岡崎電脳博客有限公司
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あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

ウクライナに続き、イスラエルでも激化する戦争の悲劇。

 

動画でリアルタイムに届く、街の破壊される風景。

上がる炎や爆風、粉塵に覆われたその内側では、何千、何万単位で新たな悲しみが生まれている。

 

明日も会えると信じていた人が、突然、この世からいなくなる辛さを味わう人が一人でも減りますように。

 

話題を転じて、

 

今年の年賀状イラストは、長野市内有数の繁華街、権堂(ごんどう)の路地風景です。

長野県は若かりし頃、六年間暮らした思い出深い土地。

その後も縁を得たことで、四十年以上に渡り、通い続けている第二の故郷。

 

記憶や思い出に残る数々の風景の中から、この場所をイラストにしました。

iPad を使って ibisPaint というアプリで描画。

 

こんな仕事をしています。

動画を見て、関心を持たれた方は、お声がけください。

お仕事で役に立てれば幸いです。

 

 

あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

昨年、衝撃を受けたのはウクライナ侵攻。

現代の世の中で、こんな酷いことが起こっていいのか。

 

災いを被るのは国民であることを、メディアを通じて、はじめて実感。

過去から紛争地では数多く起こっていたことのはずなのに。

 

一方で、メディアから伝わることを、そのまま信じて良いのか。

正義なんて国や民族の歴史や環境次第だし、情報なんて作ることも隠すこともできる。

 

考えさせられた年でした。

 

今年のイラストは、JR鎌倉駅から南へ下る御成通り沿いにある ビストロ「オランジュ」。

以前から気になっていたお店で、年賀状のイラストに拝借。

時代への様々な思いから、円満そうな子供連れの若い夫婦を入れてみました。

Apple Pencil を使って ibisPaint というアプリで描画。

 

今、こんなことをしています。 関心あればご覧ください。

仕事でお役に立てれば幸いです。

 

 

 

この10年で歩いた軌跡

関東各地の鉄道沿線を歩くようになって、この10月でちょうど10年になる。

はじめたきっかけは、京王相模原線の橋本から堀之内まで、なんとなく歩いたこと。

その後、4回にわけて新宿まで歩くと、今度は京王の別の路線へ。そして、他の会社線にも飛び火。

いつの間にかライフワーク化する羽目にw

 

10年経った今、これまでに歩いた経路をマッピングしてみた。

赤いラインは、鉄道路線沿いに歩いた経路。

緑のラインは、鉄道の通っていない場所を歩いた経路。

 

1回あたりに歩く距離は、10~12Km位のことが多い。

ごくまれだが、20Kmを超えることもある。

 

まず、神奈川県エリア。

 

 

東京都、埼玉県エリア。

 

 

そして、千葉県エリア。

 

 

最近は、埼玉県から千葉県が重点エリア。

現在、東武アーバンパークラインと東武スカイツリーライン沿線を歩いている。

 

歩きながら、写真を撮っている。

何かあるから行くのではなく、勢いでまず行ってみる。

なので、大はずれの日もあるが、いい夕景や季節ならではの風景に出遭えることもある。

 

この10年間で、ざっくり数えると12万カットくらいは撮っている。

これだけ撮ったんだから、何かに活かせないかと思うが、今のところいい案がない。

歩くのが億劫になったら、絵の題材にするくらいか。

 

 

 

 

 

 

時には絵を描いている。

タブレットを持参して、現地でスケッチすることもあるが、撮った写真を見て、透明水彩絵具やタブレットのアプリで描いていることが多い。

 

 

これらの資料、実は会社で自分の「推し」をプレゼンするという機会があり、そのために作ったものをアレンジしている。

 

で、歩くことの「推し」とは?

大体、ここに書いているようなこと。

 

12年前、関東に来たばかりの時は、地名を聞いてもちんぷんかんぷん。

しかし、こうして歩き回ったおかげで、今はかなり土地勘がついた。

 

某国の工作員教育では、「潜入地は地形で理解せよ」ということを教えると本で読んだことがある。

ずっとそのことが頭に残っていて、この言葉を座右の銘にしながら、各地に足を運んで、地形を心に刻み込んでいるw

 

東急東横線 大倉山駅前を描く

東急東横線 大倉山駅すぐ東側、レモンロード商店街の入口あたりの風景。

iPadを使って ibisPaint というアプリで描いてみた。
はじめは、人物も横断歩道を渡る親子1組だけだったが、活気に欠けるので7つ子親子にすると、こんなににぎやかに。

 

 

制作プロセスもYouTubeにアップ。

 

 

しばらくぶりの投稿。

仕事を優先して、SNSに意識が回っていなかった。

 

