「遅い、遅いぞ武蔵!」


 待ちくたびれた小次郎は、男の顔を見るなり声を張り上げた。


 「いや~、悪い悪い」


 無精ひげを生やした武蔵は、悪びれた様子など全くなさそうに間延びした調子で謝ると、形だけ頭を下げてみせた。


 「いざ、尋常に勝負!」


 苛立ちを隠し、意気込む小次郎。


 彼はすらりと刀を抜いた。


 かの有名な『物干し竿』が、まばゆいばかりの姿を露わにする。


 そして小次郎は、邪魔になる鞘をその場に放り捨てた。


 「武士が鞘を捨てるとは……」


 武蔵は呆れたようにやれやれと首を振る。


 「この勝負、お主の負けだな」


 その言葉がさらに小次郎を苛立たせた。


 「何だとぉ!」


 しびれを切らし、ただでさえ険しくなっていた形相をさらに険しくして、小次郎が声を荒げる。


 自然と柄を握る手にも力が入り、手のひらはすでに汗ばんでいた。


 「今捨てた鞘を見るがいい」


 言われて、馬鹿正直にも小次郎は投げ捨てた鞘に目を落とした。


 当然、彼の視線が武蔵から外れる。


 「小次郎、破れたりぃぃ!」


 武蔵ほどの達人ともなれば、その一瞬の隙を見逃すはずがない。


 大空高く飛び上がると、後ろ手に隠し持っていた木刀を小次郎の頭部めがけ、渾身の力を込めて打ち下ろした。


 腰の入ったシャープなスイング。


 避けられるはずもなく、顔から砂浜へと小次郎は倒れ込む。


 勝敗は決したのだ。


 決まり手は、木刀による浴びせ倒し。


 しかし武蔵は勝ったにもかかわらず、どこか虚しさを感じていた。


 それは一人残された男の哀愁とでも言うべきものだろうか。


 とはいえ、それでもたった一つだけ言えることがあるとすれば――『勝てば官軍』ということだろう。


 こうして世紀の一戦は、武蔵の完全勝利で静かに幕を閉じたのだった。




 

 それから時は流れ、一世一代の勝負に勝った武蔵ではあったが、同時に生命の儚さ、世の無情さ、そして自身の強さに嫌気が差して、ついには隠遁することになる。


 そのとき記した書が彼の半生を描いた超大作感動巨編『五輪の書』であることは、あまりにも有名な話だろう。


 しかし、これが後世近代オリンピックの起源となった事実は……あまりも知られていない。
                

 じめじめじめ。


 すでに6月も終わりに近づいているというのに、窓の外は相変わらずの雨。


 どしゃ降りではなかったけれど、1週間も雨が続いていれば気が滅入るには十分だった。


 どんなにおしゃれをしても、よどんだ空がすべてを灰色に染めてしまう。


 こんなことが続くのなら、お気に入りの傘なんて欲しくもない。


 憂鬱な空も、そろそろ機嫌を直してもいいんじゃないのかな?


