子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

コメント、ベタなどご訪問ありがとうございます。
海外の仕事をしているため、普段日本にいないこともしばしばです。
そのため、なかなか返信とかできなくてすいません。。

保有ディスクも相当量になりましたので徐々に紹介できればと思います。
特に日々の記録ではありませんので、お好きな分野の記事をどうぞ。
紹介してあるディスクは、基本Amazonリンクでも購入できます。

よろしくお願いします。かしこ…(^-^)♪

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Frank Zappa の旅は続く…

The Mothers 解散後、Frank ZappaZappa Band を引き連れ登場する。


自身のMCとエキセントリックなリードギターを中心に、選ばれたバンドメンバーは歴代最強となり、膨大なカタログから瞬時に指定された楽曲に移行する。ステージの曲は予定された枠を逸脱し、インプロ、アドリブ、そして観客の反応を得て自在に変化する。鍛錬だけでない柔軟性こそが音楽の命。そして、それが The Zappa Show の魅力の原点だ。


ヒッピー文化の申し子のようなイメージの Zappa だが、検閲とドラッグを嫌悪し、音楽と真摯に向き合う姿勢には、音楽に一生を捧げた一人の偉大なミュージシャンとして惜しみない賛辞を贈りたい。 “語り” の多いステージだから、Zappa の思考回路は意外に分かりやすい。ただのエロ話も多いが(笑)、アンチ共和党の立場を打ち出し、オーディエンスに選挙登録を促すなど、アメリカに生まれた音楽家としてあるべき姿を提示したことも評価したい。


80年代に入ってからは、すべてをやり遂げたとしてステージから遠ざかった Zappa。 だが、以降も楽曲の整理とシンクラヴィアによる現代音楽の追求に余念がなかった。93年に52才でこの世を去るまでに、常に第一線で働いた栄光の記録の発掘とともに、我々の旅はこれからも続くだろう。


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Zappa in N.Y./Frank Zappa

Eddie Jobson(vln/kbd)、Terry Bozzio(dr/vo)、Patrick O'Hearn(b) に黒人ボーカリスト Ray White を加え、さらにブラス隊には Michael & Randy の Brecker Brothers らを招いたニューヨークでのライブ。1976年10月、12月のステージからの編集だが、いきなり Terry との掛け合いによる寸劇 「おっぱいとビール」 からスタート。超絶ドラマーとして知られる彼だが、ここでは寸劇の相方としても大活躍。「(ロックバンド Angel のギタリスト名)パンキーの唇」、「イリノイの浣腸強盗」(タイトルだけで大笑いだ)も楽しい。こうした “語り” の部分が災いしてか、日本ではあまり人気の出なかったようだが、高度な音楽にお笑いの要素の入ったショーこそ、今の時代に相応しいのでは?

                  

Frank Zappa - Philly ’76/Frank Zappa

2009年に突如蔵出しされたライブ。76年10月29日フィラデルフィアで収録。これがスゴイ。CD2枚組フルセットの発掘も快挙だが、このツアーのみに参加した黒人女性ボーカリスト Bianca Odin 入りという嬉しいオマケ付き。彼女のヴォーカルがまたいいのだ。ギタリストとしての Zappa はギターインスト・アルバム(これもほぼ過去のライブからの編集)を2セットもモノにしている腕前だが、ヴォーカリストとしては特に美声というわけではない(71年の事故で音域が狭くなったとの話も)。しかし、いいヴォーカルとの組み合わせによりMCも本領発揮。市場ではあまり見かけないが、いまだに iPod で愛聴してマス!

