中には、悪魔に敢然と戦いを挑んでいる勇敢な人が多いようだ。テレビのスイッチを入れても雑誌を開いても、いまやダイエットのサプリメントや、やせるための器具の宣伝が洪水のごとくあふれている。きっと、お宅の押入れのなかにも、「これぞ、決定版」という折り紙つきの減量器具が鎮座していることだろう。
 国税庁が毎年公表する高額納税者上位には、ダイエット食品や健康食品の販売会社、化粧品の会社、体を引き締める「補正下着」の会社、美容整形医院などの経営者がずらりと並ぶ。他人をやせさせて、自分のふところは太る仕組みのようだ。
 ある世論調査によると、「自分は太っている」と答えた男性は、50代で63%もあった。その75%が「ダイエットに関心がある」と答えている。でも、ダイエットの結果は、61%が「失敗した」。まあ、こんなもんでしょう。
 この「肥満脅迫症」が、子どもの間にまで感染しているのは困る。ある研究者が小学4~6年生を対象に行った調査によると、女子の5割が「私は太っている」と感じ、7割が「今よりやせたい」と考えていて、4割がダイエットの経験があるという。女子中高生の調査では、約20人に1人がダイエットをきっかけに「拒食症」になったという。
 欧米のファッション業界は、細い体型のモデルが世の女性のスリム願望をかき立て、拒食症の原因になっていると槍玉にあがった。マドリッドのショーでは、ついに基準以下の体脂肪率のモデルの出演が禁止されたという。日本でもお相撲さんに体重制限を設けるべきだ。相撲番組にかじりついているうちに、太ってしまうかもしれない。


(北海道新聞の連載エッセイ「老い老い」からの再録です)

 世界25カ国が参加する「インド洋・東南アジア地域ウミガメ協定」(IOSEA)は、2006年3月1日からの1年間を「国際ウミガメ年」として、ウミガメの保護の国際キャンペーンを展開すると発表した。この協定はウミガメの保護とその個体数の回復、インド洋と東南アジア地域の生息地の保全を目的としている。日本は加盟していない。
 世界野生生物基金(WWF)ではこの「国際ウミガメ年」に協力して、保護区の設立(インドネシア)、産卵地の保護(ケニア)、人工衛星による追跡調査(ベトナム)、混獲防止のための改良漁網の導入(フィリピン)、国家保護計画の策定(マダガスカル=スイスとフランスが支援)などを計画している。
 現在、地球上に生息するウミガメは7種。IUCN(国際自然保護連合)の「レッドリスト」では、このうち個体数の減少の激しいオサガメ、タイマイ、ケンプヒメウミガメの3種が「絶滅寸前種」(絶滅危惧ⅠA類)、さらにアオウミガメ、アカウミガメ、ヒメウミガメの3種が「絶滅危機種」(絶滅危惧ⅠB類)に指定されている。7種とも絶滅に瀕する動植物の商業取引を禁じたワシントン条約(CITES)の附属書Iに絶滅危惧種として登録されている。
 ウミガメの行動範囲や生息域は、海に生息する爬虫類のなかではもっとも広範囲におよび、その生態はよくわかっていない。しかし、近年の人工衛星による追跡調査などから、その成長に応じてさまざまな国の海域を回遊することが明らかになって、ウミガメの保護には国際協力が欠かせなくなった。


 この約200年間、ウミガメは乱獲されつづけてきた。ウミガメの肉はスープやステーキとして珍重され、卵は栄養価の高いことから強壮剤として人気が高い。甲羅は装飾品や眼鏡のフレームにされた。こうした消費に加えて、産卵地の砂浜の破壊などによって、その数は急激に減ってきた。とくに、魚を捕るために仕掛けた漁網や釣り針にかかって混獲の犠牲になるウミガメの数は、世界で毎年数万頭にもなると推定される。
 このため、国連食糧農業機関(FAO)の水産委員会は今年3月、「混獲」を減らすために各国が取るべき対策を定めた初の国際指針案を採択した。そのなかで、えさの種類や針の形、針を投入する深さなどを工夫して混獲を減らす手法や漁網の改良といった技術的対策を示して、各国政府に取り組みを強化するよう求めている。日本政府もマグロはえ縄漁船に混獲の少ない釣り針を使うよう指導するとともに、東南アジアや中南米の各国に対する技術支援と資金協力を強化する方針だ。
 国際自然保護連合(IUCN)の専門委員会は2006年4月、危機的な生息状況にあるウミガメのリスト(産卵上陸地別)を公表した。なかでも、もっとも絶滅が心配されているのは太平洋に生息するオサガメだ。中南米や東南アジアでは、過去20年足らずのうちに個体数が1割以下に減った。マレーシアでは、1960年代にはオサガメの産卵が5000ヵ所であったが、最近は10ヵ所以下になった。日本関連では、本州以南が主産卵地である太平洋産アカウミガメが、危機リストの4番目に入った。日本とオーストラリアでは、産卵のために上陸する数が過去25年間で1割以下に激減したという。同委員会は、減少の理由として、乱獲や混獲、産卵地の破壊や海洋汚染を挙げているが、地球温暖化も「異常気象などで産卵地や生息域に影響を与える恐れがある」と指摘している。