 特に何か用事がある訳じゃないけれど、あさっての日曜日までにはやんで欲しかった。


 とにかく体がだるくて、やる気もおきない。


 ベッドに寝転びながら、ただぼーっと外を眺めていた。


 テレビを付けっぱなしにしたまま、隣ではコンポのスピーカーも音を立てている。


 消さなければとは思うものの、わざわざ起き上がるのも面倒なのでほったらかしだ。


 それらの音に混じって、母親の呼ぶ声が階下から聞こえてきた。


 どうやら昼食ができたらしい。


 そういえば、ここ2日ほど何も食べていないような気がする。


 不思議とお腹はすいていなかったが、さすがに起き上がって降りて行こうとすると、なぜかぴちゃぴちゃと音がする。


 振り返ると、わたしの歩いた跡が水で濡れていた。


 まるで今まで水の中にでも入っていたかのように。


 もしやと思って腕を絞ってみる。


 すると思った通り、水がぽたぽたと滴り落ちた。


 これでは体が重いはずだ。


 わたしはバスルームに行って、身体を思いっきりひねってみた。


 水が全身から溢れるように流れ落ちる。


 何度も身体をひねり、わたしは梅雨の間にためこんでしまっていた水分を一気にしぼりだした。


 あっという間に浴槽が水でいっぱいになる。


 とたんに体が軽くなり、さっきまでの倦怠感がうそのように気分も晴れてきた。


 なんだか外も少し明るくなってきたみたい。


 ちょっとお腹もすいてきた。


 やっと梅雨も明けそうだ。

 休憩室は緊張感に包まれていた。


 店長の機嫌がやけに悪そうなのだ。


 普段から気分屋でワンマンなところもある彼だけに、その不機嫌さのありありと浮かんでいる表情は休憩室の空気をぴりぴりとさせるに十分だった。


 タバコをふかしながら、店長がふぅっとため息をつく。


 それとなく周囲を見渡し、また大きくため息。


 機嫌が悪いくせに、誰かに話を聞いてきて欲しいという態度がありありと伺えた。


 なんともたちが悪いが、早く聞かなければより機嫌を悪くするだろう。


 かといって下手な質問をすれば、大きな被害が及ぶことも必死。


 こんなことなら休憩室から早々に出て行くんだった、と後悔するもすでに遅し。


 もう少し様子見をするのが得策かもしれないが、そうやって手遅れになっても困るし……


 駆け巡る様々な考えに心は翻弄される。


 誰か早く店長の話を聞いてくれ。


 生まれてこのかた、最低2回以上は使った一生のお願い。


 しかしすでに品切れしてそうな、そんな薄っぺらい願いでも神さまは聞き届けてくれるらしい。


 「ど、どうしたんですか?」


 最近入ってきたばかりの、期待の大物ルーキーである高校生バイトが緊張の面持ちで聞いた。


 他の面々はその勇気ある行動に、尊敬と哀れみの視線を送る。


 「ああ、ちょっと頭が痛くてな」


 わざとらしく面度臭そうに答えるが、その表情の中にはどこか嬉しそうな感情も見え隠れしていた。


 少々、ほっとする一同。


 「あ、頭が悪いんですか?」


 それを打ち砕くかのように、軽率な一球を放り投げたルーキー。


 言いたいことはよく分かる。


 よく分かるが、あまりに言葉足らずだぞ。


 それは明らかに危険球だった。


 彼もそれに気付いて、すぐさま言い直した。


 「あ、頭は大丈夫ですか?」


 カウントを急ぎすぎての、2度目の暴投。


 時間が凍結し、俺たちの体は硬直する。


 沈黙と緊張感で満たされた休憩室。


 休み時間が終るまで、俺たちにかけられた呪文がとけることはなかった。






 次の日、期待のルーキーは早々と自由契約になっていた。




       

にほんブログ村 小説ブログへ   


  
人気blogランキングへ



↑のバナーを押してもらえると、励みになります。

 一週間つけてるだけで痩せるという、うわさのスーパーアブサンダーEX。


 最近ウエストが気になるものの、運動嫌いな俺にはぴったりだった。


 テレビでもあれだけ太ってた人が痩せてたんだから、きっと効果があるはずだ。


 いや、けっこうな値段をしたんだから効果がなくては困る。


 自分に言い聞かせつつ、風呂上りに装着してみた。


 ぶるぶると振動が伝わってくるものの意外と違和感はない。


 これなら寝るのにも邪魔にならなさそうだ。


 電気を消すと、俺はベッドへともぐりこんだ。






 「おぉはぁよぉぉ」


 大学のキャンパスを大きなあくびしながら歩いているところを、友人に見られてしまった。


 慌てて、ごまかすように挨拶をする。


 しかし友人の関心はそっちにはなかったようだ。


 「あ、お前あれつけてるだろ」


 服を着ていれば外見から分からないのに、声が震えて一発でばれてしまうのが難点だった。


 しかし目に見えて効果があった。


 2日目には、なんだか体が軽く目覚めがよくなっていた。


 4日目には、朝の通学時にあまり汗をかかなくなっていた。


 6日目には、今着ている服のサイズが完全に合わなくなっていた。


 そして一週間後。


 鏡に映る俺は別人そのものだった。


 さすがうわさになるだけのことはある。


 「おぉはぁよぉぉ」


 しかし問題はこれだ。


 一週間たってスーパーアブサンダーEXを外したというのに、声が震えるのだけは、どうにも直らなかった。


 効果があるものほど、副作用があるってことか。



       

