旅人日記
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カオラック - 5億円の裏金話

Kaolack1-1 ここカオラックの町にははっきり言って大した見所はない。
強いて挙げれば「北アフリカではマラケシュの次に大きな屋内市場」という謳い文句付きの市場くらいか。
あとは、町の北郊外に大きなモスクがあるけれど、どちらも大して見ごたえのあるものではなかった。
ダカールからガンビア方面に向かう旅行者の多くが立ち寄りもせずにすっ飛ばしてしまうこのカオラックだが、久々の移動でちょっと疲れていたこともあり、3日ほど滞在しながら市場や郊外をぷらぷらと散策しながら過ごしていた。

たぶん来るだろうとは思っていたけれど、昨夜俺にしつこく付きまとってきたホモのジュブリが案の定また宿にやって来て「町を案内する」と言ってきた。
断ると「んじゃ、昨日宿まで案内してあげたんだから、カッドゥをくれ」と言う。

カッドゥというのはフランス語で贈り物・チップ・賄賂などの意味を持つ、現地人たちにとってとっても便利な言葉だ。
アフリカのフランス語圏ではガキどもやタカリ屋などから何度となくこの「カッドゥ」をせびられていた。
何だよ、ホモだと思ってたら、結局はタカリ屋だったのか、コイツ。
どっちにしてもウザイことには変わりない。

「知るか。『友人の宿』に連れて行くというから付いて行ったんじゃないか。俺を紹介した手数料が欲しいのならその『友人』とやらに頼めばいいだろう?」
雰囲気から察して、宿の人たちとは友人でも何でもないのは明らかだったのだ。
するとさっきまでニコニコしていたジュブリがいきなり怖い顔つきに変わり凄んでくる。
オカマは豹変するから恐ろしいというが、ったく、こういう人種はホント手に負えない。
仏語でのやりとりに限界を感じ、同じ宿に泊まっていた二人のガンビア人に助けを求める。
ガンビアの公用語は英語なので、通訳を頼んだのだ。
このガンビア人たちが親切に間に入ってくれ、なりふり構わず怒り狂うジュブリをなだめつつ、俺を宿の奥へと下がらせてくれた。
ヤツの相手には辟易していたところなので本当に助かった。

このガンビア人たちとは夜になってから宿の入口でまた話す機会があった。
英語を話していたので二人ともガンビア人だと思っていたら、一人はコートジボワール人だと言う。
もう一人はやはりガンビアの人で、どこかの町の警察署長らしいが休暇でセネガルに来ているとのこと。
その警察署長がコートジボワール人のことを指して「彼が君の代わりに昼間の兄ちゃんに1000セーファー払ってやったんだぞ」と言う。
ありゃりゃ、払っちゃったんだ、しょうがないなぁ・・・。
コートジボワール人のおっちゃんに1000セーファーを渡そうとするが、笑って受け取ろうとしない。
「気にするな。それよりちょっとここに座って話していけよ」とコートジボワール人。
世話になってしまったことでもあるし、しばらく彼らとの世間話につきあうことに。
どこから来てどこへ行くんだとか、日本では何していたんだとか、現地の人たちとよく交わす何気ない話を続けていた。

すると、しばらくしてコートジボワール人のおっちゃんが「ちょっとあっちで二人で話そう。聞いてもらいたいことがあるんだ」と言い、宿に併設されているレストランへと誘われた。

セウェルと名乗るこのコートジボワール人、年上だと思っていたら実は4つも下だった。
セウェルも俺のことはずっと年下だと思っていたそうだからお互い様か。
コートジボワールの公用語はフランス語のはずだが、このセウェルはかなりまともな英語を話す。
それなりの教育を受けた人間であることを感じさせていた。

薄暗いレストランの奥の一角のテーブルに座り、セウェルは二人分の飲み物を注文してから神妙な顔つきになって話し始めた。

「実は・・・その前に、この話は絶対口外しないと約束してくれるか?」

何だ何だ?
アジアでありがちな詐欺系の手口か?
インドやタイなどでは旅行者に旨い儲け話を持ちかけて騙そうとする輩の話をよく耳にするけれど、その場合「絶対誰にも言わないでくれ」という前置きが決まり文句のようになっているそうな。
アフリカではスリや強盗の話はよく聞くが、知能犯的な話は聞いたことがない。
こいつはちょっと面白いんでないかい。
どんな手口なのか是非ご披露してもらいたいものだ。

「ああ、誰にも話さないよ。約束する」
「さっきマサは、以前金融関係の仕事をしていたって言ってたよな」
「でも今は無職の身だぜ」
「聞いてくれ。これはさっきのガンビア人や宿の連中にも話していないことなんだが・・・まずここに米ドルで500万の現金があると思って欲しい」
「ほーっ、そいつはまた大金だね」

と、何気にのんきな返事を返してみたものの・・・。
米ドルで500万だと?日本円にしたら5億円以上じゃないか。
一体何の話を始める気なんだ?

