Works Brill

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生まれも育ちも東京者の私ですが、いきなり大阪の電車を作ろうと思い立ってはじめたのがこの阪堺モ205型。

こういう小型車、しかも電車らしく手堅いカタチは私が大いに好むところです。

都電1000型なんかも近い範疇ですが、小さいわりに頑丈そうな風貌は関西ならでは、またインタアーバン的性格を持ち、高速走行するから余計いい意味で「ごつさ」があるのかも知れません。


ですが、製作動機はそれよりももうちょっと別のところにあります。

数両の現存車がありますが、その中で「中扉付き」に改造されたモ247のことを、ふと思い出したのがそもそものキッカケ。


モ205型という形式、なんだか半端ですが、元々モ201型という似た形状の電車があり、設計変更して1937年から木造車の鋼体化により南海鉄道天下茶屋工場で製造されたもので、続番のまま形式が分けられたことによるようです。

そのモ205型も、当初は1段窓に2枚引戸だったのが、窓は2段窓に、扉は1枚引戸に変更され、最終的には今も残るモ161型や同型車モ151・301型の合計に匹敵する、45両という大所帯になっていました。

台車は高床ブリルから大阪市電の台車を流用するなどで低床化され、独特なボウコレクターはパンタグラフに変更されるなどしましたが、小型車なうえにツーマンのままであり、一時はラッシュ専用状態となったものの、廃止の決まった平野線がワンマン化されないことになって同線に集中配置され、1980年の同線廃止まで一躍主力に躍り出た格好になりました。


平野線廃止によって、「約束通り」大半の車両が廃車になりましたたが、247~249の3両が中扉付きワンマンカーに大改造され、「延命」したのです。

1978年の京都市電廃止時に、ワンマンカーである1800型が6両、モ251型に改められて入線していますが、阪堺線の高速運転に見合う大出力車(45kW×2)を選んだものの、軽量構造の車体がヤワで「もたない」と見られたことがその理由のようです。

止む無く不足分は廃車されるはずだった205型に中扉を設け、後ろの扉は形を留めつつも嵌め殺しになり、あわせて隣接する窓も狭幅の開閉可能な窓に改められました。前面には方向幕が設けらるなど、一見して別形式かと思わせる変貌です。しかし、戸袋窓のみ窓幅が広い特徴は律儀に中扉に受け継がれる一方、どういうわけか中扉は従来の扉よりも少し位置が高く、ステップの切り下げが一段小さく、またドアヘッダーが一段高くなっている、面白い特徴があります。

ちなみにこの戸袋だけ窓幅が広い設計は片開き扉時代の南海電車の伝統でもあって、モハ1201・2001・1251辺りから、現役で活躍する6001・7001系までその特徴が見られます。つまり、1930年代の南海電車は、大=モハ2001、中=モハ1201、小=モハ1251、路面=モ205、といえるのかも知れません。


それにしても京都の電車が嫌われ、在来車が延命した様子は、かつて神戸市電に大阪市電から801・901型が転入したところ惨憺たる評価が下され、置き換えるはずだった300型単車を延命させたうえで早期に処分されてしまった顛末を思い起こしました。人間でもそうですけど、他所の水に馴染むか否かはシビアな問題だと感じずにはいられませんね。

まぁ阪堺に行った京都の電車はそこまで気の毒な展開にはならず、1995年まで予備車的存在ながらも現役を続行、現在も京都市電色の動態保存車モ256が大和川車庫にいる他、米国アリゾナ州ツーソンのOld Pueblo Trolley にモ255が前後2扉に車番869、つまり京都800型の姿に戻されて動態保存されています。


話をモ205型に戻すと、残されたモ247~249も晩年はラッシュ専用車状態で1990年に廃車され、大和川車庫に留置されていたようです。そこに、カナダのエドモントンの路面電車保存協会である、Edmonton Radial Railway Sosiety が、どうやら台車とかコントローラーとかの部品目当てで大和川車庫を訪れたらしい。北米のトロリーミュージアムでは良く聞く話ですが、この団体もまた道路傍のモーテルやら農業倉庫に転用されたカナダ国内の路面電車車体を複数保有しレストアを施していて、それに用いる台車やモーター、制御器などを日本やオーストラリアなどに買い付けていたわけです。

ところが、どうやら車庫にいたモ205型自体がミュージアムのメンバーに気に入られてしまったらしい。元々状態が良かった事に加えて、谷間に掛かる巨大な橋を渡るHigh Level Bridge Lineの開通を控えていて、そこで即戦力になる電車として白羽の矢が立ち、結局モ247がそのまま引き取られることになったようです。

現状を見ると、両方の終点ともループ配線等ではない一方、同市オリジナルの電車は片運転台片エンドがスタンダードであったようで、加えて先述とおり傷んだ車体だけ、というものが多く、レストアに長い時間がかかる(実際完全復元までに20年程度を要している車両がほとんどのようです)ため、持ってきてすぐ走らせられるモ247は大変に重宝されたようです。


私が気に入ったのはこの「現在」の姿。

過去ではなく、今も元気に余生を送っている様子が、とても好ましく思えたわけです。


そういえば大阪上本町の「いこま工房」でペーパーキット出してたと思い出し、とりあえずこの中扉付きをネット通販で発注かけたような次第でした。


それにしても、北米大陸の南のはずれにいるモ255と北のはずれにいるモ247。それぞれ街中の保存鉄道で大切に動態保存されているわけですけど、電車の運命というのも面白いものだなあ、と思わずにはいられませんね。