にほんブログ村 小説ブログへ   


  
人気blogランキングへ



↑のバナーを押してもらえると、励みになります。

 奈良橋は、トップで快調に飛ばしていた。


 38kmをすぎ、すでに2位以下を大きく引き離している。


 よほどのことがない限り、彼の国際大会初優勝は間違いなかった。


 しかし、その油断が大きなミスを生んでしまった。


 交差点に進入したことに気づかず、完全に信号を見落としていたのだ。


 「おおっと、トップの奈良橋が、奈良橋が痛恨の信号無視です!!」


 実況のアナウンサーがマイクを握り締め、声を裏返して叫ぶ。


 さらに車線変更の際に手で合図を出すのを忘れ、ふらふらと左の車線に移ってしまっていた。


 そしてボールを拾おうと急に車道にへ飛び出してきた少女と、激しくぶつかる。


 動揺した彼は少女を助けることなく、跳ね飛ばしたまま走り去ってしまった。


 背後から聞こえる少女の泣き声。


 精神・肉体共にぼろぼろだった。


 訳もわからず、ただ本能だけでゴールを目指して走ってる状態だった。


 それでも競技場が目に入ってきたときには、彼も少し冷静さを取り戻していた。


 大観衆の中、トラックを走る。


 もう少しだ。


 トップでテープを切った彼は、一気に押し寄せてきた疲労の波に飲まれ、そのまま地面へと倒れこむ。


 薄れゆく意識の中、観客の大歓声だけが耳に響いていた。
 





 目を覚ました時、奈良橋は留置場にいた。


 罪状は信号無視にひき逃げなど。


 有罪は免れない。


 壁にもたれて力なく座っているその姿に勝利の余韻はなく、胸に下げられた金メダルが物憂げに輝いていた。




       

にほんブログ村 小説ブログへ   


  
人気blogランキングへ



↑のバナーを押してもらえると、励みになります。

 「自分の意思で始めたのなら、それは立派なことさ」


 慶介の目は真剣そのものだった。


 いや、今に限ったことではなく彼はいつもこうだった。


 「でも学校で授業があるから仕方なく英語を勉強する。これってものすごく不毛だよな?」


 曲がったことが嫌いで、不器用なほど直球オンリーな性格。


 いつも前だけを向いているのが、普段の行動からも見て取れた。


 「みんなが勉強してるから、じゃあ自分も。なんて、後ろ向きな姿勢で英語を学んだって身につくはずがないんだよ」


 そんな慶介の言葉に、亮や尚美もうなずく。


 彼の言葉には、人を引き込む妙な説得力があった。


 「それなら英語なんか勉強するよりも、自分の手で日本語を世界共通語にしてやる、ってぐらいにポジティブに考えるべきなんだ!」


 慶介が熱く熱く語る。


 「はいはい、そこまでね」


 と、チャイムとともに教室に入ってきた英語教師が、教壇にいた慶介のお尻を軽く出席簿で叩いた。


 「では授業を始めます」


 おっとりとした英語教師の声。


 しぶしぶ着席する慶介。


 そして何事もなかったかのように、今日も彼の大嫌いな英語の授業が始まった。



       

