片山尚志(片山ブレイカーズ&ザ☆ロケンローパーティ) オフィシャルブログ Powered by Ameba
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人生の糧になる日々

震災から29年目。

最初の1日が終わろうとしてます。



28年目最後の夜は、地元神戸のライブハウス、太陽と虎でライブでした。



昨日の太陽と虎では、能登半島地震への支援物資を集めていた為、ひょうへんクラブのメンバーも1箱ずつミネラルウォーターを購入して持って行った。阪神淡路の当初、水をタンクに入れて運び、お年寄りの家の風呂桶に貯水するボランティアを思い出し「水がいいかもな」ってメンバーに提案した。



ひょうへんクラブは、ヒライマサヤ以外の3人(ワタクシ片山尚志と、ドラムナツコ、ベースシンノスケ)は神戸生まれの神戸育ち。29年前の今日は知らないものどうし。とても感慨深いライブになった。今回のイベント主催だった片平里菜ちゃんの歌う「満月の夕」にもグッとくる夜だった。



29年前、十代の子供なりに非常に苦しい思いをした。

そんな高校時代を振り返ると、震災が引き起こした様々な不便と戦った日々を思い出す。

壊れた線路、倒壊した建物、揃わないインフラ。学校は瓦礫の街をチャリで走って通った。多感な時期だったので、状況に耐え切れず、父親に神戸を出たいと行った事もある。



その時の父は、とてもいい事を言ってくれた。

「この街をよく見ておくべきだ。この経験は、お前の人生の糧になる。」



当然、神戸を出る事もなく、僕は復興していくこの街の高校を卒業してから、京都にきた。僕に何が出来る様になったかは分からないが、少なくとも地震が起こっても慌てず、力になれる様に行動できる人間にはなったと思う。

自分が考えるその時最良の団体に寄付したり、支援物資の協力は惜しまない。後は、平常運転で日常を楽しむ。これでいいと思う。



過去の震災が生み出した「人生の糧」は、沢山の学びを生み、災害時対策も随分進化した様に思う。

勿論、賛否両論あるのは知ってるよ。対応の遅れやミスで救われなかった命があったのも承知している。

行政の対応のスピード感や、民間の支援のシステム化は昔とは雲泥の差があると思うし、それは、神戸や東北や熊本の犠牲が無駄じゃなかったって事じゃないかな。

インプレッション稼ぎの誤情報拡散など、辟易する様なものもネット上で沢山目にするが、少なからず過去よりは進んでいると僕は感じた。



能登半島での地震のニュースを見て、今日1日を過ごし、そして考える。

僕は周囲の人間を守れる様になりたい。関わってくれる人たちと楽しめる人間になりたい。沢山の人へ届くには力不足だけど、周りにいる人の力になりたい。ノイズの様な発信には目もくれず、でも日々を注意深く過ごし、周囲に心配りを忘れない様に生きる。



こんな風な考えに至ったのは、29年前の今日と、その後の神戸を体験した僕の「人生の糧」なのかもしれない。



みんな、元気ですか?

ご無沙汰してる人も、会いたい人も沢山います。僕も皆さん同様、ニュースに心を痛めながらも、元気に今を生きてます。元気な人は能登へ力を送りましょう。自分の出来る範囲で大丈夫。僕も出来る事から始めます。



今年も読んでくれてありがとう。














1月17日は毎年寒いんだ

 

 

今年の朝は寒いですね。

28年前の今日は雪が降っていました。パジャマのまま家を飛び出して凍えていた10代のクソガキもそこそこの中年です!

今年も立派に生き延びました。

 

 

 

そこそこの中年になると沢山の別れを経験しますが、痛みへの耐性は、この頃に養われたものと思います。別に慣れたわけではなく、愛別離苦の憂いは尽きるところをしりません。それでも、気の合う仲間と楽しく生きてます。

 

 

 

昔みたいにバンドワゴンに揺られ、色んな土地へ色んな人に会いに行く。そんな生活は遠い昔の事の様に感じるけど、片山ブレイカーズはまだ続いてるんですよねぇ…。去年は20周年(ホントは22年)記念のワンマン出来たし、今年だってワンマンはやるつもりだし。セカイイチは活動休止を発表しちゃったけど、バンドによって色んな正解があるんだと思う。

 

 

 

片山ブレイカーズはこんな感じでもう少し続くのかな。トムが新しいお店を始めたり、アズマが忙しかったり、前と同じ様には行きませんが、結構形変わっても今更辞める理由が見つからないしね笑

 

 

 

僕はと言えば、楽しく生きてます!笑

年明け早々コロナに罹患しましたが、まあ2週間も経てば熱も下がって、それなりにやってます。今年の僕は新しいバンドをやります。もっと直感に従って素直に思いついた事を形にする1年にしていきたいな。

 

 

 

会えてないひと沢山いるけど、皆さん元気ですか?

今年は出来るだけ僕から会いに行きます。

 

 

 

「ようやったー今年も生き延びた!」って来年振り返れるように、インスピレーションを大事に1年駆け抜けて行きます。先ずは本日、直感に従ってあったかい部屋着を買いに行こうと思います。

 

 

 

今年も読んでくれてありがとう。

貧窮と災害のない、世界中の弱者の流血が止む1年であります様に。

 

 

 

 

忘れない事を忘れない27年目

 

十年一昔というならば、随分と昔のことになってしまいました。ですが、僕が昨日のことの様に思い出せるのは、毎年この日の朝に「忘れない事を忘れない」様にしてるからかもしれません。阪神淡路大震災から、27年目の今日です。

 

 

 

当時の朝は、雪がチラつくほどの寒さ。両親が東京へ出張中だった為、ひっくり返った家具や、割れて散らばったグラスや皿を心細く眺めた記憶が、昨日のことの様に思い出されます。

 

 

 

毎年読んでくださってる方には、もういいよって感じかもしれませんが…。僕にとっては大事なルーティンなので暫しお付き合いください。

 

 

 

人の命は大地に支えられています。大地は驚くほど脆弱で、命は輪をかけて脆い。すべての人の安全が担保される事はないし、備える事の大切さと、嘆きながらも立ち上がる強さを忘れない様にする。

 

 

 

27年も経てば、立派に遠い昔の話なので、当時の日々にあった学びや気づき、湧き起こった感情を忘れない様にする。

 

 

 

毎年、忘れない事を忘れない様にする。

今年も生き残りました。

 

 

 

昨年は、コロナ禍を生き抜いた1年について書いてたんですね↓

 

 

そこから数ヶ月、あの世の方が楽しいんじゃねえの?と錯覚するくらい、去年は沢山の仲間がこの世を去りました。生きるのって辛いなぁと思うのは、友達が死んだ時です。いい奴が先に逝ってしまった時です。多感だった10代、震災の後は非常にセンシティブになりましたが、去年の方が遥かに辛かったな。

 

 

 

後藤雪絵さんのお通夜の後、アズマが「みんな、死なんといて欲しい…」と泣いてる姿が忘れられない。僕らの心の声だった。生きていて欲しい奴ばっかり、楽しく暮らしてて欲しい奴ばっかりです。

 

 

 

命を考える為の1日。忘れない事を忘れない為の朝。27年も続けているが、今年はこんな文章になった。年末に置いてきた筈の感情も、今の自分をつくる大切な因子なんだと思う。

 

 

 

今年も読んでくれてありがとう。

最後に、トンガ沖の大規模噴火により影響を受けた皆様へお見舞いを申し上げます。今朝のニュースでも、現地の被害状況は未だ不明。無事と安全をお祈りしております。

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