                      

Hammersmith Odeon/Frank Zappa

おいおい、いいのか? Zappa 生誕70周年を記念して2010年11月に登場した77年1月25-27日、ロンドン Hammersmith Odeon でのライブ。CD3枚組。デジパック、紙ナプキン、ゴム風船付きという豪華盤。Adrian Below(g/vo/King Crimson へ)、Peter Wolf(kbd/Jefferson Starship へ) そして、Terry の影であまり目立たなかった Ed Mann(per) が見事に Ruth Underwood の穴を埋めている最高のライブだ。このメンバーで名作 『Sheik Yerbouti』 が制作されており、ヴォーカルと演奏の比重が上手く結合した驚きの “新作” となった。Walkman で愛聴してマス!(しかし、Vaulternative Records さん、毎回ながらいい仕事です。)


Baby Snakes/Frank Zappa

同名映画のサントラながら、77年10月ニューヨークでのライブ音源が元ネタ。ここでも懲りずに(笑)「おっぱいとビール」、Adrian Below がヴォーカルをとる 「Jones Crusher」、名曲(迷曲?)「Disco Boy」、エロ仕掛けの「Dinah-Moe Humm」、お得意の Angel ネタ(?)「パンキーの唇」 と代表曲が並ぶ。発売当初、ピクチャーディスクであったこと以外、ライブ盤としての存在意義は今ひとつか。しかし、舞台演出ではなく、音楽演出だからいつまでも聴けるのだ。手っ取り早く笑いたいカタ向け(笑)。

                      

Saarbrucken/Frank Zappa

ここから、再び 『海賊盤をぶっ潰せシリーズ(Beat The Boots !)』からオフィシャルブート3連発。元がブートとはいえ、正規のエンジニアが音を調整しているためか凡百のブートを超える音質だ。78年9月3日ザールブリュッケンでのライブ。Terry Bozzio も Adrian Belew もいないが、ドラムスに Vinnie Colaiuta(後に Megadeth 等のサポートへ)、ヴォーカルにその後の核となる Ike Willis を迎え、見事に 『Sheik Yerbouti』 の世界を再現している。比較的録音もよく、シンプルになったリズムに乗るギターとコーラスが楽しい。バンドはそのまま 『Joe's Garage』 のロックオペラの世界(黒人シンガー Ike Willis = Joe)へとなだれ込みわけだ。邦題 『雑派大魔神ザールブリュッケンで激昂』。

                 

Anyway the Wind Blows/Frank Zappa

79年3月19日パリ。Zappa に憧れた青年 Warren Cucurullo(g/vo/Duran Duran ) 参加以外は特に上記メンツに変化はない。スター性のあるメンバーはいないものの、Zappa の完成されたステージは絶好調。ショーは大体、一日2公演が基本で、同一日の公演に重複する曲はほとんどない(late show では、Zappa が 「さっきも来てたヤツいるか?」、(観客)「Yeah !!」、「大丈夫!今度は全然違う曲演るぜ」というのが定番)。しかも、Zappa のライブは数日違うだけで、演奏曲目の大半が変わるのだ。相当な曲のストックと演奏力がなければこれは不可能。その間も作曲を続けているわけだから、まさにモーツァルト級の創作力だ。邦題 『雑派大魔神パリで逆鱗』。

                           

As an Am Zappa/Frank Zappa

82年5月21日ケルン、81年10月31日ニューヨーク。この記事では、編集したライブ盤は対象外なのだが、一応2ヶ所のみなのでピックアップ。 80年代に入り、バンドを何度か再編しているから、メンバーのほとんどが入れ替わってしまった。Ray White(g/vo)、Bob Harris(kbd) が復帰し、ギターに Steve Vai、ドラムスに Chad Wackermann を迎えジャズロックの骨頂を聴かせる。Vai とのギターバトルも凄まじいが(Vai は Zappa の採譜担当だった)、例え年代が違っても Zappa の音楽性にブレはなく、つながっていることが確認できる。ロック好きのお兄さん達が狂喜し、今時のお姉さん達が1分でポイ捨てするインスト・ミュージック(笑)。邦題は、『雑派大魔神ニューヨークで憤激』。

Does Humor Belong in Music/Frank Zappa
84年7月から行われた The Mothers 20周年記念ツアーより、10-12月のテイクが編集され、まとめられている。84年といえば、Ray White/ Ike Willis の黒人ダブルヴォーカルにより、曲によってはR&B色の強いスケールの大きなステージが繰り広げられた時期でもある。最後の 「Whippin' Post (The Allman Brothers)」 では、現在 Zappa の遺志を継ぐ息子の Dweezil がギターソロを残している。 この後、ツアーからの引退を表明。この前には、『The London Symphony Orchestra』、『The Perfect Stranger』 といった現代音楽寄りのアルバムを残しているから、手癖のついたステージから遠ざかり、作曲活動や過去の記録の整理をしたかったのだろう。Zappa、この時まだ45才。
                       