 また自然災害による犠牲もある。IOSEAの調査によると、インド洋大津波はウミガメにも大きな影響を与えた。インド洋沿岸では、津波によって産卵したウミガメの卵が砂浜ごと洗い流され、また砂浜が漂流物で埋まって産卵できなくなった。上陸前にウミガメが栄養をとるサンゴ礁が破壊され、海底も汚染されてウミガメが被災地域には近づかなくなった。
 スリランカの海岸には、アカウミガメやオサガメなど5種類が産卵に上陸する。これをみるために多くの観光客がやってきたが、津波によって激減してしまった。それまで、観光客の案内で収入を得ていた漁民は、生活のためにウミガメの肉や卵を売るようになって、大量のウミガメが殺されているという。
 一方、タイでは津波の復興支援計画によって、被災した漁民に漁船、魚網などの漁具が無償で配布され、津波被災以前よりも大量の漁具が出回っている。漁民は津波の被害を取り戻すために、少しでも収入を増やそうと無理な漁業をし、その巻き添えになって多数のウミガメが混獲され、一部は肉として市場に出回っている。


 日本では5種のウミガメがみられる。このうち産卵が見られるのはアカウミガメ(福島県から沖縄県)、アオウミガメ(小笠原諸島や南西諸島)、タイマイ(沖縄県)の3種。オサガメとヒメウミガメは産卵しないが、沿岸を回遊して魚網にかかったり、海岸に漂着することがある。
 環境省のウミガメに関する全国調査によると、産卵のため上陸したウミガメが、太平洋側を中心に22都府県475か所の砂浜で確認されたものの、10年以上つづけて確認されている砂浜120か所のうち47か所で上陸数が減っている。
 アカウミガメの国内最大の産卵地である屋久島北西部の田舎浜などで、NPO法人屋久島うみがめ館が、1985年からウミガメの産卵を記録している。産卵のため上陸するアカウミガメ数が全国の3割強を占めていることがわかり、昨年11月、国際的に重要な湿地を保全するラムサール条約に登録された。
 同館によると、2005年に田舎浜で産卵したアカウミガメの産卵回数は、前年より12%減の1879回だった。同条約登録もあって、アカウミガメ産卵・ふ化シーズン(4月末-8月)には1万人を超える見学者が集中するようになった。同館は「見学する観光客の増加が産卵行動に影響を及ぼしており、ウミガメと観光客の共存方法を考えるべきだ」としている。
 夜間上陸して産卵するウミガメを観光客がライトで照らして見物するために、神経質になって産卵回数が減る現象は、福岡県福津市の恋ノ浦海岸など各地で確認されている。また、駐車場を出入りする車のライトも影響を与えているという。
 昨年5月から9月にかけて、神奈川県の鎌倉から茅ヶ崎を中心に、60頭ちかくの死んだウミガメが漂着した。腐敗していて死因の判らないものがほとんどだった。なかには、はえ縄の針が食道に刺さったものもあった。
 一方で、明るいニュースもある。愛知県豊橋市は今年3月、同市の表浜海岸の砂浜に設置した消波ブロックが、アカウミガメの上陸や産卵を妨げていると指摘されていることから、一部を撤去することを決めた。ブロックは海岸の浸食防止を目的に1960-80年代、国の補助事業として設置された。環境に配慮して消波ブロックを撤去するのはきわめて珍しい。


(岩波書店刊『科学』連載の「地球・環境・人間」から転載)

(記事中、「流し網」とあったのは、「はえ縄」の間違いです。訂正します)