6年前、この仕事ならやりたいと飛び込んだ未知の世界だったが、非力ながら、この会社のため、ここの人たちと一緒にやりたいと思えるようになれたのは良かった。


ただ、忙しくて余裕がない時も、週末、その日の気分で行きたいと感じた場所へ行って、写真を撮りながら、ひたすら歩くことはずっと続けている。

近況報告でした。

ボーイング787

かなり以前のことになるが、大阪へ行くのに飛行機を使ってみた。

そのわけは、ボーイング787という機材が、羽田と大阪・伊丹とを結ぶ路線に投入されたため。

この機材、日本で就航して10年以上になるが、全く利用する機会がなく、前から乗ってみたいと思っていた。

 

羽田空港のスポットに駐機している、大阪・伊丹空港行きの日本航空、ボーイング787-8。

国内線向けの機材だと、3クラスに分かれていて、291名乗れるらしい。

 

 

シートポケットに入っている「安全のしおり」。

 

 

この飛行機に乗って、見たかったのが、窓の電子シェード。

普通、飛行機のブラインドは、手で日よけ板を上げ下ろしする。

この飛行機は、ボタンを押すと窓ガラスのトーンが変わり、外からの光が遮られる新しいしくみ。

 

やってみると、窓ガラスの見え方は「少し暗くなったかな」という程度。

快晴の日だったら、もっと違いがわかったのかもしれない。

 

 

背面モニターも大型になった。

JAL国内線向けのボーイング777で、背面モニターがない機材に乗ったことがあるが、やっぱりあるとうれしい。

 

 

羽田空港に駐機中の表示。

普通の利用客は、搭乗したらベルトを締めて、大人しく座っているもの。

だが、この利用客は、いい大人なのにミラーレス一眼を取り出して落ち着きがないw

 

 

 

スポットを離れて、滑走路へ。

いよいよ離陸。

車窓の景色が流れ出し、空に向かって跳躍する。

「あ、エンジンの音が静かになっている!」

これが一番の驚きだった。

 

東京湾上で旋回して、西へ向かう。

三浦半島の近づいてくる様子が、フライトシミュレーターゲームのように見ることができる。

 

 

45分ほどの飛行時間が過ぎ、まもなく、大阪・伊丹空港に着陸。

眼下には、豊中の街がよく見える。

一躍、有名になった森友学園小学校用地は、飛行機の真下あたりのはず。

 

 

伊丹空港に到着した後の機内。

大きくなった背面モニターが鶴丸マークを表示して並ぶ様は圧巻。

 

 

阪急電鉄梅田駅に下がっていたボーイング787就航のポスター。

機材が変わったことで、こんな大きな扱いになっているとは!

 

 

この旅は、実は3年近く前、羽田-大阪・伊丹路線にボーイング787が就航して間もなくの頃。

その後、一度も飛行機は使ってないし、そもそもここ10年、飛行機を使うことが格段に減った。

コロナ禍も下火となり、国内の人出は元に戻りはじめているが、躊躇せずに再び、海外へ行けるのはいつのことか。

 

頻繁に海外を往復している人は、こんな風に思わないのかもしれないけど、日本人がいない環境でしばらく過ごし、脂っぽかったり、独特の風味の現地の食事に飽き始めた頃、現地の空港から日本の航空会社の帰国便に搭乗した時の感覚が好きだ。

 

搭乗ドアに立って微笑む日本人のCAさんが女神に見えるし、ちらしずしのような和食の機内食もうれしい。

やはり日本人。

この感覚を、早く味わいたいものだ。

桜に包まれた都心部を歩く

4月2日の午後遅く、品川から六本木まで歩く。

 

品川駅から高輪方面へ坂を上ってゆく。

国道1号線沿い、白金台の明治学院大学にて。

入学式があったようで、スーツを着た学生たちがゆとりの表情でたたずんでいた。

 

 

八芳園でも桜が満開。

この日の気温予測は12℃。少し肌寒い。

 

 

東京メトロの白金台駅近く、白金台どんぐり児童遊園でも桜が満開。

家族連れなどたくさんの人が訪れていた。

 

 

天現寺交差点にて、桜並木が続く。

まもなく広尾。

 

 

広尾から西麻布の坂道を上ってゆき、警備厳重な中国大使館のそばを通過。

六本木にやってきた。

 

 

東京ミッドタウンのまわりを周回しながら、新美術館で同人会の展覧会を見る。

会場を出た頃にはもう日没。

 

 

帰途、田園調布のスターバックスでお茶してから帰る。

 

この日はスマホだけでなく、久しぶりにミラーレス一眼α6400に50mmF1.8のレンズで写真を撮る。

スマホ画像は拡大すると不自然なにじみが気になるが、やはり一眼で撮った画像は見ていて安心。

 