Broadway the Hard Way/Frank Zappa
88年2月、3年振りのツアー復帰である。しかし、結果的にこれがバンドを従えた最後のロードになってしまう。Sting がヴォーカルをとる曲もあるが、Ike Wilis(vo/g)、Ed Mann(per)、Chad Wakkermann(dr)、Bobby Martin(kbd)、Bruce Fowler(tb) らが戻り、その後 Zappa 後継者の一人として名乗りを上げる Mike Keneally(g/kbd/vo) も初登場だ。 Zappa を語るには政治的姿勢も無視できないが、もともと民主党支持者であり、健全な合衆国国民として、選挙や政権に関する発言を繰り返すのは当然との態度であった(この辺は、後続の Bruce Springsteen にも共通している)。翌年には大統領選への出馬も公言していたのだが…
                 
Best Band You Never Heard in Your Life/Frank Zappa
88年ツアーのライブ音源より、歌モノに比重を置いた The Best Band からの便り。R&R、映画音楽、カントリー、クラシックの名曲を散りばめ、Zappa 指揮下に再構築してみせる。「Purple Haze(Jimi Hendrix)」、「Sunshine Of Your Love(Cream)」、「Stairway To Heaven(Led Zeppelin)」 も採用され、本人も楽しんで演奏している様がうかがえる(「天国への階段」 のブラスアレンジはよく知られているところ)。The Beatles からも 「Norwegian Wood(もともとはノルウェー製家具、の意味)」、「Lucy In The Sky With The Diamonds」、「I Am The Walrus」 などが演奏されていたが、収録の許可が下りなかったようである。初期に戻ったかのような強力なブラス入りロックだ。
     
Make a Jazz Noise Here/Frank Zappa
88年のツアーより。このバンドは4ヶ月間かけ100曲余りの曲を徹底的にリハーサルしたようだが、このパッケージはインスト中心の選曲になっている。体調を崩し、夏からのアメリカツアーをキャンセルした Zappa だが(大赤字だったとも聞く)、以後はスタジオに篭る。通して聴くにはやや重い編集だが、これで “Broadway The Hard Way Tour” のほぼ全貌が分かる。2月からのアメリカツアー、4月からのヨーロッパツアーにかけて各地のゲスト(スウェーデンにおけるザッパミュージックの継承者 Mats & Morgan など)を交え、盛り上がっていくのが確認できる。
                          
The Yellow Shark/Frank Zappa
88年のツアー後はステージからは距離を置き、過去に録り溜めたテープより 『You Can't Do ...』、『Beat The Boots !』 のシリーズを蔵出、編集。ガンに冒されているとの話も聞こえてきたが、91年6月29日ブダペスト生涯最後のステージになってしまった。 この作品はクラシック・現代音楽に属することで知られるが、92年9月17、19、26-28日ヨーロッパでのライブ音源をまとめたもの(フランクフルト公演では指揮をとった)。音楽の形態や楽器の編成は違えど、ザッパの前では純粋に自身の音楽として成立している。今こそ、聴くべき。
 
1993.12.4永眠

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いやはや、Zappa ほどの巨人を語るとすれば、こちらも相応の体力を要求されます。 ついには、『The Real Frank Zappa Book(フランク・ザッパ自伝)』 まで引っ張り出してきて、最初から読んでしまいました(笑)。
 
最近、ザッパの遺伝子を受け継ぐアーティストの活躍が目立っているようです。

Dweezil Zappa: 17才でデビューし、Eddie Van Helen(g) の影響を受けつつも、父 Zappa の楽曲を演奏。
Steve Vai: Zappa の演奏からの楽譜起こし担当から、ギターヒーローに。
Tommy MarsBruce Fowler(tb) らとジャズ・フュージョンのフィールドで現役。
Terry Bozzio: セッションやいくつかのグループを経て、Missing Persons を再編。
Mike Keneally: 意外にも Zappa 音楽の継承者として名を馳せ、ソロで活動中。
Chad WakkermannAllan Holdsworth(g) とのセッションを経て第一線で活躍中。
Mats & Morgan: スウェーデンのドラムス・キーボードの天才デュオとして有名。
Vinnie ColaiutaJoni MitchellSting のツアーに同行し、ソロでの評価も高い。
George Duke: フュージョン、ブラコン路線を経て、近年ではジャズへの回帰も。
Eddie JobsonUK、UKZとプログレ界で評価が高く、集大成の Zero Project も好評。
その他、大勢。。
 
God bless, Vincent ...



