プールサイドの人魚姫

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

詩集 天国の地図/神戸 俊樹
¥1,260


長い闘病生活を余儀なくされてきた著者が、生きる糧とした詩作。

魂の叫びの集大成!


アマゾンオンデマンドで発売中!!

 

 

 

 

 2月中旬過ぎの事だった。株式会社文化工房(朝日テレビグループ)広報メディア局の制作部である方からDMが届いた。内容は、首都高速道路(株)より委託を受け編集・サイト運営を行っており、『首都高速NEWS』への写真掲載に協力して頂けないかと言う連絡であった。
 初めて耳にする社名だったので、暫く考えてDMに貼り付けてあったURLを調べてみると、昭和28年創業の会社で映像・印刷物・WEB・モバイル関連など幅広い分野での制作を行っている歴史ある企業である事が分かった。その後も何度かメールのやり取りをし、信頼に値すると確信を得て写真使用許諾のOKを出した訳である。
 掲載されているわたしの写真は『浜崎橋ジャンクション』。JCTシリーズも6回目となるが、前回の掲載は1年前の両国ジャンクションで、久しぶりのJCT撮影で、少し興奮気味であったが、こちらのJCTは竹芝桟橋から徒歩で5分程度と撮影ポイントを決めるにもさほど時間が掛からず案外スムーズに撮影出来た。使用したレンズはJCTを撮るならこれと決めている中華レンズのLAOWA 14mm F4.0 FF RL Zero-Dである。長く伸びる光芒の美しさに惚れ惚れするレンズであり、14mmと言う超広角レンズにもかかわらず意外と歪みが気にならない。以前にも記したと思うが重量228gの軽さは心臓の悪い私には非常に有り難い。
 文化工房の今回のテーマは『首都高のある風景』。わたし以外にも多くの方の写真が掲載されており、サイトでは数多くのジャンクションや首都高を堪能出来る。JCTを撮る時の大事なポイントは天候とやはり夕暮れから夜に掛けての時間帯である。日中の明るい内に眼にする景色が夜の帳とともに一変する様は夜景撮影の醍醐味を体感出来るほどである。首都高NEWSのリンク先はこちら↓。

 

 

 

 

 私が子ども時代を過ごした故郷の静岡県藤枝市は温暖な気候に恵まれている事もあり、雪は滅多に降らない。降ったとしても積もる様な事は先ずない。私の幼い記憶の何処を探しても雪の姿は見当たらない。その代わり冬になると天候に関係なく富士山に積もった雪が風に運ばれてヒラヒラと舞い落ちて来る。それを『風花』と呼んでいた。それがまるで白い天使の羽根の様に見えて風花の舞う日は嬉しくて外ではしゃいだものである。
 上京して最初に迎えたある冬の日、目覚めて窓の外を見ると辺り一面が白銀の世界だった。「東京ってこんなに雪が降るんだ…」と驚きつつ東京の冬の寒さを思い知らされる一日となった。冬でもコートが要らないほど温かい静岡で育った私にはこの時の身も凍り付くような冬を経験するのは初めての事で、すっかり風邪を引いてしまい何日も仕事を休んでしまった事を覚えており、西大井の木造アパートは隙間だらけで厳しい越冬となった。
 2月5日の東京は午後から降り始めた雪が夜になって激しさを増し、都内全域に大雪警報が発令された。交通網が発達した都会の利便性は何処へ行くにも申し分ないのだが、自然の猛威には相変わらず脆弱である。この日、私は大きなミスを犯してしまった。夕刻になって薬が切れている事に気付いたのである…。窓を開けると外は真っ白で雪が降り積もっている。薬局は午後19時で閉店なので慌てて外へ飛び出した。雪を撮りたいと言う衝動に駆られ、右手にカメラを携えツルツル滑る階段を用心深く下り駅の近くにある薬局へと向かった。
 時計を見ると19時まで残り15分しかなく、かなり焦りつつ急ぎ足で歩を進めた。雪に足を捕られ歩きにくくかなり呼吸も荒くなり参ったが、何としても今日の内に薬をと言う気持ちで全力を出し切って歩いた。閉店3分前で滑り込みセーフ!帰りにダイエーで一週間分の食料を買い込んだためバッグはパンパンに膨れ上がった。多分重量は10キロはあったと思う。ダイエーを出た時が最も雪が激しかった。帰路の途を撮影しながらゆっくり歩いた。傘は持っていたが撮影に邪魔になるので畳んでバックへ。頭が雪で濡れるとまずいのでダウンジャケットのフードを被った。
 シャッタースピードを早くすれば止まった雪が写せ玉ボケの幻想的な雪景色が撮れる事は知っていたが、気温0℃以下の元で手指は凍り付き指の感覚が全く無くなってしまい、シャッターボタンを押す事もままならない状況で、カメラの細かい設定が出来る状態ではなかった。心身ともに冷え切って冷凍庫の中にいるような感覚だったが、雪の風景を撮ると言う目的が凍て付く寒さを上回っており、疲労感は殆ど感じなかった。
 家に着くなり冷え切った身体を温めようと熱々のシャワーを浴びて漸く生き返った。真夏の暑い時にキンキンに冷えたビールを飲むその逆パターンである。東京タワーの記事でもう無茶な撮影はしないと約束したが、それをいとも容易く破ってしまった。寒さは心臓の大敵である事は重々承知していたのだが(反省)…。

