今日は買い溜まった新書や単行本を列記しますよ。




A. ストー, Anthony Storr, 山口 泰司
性の逸脱

↑誰しも少なからず性の逸脱は経験するものであり、潜在意識的には常に潜んでいるもの。だからそれを自分で気付いている人は色んな意味でしあわせなのではないか。
個人的に気になるのは「第8章 男性の同性愛」と「第10章 ペドフィリア」。どちらも私はこれからの人生のうちで経験出来ないと思うものなので。
「第7章 女性の同性愛」は読んでいて、まあ分からんでもないが不満を感じる部分もあるかしらん、といった感じ。「あんたにビアンの何が分かるのよ!?」みたいな(自分、ビアンじゃないのにな、笑)
ちなみに、最近よく見かける「友達みたいな仲良し母娘関係」にそこはかとないビアンな気配を感じていたのはどうやら間違いではなかったらしい。


森 省二
逸脱するエロス―愛と性の精神病理


↑こちらは逸脱するエロスを「精神病理」として扱い、その「精神病理を患った患者」の「症例」や他「症例」の詳細なデータやらなんかを織り交ぜながら「ではいかにしてこの『精神病理』を克服し、『健全なるエロス』を取り戻し健やかなる人生を獲得するにはどうすべきか」といった内容にまで話が展開、
ざっと流し読みした印象としては、「非常に生真面目な大学教授の特別講義に人数合わせで無理矢理出席させられてしょうことなしに聞かされてるかんじ」?
要は退屈なんです。ま、こういう見地の意見もあるんだな、くらいでいいんじゃないかと。

島森 哲男
四字熟語―四文字が語る悠久の知恵


山口 仲美

犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い  

塚原 史
言葉のアヴァンギャルド―ダダと未来派の20世紀
↑上記三冊はどれも「言葉」に関するもの。特に二冊目の日本のオノマトペに関する本は前々から探していたので古本屋で見つけて即購入。
中村 元
仏教語源散策

↑仏教語を発端とした言葉で今使われているものの中には、本来の意味とは全く違う意味で使われているものがかなりあるらしい、とのこと。

「我慢」は美徳なんかじゃなく、まるまるまるっとまるっきり「悪」なんだそうですよ(てそれは今もそうか)

「新しい食生活を考える会」
新ビジュアル 食品成分表(増補版)―食品解説つき

↑家人が突然言い出した「オレはダイエットするぞ!だからオマエも一緒に付き合え!(強制、ていうか命令)」発言に伴い、購入。だからと言って、これ見ながらいちいちカロリー計算して料理なんか作れるかっつーの(というのが本音)

ほとんどカラーで食材の写真が掲載されており、それぞれの食材に関する豆知識も載っていたりして、普通の読み物としても楽しめる。

なので、もはや我が家では「食品成分表」としての役割は果たしていないのが現実。。

安野 光雅, 森 毅, 井上 ひさし, 池内 紀
ことばの探偵

↑アンソロジー、なのかな。「ことば」に敏感な作家さんの「ことば」に機微ある作品がいろいろ載ってるっぽい(まだ読めてない)。

川上 弘美
夜の公園

↑やっと先日購入出来た!川上さんの新作。でも読むのは当分先になりそう。。今回は昼ドラ系泥沼W不倫なお話っぽい、んだけど川上さんが書くと全然劇的にならなくて、それはいい意味で、なんだけど、だからこそ現実的で普通ぽくて空恐ろしくもあり。

しかし川上さんの長編は私にはなかなか読めなくてなかなか読めてません。なかなかに手ごわいにくいやつ。とか言ってみたくなっちゃうな。



他にも「ユリイカ 詩と批評 2006.1月号(特集:マンガ批評の最前線)」「現代詩手帖 1997.11月号(追悼特集:ウィリアム・バロウズ)」もこうにゅう。


読めてなくてもいつかは読むはず、と思って買うとどんどん溜まる。

だから読まないといけないんだが、この「読まないといけない」という強制めいた意識でいるとダメなんですよ、どうしても読む気にならない。

ので、読みたくなるまでしばらく放置、しておこう、と、思います(で、結局買い溜まる一方になるんだな、嗚呼・・・)

しばらくここから遠退いていた間も、やっぱり買ってばかりな日々でした。

でも流し読みしたものも、間々ありますが。



以下文庫本。



高橋 鉄
アブノーマル―異常性愛の心理と行動の分析

高橋 鉄
あぶ・らぶ

↑上記二冊では「実録!異常性愛な人々~わたしがヘンタイと呼ばれるようになるまで~」的な各人のエピソードがいちいち笑えてしょうがない。

が、当人にとっては笑い事じゃないらしい(というとことがまた笑いどころなんだよなあ)

少少意地悪い言い方かもしれないが、やっぱり何だかんだ言っても他人の不幸は蜜の味、なんだと思う。

作者の文章表現もウィットの富んでいて、なかなかに楽し。

たかがアブノーマル、されどアブノーマル。

渋澤 龍彦
エロスの解剖

↑シブザワさんの文章を読むと、不思議と乗り物酔いしたときみたいな気分になっちゃうんだよなあ。

酒酔いじゃなくて、乗り物酔いっていうのが味噌。



里見 トン
文章の話

内田 百けん
冥途・旅順入城式

↑アマゾンでは、下のお名前がカタカナ表記と一部ひらがな表記のお二方。

特に里見さんのほう、眺めていると何だか無性に切なくなるのはわたしだけ?