発明の母とザッパ Live !

Frank Zappa (1940.12.21-93.12.4)といえばライブ。 それも予定調和的なパッケージ化されたステージではなく、その日その場所により自在に変化する予測不能の楽しさ。 


日々のステージがまったく違うというわけではないものの、バンドメンバーの入れ替えの激しさもあり、バンマスである Zappa の “語り” は臨機応変にステージや客席、はたまた世相を反映し、観客を笑いの渦へと誘う。 


高度なジャズロック、ドゥーワップ、ポップス、R&R、ブルース、レゲエ、現代音楽、ノイズも守備範囲ながら、そのすべてが見事にザッパ・ミュージックになっているところが素晴らしい。そして、何よりもユーモア、というか、いささかオゲレツにも振れたアメリカン・ユーモアの楽しさ。 多様な音楽性に加え、こうした笑いまで提供されるのだから(時に、寸劇、ストリップさえも)堪らない。こうして死後数十年経っていようとも、いまだにこのショーを超えるものが見当らない事実に唖然とさせられる。


ザッパは録音・編集の鬼としても知られ、30年近い演奏活動の中から選りすぐりのライブを自由に切り取り、加工し、スタジオ盤としても成立させてしまう。 「編集も作曲の延長さ。」 とは、本人の弁。 80年代後半から始まった 『You Can't Do That On Stage Anymore』 シリーズにしても、まんまのライブアルバムではなく、内容は60年代から80年代までを幅広く網羅し、曲単位で編集し、繋ぎ合せるという離れ業に及んでいる。初期のサウンドコラージュにも成果を見出した、エンジニアとしてのザッパの面目躍如である。


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Zappa のライブを体験するには、幸いなことにそのソースには事欠かない。前述の 『You can't』 シリーズから、90年代から開始された 『Beat The Boots !』 と題されたブートレグ、つまり海賊盤に対抗するための公式盤(?!)を発表するためのレーベル 【Foo-Eee Records(マジかよ?! レコード)】 もある(パートI と II による全15タイトルがCDリリースされており、III はダウンロードのみ)。 こうして、25年以上働き続け、生前に60枚を超えるアルバムを出した不世出のアーティストの記録(レコード)が忘れ去られることはない。


ザッパの遺志を継ぎ、今日も続々と発表されているライブアルバムを演奏年代順に追ってみた。

【Amazon で取扱っていないディスクは、一般に流通がないものとして割愛させていただきました】


Tis the Season to Be Jelly/Frank Zappa
67年9月30日ストックホルムでのライブ。最初期の録音。これ以前のステージは、ブートでも数えるぐらいしかない。 Zappa のアメリカでのレコードデビューは66年6月だが(The Mothers としては、64年5月10日母の日にスタート)、このライブは、3rd 『We're Only In It For The Money』 の布陣による初のヨーロッパのステージより。録音もよく、R&Rカバーやら何でもありの楽しい前半から、後半はジャズロック、コラージュまで、ステージでも多彩な音楽をこなしていたことが分かる。アンチブートシリーズ、『Beat The Boots ! I』 より、邦題 『雑派大魔神スウェーデンで炎上』。「Stinkfoot(臭い足)」のジャケが秀逸。
                                   
Ark/Frank Zappa
68年7月18日ボストンにて、オリジナル・マザーズによるステージをパック。『Uncle Meat』 未発時代のライブで、長尺の 「Uncle Meat/King Kong」 を収録。この時代ならではのフリーセッション的なライブが聴ける。当初よりブラス隊が入り、バレエ用のインストもあり、ただのLAロックではないことが分かる。邦題 『雑派大魔神ボストンで立腹』。(う~ん、このシリーズの邦題、イマイチ…)
                                         