 

 

 スタジオジブリ作品の中で癒し系キャラNO1と言えばやはりとなりのトトロだろうと思う。1988年に長編アニメ映画として世に出てから36年の歳月が流れて今も尚、年齢を問わず万人に愛され続けているキャラクター。無垢な心を持った子どもにしか会えない(見えない)ファンタジーの中の生き物である。トトロが棲んでいる森には巨大な楠木があり、この巨木には精霊が宿ると言われ古の時代から御神木として崇められている。
 トトロは空も飛ぶ事から私的には巨大なムササビではないかと勝手に解釈しているが、ムササビが飛んでいる姿を実際に自分の眼で確認した事はない(^_^;)。トトロを被写体として初めて捉えたのは一眼レフデビューして3ヶ月が経った頃2019年12月。NikonのD700で東京ソラマチにある『どんぐり共和国』での撮影だった。店内のいたる所にジブリ作品のキャラが並んでおり、来店する人たちの眼を釘付けにしていた。そんな中でひときわ目立っていたのがトトロとネコバス。私は夢中でシャッターを切った。
 それ以来、ソラマチのスカイツリーを撮りに行った時は必ず店に寄る。来店する度にレイアウトが変わり新たなキャラが陳列されており何度行っても飽きる事がない。トトロも様々な表情を見せてくれるし理屈抜きで撮影が愉しくなる。ファインダーを覗きながらトトロと眼が合うと思わず笑ってしまったり、傍から見たら変なオヤジだと思われるだろう。これほどトトロを撮ってはいるが、まだ一度もグッズを購入した事がない。店からすれば迷惑な客となってしまうが撮影は店のオーナー公認だからその部分で甘えている自分がいるのも事実だろう。次回行った時は自分用ではなく娘へのプレゼントとして購入してみようと思っている。

 

 