「ちょ、ちょっと待て。500万ドル??そんな大金が部屋にあるとでもいうのかい?」
「いや、ある場所に隠してあると思ってくれ。場所は言えない」

旅行者を相手にする詐欺の手口にしてはいきなり話がでかすぎる。
俄然面白味が増してきたじゃないか。
からかい半分だった俺も自然と身を乗り出して話を聞くようになった。

「それで、その500万ドルがどうしたって?」
「それが・・・ちょっと問題があるカネなんだ」
「偽札か?」
「いや、偽札じゃない。正真正銘本物の米ドル現金だ。ただ・・・『汚れて』いる」
「ふむ」
「このカネを『きれいに』するためにはある種の『魔法の薬品』が必要なんだ。マサならこの意味が分かるだろう?」

ピンときた。
マネーロンダリング、資金洗浄の話というわけか。
犯罪などで不正に得たカネをまともなカネに変える行為だ。
てことは、このセウェルは犯罪集団の一員というわけか?
それにしても5億円規模の犯罪なんて・・・。

「公に銀行には預けられない裏金っちゅうことだな」
「話が早くて助かる。そんなことをすればすぐアメリカやEUに没収されるのさ」
「出所が気になるな。まさか銀行強盗をやらかしたというわけでもなかろう?」
「違う。そんなんじゃない。話せば長くなるんだが・・・マサは1999年のコートジボワールのクーデターのことは知っているかい?」
「いや、正直な話、ゴタゴタがあったことは知っているけれど、詳しいことは何も」
「まぁいい。その政変のどさくさに紛れて、ある銀行からカネが流出したんだ。出所はそこだと思ってくれればいい。ずっと行方知れずだったそのカネが三年前にやっと発見されてね」
「ほう」

面白ぇ。
まさかそんな話が飛び出してくるとは夢にも思わず。
まるでハードボイルド小説の登場人物にでもなったかのような気分だ。

「俺は実は政府に使える役人で、今はある任務を帯びてそのカネをここまで運んできたんだ」
「ダカール辺りでカネを洗って国に戻るってことか」
「その通り。本来なら俺の上司に当たる人間がこのカオラックで待っているはずだったんだ。俺は彼にカネを渡しさえすればよかった。だが、3日前ここで落ち合う予定日に着いてみたら、彼はすでにいなかった」
「どうして?」
「別件の急務でアメリカに飛んでしまったようだ。連絡は取れている。ダカールのある組織に依頼して『薬品』購入の手続きを進めろという指示を受けた」
「ならそうすればいいじゃないか」
「ところが、ここで問題がある。その『薬品』の購入には汚れていない普通の現金で1500ドルが必要なんだ」

ふむふむ、ということはその1500ドルについて何とかしたいことを俺に相談してるっちゅうわけだな。
ようやく話が普通の詐欺っぽいレベルにまで下がってきた。
それにしても、詐欺にしてはやたらと話が遠まわし過ぎる気がするなぁ。

「悪いけど1500ドルなんて、俺が協力できる話じゃないぜ」
「仮に500万ドルのカネを洗うのに1リットルの『薬品』が必要だとしよう。その半分の500ミリリットル分でも構わないのだが」
「無理無理。一介の旅行者に持ちかけるような話じゃないよ」
「だが、俺には他に頼れるやつがいないんだ。欧米人には絶対話せないし、セネガル人も信用できない。日本人は金持ちだしウソをつかない民族だと聞いている。これは投資だと考えて欲しいんだ。協力してくれればマサには十分な見返りがある」
「無理だって。俺の旅費にはそんな余裕はどこにもない。それに数日後にはガンビアに向かう予定なんだ」
「信じていないんだな・・・。きっと500万ドルの現金を実際に見れば気が変わるはずだ。明日隠し場所に案内しよう。頼むから一度見てやって欲しい」

ほ、本当に存在するのか、その現金・・・。
ひょっとして・・・詐欺なんかじゃなくて、マジなのか、この話?

「勘弁してくれ。俺はそんなヤバイ話に首をつっこみたいとは思わん」

半信半疑ではあったが、もし仮に事実だとしたら、カネなんか見てしまったらそれこそ後戻りできなくなるだろう。
いずれにしても、この辺りで話を切り上げておいた方が無難である。

「どう考えても俺には協力はできない話だ。口外しないと約束するから、俺のことは諦めてくれ」
「そうか・・・。だが、何か他にいい案はないだろうか?マサなら『薬品』を使わなくてもよい解決策を知っているんじゃないか?」
「いや、正直な話、俺にもどうしていいかさっぱりだよ・・・。そもそもだな、日本人でそんな危なげな話に乗るヤツはいないと思うぞ。そうだ、例えばの話、中国人に持ちかけるというのはどうだい?この町にも中国人がいるんじゃないか?」
「カオラックには着いたばかりで何も知らない。中国人がいるかどうかも分からない」
「ダカールでは結構見かけたぜ。アフリカの人から見たら日本人も中国人も同じに見えるかもしれないけれど、文化的には結構違うんだ。特に華僑の人たちは一族で連携して商売をしていて資金力があるし、投資に対しても日本人よりよっぽど興味を示すと思う。少なくとも俺のような旅行者を相手にするよりはマシなはずだ」
「日本人と中国人の違いは知っている。中国人はみな背が低い」
「そ、そうか?大して変わらないと思うけど・・・」
「日本人は背が高く、みな長髪だ。マサのようにな」