Ahead of Their Time/Frank Zappa
93年に初めて公表された、BBCシンフォニーオーケストラを含む68年10月8日ロンドンでのスペシャルケース。Zappa の演りたかったのは最初からロックではなかったのだろう。ミュージカル、ヴォードヴィル、映画音楽、現代的オペラ…。オトであれば何でもいい。そして、楽しければ。正規の音楽教育を受け(ただし独学がほとんどらしい)、 Edgar Varèse に傾倒した現代音楽家はイギリスでの新作ミュージカルを手がけたわけだ。後半はインスト主体のコンパクトなジャズロックだが、Zappa の趣向を垣間見ることは出来る。
この後、後に Little Feat を結成する Lowell George が短期在籍するが、一年後、69年10月にオリジナルの The Mothers は解散する。
                                    
Freaks & Mothers/Frank Zappa
70年11月13日Fillmore East にて。同年6月頃より加わった元 The TurtlesFlo & Eddie(Mark Volman/Howard Kaylan)をボーカルに迎え、ステージ上での寸劇の役割にも広がりが出た。この“語り”は、後年の Zappa の楽しいMC(時に、曲よりもメインになることも)にも影響している。『Hot Rats』 成功後の勢いに乗るステージだが、Ansley Dunbar(dr)、George Duke(kbd) が参加し、演奏面での強化も聴かれる。『Beat The Boots ! I』 シリーズより、邦題 『雑派大魔神フィルモアで逆襲』。音質も問題ない。
翌年には、映画 『200 Motels』 の撮影があり、The Mothers は再編され、再度舞台は Fillmore East へ。
                                       
Fillmore East - June 1971/Frank Zappa
71年6月NY Fillmore East 公演からのベストテイクで構成された、The Mothers 初の公式ライブ盤。ジャズロックのインスト「Little House I Used To Live In」、「Willie The Pimp」 もカッコいいが、「What Kind Of Girl Do You Think We Are ?」、「Do You Like My New Car ?」 のやり取りは Zappa ライブならではの楽しさに溢れている(欠点は収録時間が短か過ぎること)。The Turtles のヒット曲 「Happy Together」 の盛り上がりもいい。栄光の70年代は、確かに Zappa の身の上にも降りていた。こんな自由な音楽があるなんて…
                                   
Playground Psychotics/Frank Zappa
92年にようやく発表された、71年6月5日(Fillmore East)、8月7日(UCLA)、12月9-10日(ロンドン Rainbow Theatre)のライブ。 ツアードキュメントやリハーサルを含む舞台裏の会話が楽しい。同6月8日は、John Lennon & Yoko Ono 名義の 『Sometime In New York City』 として名高いが、これが洋子の雄叫び中心のアヴァンギャルドな編集であったのに対し(Zappa は気に入ってなかったという)、こちらは Zappa による極めて音楽的なサウンドだ。ただし、“語り” の多い大曲 「Billy the Mountain」 などは、一般の日本人の耳には辛いかも。
同年12月4日には、Deep Purple の「Smoke On The Water」 で描かれたスイス・モントルーのカジノでのフレア・ガンによる火事が起きている(歌詞にも Frank Zappa & The Mothers が登場するのは有名、というか実況中継マンマの変な歌詞)。
                                 
Just Another Band From L.A./Frank Zappa
71年8月7日のみの上記 UCLA でのライブより。Flo & Eddie をフューチャーした25分近い「Billy The Mountain」のシアトリカルな前半は、プログレの構成美というよりは寸劇の延長と言っていい。他の曲も、同様の語りが多く、Zappa 楽曲の一面を表わしてはいるものの、当時を知るアメリカ人でなければなかなか受け入れられ難いだろう。アニメ化の話もあった「Billy」だが、ご当地ミュージカル的なものと考えられる。 
前述のロンドン Rainbow 公演で、Zappa は暴漢に襲われステージから転落、半年の療養生活を余儀なくされる大ケガを負い、バンドは解散する。
                              