 この東京タワーは昨年の7月に撮影したものだが、その頃と言えば徐脈性心房細動で緊急入院し、生きるか死ぬかのドタバタ劇を繰り返していた時期。つい最近の様な気もするがペースメーカー植え込みから半年が過ぎ、今はほぼ元気な毎日を送っている。正確に記すと7月22日の朝、前日に撮影した写真をRAW現像しようとパソコンの前に座った途端、いきなりの目眩、頭がクラクラし一瞬だったが気を失ったかも知れない。デスクの角に頭をぶつけた事を覚えているのだが、その前後がどうだったかハッキリしない。自分の身体に異変が置きている事だけは確信したが、連日の撮影で少し疲れたのだろうと軽く考えており、余り気にも止めなかった。
 その日も撮影の予定を入れていたので目眩の事は無視してカメラ機材をバッグに詰めて出掛けた。自宅から駅までの道程で何度も目眩を起こし「ちょっとやばいかも…」とふらつく身体を何とか気力で支え電車に飛び乗った。体調に異変があるのだから止めればよいものを、「撮りたい」と言う気持ちを抑えきれなかった。まるで欲しい玩具を見つけてそれを強請る我儘な子供状態であった。
 東京タワーのライトアップが平日と土日では色が変わる事を今回の撮影で初めて知った。御成門ではなく芝公園で下車し、公園内を散策しつつ時間を潰し暗くなるのを待った。歩いている最中も度々意識が遠のく感じがし、その都度その場にしゃがみ込んで休憩。心不全なら呼吸が苦しくなるので直ぐ分かるが痛みもなく、動悸がする訳でもないのでまさか徐脈発作を起こしているなんて事は夢にも思わなかった。夜の帳が降り始め東京タワーの赤と星の様に輝く電球が夏の夜空に浮かび上がった。待ってましたとばかりに三脚にカメラを固定し、長時間露光撮影を開始。様々な場所から美しい女性の様な脚線美を持った東京タワーを撮りまくった。移動中、何度も気を失いかけていたが、そんな事もおかまいなしでの撮影。「知らぬが仏」とはまさにこの時の状態だった。
 東京タワーと言えばやはり思い出すのは父との事である。以前にも記事で紹介したが、刑務所帰りの父と一緒に帰りの電車の窓から眺めた東京タワーが脳裏に焼き付いている。雨粒が車窓に当たり弾けて流れ落ちる姿が涙の様に思えた。約二年ぶりの父との再会を東京タワーが祝ってくれている様な気がした。そう言えばあの時、私の隣にいた綺麗なお姉さんは、今でも健在なのだろうか?お腹を空かしているだろう事を察して、「これあげる」と優しく幼い私に一切れのパンをくれた女性…。人の優しさに飢えていた子供時代ではあったが、親切な大人たちに囲まれて育った私は決して不幸ではなかったと思う。
 それにしても東京タワーの夜景撮影中、失神しなかったのは運が良かったの一言に尽きる。きっと東京タワーが昔の事を覚えてくれていて、私を見守ってくれていたのかも知れない。
 

 

 

 

※イギリスのロックバンド『アニマルズ』の代表曲。全米ビルボードで3週連続1位を記録している。日本語歌詞は浅川マキ自身による。

 

 一年を通じて夕焼けが最も美しいのは秋から冬にかけて。一眼レフを始める前は空が何色だろうと気にも止めていなかったが、カメラを手にした途端に空模様が気になってしょうがない。その日撮影に行くか止めるかはほぼ天気次第である。空一面をオレンジ色に染める夕陽も魅力的ではあるが、私は青と赤が混じり合った夕暮れが好きである。
 そんな空は神秘に満ち、そして何処か悲しげで憂いを帯びた女性の後ろ姿の様にも見える。音楽に例えるなら明るいポップ調よりも『ブルース』がぴったり。日本の女性ブルース歌手と言えばやはり『浅川マキ』。彼女の初のライブ・アルバム『NAKI LIVE』を私は持っていたが、蒲田在住の時に自宅が火災に遭い100枚以上あったLP版は高熱で溶け落ちてしまった…。そのライブ・アルバムの収録曲で最も好んで聴いていた歌が『朝日楼(朝日のあたる家)』だった。参加ミュージシャンでドラムを叩いていたのが、あの『メリー・ジェーン』をヒットさせた『つのだひろ』である。
 静岡の駿府会館で行われたロックコンサートで『つのだひろ&スペースバンド』を観た記憶が鮮明に蘇って来た。泉谷しげる、海援隊、サディスティックミカバンド、ガロ等も出演した今思えば何と豪華なコンサートだっただろうと思う。
 夕焼けの話題からすっかり脱線してしまったが、都内で夕映え(風景)を撮るスポットは多々あるが、私の場合、最も多く撮っているのが隅田川で中央大橋からの眺めが絶好のポイントだと思う。他に『お台場』『豊洲大橋』『葛西臨海公園』『竹芝桟橋』等である。投稿したこの写真であるが、自宅から埼玉方面へ30分ほど歩くと新河岸川に着く。その川に架かる小さな橋の上から手持ちで撮影した。この辺りは閑静な住宅街で空を遮るような高いビルもなく、最も高いのは送電線の鉄塔くらいのものである。
 人も車も殆ど通らない場所ではあるが、夕焼けを撮る好条件が割りと整っており、意外と撮影の穴場だったりもする。夕日の赤が川面を真紅に染め上げる光景は圧巻!今年こそは横浜港からの夕焼け空をカメラに収めたいと思っているのだがどうなる事やら…。