にほんブログ村 小説ブログへ   


  
人気blogランキングへ



↑のバナーを押してもらえると、励みになります。

 妻は料理が得意だった。


 今夜もシェフ顔負けの料理がテーブルに並び、さっき食べ終えたところだ。


 妻が食器を片付けるのを尻目に、わたしが食後の紅茶をリビングに運ぶ。


 二人だけのゆったりとした時間。


 何をするでもなく寄り添いながらソファーに座っていたら、つけっぱなしのテレビでは通販番組が始まっていた。


 新しい洗剤の紹介だ。


 「ほら、この通り。しつこい油汚れも綺麗さっぱり」


 フライパンにこびりついた汚れが、その洗剤を数滴落とすだけでさっと落ちる。


 「台所の汚れ、トイレ、そしてお風呂。なんにでも、どこにでも使えます」


 「すごいわね」


 なにやら妻が興味を示す。


 確かにこれが本当なら、食事の後片付けも楽になるだろう。


 「今ならさらに、一瞬で汚れを拭き取れる高機能タオルも付いてきます」


 「どうせ誇張しているだけさ」


 わたしはそんな怪しげな洗剤になど興味なく、ぐっと妻を抱き寄せようとした。


 が、するりと彼女はわたしの腕をすり抜ける。


 どこか、いつもと様子が違っていた。


 「わたしの過去も、綺麗に洗い流せるかしら……」


 妻のつぶやき。


 どこか陰のある遠いまなざしが、やけに悲しそうだった。


 俺はもう一度彼女の肩を、力いっぱい抱き寄せる。


 「君の過去も悲しみも、俺がタオルになって全部拭き取ってやるさ」


 「あなた・・・・・・」


 今度は彼女も抵抗しなかった。


 俺の肩に自分の頭を寄せてくる。


 紅茶はまだ、ゆらりと湯気を昇らせていた。





       

にほんブログ村 小説ブログへ   


  
人気blogランキングへ



↑のバナーを押してもらえると、励みになります。

 王国は未曾有の危機に直面していた。


 突如として侵攻を始めた帝国軍に完全に不意をつかれ、王国側は体勢を立て直す間もなく敗戦を重ねた。


 今まさに敵は王都にまで迫り、包囲網を完成させつつある。


 このままでは王都の陥落さえ時間の問題となっていた。


 この現実を前にして、聖女の異名を持つ王女ラフレンティーナの心は深い悲しみの海に沈んでいた。


 いつもは優しさをたたえている瞳もどこまでも憂いを帯びている。


 先代の王であった父が亡くなって王位を継ぐ間もなく、同盟を結んでいたはずの帝国軍の裏切り。


 いや、だからこそ敵はその間隙を突いて攻め入ってきたのだろう。


 彼女は自分の無力さを痛感する。


 聖女と呼ばれていても、自分を慕う人々を守ることさえできないことに。


 彼女にできることは最後までこの城に残ることだった。


 しかし彼女のもとに届けられるのは、悲痛な報告ばかり。


 状況は刻一刻と悪化しつつあった。


 ――なにか私にできることはないの?