 雪がしんしんと降ってくると、ある友人夫妻を思い出す。大手メーカーのモーレツ社員だった。定年を迎えたときに、かねてから夫人と計画を練っていた東北の山里へ移住した。
 山並みに抱かれ小川が流れる田園地帯に、夢に見ていたログハウスを建てた。自給自足を目指して有機栽培や養鶏もはじめた。私が訪ねたときには、「田舎暮らし」のすばらしさを自慢げに語り、都会にしがみついている人間がいかにバカかと、お説教までちょうだいした。
 だが、自然は甘くはなかった。「有機農園」は雑草との熾烈な戦いになった。育ってくると、今度は虫や野鳥の餌食になった。ニワトリは、ある晩キツネとおぼしき動物にすべて食い殺された。結局、食べ物は町のコンビニの方が安く、近所の農家で分けてもらった野菜の方がはるかにおいしいことがわかった。
 はじめは新鮮だったご近所との付き合いも、しだいにわずらわしくなってきた。老人クラブの集会も、一回出席しただけで終わった。共通の話題があまりに少なかった。


 やがて、山里は深い雪に埋れた。訪ねてくる家族や友人の足も遠のいた。やることのなくなった二人は、町に一軒あるパチンコ屋で時間をつぶすようになった。ある日、高齢の店の支配人から「人手不足で困っているので、そんなに暇なら手伝ってくれないか」と頼まれた。
 長年の習性で毎日通勤する先があるのはありがたい。会社時代のモーレツ精神が頭をもたげて、あれこれ経営に工夫をこらし宣伝につとめた。業績はたちまち上向いた。アルバイトからいつの間にか支配人になり、さらに忙しくなった。
 ある晩、台の入れ替えで遅くまで働いて、ヘトヘトになって家に帰り着いた。顔を見合わせた二人から期せずして同じ言葉が出た。「私たちは空気がきれいで水のおいしい山里で、平穏な余生を送るはずじゃあなかったの」。結局、二人はパチンコ屋を辞めて東京に舞い戻った。


 自然に囲まれた生活をしている人は、よくこうこぼす。「都会モンはいい季節にちょこっとやってきて、自然はすばらしいの、自然を守れだのとぬかすが、そんなヤワな暮らしじゃねえ」。最近のように、クマ、サル、シカが里に出没してさまざまなトラブルを起こすと、問題はさらに複雑だ。都会モンは野生動物を守れというが、現場では人が殺され作物が荒らされて困り果てている。
 だが、自然の愛好者にとっては、野生動物が身近に生息することはすばらしいことだ。札幌市内の「クマ出没注意」の掲示板を写真に撮って、「人口190万人の大都市にクマがいるのだ」と自慢たっぷりにカナダのクマ研究者の友人に送ったら、「動物園から逃げたの」という返信があった。それぐらい信じられない話なのだ。
 世界の工業先進国で、霊長類のサルが自生している国は日本だけである。野生動物と人間が、この狭い日本列島でどう共存できるのか、これからもいろいろと試行錯誤がつづくのだろう。私も精一杯、ない知恵をしぼらなくては。


(北海道新聞に連載中のコラム「老い老い」から再録)

 フロンは成層圏まで汚染してオゾン層を破壊しつづけているが,さらにその上層の宇宙空間にまで人間の汚染の手が伸びている.地上160~1800kmの「宇宙のゴミ」である.ロケットや人工衛星の破片,分解して飛び散った部品やボルトやナット,飛行士が宇宙遊泳中に落としたネジ回し,歯ブラシなどの宇宙生活の廃棄物などが地球の軌道を回っているのだ.
 1957年にソ連がスプートニック1号を打ち上げて以来,4カ月後には米国が人工衛星に打ち上げに成功,この2ヵ国を追って仏,英,中,日,欧州宇宙機関(ESA)と続き,現在までインドやパキスタンも含めて11ヵ国が衛星を打ち上げた.これまでに4300基以上の人工衛星が地球軌道に載せられた.
 その多くは寿命がつきて落下したが,用済みの人工衛星,空の燃料タンク,ロケットの外壁など大型の人工物だけで現在約9000個が地球軌道を回っている.しかも,ロケットの打ち上げは年々増えているので宇宙のゴミの量は増えるばかりだ.
 そのゴミの種類を調べると,燃料を残したまま軌道上に放置された上段ロケットが爆発し,破砕して破片となったものが多い.さらに,破片が互いに衝突し,ときには隕石にぶつかってさらに細かな破片となり,ゴミが自己増殖している.この多くはいずれ地球に落下して大気圏内で消滅するが,それ以上に新たなゴミが出現している.しかも,微細なものは何万年も地球を回りつづける.
 また,軌道が狂って爆破された衛星やロケットだけでなく,衛星を自爆させて他の衛星を破壊する「宇宙兵器」の実験によっても,ゴミが飛躍的に増えた.とくに,旧ソ連は1968年には最初の衛星破壊実験を実施,1971年には対衛星兵器を実戦配備して1990年まで運用していた.