冗談ではなく、本気で言っている様子。
たぶん日本人など今まで見たことがなかったのだろう。
かわいいじゃないか、ここはあえてつっこまないでおこう。

「ダカールの中国人に知り合いはいるか?」
「いや。でも、独立広場の脇に大きな中華レストランがあったぜ。他にもサンダガ市場の北の辺りの地区で何軒か中国人経営の商店を見かけたよ」
「サンダガ市場か・・・名前だけは聞いたことがある」
「ダカールには行ったことないのかい?」
「セネガルですら初めてだ。ここまでは陸路で国境を越えてきたんだ。さすがにあんなカネを抱えていては飛行機は使えない。荷物は全部X線を通すだろう?一発で見つかっちまう」
「国境や検問所ではよく見つからなかったな」
「苦労したよ。でも国境での荷物検査はない所が多いし、検問の方は賄賂で何とかなるものなのさ」

ここまでのところ、話としては一応全て筋が通っているように聞こえる。
日本人がみな長髪だということ以外につっこみどころが見当たらない。
詐欺系の話などは、冷静に考えればそれはおかしいと思える点が必ずどこかにあるものだ。
作り話にしては出来すぎているし、何よりこんな突拍子もない話を詐欺に使うというのはちょっと考えにくい気もする。

ただ、一つだけ大いに気になる点が。
仮にこの話が実話だったとして、そんな重要機密的な話を会ったばかりの人間に打ち明けるはずがないではないか。
見ず知らずの外国人などに話していい内容ではない。
とすると、やはり詐欺か・・・。

ま、どっちでもいいか。
いずれにせよ、これ以上係わり合いにならない方が身のためだ。
壮大な作り話を聞かせてもらえたということで、それ以上は深く考えないでおこう。

「ダカールの中国人か・・・確かに試してみる価値はありそうだな。どうしたものかと途方に暮れていたけれど、お陰で希望が見えてきたよ」とセウェル。
「あくまで可能性の話だ。上手く行く保証はしないよ」
「こんな話を真剣に聞いてくれるとは正直思わなかった。マサはいいヤツだな。理由は分からないけれどマサを最初に見かけた時に感じてたんだ。彼に話せば何とかなるんじゃないかってね」
「なかなか興味深い話を聞けて、こちらも楽しませてもらったよ。ジュースもご馳走になって悪かったね。もういい時間だ、そろそろ寝るとするよ。オヤスミ」と俺は席を立つ。
「ああ、長い話につきあわせて悪かったな。また明日」


その後はセウェルとは顔を合わせることなく数日が過ぎ、俺はそのままガンビアへと移動していくことに。
彼の話がウソかホントか、今となっては確かめるすべもない。

だが後日、やはり少々気になっていたので、コートジボワールという国についてパソコンに入っている電子百科事典で調べてみた。
すると、その近現代史の説明文の中に妙に気になる一文があるじゃないか。

「1999年6月、EU開発基金からの多額の援助金が使途不明になっていることが明らかとなり、閣僚の更迭がおこなわれた」(エンカルタ総合大百科より)

さらに、この年の12月にはクーデターが発生し軍政へと移行、1年後に民政に復帰するまでの間にコートジボワール国内ではかなりのゴタゴタが起こっていたらしい。
もしかして・・・セウェルの言ってた500万ドルの出所って、この使途不明になった開発援助金だったりするのか???
ま、まさかね・・・。でももし実話だったとしたら・・・。
5億円以上の裏金なんて容易に拝めるものではない。
せっかくだから見るだけでも見させてもらえばよかったかなぁ・・・。

口外しないと約束したのに、ついブログのネタに使ってしまった。
ま、ここに書いたところで何がどうなるわけでもないから問題ないと思うけど、面白い話を提供してくれた彼のために念のためお約束の断り書きを付け加えておくとしよう。

<<この話はフィクションであり、実在の人物・団体および裏金とは一切関係ありません>>

ダカール脱出 - 強盗もホモもお呼びじゃないぜよ

Dakar8-1 マドリッドに飛び立つメグミちゃんを見送った次の日には、俺も宿を引き払ってダカールを脱出することにした。
いや、正直に言えば、もう一泊ゆっくりしてからにしようかと企んでいたのだが、あいにくと安い一人部屋が埋まっていたため、仕方なく脱出せざるを得ない形であった。

別れる前に、彼女から小型のMP3プレーヤーとスピーカーのセットや、ロンプラ「西アフリカ」のガイドブックや、仏語辞書などを餞別に頂いてしまった。
旅にはとても便利な品々ばかり、大事に使わせてもらうとしよう。
さらに、俺の方で不要になった荷物を日本に持って帰ってくれもした。
彼女には最後の最後まで色々と世話になりまくってしまったなぁ。
日本に帰ったら旨い味噌ラーメンを出す店に連れて行ってあげるとしよう。

さてさて、異常に長引いてしまったダカール沈没だが、何はともあれ脱出できたのでメデタシメデタシである。
次の目的地であるカオラックの町はダカールからバスで3時間ほどの距離。
久々に動かす身体にとってお手軽な移動距離だ。
軽い気持ちでバスターミナルに向かう。

ロンプラの地図を頼りに町の北側にあるバスターミナルを目指す。
宿からはちょっと遠かったが、徒歩でも何とかなりそうな距離だったので、タクシー代をケチって歩いて行くことに。
途中で大掛かりな道路工事をしている場所があり、道がよく分からず警官や地元の人に聞きまくりながら何とか場所を探り当てた。
ところが、ターミナルに着いてみると、バスなど一台もなく、ただ広々とした空き地が広がっているだけ。
ん、ひょっとして場所が移ったのかな?
とりあえず荷物を降ろしてその上に腰をかけ、近くにいたガキどもに尋ねてみる。
すると、やはりターミナルは移転しているようで、ここから乗合いタクシーで行けるモニョフィという地区にあるそうだ。
しゃーないな、一服してからそっちに向かうとしようか、とタバコに火を付けて一休み。

