☯古代中国奇書館☯

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夷堅志甲志巻第十五(全十六話


第五話・蛟龍は僧侶達を呪ったが雷に打たれて死んだ《no.192



衡山県(今の湖南省湘潭市湘潭県)の西北にある淨居岩(じょうきょいわ)には、岩の洞穴の中に蛟龍(こうりゅう)が住んでいた。僧侶の宗誉(そうよ)は来たばかりの時、ここの静寂さに満足を感じたので、ここに寺を建てようと思ったが、何度もある婦人に邪魔されたので、宗誉は敢えて滞在しようとせず、山の中の寺に身を隠しに行った。紹興十一年(1141年)、僧侶の善同(ぜんどう)はここに来て居住したが、何軒かの藁葺の家があるだけであった。托鉢僧の妙印(みょういん)は付近にある別の場所に住んでおり、あの婦人は来ると、妙印と性交した後、妙印の腰から下が直ちに氷の様に冷たくなると、数日後、亡くなった。修行僧の祖淵(そえん)は山の後ろで伐採すると、あの婦人によってとりつかれたので、合わせて五日間帰って来なかったが、その後、人々は祖淵が虎崖の中にいるのを見付けると、言った。

 「一人の婦人が私にここに住まわせると、今、私の為に果実を探しに出て行きました」

 崖の入り口は狭くて、人一人の体が入れるだけであったが、しかし中は広々としていて、ここは元々、蛟龍が住んでいた洞穴であった。祖淵は帰って行くと病に罹った。この年の四月、十五日に近づく頃突然、暴風雨となって、山全体が黒々と覆われ、外は雷鳴と電光が一斉に来た。善同は同じ夜に眠れず、仏間で座禅を組んだ。真夜中に近い頃、明かりが突然灯ると、善同は下座に物音を聞いたが、太鼓の音の様であった。善同は見ると、何と大蛇がぴったりとぐるぐるととぐろを巻いたが、尾はまだ外に残したままであった。善同は僧侶を呼び出して、木の棒で大蛇を打たせたが、叩き出した後、蛇はまた戻って来たので、また打つと、蛇はやっと岩の割れ目の中に潜り込んだが、まだ全部は潜り込んでいなかったので、雷に打たれて死んだ。この時、山津波が起こり、家の大半が壊れて暫くすると、空に星が煌めいた。

次の日の朝、善同は死んだ大蛇を見ると、蛇の長さは二丈余りで、太さは数尺あり、皮膚には黒い模様があった。その日、祖淵は発狂して数ヶ月経つと、亡くなった。大蛇によって亡くなった僧侶と召使は前後合わせて八人であった。以前、夜になる度に、山の中は暗くてはっきり見えなくなり、たとえ月が出ている時でさえ、この様であった。大蛇が死んでから、夜の景色はやっと明るくなった。現在、そこには数十部屋に、十余人の僧侶がいた。


夷堅志甲志巻第十五(全十六話)


第四話・陳尊の出鱈目な主張は隆祐皇后の死を予言していた《no.191


 (ろう)州(今の四川省閬中市)の僧侶である陳尊(ちんそん)は、放蕩の限りを尽くして、まるで狂人の様であったが、しかし陳尊は却って、出来事を予測したので、人々は陳尊がどうしてこの様なことができるのか分からなかった。紹興元年(1131年)四月十四日、陳尊は突然、喪服を着ると、物見櫓のある城門に向って大泣きした。ある者は言った。

 「ここは州の治所であるのに、何のためにこんなことをするのだ!」

 陳尊は言った。

 「今日は、お釈迦さまが亡くなった日なのです。だから私は泣いているのです」

 聞いている者は出鱈目であると思ったが、一か月が経つと、隆祐(りゅうゆう)皇后の遺言を受け取った。陳尊が泣いたその日は、ちょうど隆祐皇后が亡くなった日であった。


【陳尊】未詳。【隆祐皇后】元祐皇后(一〇七三~一一三一年)、姓は孟と言い、故に元祐孟皇后と称されたが、州(河北省永年県)の人であり、哲宗の第一皇后である。


夷堅志甲志巻第十五(全十六話)


第三話・馬仙姑は薬酒を飲まされ気が触れるが北宋の滅亡を予感した《no.190



 ()州の馬仙姑(ばせんこ)は、女性の身でありながら悟りを開いた。彼女は以前、やくざ者の道士に薬酒を飲まされて酔わされると、姦淫される目に会ったが、その後、彼女は情緒不安定となり、まるで気が触れた様だった。靖康元年(1126年)十一月二十五日、馬仙姑は喪服を着て、麻の帯を締めたが、表通りで泣きながら言った。

 「今日、天帝が亡くなったので、私が天帝の代わりに喪服を着ます」

 街の人々は彼女を口汚く罵ると、彼女を追い払った。その後聞く所では、都は果たしてその日に占領されたそうだ。


【果州】今の四川省南充市。『讀史方輿紀要』巻六十八「四川三」に「宋仍曰果州,亦曰南充郡」とある。【馬仙姑】未詳。【靖康元年~】この年は靖康の変があった年で、北宋は金による攻撃により十一月、開封は陥落した。北宋は滅亡するが、以後は江南に逃れ高宗が即位すると臨安を都とし、南宋とした。