横浜・弥生台の富士山が良く見える丘へ行く

少し前だが、1月16日の日曜日、相鉄いずみ野線の緑園都市駅からいずみ野駅まで歩く。

時間は夕方4時過ぎ、緑園都市駅に下りる。

 

 

 

快晴の緑園都市駅前。

空気も澄んでいる。

 

 

緑園都市駅を取り巻くように広がるマンション群。

その後、丘陵を上り下りしながら、弥生台に向かって歩く。

 

 

40分後、弥生台駅へ。

 

 

弥生台駅前。

バスロータリーの向こうには、スーパーマーケットの入った商業施設がある。

 

 

弥生台駅を出て、いずみ野方面へ緩い坂道を上ってゆく。

裾広がりの富士山が見えてきた。

 

 

坂道を上りきったところ、かまくら道との交差点を越えると、富士山の絶景ポイント。

撮影ポイントにもなっているようで、訪れる度に三脚を立てて写真を撮っている人たちと出会う。

 

 

 

 

緩い坂道を下って、いずみ野駅へ。

横浜駅近くでお茶してから帰る。

 

 

利根川を渡って埼玉から茨城へと県境を越えて歩く

3月12日土曜日の午後、JR宇都宮線の栗橋駅から一駅北上した古河駅まで歩く。

栗橋駅は埼玉県久喜市、古河駅は茨城県古河市にあり、その間に利根川が流れている。

 

この日は昼食難民だった。

あてにしていた品川と田町の駅近くの店が両方とも臨時休業。

次にあてにしていた店は行ってみると、なんとなくなっていた。

そこで、田町駅東口近くにある「鉄板王国」でチーズの乗ったトマトソースのハンバーグにする。

ライスとスープはお替り自由。

 

 

この日はそこそこ遠出しようと思い、「休日お出かけパス」(2,720円)を買ったが、行先は未定。

宇都宮線のどこかまで行こうと決め、新橋駅で上野東京ライン普通 宇都宮行きに乗る。

睡眠不足と満腹のせいで、途中何度も寝落ちする。

 

東大宮あたりを過ぎてから、天からの啓示が下りてきて、栗橋から古河まで歩くことにする。

Googleマップを見ると、ざっくりと10キロ弱。

日没までに歩ききれそうだ。

栗橋駅で下車したのは、15時過ぎ。

 

 

栗橋は、源義経の妾だった静御前の終焉の地とのことで(諸説あるらしいけど)、こんな垂れ幕が。

 

 

駅の伝言板。

肉筆なので余計にほのぼのする。

 

 

栗橋駅の外に出てみた。

この駅は、東武日光線との連絡駅だが、駅前は大きな商業施設もなく、ひっそりしている。

 

 

 

乳牛のようなおなかをしたネコが現れる。

車が近づいてきて、あわててどこかへ行ってしまった。

 

 

車庫のある古い建物。

タクシー会社があったのかな。

 

 

廃墟になっている3階建てのビル。

元々、商店があったような造りになっている。

 

 

和菓子屋だが、なんと「とろっとオムライス」のランチも営業している。

 

 

国道4号線の長い橋を渡って利根川を越える。

ここから茨城県古河市へ入る。

 

 

ただひたすら広い利根川の河川敷。

 

 

この日は3月中旬でありながら、最高気温も20℃超。

ジャケットはいらないくらい暖かい。

菜の花も咲きはじめている。

 

 

途中、JR宇都宮線の踏切を越える。

長い長い貨物列車が通り過ぎていった。

 

 

ところどころで桃の花が満開。

ぱっと見て梅との違いがよくわからないが、漂う香りで桃の花だとわかる。

 

 

 

さらに歩き進むと住宅や店舗も増えてきた。

県立古河第二高等学校の前で。

英検一級や準一級に合格すると、名前が出るらしい。

 

 

 

古河の中心地も近づいてきた。

元々は日光街道の古河宿があったあたり。

 

 

古河駅前へと続く商店街にて。

きれいに整備されている。

 

 

 

古河駅前にあるタワーマンション。

街のランドマークになっている。

 

 

古河駅前へ到着。

高架になった立派な駅舎。

時間は17時半近く、栗橋駅から2時間少しで歩いてきた。

 

 

17時32分発の上野東京ライン普通 伊東行きに乗る。

ここから横浜駅までは2時間弱の旅。

西方向の車窓に沈む寸前の夕日が見えた。

 

 

千葉・流山おおたかの森から柏まで歩く

3月5日、千葉・流山おおたかの森駅から柏駅まで歩いてみた。

 

