こういう願をかけたらその願いが叶う、

どうぞ叶えてくださいというのはほんとうの祈りではない。

ただ世間の商売、取り引きと言ってよい。

ほんとうの祈りというものは、

叶うても、叶わんでも、祈らずにおられんから祈る、

というのがほんとうの祈りで、

目的をおいて祈るのはほんとうの祈りではない。

(「鈴木大拙一日一言」より)


祈りにもいろいろあってよいと思います。

「目標とする道に進めますように」といった祈りも

「世界が平和になりますように」といった一途な祈りも大事と思います。

ただ、自分の利害だけを単純に祈るのではなくて、

自分の心の奥底から溢れてくる思いを祈りに乗せるとき、

大いなるエネルギーに深くつながっていくように思います。

深く祈ること自体が、とても尊いことなのかもしれません。

なので、宗派には関係なく、日頃から静かに深く祈る時間を持つようにすれば、

生活に何らかの良い変化が起こってきても不思議ないことと思います。

そんな祈りを大切にしたいものですね。

「何かをやりたい」とか「何かになりたい」という

ちょっとした気まぐれのものでなく、

骨の髄から出てくるような欲求が出てきたら、

それを達成する能力が潜在的にあることを、

神様か大自然がささやいてくれているのだと考えてよい。

「人間は力が不足しているのではなく、強い意志に欠けているのだ」と

ヴィクトル・ユーゴーも言っている。

強い意志を持ち続け、一歩一歩踏みしめていくことが、

結果として成功をもたらすものなのである。

(「渡部昇一 一日一言」より)


心の真底から「○○をやりたい」「○○になりたい」と思えるような目標があるのは素晴らしいことです。

骨の髄からエネルギーが湧いてくるような目標を持てたら、とても幸せなことです。

ただ、人によってすぐに○○が見つかる人と、色々失敗を経験してはじめて見つかる人もいます。

若い頃は、○○が何なのか自分でわからず、迷い迷うことも多いと思います。

日常に流されてしまって、最後まで○○を見つけられない人も多いかもしれません。

何を目指すにせよ「そんなこと自分にできるだろうか?」なんて思うことは意味がありません。

何事も「その人の能力の問題ではなく、強い意志の問題」だからです。

たとえ時間がかかろうとも、強い意志を持ち続けて一歩一歩進みましょう。

あなたのその意志のエネルギーこそが、尊いものだと思います。
 

「禍福はあざなえる縄のごとし」というように、

禍福は常に互いに回転しているものである。

順境も逆境も一つにみて、喜びも憂いとなり、

憂いも喜びとなることを知れば、

逆境にあるときにもこれを善用するようになれば

大いなる修養の材料となる。

諺に「転んでもただでは起きない」というものがあるが、

転ぶような不幸、逆境があっても、

それを良い方向に利用する心がけが大事なのである。

(「渡部昇一 一日一言」より)


良いことも悪いことも起こるのが人生です。

今年辰年も色々なことが起こることでしょう。

でも、「転んでもただでは起きない!」

逆境から良い方向に向かうヒントを学ぶ姿勢をしっかり持ちたいものです。

今年を良い年にするのは、初詣の神社の神様ではなくて、

私たち自身の心がけが鍵を握るということでしょう。

ぜひ、良い一年にしたいですね。

どこかで決然と、断固として始める。

何をやるに当たっても大切なことだ。

始めなければ何も始まらないのである。

ただ時間に流されていては、何かを成すことはできない。

それこそ会社と自宅を往復するだけの人生で終わってしまう。

(「渡部昇一 一日一言」より)


ただ与えられた仕事だけをやって毎日が過ぎていく・・・

もし、あなたが一生懸命、熱意をもってその仕事に取組めているなら、

そこに新たな発見や経験があるでしょうし、それでまったく問題ないと思います。

ただ、マンネリ化して余力もあるのに時間に流されているだけだとしたら・・・

何か始めてみてはどうでしょうか?

人間は、だんだん新しいことを始めるのが、おっくうになっていくものです。

そこに「断固とした決意」「決断」がないと何も始められません。

この短い人生を、時間に流されて生きることほど哀しいことはないのです。

さあ、断固として始めてみましょう。

松下幸之助さんは、

「何か事を為そうと思ったら、1万回の祈りを捧げよ」

と言われたそうです。

1万回も同じ内容で祈るという、強い意志と根気がある人であれば、

自ずと目標は達成されていくのかもしれませんね。

1万回も同じ内容で祈っていれば、潜在意識にも入っていくでしょうし、

自己暗示にもなって目標が実現していくのかもしれません。

いずれにしても、本気で祈るということは、百回や二百回の話ではなくて、

少なくとも一万回祈るということなのでしょう。

それぐらい本気で祈って達成したい目標を持つこと自体が素晴らしいことだと思います。

 

人間の生活には苦しむということがなくてはならぬ。

自らが主人公になって、これを捨てそれを選ぶということが

可能でなくてはならぬ。

選ぶことは必ずしも楽ではない。

決断には健全な知性と勇気とを必要とする。

ここに人間としての生き甲斐があるのだ。

人生を価値づけるものは、実に

自らが主となることにのみ見出されるのである。

(「鈴木大拙 一日一言」より)



人生は難しい決断の連続です。間違うことも多いでしょう。

でも、間違うことを恐れてはいけません。また立ち上がればよいのです。

歳をとるにつれ、それが人生なのだと達観できるようになりますよ。

とにかく一番大事なのは、自分で判断することです。

人に言われてとか、周りに流されてとか・・・絶対にあとで後悔します。

自分が主人公になって、あなただけの人生を歩みましょう!

