Yoga spot SUKHA ~Kaoriの和顔施ヨガログ~

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自分のために・周りのみんなのために笑顔を大切に・・・



<指ヨガ講座>

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「自分の所に来る人たちを見てごらん」

 

 

ヨガの指導をさせていただくようになって

 

「自分の色はなんなのか」

 

「自分はヨガを通して何を伝えたいのか」

 

迷っていた時に今は亡き恩師が言葉をくれました。

 

 

当時、指導士になりヨガのレッスンをさせていただくようになって

 

健康のため、美容のために参加する人たちが大半でしたが

 

その中にも話を聞いていくと表面には見えてこない

 

悩みを抱えている方たちがいました。

 

 

「自分の病気がよくなると聞いて」

 

 

とヨガのレッスンに申し込みをしてくれた方は

 

自分が背負った難病のことを打ち明けてくれました。

 

 

精神的に疲れている方

 

自分を否定しながら過ごしている方

 

病と向き合ってる方

 

介護疲れをしている方

 

 

様々でした。

 

 

身体も心も元気な人たちにとって、ヨガのアサナ行は

 

適度な達成感と爽快感を味わえます。

 

 

でも・・・

 

 

自分の身体を自由に動かせない人たち

 

身体を動かす気力がない人たち

 

にヨガを伝えていくにはどうすればいいのか。

 

 

その問いの答えを亡き恩師はくれたのだと思っています。

 

 

龍村式指ヨガ健康法のインストラクターになり、

 

ホスピス病棟で過ごす人たち

 

難病の人たち

 

認知症の人たち

 

高齢の人たち

 

障がいを抱える人たち

 

子どもたち

 

の手に触れてきました。

 

 

身体を動かすことができない

 

身体を動かす気力がない

 

身体を動かしたくない人たちも


指ヨガと聞くと手を差し出してくれます。

 

その手にそっと触れて、互いの体温を感じる時間。

 

 

そして、自分の身体に触れることや

 

自分の身体に意識を持っていくことの大切さを

 

言葉少なに伝えてこれたと思っています。

 

 

 


誰もが自分を見失ってしまうことがあります。

 

 

困難な状況

 

忙しい日々・・・

 

 

そんな時にふっと自分を見つめる時間を

 

自分でつくることができたら

 

きっと日々の過ごし方に変化が表れるかもしれません。

 

 

そんなことが指ヨガにはできると思っています。

 

 

12月11日から始まる指ヨガインストラクター養成講座は

 

申し込みがたくさんありました。

 

 

私から伝えたいこと

 

受講生のみなさんから伝えられることを深く考え、

 

自分の中に落とし込んでいきたい時間になるので

 

少人数の開催にこだわっています。

 

 

今回、定員で受講できなかったみなさんはもう少々お待ちくださいね。

 

規則的で小刻みに吸う息

そして、深く吐く息と小さく漏れる声

とめどなく涙が溢れてくる。

泣くという行為は呼吸を深めてくれる。

そして、心に溜まったものを排出してくれる。

この4年間、何度その行為に救われただろう。

重責として背負ったものは自分の立場だった。

「こうであるべきだ」

「こうでなければならない」

その立場が自分を縛り付ける。

そして、自分の思う理想や他人が描く理想像になれない自分に失望する。

そうやって自分を肯定できなくなる時間が生まれ、

心が自己否定で満たされていく。


泣く動作は自分の弱さを知る。

泣く動作は浅くなった呼吸を深くしてくれる。

泣いている自分の横には自分を優しく見つめる眼差しがある。

泣いている自分に優しく触れてくれる手がある。

その温かさを知っているからこそ自分も人に寄り添える存在でありたいと思う。

泣くことで知ることは多い。

人はそんなに強くない。

だから、人は繋がり、助け合い、寄り添い、生きていく。

泣くことは忘れかけていた

大切なことを思い出させてくれる。

自分はどんな人間でありたいのかを…。

声にできなかった声を聴くとき、

その子の裏に隠された状況を感じとれるようにトコトン耳を傾ける。

発せられる言葉の多くは付録のようなものであることが多い。

その中にポツンと決して聴きこぼしてはいけない言葉が隠されている。

聴くということは簡単なことではない。

それはその子に向き合い、自分自身の心とも向き合うことにもなる。

狭い世界でがんじがらめになっている子ども達に

選択肢を与えられること

その子が見えている世界以外の世界があることを伝えること

そして、信用できる大人がいるということ

それを伝えていきたいと思っている。

だから、一人の子の声を聴くことは一時でも自分の身体や思考、時間、全精力を注ぐことになる。

それは目の前の子の辛さや悲しみを受け取った時にポッカリと空いた自分の心の穴を埋めていく作業でもある。

時に、自分の限界を知り、何もできないと痛感する。

だからこそ、動く。

たくさんの人たちの力を借りて、その子の声を受け取ろうと…。

何かを守るために人がつながる。


その重要性を常に感じている。