 

 

 クリスマスイベントが日本に広まり定着する切っ掛けを作ったのは銀座の明治座と言われている。クリスマス商戦を何処よりもいち早く展開し、庶民向けの豊富な商品の販売は人気も上々で大成功を収め、日本に於けるクリスマスの礎となった。 
 クリスマスと言えば欠かせない物がプレゼントである。サンタクロースに願い事をし、贈り物を心待ちしていた幼い記憶を誰もが皆持っていた。そんな無垢な心からやがて月日が経ちその正体を知る事となる。そして今度は自分が親になりサンタを演じている。
 サンタクロースの真実を知るのは平均で7歳だと言われているが、私は今でもその存在を信じている。人類がこの地上に生まれ進化し栄光と繁栄を繰り返して来たが、その影には醜い権力の争いが常に付きまとって来た。それでもサンタクロースは年に一度訪れるのである。サンタは神の化身、諍いの絶えない人間に心を痛めた神は、サンタクロースに姿を変えて子どもや大人に一つのプレゼントを置いて行く。
 それは愛である。愛情の篭ったプレゼントほど嬉しいものはない。愛とは受け取るものではなく、与えるものだと教えてくれている。頂いた愛は人から人へと受け継がれていくもの。貴方は生まれながらにしてこの世に生を受けた時、既に母胎の中で愛を感じとっているのだ。
 そして私にはどうしても忘れる事の出来ないクリスマスに纏わる思い出がある。それは私が小学生だった頃の事。貧困は、時に子どもの心を傷つける。私はそれを子ども時代にうんざりするほど味わって来た。空腹に耐えきれず石ころの下の蟻の巣を見つけると大量の蟻を両手で救い口に頬張ったりもした。赤蟻は蜜を持っているのでそれが飴の様に甘かった事を覚えている。
 その日はクリスマス・イヴだったと思う。時計が午後�10時を回った頃、泥酔しきった父が真っ赤な顔をして帰宅し「とし坊、土産だ」と言って私の前に差し出した小さな白い箱の中身は、酒臭いイチゴのショートケーキだった。しかも何処かで箱を落としたのか、半分グチャグチャに潰れかけていた。それでも私はそれが嬉しくてたまらず、涙をポロポロ零しながらそのケーキの甘さを味わった。42年の短い人生の中で父からの贈り物はその小さな崩れかけのケーキのみだったが、酒と自分が流した涙のしょっぱさが入り混じったケーキの味を今でも忘れていない。
 酒を一杯引っ掛けて酔わないと自分の息子の為にさえまともな贈り物も出来ないほど、恥ずかしがり屋だったのだろう。酔えば必ず暴言と暴力で私を傷つけて来たが、私自身は一度も父を嫌った事はなかった。父よりもむしろ父を狂わす『酒』に恨みを抱いていた。この世から酒が無くなって欲しいと何度も神様に手を合わせていた。
 クリスマスは平和の象徴でもあり皆が楽しめるイベントでもある。が、しかしその隣では
明日の糧を求めて餓え続け、サンタクロースの来ない子どもたちが大勢いる事も忘れないでいて欲しい。今、あなたがもし幸せだと思ったら、それは「当たり前」ではないことなのだと認識して欲しい。
※写真は東京ソラマチのイルミネーション。

 

 

Happy New Year 2024!