元気と愉快というのは、人生においてきわめて重要である。

仕事はとにかく元気で愉快にやる。

その「気分」が重要だということを、われわれは意識すべきだと思う。

ジュリアス・シーザの特色は、いつも上機嫌だったことだそうだ。

(「渡部昇一 一日一言」より)


元気と愉快・・・大切ですね。

しかし、そうもいかないことが多いのも我々の人生です。

そんな時の暗い気分を、如何に元気に愉快に変えていくか・・

それがあなたの人生で一番大事なことかもしれません。

落ち込んだ暗い気分の機嫌を自分でとって、とにかく上機嫌になること・・

しょうがないことはしょうがないと、心を切り替えること・・

その失敗や不運に学べたことは何かを考え、感謝すること・・

自分なりに元気になるためのルーティンを持ちたいものです。

一度きりの人生、元気に楽しくいきたいものですね。

自分のまわりに汚れたものを見る。

いやなことを聞く・・

それは自分が高貴でないからである。

魂が下落しているのである。

そんな時は、聞いたこと、見たことに腹を立てるより、

自分を反省して清めるべきである。

人が自分を馬鹿にしから、見下したからといって腹を立てることはない。

そんな時は、自分の内容を反省してみるべきである。

これが運命をよくする道である。

(「常岡一郎 一日一言」より)


周りに嫌なことを言う人がいたり、自分を馬鹿にする人がいたら、

つい頭にきてしまうもので、不愉快な気持ちになってしまうものです。

そんなことを言う人は間違いなく人間的にレベルが低く、

ある意味可哀そうな人たちです。

と同時に、そういう人たちと縁を結んでしまったあなたは不運である、

とも言えるかもしれません。

なので、そういう事態に直面したら、この先はもっと運がよくなるように、

もっと良い人たち、良いお話しと縁を結べるようプラスに考えてみてはどうでしょうか?

ポイントは、相手に腹を立てたり、周りの環境のせいなどに絶対しないこと。

(実際は相手に原因があるとしても)縁を結んだ自分の側に何か問題がなかったか、

心を落ち着かせて静かに深く考えてみることです。

そこに、周りに流されやすい自分の弱さや、決断力のなさ、嫉妬心など、

何らかの自分の課題が見えてきたら素晴らしいことです。さっそく改めましょう。

相手の人は、自分にそれを気付かせるために、ひどいことを言ってくれた、

と理解ができるようになったら、あなたは完全に清められています。

魂のレベルが上がったとも言えるでしょう。

清められたあなたは、次第にもっと良い縁につながっていけると思います。

次にひどいことを言われることがあったら、是非やってみましょう。

(ただし親兄弟との縁は、生まれたときからの縁なので簡単な話ではないですけどね・・)

力のほしい人は力を出す。

汗をしぼって力仕事する他はない。

よい声のほしい人は、毎日声を出さねばならぬ。

己から出たものが己に返ってくる。

これが自然の法則である。

明るさをほしいなら、人の心に

明るさを与えねばならぬ。

そのためにはまず自ら明るさを出そう。

喜びの種をまけば明るい未来がやっていくる

(「常岡一郎一日一言」より)



自分が、出したもの、周りに与えたものが自分に返ってくる。

昔から、多くの偉人が同じようなことを言われていると思います。

今日も、自分の未来への種まきをしていると考えましょう。

良い種をできるだけたくさんまきたいものです。

そのためにも、まず自分自身が明るさを出すよう心がけたいですね。

刺激がいる、生き甲斐がいる・・

こう願うのはいい。

しかしそれを相手に対し求めていると、当てがはずれやすい。

こんなはずでなかったと不満もわく。

だから、自分みずからをみがく。

自分をつくりかえる。

それによって生き甲斐をつくる。

それを心がける人は賢明である。

(「常岡一郎 一日一言」より)


家族や友人、職場の同僚のことは、身近だけにとても細かいところまで見えてしまうものです。

だから、自分をもっと気にかけて欲しい、自分が言うことに賛同して欲しい、もっと優しくして欲しい・・

など、ついつい、相手が自分にしてくれることに期待をしてしまうものです。

実際には、期待はずれに終わることが多く、それがストレスになったり不満になったりもします。

なので、周りに期待してストレスを感じるよりも、自分で自分の道を進むために動くことが大事と思います。

失敗しても経験が得られるし、結果的に周りからのサポートも得られて、それに素直に感謝することもできます。

何事も、周りに期待せずにまず自分でできることから動いてみる・・・そのように心がけたいものです。