「マガジン9条」で明治学院大学の大学生がつくった
憲法9条を考える小冊子「ピースオブピース」 を配布していた。

残念ながら、すでに残部がなくなってしまっているため
申し込みできなくなっているが、
作成した明治学院大学の学生の人達の感謝を込めて、
あえて記事にしたい。


この本には、自分が関心を持っている、二人の人の対談が掲載されている。
イラク支援ボランティアの高遠菜穂子さんと、
パレスチナなどの紛争地帯で取材を行っている
フォトジャーナリストの広河隆一さんだ。
これら二人の人を取り上げたことに、
本冊子を作成した学生の意識の高さを感じることができる。


高遠菜穂子さんに関しては、すでに何回か記事にしているので、
そちらを読んで欲しいが、本書での彼女の言葉、
 「個人的には今の若者って結構イケてると思うんですよ」
は、(この言葉自体は誤解を生みやすいが)
既に老人の仲間入りをした自分も感じていることだ。

戦前、戦中の洗脳教育を受けた老人世代や、
偏差値重視、教科書丸暗記の詰め込み教育を押し付けられた
自分と同世代の人間と比較して、
今の若者は、はるかにまともな考えをしているように感じている。

中高年が関心を寄せていることは「年金」など自分のことばかり。
一方、若者になるほど「環境問題」や「雇用」、「反戦・平和」に対する
関心が高い。

「ゆとり教育」は、「学力低下」という負の側面ばかり報道されるが、
現場の教師の努力によって、上の世代と比べて、
はるかにまともな若者たちを生み出しているのではないだろうか?


また、広河隆一さんの以下の言葉を引用したい。
我々は戦争の本当に悲惨な部分を見ないようにさせられている。
<略>
外国にはジャーナリストを養成する大学があるのに、
日本にはそういう教育機関がない。
それは、そういう勉強をした人は今のメディアにとって都合が悪いからだ。
<略>
そしてそういうジャーナリストがいないから、
現代のメディアでは被害者の真実を伝えることが困難だ。

先日の記事で、
日本のマスコミにおいて「ジャーナリズムは死んでいる」
と書いたが、
もはや日本のマスコミは、国民から信用を失っているだけでなく、
「報道被害」を引き起こす有害なものになっているのではないだろうか。

自分がマスコミ批判を繰り返すのは、政治とマスコミがセットになって
国民を苦しめていると感じているからだ。
こんなマスコミと政府なら、すぐに滅びてもらって一向に構わない!

「イラク人質事件」の”被害者”である高遠 菜穂子さんが、
人質事件と彼女自身のイラク支援ボランティア活動について書いた本である。

「イラク人質事件」において、小泉首相の「自己責任」発言と、
それを煽ったマスコミ各社の報道により、
国民の多くが政府寄りの意見を持ち、
彼女たち被害者がマスコミの執拗な取材や、
煽られた人たちからの脅迫などの「報道被害」を受けた。

この事件は、被害者が政府発表とマスコミ報道により、
さらなる被害受けるという「日本の病巣」を浮き彫りにしている。

本書から、マスコミに関して書かれた文章を引用しておく。
米軍は末端の兵士を道具のように使い捨て、
イラク人に対しては日常的に非人道的行為を繰り返していた。
ただ、世界がそれを知らされていなかっただけなのだ。
<略>
戦火のイラクでは、病院への薬の供給が途絶し、子どもたちがバタバタ死んでいったが、
イラクに抗がん剤を運ぶNGOへのインタビュー記事は、
「ネタとしての賞味期限が切れている」という理由で没になった。
私はイラクで、戦禍が残る現場に何度も記者を案内したが、
それが記事になることはほとんどなかった。
<略>
あの「人質事件」で、私たち家族はメディアの怖ろしさを、いやというほど思い知らされ、
メディアに不信感を持ってしまったからだ。
<略>
実際は、まず何度も頭を下げて謝罪の気持ちを述べたが、その場面はすべてカットされ、
自分たちが激怒するシーンばかりが繰り返し流された。
その結果、日本中から、謙虚さのかけらもない「最低の家族」とレッテルを貼られることになったと、弟たちは嘆いていた。
<略>
あきれ果てたのは、私たちに関する週刊誌の記事だ。書かれたことの7、8割方がウソだった。

これは、9.11事件以降、政府発表の身を報道し、
愛国心を高揚させる報道を行い、イラク戦争に猪突猛進したアメリカに、
似ていないだろうか。

「イラクの治安を回復させる」というアメリカ政府の思惑とは反対に、
アメリカ軍が駐留することによって、イラクにおけるテロが増えたことは、
その後の歴史が明らかにしている。


張本人である日本のマスコミと、それに煽られて偏った言動をとった
日本人から、これまでこの件に対する反省の弁が聞かれたことはない!