と、その時である。
ヤツらは突然やって来た。

この元バスターミナルの周辺はダカールの中でも比較的荒れ果てている地区で、ちょっとした貧民街になっている。
ここに来るまでの間もちょっと雰囲気悪いなぁと感じていて、できるだけ早くバスを見つけて乗ってしまおうと考えていたのだ。
その貧民街の方から大柄な男どもが5~6人、わらわらと寄って来て、あっという間に取り囲まれてしまった。

もう寄って来た瞬間から彼らの目つきを見て「コイツらヤル気だ」とはっきり感じていた。
冗談が通じそうな雰囲気ではまるでなく、重いバックパックを背負っては逃げ切れるものでもない。
実は長い旅人生の中で実際に襲われるのは初めての経験。
正直ちょっとパニックになりかけたのだが、少なくともここは抵抗せずに成り行きに任せた方が身のためだと直感した。
以前から襲われてしまった時のイメージトレーニングをしていて、それは「ハッタリ空手の技を披露しつつ相手をビビらせるか、もしくは笑いをとって強盗さんとは仲良くなってしまいましょう」作戦なのだが、この場でそんなことをしようものならいきなり袋叩きになりそうな雰囲気だ。
今さらながら自分の甘さに気づかされる。

有無を言わさず両側からもの凄い力で腕をつかまれ身動きが取れない状態になる。
棍棒のようなものを手にしたヤツまで近寄って来た。
あんなので頭を殴られたらたまったもんじゃないぞ。

幸いなことに、男たちは大声で威嚇してくるものの、すぐに殴りかかったりはしてこなかった。
さすがは腐ってもムスリムということか、強盗でも多少の良心はあるようだ。
と思ったら、必ずしもそういうわけではなさそうで、何やら口々に「コイツは俺の獲物だ!」とか「ふざけんな、俺が最初に目をつけたんだ!」みたいなことを言い合っている。
男たちが言い合う度に俺の身体は右へ左へと引っ張られる。

おいおい、お前ら仲間割れなんかしてないで、みんなで襲って後で分け前を折半した方が得なんじゃないか?
状況が状況なだけに「獲物」の俺がそんなツッコミをかましている場合ではない。
まな板の上の鯉状態の俺にできることといえば「襲われるならどの料理人が一番痛くなさそうかな」と、この状況の中での最善の選択肢を求めて思案をめぐらすことくらいだ。
いや、こんな調子ならひょっとしたら話し合いの余地もあったりするんじゃないか?

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょーーーっと待ってくれ、何?何?何?一体何がどうしたっていうのさ!頼むからちょっと待ってくれ!」

状況にビビリまくってパニくった人間を演じてみる。
いや、別に演じるまでもなく、そのままの自分の姿であった。
こんなにビビっているヤツなら襲わなくてもカツアゲで済むと思ったのだろうか、男たちの掴む手の力が若干弱くなるのを感じた。

と、そこへ待望のオタスケマン登場。
同じように貧民街の住人で男たちの仲間ではあるらしかったが「やめろ!お前ら何やってるんだ!」と彼らに食ってかかり、強引に彼らの手を振りほどいてくれた。
俺を襲おうとしていた男たちよりずっと細身の兄ちゃんなのだが、頼もしいことこの上ない。

「大丈夫、心配要らない!俺に付いて来い、早く!」

この兄ちゃんも完全に信頼できるかどうか一抹の不安があったものの、一刻も早くこの場を離れたかった俺は藁にもすがる思いで付いて行く。
騒ぎを聞きつけたのか、やや遅れて警官も駆けつけて来た。
先刻、俺がバスターミナルへの道を尋ねた二人の警官だ。
後ろを振り返ると、男たちはいつの間にかどこかへ姿を消していた。

ほっ・・・。
どうやらこれで助かったようだ。
男たちに掴まれていた際に上着についたポケットのチャックをいくつか開けられていたようで、そこにはパスポートなど色々と貴重品が入っていたのだが、幸いなことにライターが一個なくなっているだけで他は全部無事だった。
助けてくれた兄ちゃんと警官たちに被害のなかった旨を伝える。

「よかったな!俺が通りがからなかったら身包みはがされてたかもしれないぜ!」
まだ震えが止まらない俺の肩をポンポン叩きながら親指を突き立てる兄ちゃん。
あぁマジで助かったよ、一時は完全に観念してたからなぁ・・・。
三人に護衛されるような形で貧民街を脱出し、乗合いタクシー乗り場まで連れて行ってもらった。
兄ちゃんたちに厚くお礼を述べ、乗合いタクシーで移転先のバスターミナルに向かう。

うーん、ダカールには長居をしすぎていたせいか、ちょっと甘く見ていたところがあったからなぁ、反省だ。
この日は日曜日で、日曜や祝日は昼間でも治安が悪くなるのは知っていたのに、荷物を背負ってノコノコ歩いていた自分が悪いといえば悪い。
バスターミナルの場所もロンプラの情報を鵜呑みにせずに事前にちゃんと確認しておけば、あんな場所に迷い込むことはなかったのだ。
今回はいきなり殴りかかったり銃を使ったりする連中ではなかったのでまだ助かったが、今後はどの町でも治安状況の確認には最善の注意を払う必要がありそうだ。