トンて。。なんかやけに間抜けじゃないですか??

泉 鏡花
高野聖・眉かくしの霊

↑旧仮名遣いなので非常に読みづらい。が、一度は通して読むべきだらう。


外山 滋比古

日本の文章



森本 哲郎

日本語 表と裏

↑言語とその国民性は切っても切れない関係にある、という至って当たり前な真理に改めて気付かされる感じがしないでもないかんじ。

しかし言語学者の書いた文章は、どうしてこうも小賢しい印象を読者に与えるのか。

レトリック解説系の書籍はこれが顕著。

イマドキの若者風で言うならば、「ウゼェェェェェェェェェェェ」な印象。

いやしかし技巧的なものを扱えばそうならざるを得ないのか。


寺山 修司

さかさま世界史 英雄伝

寺山 修司

さかさま世界史怪物伝


↑「つくづくテラヤマって性格悪いよね(最高級の誉め言葉として)」と再認識した次第なこの二冊。


やまだ 紫

新編性悪猫



↑漫画です。
猫の。しかも描写がリアルな猫さんたちの。

元ガロ系の作家さんらしく、画風がガロってます。余白多くて白いんだけどなんか濃い、みたいな(笑

漫画っていうより、絵付き詩篇みたいなかんじ。

言葉遣いとか、もう、モロ好み。「なんとおっしゃりますやら」とか「あほな おまいにゃ なびかぬぞ」とかふるくさいんだけど、それがいいなと思う。

とりあえず今日は文庫本だけを列記の事。

しばらくここから遠退いているあいだに、アメブロの機能が増えていたりしていて、驚きました。


…へぇ、ボタン一つで顔文字とか出せちゃったり出来るんだ?

え、絵文字も出せるの?…ふうん、そうか、そうなのか。


でもちょっと自分は使えそうにないなあ。

顔文字や絵文字に対して、もしくはそれらを使っている人に対して取り立てて何がどうこうと思いませんし言いません。

単に、


「顔文字とか絵文字をたくさん使って若者振ってハシャいでる風な自分」がイヤなだけ(笑


なので、ケータイのメールでも顔文字、絵文字は極力使わない方向な最近です。


それでも無意味に感嘆符(!)を多用してしまうクセだけはとうぶん治りそうにない。

とりあえず、私のメールは何でもかんでも、!で終わる。

「。でいいじゃん、。で!」と自分に突っ込みながらもやっぱり語尾は、!

テンション常に高め風にいつだってどこだって感嘆してなくてもシメは、!


そんな自分がウザくて仕方がない。が何故だか。だと何か物足りない気がして!を止められない自分はなんなんだろうとよく思います。


なんなんだろな、ほんと!

ひさびさに本の感想。


安達 千夏, 江國 香織, 川上 弘美, 倉本 由布, 島村 洋子, 唯川 恵, 谷村 志穂, 横森 理香, 下川 香苗
LOVERS―恋愛アンソロジー

江國香織「ほんものの白い鳩」

寓話的で童話ちっくな。男女の仲をこういうふうに表現することでその男女の仲にあるグロさがより際立っているような気がする。童話ちっくだからこそいよいよ救えない男女なはなしになってるような、そんな印象。


川上弘美「横倒し厳禁」

にえきらない、冷めきらない、だからやけにリアルなおんな。でもどこかしら植物的で静物的なアン・リアルなおんな。それにしても「謎の中年」がいいよなあ。


谷村志穂「キャラメルのコートを私に」

わかさ。あおさ。せいしゅん。


安達千夏「ウェイト・オア・ノット」

トレンディ・ドラマ風。不倫中の働くオンナとレズビアンの同居生活。


島村洋子「七夕の春」

好きかも。なんでもないようなはなしだけど、その中にすごいドラマがある。


下村香苗「聖セバスティアヌスの掌」

耽美!浪漫!「百合也」という名の美青年が出てくることが既に耽美。


倉本由布「水の匣」

えーと、…何故か北条政子が登場。そのインパクトが強過ぎて他はあまり覚えてませんすみません。


横森理香「旅猫」

ポップ。ヒッピー。


唯川 恵「プラチナ・リング」

不倫のおはなし。だけど幼稚な。エゴイスティックな男女。どこまでもアイを信じるおんなに肝が冷えた。いや、こわいですよ、このはなし(ホラーとかじゃぜんぜんないのだけど、こわいこわい!)最初が「ほんものの白い鳩」で最後がこのはなしって、この本の構成考えたひとって結構エグイ趣味だな、ってほんきで思った。