 ESAは,追跡可能な直径10cm以上のゴミは3万~10万個,直径10cm以上のものは60万個以上と推定している.1cm以下のものになると,何十億という数字になる.『サイエンス』誌の1月20日号に掲載された米航空宇宙局(NASA)の研究者の論文によると,10cmを超えるゴミの総量は5500トンにのぼるという.
 追跡可能な大型ゴミの起源は,約38%がバラバラになった破片,31%が搭載物,17%がロケット本体,などだ.NASAの2004年の報告によると,最大のゴミ排出国はロシアと米国で,次いで,フランス,中国,インド,日本,欧州宇宙機関の順だ.
 これ以外にも,月面探査や無人探査機の着陸で月や他の惑星に残してきた国旗,プレート,使い終わった観測機器も宇宙のゴミである.また,太陽系外にはパイオニア10,ボエジャー2など4機の探査機が打ち上げられ,役割を終えたものはゴミとなる.つまり,このように3種の宇宙ゴミがある.人類が死に絶えた後に,太陽系に高等生物が存在した証しにはなるかもしれないが…….


 ゴミの4分の3は大気圏内で燃え尽きるが,一部はそのまま地表に落下する.1978年には旧ソ連のコスモス958号がカナダ北部に,その翌年には米国のスカイラブがオーストラリア西部からインド洋にかけて落下した.科学者によると,陸地面積は地表の3割で,人口の周密地域はそのうちの1%以下しかないので,大型ゴミが10年に1度落下しても人間に当たる確率は3000年に1回という.
 これらのゴミがスペースシャトル,宇宙ステーションなど有人の飛行体に衝突すれば大惨事になりかねない.スペースシャトルの断面積を30㎡とすると,衝突の確率は,100万個の破片当たり年に0.1%になる.ゴミの多さを考えれば無視できる確率ではない.
 1983年には,スペースシャトル「チャレンジャー」の窓を異物がかすった事件があり,その後の調査で直径0.2mmの白い塗料片に衝突したものと判明した.これがもっと大きな破片だったら,墜落につながったかもしれない.直径0.5mmの破片でも秒速10kmの速度でぶつかれば,宇宙遊泳中の飛行士を殺すには十分だ.1mmの破片であれば,当たり所によっては人工衛星の機能をマヒさせることもできる.
 1993年にスペースシャトルの飛行士が,ハッブル宇宙天文台を修理したときに,パラボラアンテナに無数の小さな穴が開いていた.また,1984年にスペースシャトルがソーラーマックス衛星を回収して調べたら,0.5㎡ほどの表面積に150もの穴や傷があった.その多くは,塗料片によるものだった.
 2005年には,31年前に打ち上げられた米国ロケットの破片が,中国の衛星に衝突する事件があった.1996年にはフランスの軍事衛星が何物かに衝突してまったく機能が失われた.1980年には,わずか2週間の間に米国の5基の軍事衛星と1基の商業衛星が,破片と衝突寸前となり,軌道を修正して危うく難を免れた.
 原因不明の衛星の故障の中には,破片と衝突したものも多く含まれていると見られる.1996年には英国のミニ衛星が軌道上で突然に異常回転をはじめた.これも,破片に衝突した疑いが濃厚だ.1978年に打ち上げられたESA(欧州宇宙機関)のGEOS2が、観測を開始してわずか3日後に故障した事故や、ソ連の偵察衛星コスモス1275が破壊された事件も,衝突が原因とみられる.1986年に米国の偵察衛星KH-11が機能を停止したのは,その近くで起きたデルタロケットやフランスの商業衛星のSPOT-1の爆発事故で飛び散った破片が原因とされている.