乗合いタクシーで辿り着いたバスターミナルでカオラック行きのミニバスに乗る。
乗客が集まるまでに3時間ほどかかり、それからさらに3時間かけてカオラックの町に到着。
町に着く頃には日もとっぷり暮れて辺りは真っ暗であった。
バスが着いた場所から市街地までは地図で見る限り1キロちょっとしかなかったが、ここは昼間の教訓を生かして大人しくタクシーを使うことにした。

タクシーで目的の安宿に乗り付けるが、あいにく満室とのこと。
別館の方なら空いているかもしれないと言う。
宿にいたジュブリという名のドレッドヘアーで背の高い兄ちゃんが、通りの向かいにある別館に案内してくれた。
が、残念ながらそこも満室。

「近くに別の宿があるから連れて行ってあげよう」
親切な兄ちゃんだなぁと、考えなしにのこのこ付いて行った。
その宿は部屋は空いていたのだが、かなり高めだったのでさらに別の宿を探すことにした。

「他にもっと安い宿があるのを知っている」
ジュブリの兄ちゃんはそう言ってさらに連れて行こうとするが、この頃までにこの兄ちゃんが何となくホモっぽいことに気がついていた。
「友人が働いている宿だから、俺が一緒に泊まると言えば安くなるはず」
オイオイオイ、誰が一緒に泊まるって??

はっきり俺にはその手の趣味はない旨を伝えたいところであったが、俺の拙いフランス語の知識ではどう表現したらいいのやらさっぱりだ。
「もういいよ、ありがとう。後は自分で探せるから」
そう伝えるのが精一杯だった。

ところがその後も諦めようとせず、しつこく友人の宿に連れて行こうとする。
荷物を背負ったままの俺はちょっと疲れていたこともあって、とりあえずその宿まで付いて行くことにした。
その宿の部屋代も少々高めではあったが、もう面倒だからここに部屋を取ることに決める。
ジュブリは案の定すぐには帰らず「そこのベッドに座ってちょっと話をしてもいいかな?」などと恐ろしげなことを言ってくる。
ホモ=エイズではないのは当然だが、アフリカではHIV感染者の割合は極めて高いと聞く。
目の前の男がマラリア原虫を媒介するハマダラ蚊よりも危険な存在に見えてきた。
「いや、疲れているんだ。俺はもう寝るから悪いけど話があるなら明日にしてくれ」
部屋には入れず、ドアの所で追い返そうと試みるが、なかなか帰ろうとしてくれない。

「明日は市場を案内してあげるよ。そうだ、ガンビアに行くなら俺も一緒に行くよ」
市場はともかく、ついさっき会ったばかりの人間と一緒に旅しようと思うヤツなんているのかよ。
「いや、結構だ。俺は一人で見て周りたいんだよ」
「明日の昼飯はウチで食事を作ってあげよう」
「それも結構。悪いけど、俺は早く横になりたいんだ。もう勘弁してくれ」
「マサは家族はいるのかい?結婚してる?歳はいくつ?」
「独身だ。歳は三十三。若く見えるかもしれないけどね、君よりずっと年上なんだよ」
見たところ二十五・六くらいの彼はちょっと驚いている様子。
たぶん俺のことを同い年か年下くらいに思っていたんだろう。
その後もしつこく話を続けようとするが、俺もいいかげんイライラしてきた。
「ハイハイ、もう分かったから、じゃあね!オヤスミ!」
強引にドアを閉めて鍵を掛ける。

ふぅ。
久方ぶりに旅を再開してみりゃ、初日から強盗に襲われかけるはホモに付きまとわれるは、ったくたまったもんじゃないよなぁ。
こういうのも現実のアフリカの一側面と考えるべきなのだろうか?
単純に移動を重ねるだけでも結構辛い地域なんだから、できればそれ以上の厄介ごとは勘弁願いたいよなぁ。

ダカール沈没記(完)- 脱出前夜

Dakar7-1 メグミちゃんがダカールに来てから、あっという間に三週間が経った。
その間、今までの旅の思い出や、他の旅行者たちの噂話や、お互い日本に帰ってからのやりたい事などについて色々と語り合っていた。

一時はすぐに日本に帰ることをかなり渋っていた彼女だが、意を決してスペイン行きのチケットを買い、数日後にはマドリッド経由で日本に向かう予定でいる。
その彼女が日本に帰ってからあれをしようこれもしようという話を繰り返す。
そんな話を聞いているうちに、俺自身の気持ちもどんどん帰国の方向に引きずられてしまいつつあった。
長期旅行者同士の間でよく繰り返される足の引っ張りあいに似ているのだが、その手のことに慣れている彼女から時折強烈なパンチが放たれてくる。

「マサさんもとっとと日本に帰っちゃえばいいのに。楽しいですよ日本は。ついでにマドリッド案内もしてくださいよー」

マドリーか。
久々に生ハム食べたくなってきたなぁ・・・。
いやいやいや、そんな安易な理由で旅をやめるわけにはいかん。
そりゃ久々に日本に帰りたいのは山々だけれど、今ここで帰ったら自分自身に負けたことになる。