 

2022年に引き続き昨年も皆様には大変ご心配をお掛けしました事をこの場を借りてお詫び申し上げると共に2024年が明るい希望に満ち溢れる一年になりますように。

 

 年明け早々不安で暗いニュースが飛び込んで来て正月気分が吹き飛んでしまった方も多いのではないだろうか?筆者もその内の一人であるが、元日の夕刻に能登半島を震源とする震度7の巨大地震…。地震発生から一夜明けた2日にはその被害の大きさが想像を遥かに超えるものだった。テレビに映し出される映像や写真は地震の底しれぬ破壊力を見せ付ける内容で、言葉を失った。観測では1.2m以上の津波とあるが、港には転覆し船底だけが辛うじて見える漁船が何隻も無惨な姿を見せている事から津波はおそらくもっと高い2mを超えていたのではないかと思われる。火災の発生により焼け落ちた民家、土台から崩れ落ちたビルなど、まるでそれは空爆を受けた戦場の如くである。
 2011年の東日本大震災以降、日本列島を取り巻く海洋プレートの動きが活発となり、日本の何処で巨大地震が発生しても不思議ではないほど、不安定な時期に差し掛かっていると言えるだろう。東京で今回と同程度の地震が発生した場合、おそらく首都壊滅と言う想像するのも恐ろしいシナリオが見えて来る。『備えあれば憂いなし』と言われる様に日頃から命の安全を徹底し、リスク管理を怠らない事が肝要である。
 日本海から吹き付ける寒風で被災地では暖もまともに取れない厳しい状況に置かれており、一刻も早い救援が望まれる。気象庁は今回の地震を『令和6年能登半島地震』と命名した。この地震で犠牲になり亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 NHKの『ゆく年くる年』で神田明神(神田神社)が紹介されたおり、初詣の参拝客が門の開くのを今か今かと待っている場面を見つつ、私は自作の年越し蕎麦をすすっていた。無事に年越しを迎えると共に、神様から頂いた今ある命の尊さを噛み締め、今年は入院なんて事にならぬよう自己管理を徹底し、今年も来年もその数年先も元気で撮影ライフを楽しめるよう、神社の御祭神である『だいこく様』に手を合わせた。商売繁盛の福の神でもあり、健康、除災厄災のご利益もある事で有名。

 

 

 

 

 九品仏浄真寺の訪問は今回が3回めとなるが、この場所が都内で2番めに人気のある紅葉スポットだと始めて知った。今年の紅葉は夏が長かった影響もあるのか紅く色付くのが例年よりも遅い気がした。11月中旬過ぎにそろそろ色付き始めているだろうと思い、増上寺へ行ってみたのだが紅く色付いたもみじの姿を見る事は出来ず緑一色と言う、ちょっと残念な結果だったが、撮り方次第で青もみじもまた味わい深い趣のあるphotoに変身する。
 花・植物の撮影時に使うレンズはほぼ決まっていて、中望遠マクロのZ-MC105mmで撮影するのが殆ど。花壇に囲まれ中に入れず近づいての撮影が困難な時はタムロンの望遠レンズが活躍する。使う機会はあまりないけれどイザという時には頼もしいレンズとなる。単焦点レンズで撮るのがオススメではあるが、レンズにはそれぞれ特性がある。人間の性格の様なもので、テキパキと歯切れの良い写真を撮るなら単焦点レンズ、出来るだけ明るく理想はf/1.4辺りだろうか…。背景を美しくぼかした写真であれば絞り羽根が9以上あれば正円に近い玉ボケを作る事が出来る。
 花など植物を撮る時はほぼマニュアル撮影となる。絞りリングを少しづつ回して行くと背景のボケ感を掴みやすくなり、後は自分の感性でここだ!という時シャッターを切る。橋の写真で話した通り阿吽の呼吸である。青い空と木々の隙間から溢れて来る陽射しを計算しつつ、あらゆる角度からの撮影に全力を注ぐ。だから風景写真より花などを撮る時の方が遥かに神経をすり減らし尚且つ体力も相当必要になるため、目的を達成した後はヘトヘトになるほど疲れているのだが、達成感がそれを遥かに上回っているため、さほどの疲れを感じる事はない。ただ、翌日は身体中のあちこちが筋肉痛やら関節通で、日頃の運動不足を実感している。
 寺院特有の静寂と都会では味わう事の出来ない異空間が広がる『小さな京都』に迷い込んだ様な錯覚を覚えつつ、黙々とシャッターを切り続けた。木漏れ日の中、もみじたちの囁き合う声を聞きながら心の中で仏様に手を合わせていた。

 

 