 彼女は考える。


 この状況を打開する方法が何かないだろうかと。


 しばらく考えていた彼女は、やがて王家に代々伝わるあの小箱のことを思い出した。


 一つだけどんな願いをかなえてくれるが、使ったものには絶望をもたらすと言われている王家の至宝――希望の小箱。


 それは小さな頃に父王から聞かされ記憶の底にかすかに残っていた、かつて自分の身を呈して王国の危機を救ったという王妃の伝承。


 見た目は豪奢な宝飾の一つもなく薄汚れた小箱にしか見えないが、宝物庫の奥で大切に保管されてきてきたのだから、もしかすると言い伝えは本当なのかもしれない。


 気がつくと彼女の足は、自然と宝物庫へ向かっていた。


 きらびやかな宝石や彫刻が並べられた中、その一番奥に鎮座する不釣り合いな薄汚れた小箱。


 近づいて、そっと手に取ってみる。


 見た目よりも、ずっしりとした感触が手に伝わる。


 ためらいはなかった。


 もはや、それ以外にすがるものはない。


 呼吸を整え、全身を包み込む震えを必死にこらえながらラフレンティーナはゆっくりと封印の施された小箱を開けたのだった……
 



 
 しばらくの間、彼女は開け放たれた小箱を手にして呆然と立ち尽くしていた。


 何も起こらない。


 何も変わらない。


 予想をしていたとはいえ、失望感は拭えない。


 と、期待に裏切られた彼女が小箱の中を覗いてみると、なにやら文字の書かれた紙が一枚だけ入っていた。


 そこにはたった一言、こう書かれていた。





 『期限切れ』と。
 

 「夫と別れたいんです」


 彼女がわたしのオフィスを訪れたのは、一昨日のこと。


 今はテーブル越しに、その夫と二人ソファに座っている。


 「だから、急になんだってんだよ」


 彼は妻が離婚を言い出したことを、まだ理解できていない様子だった。


 オフィスにきてから、ずっと憮然とした表情を浮かべている。


 わたしは便宜上、彼の前では離婚調停が専門の弁護士と名乗っていた。


 「まだ分からないの?」


 「ああ、分からないね」


 わたしがいるのも忘れたように、言い争う二人。


 そんな喧騒をよそに、わたしは自分の仕事をするべく、二人の指から伸びた赤い糸を確認する。


 彼の方はまだ小指でしっかりと結ばれていたが、彼女の方はというと完全にほどけかけていた。


 これでは確かに、彼女の気持ちが冷めているのも仕方ない。


 「あなたとは一緒にいたくないの」


 彼女は冷たく言い放つと、わたしの方をちらりと見た。


 それを最終確認と判断したわたしは、スーツの内側に手を入れると胸の内ポケットから華美な装飾の施された銀色のハサミを取り出した。


 すっと手を伸ばし、二人の間にある赤い糸を切る。


 何の抵抗もなく、赤い糸は切れてしまった。


 「ああ、わかったよ。お前とはもう終わりだ!」


 とたんに夫は態度を急変させ、吐き捨てるように言う。


 彼はテーブルに置かれた離婚届へ乱暴に署名と捺印をすると、こんな場所には一秒でも居たくないとばかりにオフィスを出て行った。


 その背中を驚いたように見送る彼女。


 ハサミが見えていない彼女には、わたしが何をしたのか分からないのだから当然だろう。


 しかし、すぐに笑顔に変わる。


 何が起こったかというより、別れられたという事実の方が彼女にとっては重要なのだ。


 「ありがとうございました」


 「これがわたしの仕事ですから」


 そう、わたしの仕事はただ二人を別れさせるだけのこと。


 このハサミを使って。

 思った以上に仕事に手間取り、気付けば時計の針は次の日を示していた。


 最近、こんな日が続いている。


 そろそろ疲労もピークに達しようとしていたが、かといってなかなか休みも取れそうにない。


 そんな気が重い帰り道、俺は近所にできたばかりのサービスステーションへと立ち寄った。


 「いらっしゃいませ。レギュラーですか?ハイオクですか?」


 駆け寄ってきた若い人間の女性店員が、笑顔で訊いてくる。


 深夜なのにご苦労なことだ。


 ついつい自分の姿と重ね合わせてしまう。


 「ハイオクを満タン。現金で」


 短く答えると、俺はシートにもたれかかった。


 カーラジオに耳を傾けると懐かしいメロディーが流れていた。


 程なく、さっきの女性店員が俺のところへスタンドから伸びたチューブを持ってくる。


 「ありがとう」


 俺は受け取ったチューブの先を、口にくわえた。


 やっぱり残業で疲れた体にハイオクはいい。


 冷たく心地よい刺激が、体中のネジ一つ一つにまで染み渡る。


 残念だが、レギュラーじゃこうはいかない。


 ふと気が付けば、無意識のうちに目をつぶってしまっていた。


 気を緩めればこのまま眠ってしまいそうだ。


 「ゴミはありませんか?体をお拭きしましょうか?」


 ゆっくり目を開け声のした方を見ると、蒸らしたタオルを手にさっきの店員が立っていた。


 「じゃあ……お願いしようか」


 タオルの温もりと彼女の優しい手付きが、体だけでなく心までも包みこむ。


 さっきまで俺を蝕んでいた仕事の疲れが、タオルへと吸い取られていくようだった。


 しばしの快感に身を委ねる俺。


 ハイオクが満タンになっても、まだその心地よい余韻に浸っていた。