「最近気がついたんです。『自分に負けちゃいけない』っていう、その気持ちに負けちゃいけないんですよ。もっと自分の心に素直になって、やりたい事をやればいいんです。別にここで旅をやめても誰も責める人はいませんて」

そ、それは確かに一理ある話だ。
「やりたい事しかやらん!」というのが俺の生活信条だしなぁ・・・。

「日本に帰ってタカさんやマコっちゃんたちと一緒に飲み会開きましょう」

タカさんもマコっちゃんもすでに帰国している俺らの旅仲間だ。
た、楽しそうじゃないか・・・。

日本かぁ・・・。
「五右衛門」の味噌ラーメンが恋しいなぁ。
あの店はまだやっているだろうか・・・?
ふと、そんなことを考えてしまったのが運のつき。
頭の中はもう完全に味噌ラーメンに支配されてしまった。

味噌ラーメン、味噌ラーメン、味噌ラーメン、冷やし中華も悪くない、でもやっぱり味噌ラーメン・・・

モーリタニアにいた頃「こうなったらアフリカ大陸全制覇してみせるぜ!」などと意気込んでいたのが遠い昔のことのように思える。
それがここへ来て気持ちは完全に「味噌ラーメン」にまっしぐら。
もう何もかも投げうって味噌ラーメンと生涯を共にしてもいいんじゃないかという意味不明の情熱すら沸いて来た。

「味噌ラーメン、いいですねー。ま、帰らないなら私が代わりに食べてあげますからご心配なく」

ぐっ!
いかん、ダメージくらいまくっている、負けそうだ。

帰国するか、旅を続けるか、の二者択一の選択肢。
目の前にぶらさがったこの選択を自らの手で選ぶとなると、今の俺なら確実に安易な方に手を伸ばしてしまうであろう。
ここは何か別の方法で決めた方がよさそうな気がする。

実は最近、一つ気になっていることがあった。
手持ちのクレジットカードの有効期限が今月末で切れる予定で、もうそろそろ新しいカードが届いている頃なんじゃないかと思っていたのだが、実家の方からはまだ何の連絡もない。
届けば連絡があるだろうと安直に考えて今まで確認するのをすっかり怠っていたのだが、もしかしたら実はすでに届いているのかもしれない。
もしこの時期になってもまだ届いていないようであれば、それはちょっと問題なのである。
アフリカにもクレジットカードがないとビザが取得しづらかったり、国境で入国を拒まれたりすることのある国がいくつかあるのだ。
何か問題があって新しいカードが送られて来ていないようであるなら、一度日本に帰って別にクレジットカードを作るなり何なりした方がいいかもしれないという話になる。

そんなわけで、とりあえず実家にカードが届いているかどうか確認のメールを送ってみた。
行く先を占う賽の目の結果を待つような気持ちだ。
両親からの返事は「届いているぞ」とのこと。

・・・・・・・ほっ。

不思議なものである。
帰国ではなく、旅を続ける方の道が選ばれたというのに、何故か安堵の心が生じてきた。
運命の女神に励まされたかのような気分だ。
ちょっと前まで完全に帰国に向かっていたはずの心が、徐々に旅へ向けて動き出した。
この上向きの気分を失ってはならない。

よしっ、もう迷いはしないぞ。
味噌ラーメンがどうした。
そんなもの日本に辿り着いてから死ぬほど食いまくってやる。
行くところまで行ってやるぜ、うりゃ!

続々・ダカール沈没記

Dakar6-1 ひょんなことから出現した沈没仲間のお陰で、こちらもどっぷり沈没気分に引きずられてしまった。
いいかげんにしろ何やってるんだこの軟弱者め、と思われるかもしれないが、これはもうしょうがない話なのである。

考えてみて欲しい。
激烈苛酷な西アフリカに一人突き進むのと、気心の知れた旅仲間との気ままな沈没生活。
魑魅魍魎が闊歩する暗黒大陸と、若い女の子との優雅な都会暮らし。
もう天国と地獄のような差がある別世界だ。
一体どこの誰が自らこの極楽暮らしを捨てて、地獄の猛暑と土砂降りの雨季が待ち受けるアフリカ奥地へと進んで行く気になれようものか。

そんな状況であるからして、旅が一時中断してしまっていても誰も俺を責めることはできないであろう。
強いて言えば「遊んでばかりいないでとっとと帰って来い、この放蕩息子が!」と日頃から温かい声援を送ってくれる両親くらいか。
いや、スマン、ホント申し訳ない。
でもね、この物価の高いダカールで過ごすってことは、その分確実に旅費が圧迫されている訳でして、結果として旅の期間が短くなることなのですよ。
ここでのんびりすればするほど、日本への帰国時期が嫌が上でも早まることになるので、少々ぷらぷらしてしまっていてもどうか大きな心で許してやっていただきたい。

メグミちゃんが来てから、三人部屋を二人でシェアすることになった。
同じ宿にこんな居心地のいい部屋があったなんて今まで知らなかったのだけれど、清潔で広々としてベランダまで付いている明るい部屋だ。
大きな丸テーブルも付いていて、パソコン作業もここなら思うようにはかどりそうだ。
俺が今まで住んでいた安い一人部屋は、狭くて暗い上に小さなネズミまで一緒に住んでいるという、かなり劣悪な環境だったのである。
外に飯を食べに行く時以外はほとんど部屋に引篭もり、それぞれフランス語の勉強をしたり、ホームページ用の情報ノートの整理作業を進めたり、その合間に一緒にゲームしたりしながら、いつものような沈没生活を過ごすことになった。