 今回の秋バラ撮影では、いつも行く鳩山会館や新宿御苑ではなく練馬区光が丘にある『四季の香ローズガーデン』まで足を運んだ。このバラ園には3年前、一眼レフデビューして一年目を迎えた頃に出掛けているのだが、薔薇を撮ったつもりがHDの中身を調べても一枚も見当たらなかった。多分、薔薇を撮るのが苦手で敬遠していた時期だったため、園内に咲き誇っている秋の花を眺めるだけに終わったのかも知れない。
 都営三田線の春日駅で都営大江戸線に乗り換え、都庁前で光が丘行きに再度乗り換える。自宅駅の西台から約1時間程度、光が丘駅から徒歩5分とアクセスも良く、しかも入園料は無料。閉園は17時だが、広すぎず狭すぎずと撮影には丁度良いスペースが嬉しい。薔薇以外にも色んな花々が咲いており、無料の割にはしっかりと手入れされているため、園内全ての花を撮ってしまいたくなるほどである。
 秋桜の時のようにしゃがんだり寝転んでみたりと、あらゆる角度からの撮影。地面は柔らかい芝生だったので、腰を下ろして低位置からの撮影もさほど苦ではなかった。撮影に夢中になっていたため時間の経過もすっかり忘れており、気付いたら空が黄昏色に染まっていた。園内には既に誰もおらず私一人が花の前に座って撮影していた。と、その時事務所の中から若い女性スタッフがやって来て「17時過ぎましたので閉園です…」と声を掛けられた。その優しい声で時間オーバーしている事に気付き、ペコペコと頭を下げながら何かを呟いたのだが何を言ったか記憶にない。園内を出た後、まだ諦らめ切れず夕暮れの中に佇む薔薇を撮っていた。夕暮れと言うよりほぼ夜に近い状態だった。
 一眼レフを始めた頃、こんなに花を撮るようになるとは思っていなかった。いつも風景をメインに撮っていたからレンズも広角ばかりだった。花を撮るのが愉しくなったのはタムロンSP90mmを使うようになってからだ。D810との相性も抜群だったし、優れたマクロレンズだった。そのタムロンで撮った芝公園の赤い薔薇の事は今も記憶の片隅に刻まれている。花の撮り方を伝授してくれたレンズと薔薇に感謝である。

 

 

 天王洲アイルはお台場と並んで人気の観光スポットである。私のお気に入りでもある為、年に数回は撮影に訪れている。運河に囲まれた水辺の風景を眺めながらお洒落な水上レストランで食事を楽しむカップルも多い。
 撮影した橋は『天王洲ふれあい橋』と言う名称で、歩行者専用の小さな橋であるが、夜になると綺羅びやかな光でライトアップされて、夜景撮影の人気スポットでもある。季節によってライトアップの光が変わる。最初に訪れた時は一眼レフを始める前でスマフォで撮影していた。春先だったと記憶しているが緑色に輝くお洒落な橋と言う印象を受けた。
 この地域は結構広く、全ての場所を(撮影しながら)回ろうとすると半日は掛かるだろう。『水辺とアートの街』と言われるだけあって、所々に大きな壁画を見る事も出来るし散策している内に新しい発見もあったりと、撮影意欲を掻き立ててくれるのが嬉しい。
 浜松町からモノレールで行けば天王洲アイル駅まで僅か10分程度で着くが、撮影が目的なのでJR品川駅から20分ほど歩きながら目的地へ行くのが私のコースである。モノレールに乗っていたら発見出来ない見どころもあるし、逆にモノレールの高い位置から運河を眺めるのも良いかと思う。
 私の『橋の始まり』は隅田川に架かる『新大橋』で、三脚を使った夜景撮影を教えてくれた思い出深い橋。それ以来、橋に取り憑かれた様に都内の橋(特に隅田川)を撮りまくって来た。被写体に対峙していると囁きの声が聞こえて来るのである。「私をこの様に撮って下さい…」と。まるでそれは神のお告げの様に心に響いて来るのである。ファインダー越しに被写体と阿吽の呼吸でシャッターを切る。それは花でも人物でも同じ事。全ての万物には生命が宿っているから、それらと一体になった時シャッターチャンスが訪れるのである。