 1基で100億円もする人工衛星が,あめ玉ほどの破片で破壊される.いずれは,他国の衛星に損傷を与えたことが確認された場合には,国際的な補償問題にも発展するかもしれない.
 現在,宇宙利用に関係する条約や協定は5つあるが,どれもこれだけ大量の宇宙のゴミを想定していなかったために,規制の効力は弱い.1987年に「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)がまとめた『共通の未来』の報告書でも,ゴミを増やす宇宙兵器の実験の禁止や,宇宙ゴミ処理の国際協力が提唱されている.しかし,20年以上も前からのこの問題が指摘されながら,対策はほとんどとられなかった.
 この宇宙ゴミの解決には,既存の大きな物体だけでも軌道から取り除くしかない.だが,今のところ技術的にも経済的にも,宇宙空間からゴミを取り除く現実的な方法は存在しない.今後打ち上げる人工衛星やロケットに,前もって地球帰還用のエンジンを取りつけておく方法もあるが,それには高価で複雑な推進や制御のシステムが必要だ.
 世界各国が参加する人類初の一大プロジェクト「国際宇宙ステーション」は,2010年の完成をめざして進められている.宇宙ゴミがもっとも多いのは地上から900~1000kmの高度で,400~600キロの間を飛行する宇宙ステーションには危険が少ないともいわれる.低高度にあるゴミも少なくなく,もしもゴルフボール大のものに直撃されれば,この大プロジェクトも頓挫しかねない.


(岩波書店『科学』に連載中の「地球・環境・人間」のコラムから再録)

 思う存分にバードウオッチングを楽しみたい、というのが六十代半ばで北海道に移り住んだ大きな理由である。二十数年来の友人であるエコネット代表の小川巌さんのお尻にくっついて、よく自然観察に出かける。ご一緒するのは、私と同年輩のご婦人方が圧倒的に多い。
 彼女らは泊まりがけの山登りにも参加する。心配になって「ご亭主の食事は大丈夫なの」と水を向けたことがある。私の年齢層の男性は、家事はからっきしダメという手合いが多いからだ。
 「大丈夫よ。カレーを鍋いっぱいつくっておけば、二~三日は生きているわよ」。別の合いの手が入って「でもね、家のなかにカレーのにおいが立ち込めると、『おい、また泊まりがけで出かけるのか』と悲しそうな声を出しているわよ」
 日本女性、とくに中高年齢層は世界でもっとも元気だと思う。平均寿命は八十六歳に近づき、元気で暮らせる健康寿命も七十五歳を超えた。両方とも断トツの世界一である。国連の世界保健機関(WHO)は「健康」をこのように定義している。「単に病気でない、虚弱でない、というのみならず、身体的、精神的そして社会的に完全に良好な状態を指す」。まさに日本女性はこの定義にぴったりはまる。
 私は長年、海外で働いてきたが、地球のすみずみまでのし歩く元気印の日本女性にはいつも驚かされる。ニュージーランド南島の険しい山岳地帯で調査をしていたとき、日本女性の一連隊が、強風混じりの豪雨をものともせず軽快な足取りで私たちを追い抜いていった。現地の若い研究者がびっくりして、「彼女らは何もの」と聞く。「たぶん、六十歳は超えている日本女性たちだよ」といっても、誰も信じなかった。
 アフリカのザンビアで大使として働いていた数年前、観光にきていた六十歳を超えた日本女性が、強盗に襲われて殺された事件があった。治安のよくない国境近くを車で走っていて狙撃されたのだ。お気の毒だったが、あとで遺族にうかがうと毎年のようにアフリカにやってきては、観光客のいかないような奥地を歩き回っていたという。
 札幌の講演会で、温暖化の影響でアフリカの「キリマンジャロ山頂の雪が融けてなくなる寸前だ」という話をしたら、会場にいた三十人ほどの中高年女性のうち五人が「キリマンジャロ山に登ってきました」と、私よりもはるかに現地の状況に詳しいのには恐れ入った。
 でも、日本の環境保護運動はこうした女性たちが原動力となってきた。かつて、深刻な大気汚染を引き起こした北九州市でも四日市市でも、「青空が欲しい」「せんたく物を安心して干したい」という女性の訴えが公害反対運動のきっかけとなった。現在でも、ごみ分別から植林まで女性軍の威力は絶大だ。
 こうした元気印に比べて、どうも中高年男性の影が薄い。経済成長を支えるためにエネルギーを使い果たしてしまったのだろうか。家の中では「カレー臭」に悩まされ、外にあっては「加齢臭」で他人を悩ませているのではないか、と肩身の狭い思いをしている。


(北海道新聞に連載中のコラム「老い老い」から再録)