彼女も語学が大好きで、スペイン語やフランス語の知識は俺よりずっと豊富である。
フランス語の新聞を買ってきては辞書とにらめっこしながら解読を進めているほどだから、気合の入り方が違う。
俺の方はというと「ドラゴンボール」のフランス語版を何冊か買ってきて、流し読みしている程度なのだ。
でも、この日本のマンガの外国語版というのは実は非常に便利な存在なのである。
そのまま旅行会話や日常会話に応用できる会話例が拾いまくれるのだ。
知らない単語が出てきても、画を見ながらだと何となく言っていることが分かるしね。
文法解説書や旅行会話集などで使われているバカ丁寧な言葉遣いではなく、人々の間で日常実際に使われているような極々普通の口調の会話例が学べるのも嬉しい点だ。

ブエノス経由での帰国を決めていたメグミちゃんだが、ダカールに着いてからしばらくは航空券を買いに行くこともなく、その日その日を何気に過ごしている。
ブエノス行きは、最後に日本旅館でのんびりするというよりも、帰国前に他の沈没仲間たちに話を聞いてもらいたかったという気持ちの方が強かったようで、その気持ちも俺と話しているうちに徐々にほぐされていったようだ。
ブエノス行きは取り止めて、スペイン経由で日本に帰る方向を検討し始めている。
俺の方も、なかなか出発への踏ん切りがつかず、この際だから彼女が出るまで一緒にいてしまおうかという気になりつつあった。

と、そんな感じで引き続きダカールでの優雅な沈没生活が続いていくのであった・・・続く。
(オイオイまだ続くのかよ、この不毛な沈没記は!)

続・ダカール沈没記

Dakar5-1 沈没に継ぐ沈没のダカール。
まさかさらに続編を書くことになろうとは思わなかった。
正直な話俺もびっくりだ。


明日こそは出発するぞと固く固く心に誓いながらも、まともな時間に起きられず、惰眠をむさぼっていたある日のこと。

ドンドンドンドンドン!!!!!

部屋のドアをノックする喧しい音で起こされた。
うるせぇなぁ、一体誰だよ?

ドアを開けるとそこにはガンビアにいるはずのメグミちゃんの姿が。

「マサさん、何でここにいるの???」
「それはこっちの台詞だよ。メグミちゃんこそ何で戻って来たんだ?」
「それが話すと長いんですが、色々ありまして」
「よく俺がここにいるって分かったね」
「さっきチェックインした時に従業員から『上の部屋にずっと泊まってる長髪の日本人がいる』って聞いたんですよ」
「なるほどね(苦笑)」

ダカールなんかで沈没しているのが気恥ずかしくて、このところ旅仲間たちとはほとんど連絡を取らずにいた。
メグミちゃんの方もガンビアのネット事情の悪さからあまりメールをすることがなく、最近はお互いの消息を知らないでいたのだ。
もう何度目の再会になるのか数えるのもばかばかしくなるほど付き合いの長い彼女だが、今回の様にお互いの居所を知らないまま偶然の形で再会するのは初めてである。

話を聞くと、バイクの重要な部品を途中で失くしてしまい、それをヨーロッパからDHLで送ってもらうようにしたものの、いつまで待っても届かず、もう諦めてバイクをヨーロッパに飛ばし自分もヨーロッパに飛ぶことにして、その費用のために大量のダラシ(ガンビアの通貨)を用意したものの、結局ガンビアからはバイクは危険品扱いで空輸することができず、途方に暮れて宿に戻ったところに部品が到着、銀行でダラシの再両替を試みるものの制限があってこれも受け付けてもらえず、ヨーロッパに船でバイクを送ることも考えたようだが、船では届くのがいつになるか全く分からない話なので、さすがにそれは待ちきれないだろうと判断・・・ということで、結局コンテナ一台を借り切って船で日本に送り返してしまうことにしたそうな。

「飛べない豚はただの豚。私からバイクがなくなったらもう旅を続けることはできない」

彼女の運の悪さはハンパじゃない。
中南米でも数々のアクシデントに巻き込まれていたのを知っている。
「逆転裁判の須々木マコ」並みに不幸の星の元に生まれてきたような子なのだ。
もう見事なまでに、やることなすこと全てが悪い方へ悪い方へと導かれてしまう彼女にとって、この結末はある意味最高の形での旅の終わり方なのかもしれない。

幸い彼女自身も旅そのものに少々疲れを感じていたことから、旅を終えることに対する未練はないようだ。
日本に帰ることを決め、バイクを日本に送る手続きを済ませたら、肩の荷が下りて気持ちがずっと楽になったと言う。
その後、飛行機でガンビアからセネガルに飛んで来て今に至るという訳だ。

「んじゃ、こっから日本に帰るんだ?」
「いえ、実はその前にブエノスに飛ぼうと思って」
「ぷっ、まさか日本旅館で最後の沈没?」
「マサさんなら分かるっしょ?」

確かに。
ブエノスに飛ぶことが何を意味するか、それ以上の説明は必要がないくらいよく分かる。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレス、そこには日本旅館という世界最強の沈没宿があるのだ。
ハンパなく居心地のよい宿で、その強烈な重力から抜け出せずに、予定を大幅に上回って長居を続けてしまう旅行者が後を絶たない。
一度迷い込んだら最後、長居で済めばまだいいが、そこで旅が終わってしまう旅行者も少なくない。
何がどう居心地がよい宿なのかは説明を省くが、俺らがそれぞれブエノスを出てかれこれ半年以上が経つという今現在でも共通の友人の何人かがまだそこでちんたらしているらしい。
そのとんでもない事実から、どれほど居心地のよい宿か分かるであろう。
ちなみにそこでの俺の沈没期間は約4ヶ月、メグミちゃんは5ヶ月くらいだったっけか?