Wazoo/Frank Zappa
2007年に発表された72年9月24日 Boston Music Hall でのライブ。ケガから復帰後、『The Grand Wazoo』 ジャズロック・オーケストラの短期ツアーからのライブ。 ドラムスは、Eric ClaptonDerek & The Dominos より Jim Gordon、そして大好きな Ruth Underwood(vib)が参加。20名にものぼる編成で、「The Grand Wazoo(Think It Over)」、「The Adventures Of Gregory」 という大曲を披露している。この辺のリハーサルは、後年陽の目を見た “Joe's”シリーズより 『Joe's Domage』 の舞台裏で聴くことができる。ロックというよりはジャズオーケストラで、Charles Mingus 辺りの楽曲と比較しても遜色はない。
                                       
Imaginary Diseases/Frank Zappa
72年10-12月には上記のツアーメンバーを10名に縮小し、 『Petit Wazoo !(プチワズー)』ツアーを敢行。当時のブートリストにもない曲を演っており、Zappa 本人がミックスにも関与している貴重盤だ。2006年に正規に発掘された全編インスト作品で、10分程度の曲が5曲も含まれている。こういう豊穣な音楽を、現代の応援型・情報指向型音楽知らずの子供たちに聴かせてあげたいな。
                                          
Piquantique/Frank Zappa
73年8月21日ストックホルムにて。1曲のみ7月8日シドニーからの収録。ただし、シドニーからの曲はパーカッション中心の2分弱の小曲。同年2月からの短期参加の Jean-Luc Ponty(vln) に、George Duke(kbd) と Ruth Underwood(vib) が大活躍する至高のジャズロック。20分超の 「Father O'Blivion」 もあり、スタジオ盤 『Over-nite Sensation』、『Apostrophe(')』 の世界を再現してくれる。『Beat The Boots ! I』 シリーズより、邦題 『雑派大魔神ストックホルムで激震+シドニーで憤慨』。
                                     
Roxy & Elsewhere/Frank Zappa
73年12月10-12日(ハリウッド)および74年5月(シカゴ、エディンボロ)にて収録されたオフィシャルライブ第3弾。前回ライブの 『Just Another Band...』 が契約消化のための一部マニアのための作品だったから、今回は当初2枚組の強力盤だ。例によって、Zappa の手により編集が施されており、ステージ丸ごととはいかないものの、黒人ミュージシャン、Napoleon Murphy Brock(vo/sax)、Chester Thompson(dr/Weather Report、Genesis へ) の参加もありファンキーリズムにドゥーワップコーラスが復活している。Zappa 最初のライブを何かという向きにはお薦めしたい。このヘンテコ感が快感になれば、もう Zappa の思うツボ(笑)。楽しげなジャケットが想像をかきたてるが、寸劇マンザイの一端は 75年参加の Terry Bozzio(dr/vo) へと受け継がれていく。
                                         
Unmitigated Audacity/Frank Zappa
74年5月12日サウスベンド・ノートルダム大学におけるライブ。Chester Thompson と Ralph Humphrey のツインドラムの編成だが、2、3分程度のボーカル曲が大半となっている。The Mothers 10周年記念ツアーと銘打った初期作品を取り上げた結果だが、とはいえ一筋縄ではいかない捻くれポップのオンパレードだ。海賊盤対策として、自身に印税が入るよう設立した Foo-Eee Records からの作品。邦題 『雑派大魔神ノートルダムで激怒』。どうしてもスタジオ作品がいい、という方には、DVDにもなった 『The Dub Room Special !』(74年8月27日のスタジオライブが主音源)での超絶的な演奏をどうぞ。
                                       
You Can’t Do That on Stage Anymore 2/Frank Zappa
切り貼り、混ぜこぜ状態のライブ作にして、それでも年代の差を感じさせない楽曲、演奏力、そして編集の技に唖然とさせられる 【You Can't Do That ...】(ご本人も、コンナノニ度とできんと申しております)シリーズだが、このアルバムだけは74年9月22日ヘルシンキでの伝説的なステージをノーカットでパックしたものだ。 面子は 『Roxy & Elsewhere』 から核となる6人を残したもの。得意の爆笑寸劇からジャズロックまで、ザッパミュージックの集大成を聴かせる。88年に発表された同シリーズの目玉にして、ライブ盤の頂点。聴け、そして踊れ!
                                 