川上弘美さん以外の作家さんは初読。

そういえば、女性作家さんの書いたお話はあまり読んでいないなあ、とふと思う。


小説、とくに恋愛小説なんかはやはりどうしても作家のセクシュアリティ抜きには成り立たないものであろうから、男性は男性の、女性は女性の持ち合わせた性差的感覚で物事を捉え判断し、物語を作り上げてゆくという作業の果てに恋愛小説が出来上がる、と仮定したとき、小説の中における視点、人称が男女どちら側にしても、やはりそこには作家のセクシュアリティは反映されているものだと思われる。


それは読み手だってそうであるはずで、自分のセクシュアリティに照らし合わせ共感したり反感したりするものなんじゃなかろうか。

そうであるからこそ、女性作家さんの書いた恋愛小説の中に潜むオドロオドロしさを目の当たりにすると、たしかにこういう感覚が自分の中にもあることを思い知らされることが自分にはおそろしかったりするのかもしれない、とか思ったり。

だからあまり女性作家さんの恋愛小説は好んで読まないのかもしれない、とも思ったり。

こういうのを、同属嫌悪、ていうのかしら。


この本、自分の中にあるそういう感情がフルに働いて、もう、なんていうか、とにかく、


背 筋 凍 っ た !(ぶるぶる)


レンアイに餓えていたあの頃だとかレンアイに憧れていたあの頃だとかレンアイにレンアイしてたあの頃だとか。

そんなあの頃に読んだらきっともっと少しくらいは共感も出来ただろうに、とも思えたりもしましたが。

もうレンアイショウセツを欲する年じゃないんデスヨ、きっとね。

官能小説のほうが肌に合う年になってしまった…?

あーそれ、ちょっと淋しいかも。





ただ、最近思うのは。


ジョウネンだとかアイヨクだとかシットだとかキョエイだとか。

自分の中のオンナをありあまるくらい持て余し、それをぜんぶ投げ出してしまいたくなるときがある、ということ。


えー、ここはもういっそ瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美に非ず)とか読むべきなのかしら??笑。

たまる一方なので、本当にもう当分は本を買うのは禁止。

と家人に言われてしまいました…。

確かにそのとおり。

だから何も言えない…。


寺山 修司
家出のすすめ―現代青春論
小松 和彦
異人論―民族社会の心性
一校舎国語研究会
心が伝わるなつかしの日本語
ランボオ, J.N.A. Rimbaud, 小林 秀雄
地獄の季節
フランツ カフカ, Franz Kafka, 前田 敬作
川村 湊
日本の異端文学
氏家 幹人
江戸の性風俗―笑いと情死のエロス
梅原 猛
地獄の思想―日本精神の一系譜
倉嶋 厚
雨のことば辞典

テラヤマの「家出のすすめ」は「書を捨てよ、町へ出よう」と共に高校時代の私的バイブルだった。非常になつかしい。

「異人論」の小松和彦氏の本には大学時代に大変お世話になった。あのころの私にとって『鬼』について評論といえばこの方だった。

「心が伝わるなつかしの日本語」には昔懐かしい日本の言葉が載っている、といえば聞こえがいいが、ほとんどが今の時代では死語と化してしまった言葉で、返って新鮮。「姫始」なんて言葉も載っている。ちなみに意味は「一月二日に男女がその年のひめごとを始める日」だそう。

「地獄の季節」は言わずと知れた男色詩人・ランボオの詩集。この詩集の中にはないが、私がランボオの詩で初めて読んだのは「尻の穴のソネット」という超ダイレクトなタイトルの男色賛美の詩であったので、てっきりそういうものばかりを書いてる人かと思っていたが、どうやら違うようで。

カフカの「城」は長い話なのでいつになったら読めるか分からない。

「日本の異端文学」はこれまで知らなかったコアっぽい作家の名前がづらづら出てきて、今後の読書の参考にしたいかんじ。

「江戸の性風俗」は中に「男色の変容」という章があったので。副題が「笑いと情死のエロス」というのもいい。

「地獄の思想」に関してはある程度仏教思想に詳しくないと読みこなせないかんじ。難解っぽい。

「雨のことば辞典」は雨に関する言葉があいうえお順に載っている正しく雨の辞典。たとえば、「栗の花霖雨」=「梅雨」とか。クリノハナリンウ…ツユより響きがなんとなくミヤビっぽい。