現地へ行く前に、品川駅で下車。

港南口すぐ近くの中華料理「大元」へ。

品川へ通勤していた頃、よく通っていた店。

 

 

天津飯 960円。

多くの中華料理屋にあるメニューだが、ここの天津飯が一番口に合う。

 

 

山手線で秋葉原まで移動して、つくばエクスプレスに乗り換える。

普通に乗って約30分、流山おおたかの森駅に到着。

この駅では、東武アーバンライン(東武野田線)という埼玉県の大宮と千葉県の船橋を結ぶ私鉄に乗り換えできる。

 

 

駅前の「おおたかの森SC」という大きな商業施設。

ついこないだまで寒かったのに、3月になって急に春らしいポカポカ陽気。

 

 

柏方面へ通じる道路に沿って歩きはじめる。

この道路は、「日光東往還」と名づけられている。

江戸時代には日光へ通じる街道として利用されていたらしい。

 

台湾食堂を発見。

17時から営業のようだが、味に期待できそうな店。

 

 

3階建てマンションの1階にある、千葉らしい落花生を使ったお菓子の店。

 

 

東武アーバンラインの柏までの間に一つある駅、豊四季の駅前。

 

 

豊四季駅から、再び、日光東往還に戻り、歩き続ける。

おいしそうな焼きそばの店。

太麺のナポリタン焼きそばにひかれる。

 

 

「JAPAN MEAT」。

この日の朝、「サタデープラス」というTV番組を見ていて、この店のことをやっていた。

魅力的な商品が多数。

店舗を見ると、千葉や北関東に多く、千葉にやってきた目的もひとつはこれ。

 

 

確かに肉が安い。

近所にも欲しい店。

 

 

せっかく店に来たので、これらを購入。

カレーラーメン5パック入り、ランチョンミートなど、他にも欲しいもの多数。

リュックサック持ってきたら良かった。

 

 

再び、柏方面へ。

突如現れた、ゴリラのベンチ。

マスクまでつけている。

 

 

気象大学校ってこんなところにあったんだ。

 

 

国道6号線へ合流すると、柏の街が広がってきた。

この日もずっと好天。

 

 

まもなく柏駅前。飲食店も増えてきた。

スマホで撮影しながら、平地をのんびりと歩いて、流山おおたかの森駅から、ちょうど2時間で到着。

 

 

柏駅の上にある高島屋。

柏は、千葉のこのあたりでは、一番栄えている街のようだ。

 

 

2016年まで営業していたそごうの建物。

その後、使われていないようで、最上階の回転レストランもひっそりと眠っている印象。

特徴的なこの建築物、うまく再利用されたら良いのだが。

 

 

JR柏駅から快速上野行で、上野駅から上野東京ラインに乗り換えて、横浜駅近くでお茶して帰る。

太陽をたくさん浴びて、心地よい1日だった。

 

茨城・荒川沖駅からつくば駅へと歩く

2月12日土曜日、思い立って、つくばへ行ってみた。

行く前に、あの巨大なオムライスを食べようと、田町の「亀喜」へ行ってみるが、あいにく臨時休業。
近くの「三田製麺所」でつけ麺とから揚げのセットにした。

もっちりとした麺、濃厚なスープ、おいしかった!

 

 

 

山手線から新橋で常磐線の特別快速に乗りかえて、荒川沖駅まで約1時間。

 

 

荒川沖駅前の風景。
海もないのに、なぜ荒川沖なのかずっと気になっていたが、Google検索して納得。

土地の名前とそのエピソードに由来しているらしい。

 

 

駅近くののどかな風景。
藁ぶき屋根の家屋が新鮮。

 

 

 

左に曲がって北西方向、つくば方面への県道へ。

午後から出かけたので、もう15時半すぎ。

 

 

つくばにつながる幹線道路をひたすら歩く。

歩道も広くて歩きやすいが、交通量は多く、少しざわざわした環境。
常磐道を越えて、遠くに筑波山も見えてきた。

 

 

つくばに近づくにつれて、街の風景が整ってゆく。

沿線には、このような国の研究機関も。

 

 

 

薄い雲も取れて、すっきりと晴れ渡ってきた。
 

 

 

つくばの街の中心へ到着。
このあたりへ来るのも、17年ぶりくらい。

前に来た時は、2005年につくばエクスプレスが開通して間もなくだった記憶がある。

 

 

 

 

 

帰りは、つくばエクスプレスに乗る。

地下のホームへ向かう。

 

 

日頃の行いが良かったためか、ちょうど快速に乗ることができた。
最高速度は130km/h。ずっと高架線上を走行。

体感的にもかなり速い。

北千住で日比谷線に乗り換えて、帰途につく。

 

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