Bongo Fury/Frank Zappa
学生バンド時代からの仲間であった Captain Beefheart こと Don Van Vliet (1941.1.15-2010.12.17) に力を貸した 75年5月20-21日テキサスでのライブを中心に編集。とはいうものの、Zappa の目指していた高度な音楽性に、常にバンドに鍛錬を要求する態度に “野生児” といわれた牛心隊長の個性が合うわけもなく、すぐに離脱。以後 Zappa との交流は復活しなかった。本ツアーを最後に5年在籍した George Duke が去り、バンドは新たな時代を迎える。どこか普通のロックバンド然となってしまったのが惜しい。
                                  
76年2月1-5日には、伝説の日本ツアーがあり、計4公演が敢行された。しかし、結局これが The Mothers としてのファイナルツアーになってしまった】

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久々の音楽もの。 バックログからの原稿起こしです。。 

  

疲れた~ (^~^) ... to be continued

失われた週末 (93) 南アの夜明け~マンデラの友

海外に出るといいことばかりではない。 特に、イヤな思いをさせられるのは “人種差別” である。


道を歩いていていきなりモノを投げられたり、夜の街角で老婆から罵声を浴びせられたり、パブで飲んでいて白人から指差しでニヤニヤされたり、こちらが何もしていないにも関わらず、思い出してみると苦々しい記憶は幾度かある。


先日も、ドバイの海岸で昼寝をしていたら、白人のガキンチョ二人がゴムボールをぶつけてきた。「あ、仏教徒だ」…?! 無論、私はそのボールをサメのいそうな海岸線に向って、思い切り蹴飛ばしてやった。 【注: この海にサメはいないが…(笑)】


ともあれ、どちらかと言えば西洋人社会に生活し、自分が何者か忘れがちな私にとってこうした刺激を受けることは、自分や自分の国について考えさせられるいい機会を与えてくれる。 アメリカでは意図的に差別を無くすよう気を遣っているが(逆に、それが差別の存在を意識させることも)、ヨーロッパでは有色人種ともなれば業務上、昇進することはなかなか難しい。 ○○& Co.、××& Sons といった家族色が強い事業ともなれば、白人の中で、さらに一定の要件を満たした者だけが狭き門をくぐることが出来る。この辺はまだ暗黙の了承ともいえるが、国策として差別(居住制限、参政権剥奪、雑婚禁止など)が行われていたとしたらどうだろう。


南アフリカ共和国。そして、立法府の首都、ケープタウン。 


ここに来るのは10年ぶりだが、市の中心部からやや北西にある V&A ウォーターフロントはあまり変わっていない。その一角 Nobel Square には、この国の差別の歴史と戦った4人の青銅像が静かにたたずんでいる。


子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~


子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~

子供たちの子供たちへ ~伝えたい音楽~


フレデリック・ウィレム・デクラーク(Frederik Willem de Klerk)氏の講演を、ここケープタウンで目前に聴く機会があった。 【最初の写真の右から二人目の像、マンデラ氏とツツ大主教に挟まれている】

デクラーク氏は、1989年に国民党(National Party)より大統領に選出され、黒人差別を排すべく反アパルトヘイト政策を展開したことで有名である。アパルトヘイト廃止後のネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)氏による新政権の下、副大統領となり、1993年にはマンデラ氏とともにノーベル平和賞を受賞したのも彼だ。


すでに政界を引退して久しいが、マンデラ氏の解放に助力し、平和裏に民族抗争を排した実力者の面影は十分だった。話の内容は政策論ではなく、もっと平易な経営管理についてであったが、老いてなお Global Leadership Foundation 設立など、社会への啓蒙活動を続ける氏の姿勢には、かつて Edward Luttwak が「経済は栄え、社会は衰退する」と評した、基軸理念なき国家への道を邁進するかの日本にとって、真のリーダーシップとは何かを考えさせられた。


今年は、日本・南ア公的交流100周年の記念すべき年でした。。


Wish you all a happy, healthy & prosperous New Year v(^-^) !





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