これは、「マガジン9条」の記事「9条は日本人には"もったいない"」
伊勢崎賢治さんが怒る日本人と全く同じものではないだろうか。


もし希望があるとするなら、本書に書かれた以下の文章であろう。
イラクに行って良かった。3か月の間に私はイラク人たちを、心から愛し始めることができたのだ。
<略>
本来、イラク人はとても真面目な人たちです。「中東の日本人」と呼ばれていたことがあるほどで、彼らもそのことを誇らしく思っているのです。
<略>
それまで、私たちを知らなかった人たちが私たちに関心を持ち、何か自分にできないかと立ち上がり、行動に移してくれた。だから、私たちは助かったのだ。
<略>
もし戦争を止める力があるとするなら、それは、戦争への無関心と無力感から決別した人間の「意志」以外にあり得ない。私はそう思っている。

戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない/高遠 菜穂子
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Amazon のレビューで、低い評価をしている人の言葉は、
どう考えても本書の内容を読んで書かれているとは思えない。

以前紹介した、以下の2冊の本と合わせて読み、
「イラク人質事件」をもう一度振り返って欲しい。

- 『世界を不幸にするアメリカの戦争経済 イラク戦費3兆ドルの衝撃』
- 『ハロー、僕は生きてるよ ~イラク激戦地からログイン』

『ハロー、僕は生きてるよ』の著者であるカシームは、本書ではカスムとして登場している。
彼から高遠さんに送られたEメールは、感動的ですらある。

これら3冊を読めば、マスコミに煽られて行動する日本人の問題が
浮き彫りになるのではないだろうか。
日本人は、この事件で起こったことを忘れてはならないと思う。

この本を図書館から借りてきて、驚いた。
2005年に蔵書入りしてから自分が借りるまでに、まったく借りた形跡がない。
出版社のチラシが入った、新品同然の状態だったからだ。

まず、本書の内容を簡単に紹介するために、「訳者あとがき」から引用する。
本書の魅力は、EZLN(サパティスタ民族解放軍)運動にさまざまな形で参加する女性たちの声が
生き生きと伝わってくるところにあります。
1994年蜂起の現場に居合わせた一人のジャーナリストが、
ほとばしる情熱に突き動かされるようにしてチアパス中を駆け回って完成させた渾身のルポルタージュであり、
なかでも現在沈黙を続けている女性兵士に対するインタビューは貴重な資料となっています。

このようなジャーナリズムの良書が、ほとんど読まれていないことに
この国の問題が表れているのではないだろうか。
ジャーナリズムが死んでしまった日本のマスコミが、
遠いメキシコの国のことを取り上げることはないであろう。
しかし本書の重要性は、日本においても決して損なわれることはないと感じる。


貧困、女性差別、先住民族(少数民族)という3重の差別を受けていた、
先住民女性たちが「サパティスタ民族解放運動」に参加することにより、
自分が変わった。
女性が変わることによって、暴力をふるっていた夫が変わった。
さらに村が変わり、国さえも変えようと女性たちが運動している。

「人権」ということさえ理解しなかった、これらの女性たちが、
次のように変わっていったのだ。
「もう女性が家事や育児、あるいはブルジョワに安くこき使われるくらいしか能がないと
思い込むことがありませんように。
1月1日の『もうたくさんだ!』は、我々の村のもっとも片隅にいる女性のもとにも届くのです」
<略>
機を織りそれを売って生計を助けるようになった女性は少しずつ自信を取り戻していく。
あらゆる面でさげすまれ、馬鹿にされてきた先住民女性は、黙して捧げることに慣らされている。
内面化した劣等感は、極端な臆病心と外部や悲しみへの恐怖心を伴い、
乗り越えるのに時間を要する。
しかし機女は、自分が家族にとって不可欠の存在であると認識し、自分の作品と通して安心感を得る。

この本に書かれた先住民族女性たちの行動は、
日本で差別を受けている、
女性たち、貧困に苦しむ人たち、アイヌや在日朝鮮人の人達に、
希望の光を与えるのではないだろうか。

ぜひ、(特に日本の女性に) 読んで欲しい一冊として推薦したい。

メキシコ先住民女性の夜明け/ギオマル ロビラ
¥2,835
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差別を受けている人たちにとって「人権」を理解することは難しいだろう。
学校でいじめを受けている子供たちに、「人権」を教えることができるだろうか?
貧困や不安定労働に苦しむ人たちが、「人権」を考える余裕があるだろうか?
アイヌや在日朝鮮の人達の「人権」を考えたことがあるだろうか?

一つの差別を許せば、さまざまな差別が引き起こされていく。
自分が「差別する側」にあると思っていても、病気や障害や貧困などさまざまなことで、
いつのまにか「差別される側」に回ってしまうだろう。

「差別」が問題なのは、差別を受けている人たちに”何の責任もない”ことだ。

「差別」と「人権」は密接に関連している。裏表と言ってもよいだろう。

自分の人権は、他人の人権、世界中の人達の人権に繋がっている。
だからこそ、世界中から「差別」を無くしていかなければならない。