監督はキャシー・ヤン。

撮影はマシュー・リバティーク。

出演は、マーゴット・ロビー、メアリー・エリザベス・ウィンステッド、ジャーニー・スモレット=ベル、ユアン・マクレガー。


◆画面いっぱいのハーレイ・クイン

最も印象に残るのはバーズ・オブ・プレイ、カサンドラ・ケイン、ハーレイ・クインが集結したショット・・・ではなく、画面いっぱいに映し出されたマーゴット・ロビー=ハーレイ・クインの顔のショット・・・麻薬を吸い込むショットかもしれない。

本作は、ほとんど『スーサイド・スクワッド』のリメイクのようだった。光り輝くハーレイ・クイン、シンプルなストーリー、キャラクター紹介のスタイル(名前を文字で出すなど)、サウンドトラック、ジョーカーの薄い影、特に強調したいのはバラバラな人物が集結したのちに霧の中で決着がつく、というなんとも奇妙な一致だ・・・これはどういうことであろうか。また、キャラクターの描写をハーレイクインひとりに絞っているという意味では、日本語タイトルは正しい。

『スーサイド・スクワッド』を好む私としては、視覚的においても、複数人のキャラクター描写を行なっているというバランスにおいても、本作は難しい作品となった。集合するシーンにカタルシスを感じないのだ。作品トータルの結果的なポイントはそこではないという点で『スーサイド・スクワッド』と同等と言えるかもしれないが。


◆シスターフッド

優れた点は主にバックグラウンドに集中している。すなわちマーゴット・ロビーが主演・プロデュースし、クリスティーナ・ホドソンが脚本を書き、キャシー・ヤンが監督をしたという事実だ。これこそは現在ハリウッドの主流を占めるに至ったアメコミヒーローの映画化において、画期的なシスターフッドであると言える。

また、マーゴット・ロビーは「ハーレイが他の女性と遊んでいるのを見たかった」と語る。映画の画面上のシスターフッドは、少なくとも、強力な絆を感じさせるものではなかった。その点では、音楽担当のダニエル・ペンバートンが参加した『オーシャンズ8』が優れていた。監督のキャシー・ヤンはインタビュアーにハーレイ以外に誰か一人を選ぶなら問われ、ハントレスであると答えている。

『スーサイド・スクワッド』が編集段階で大きな変更を加えられた結果、監督のデヴィッド・エアーのビジョンが達成されなかったことに、マーゴット・ロビーは監督のビジョンを尊重するようワーナー・ブラザーズに要望を出していた。そして主演とプロデュースを兼ね、脚本をクリスティーナ・ホドソンに依頼した。その後、監督にキャシー・ヤンが就任した。主にこの3人のビジョンが忠実に反映された映画になっていることには疑いがない。


◆本作は何の話だったのか

本作がリメイクであるとの私の主張には理由がもう一つある。それはハーレイ・クインの解放だ。『スーサイド・スクワッド』劇中で、ジョーカーが死んだと思い込んだハーレイは、首の「プリンちゃん」のネックレスを捨てる。本作の冒頭の描写と全く同じであり、文字通りジョーカーと「別れて」いる。また『スーサイド・スクワッド』でハーレイが登場するシーンではフェミニズムの名曲レスリー・ゴアの "You don`t own me "が流れる。本作は違う角度からの「描き直し」であり、#MeTooとは偶然の一致を見せた製作段階から、まさに『スーサイド・スクワッド』のスピンオフとも言える作品になっている。『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey』と『スーサイド・スクワッド』の違いはハーレイが「誰と」仲間になるかであり、前者ではカサンドラ・ケインと、後者はスクワッドのメンバーと、だ。監督のヤンは「今回は世界を救う話ではなく、ひとりの子どもとハーレイの魂を救う話」であるとしている。ここで問題が浮上する。『スーサイド・スクワッド』で世界は救われたが、あまりにもどうでも良いストーリーによって、それがほとんど忘れ去られているということだ。観客の印象に残ったのはハーレイ・クインであり、それは彼女を主役とした本作が製作されたことから証明されている。すると、前述のようなハーレイを中心とした解釈になるのである。『スーサイド・スクワッド』においてハーレイが初めて登場するシーンではストーリーにおいての比較の話ではなく、あくまで単体の作品としてならば、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey』は「ふたりの女性の魂が救われた話」であるということができる。


◆客観と反解釈

主人公の主観で語られる映画に何があったか完全に忘れてしまったので省略するが(追記する可能性あり・同じくマーゴット・ロビー出演の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』はそうであったか・・・?と考え、キャシー・ヤンが「本作は高層ビルから語る映画ではなく、70年代〜80年代のニューヨークをイメージしたストリートの映画」と話しているのに思い至る)、映画はカメラがあるので、人物を映すという点で客観にならざるを得ない芸術だ。カメラは常に人物の外側にある。

ハーレイ・クインの語りの声と色彩が一致しており、一定のユニークさを持ってはいた。夜と光の美しさが『スーサイド・スクワッド』にはあったが、本作は明らかに方向性が変わっている。スーザン・ソンタグの「反解釈」的に言えば画面の面白さは後退してしまった。キャシー・ヤンは画面に「象徴をたくさん詰め込んだ」と語るが、見た目の面白さはハーレイ・クインを捉えたショットと『ジョン・ウィック』のチャド・スタエルスキーも参加したアクションのシーンに集中している。


ただ、元はアニメーションのキャラクターだったハーレイ・クインをオープニングからアニメーションで描いたこと、コミックからの要素であるビーバーは楽しかった。