「日本に帰るまで一ヶ月くらいのんびりしていこうかなぁって」
「楽しいだろうねぇ、きっと。マツオカ君も最近舞い戻って来たようだし、カラファテのシマフジさんたちもそろそろ戻って来る頃なんじゃないかな?」
「マサさんもどうです?イグチさんの後釜を狙って管理人に就職したらいいじゃないですか」
「うーん、ブエノスかぁ。管理人はともかくとして、アフリカよりは確実に楽しそうだよなぁ」
「でしょ?一緒に行きましょうよ」
「でも、メグミちゃんはともかく、俺まで一緒になって戻ったら爆笑されるぜ」
「それは確かに(笑)」
「ネタ振りまくために、わざわざ何千ユーロも出すのはさすがにバカバカしいよなぁ」

だが、正直な話、思わず心惹かれる甘い誘惑であった。
日本旅館経験者なら分かってくれるだろうと思うが「ブエノスに行こう」という単純な一言がまるで悪魔のささやきかのように強烈に心をぐらつかせる。
確かにブエノスで半年ほど過ごして戻ってくれば、その頃には西アフリカも多少は旅のしやすい季節になっているだろう。
でも、さすがにブエノスまでの往復飛行機代と半年間の滞在費を考え合わせると、その後の旅費に足が出てしまう。
心惹かれはするものの、金銭的にはかなり厳しい話だ。
もしブエノスに行ったとしても、今度は半年やそこらで脱出できるかどうか今の俺には全く自信がない。
下手したらそこで旅が終わってしまう可能性の方が高い。

いくら考えても無理のある話なのだが、この際だからメグミちゃんが出るまでの間、もうしばらくダカールにいながら検討してみちゃおうかな・・・。

ダカール沈没記

Dakar4-1 見所も全て見終え、ダカールにいる間にやるべきこともあらかた終了したところ。
もういつでも出発できる状態ではあったのだが、どういうわけか足が前に出ない。
どうやら長居をしているうちに、気分が本格的な沈没モードに突入してしまったようだ。

今までこの先の国々について深く考えないようにしていたのだが、ここまで来てそうそうのんきな話で済ませられる訳もなく、最近はガイドブックや情報ノートをマジメに読みながら旅のルートなどを検討していた。
ところが調べれば調べるほど、気持ちがどんどん重くなってくる。

・シエラレオネのビザ代100USドルなり・・・ぼったくるのもいい加減にしてほしい。
・ギアナは賄賂天国、兵士や警官からの賄賂要求多し・・・銃突きつけて賄賂要求するのは反則だよなぁ。

ったく、お前ら何考えてやがんだ。
旅行者を歓迎する気がないとしか思えない。

・リベリアの6~7月の降水量1000mm以上・・・1000ミリって1メートルだぞ?泳いで移動しろってか?
・マリの夏の気温40度以上・・・俺を干からびさせる気なんだな、そうなんだな?

数字だけ見ると大したことはないと思うかもしれないけれど、スコールが続く季節での未舗装道路での移動はめちゃくちゃ辛くなるに違いないのだ。
気温40度というのも日陰で計るもののはずなので、日なたは50度を余裕で上回るだろう。
俺の相棒である精密機器たちはこの極悪環境に耐えられるものなのだろうか。
その前に俺自身がそんな苛酷な環境に耐え切れない可能性が高いぞ。

先々のことを考えれば考えるほど、ここダカールがずっと居心地のよい町に思えてくる。
物価と治安さえ気にしなければ、大西洋から吹き込む風のお陰で結構涼しく快適だし、図書館の日本語書籍の魅力は捨てがたいし、セネガル料理で毎日食いしん坊万歳のお気楽極楽世界じゃないか。

そんな感じでひたすら厭戦気分が蔓延。
明日こそは出るぞと固く心に誓ってみるものの、次の日になると、もう一泊くらいしても大して変わりはしないよなぁ、などと自分自身を甘やかし続けてしまっていた。
何だか登校拒否児童のようで恥ずかしいことこの上ないのだが、無意味に沈没しているだけではさすがにもったいないのでフランス語の勉強をちまちまと進めたりしながら多少は有意義な日々を過ごしていた。

そんなある日のこと、日本大使館で一人の日本人女性と出会う。
アフリカの各地でダンスを習いに来ているそうで、モロッコ・ギニア・セネガルと周って来たそうな。
その彼女がモロッコの話をしている時に、ふと気になることを言った。

「そういえばモロッコで同じように3年くらい旅行している人に会いましたよ。2月の終わり頃でしたけど」
「へー、俺も同じ時期にモロッコにいたけど、他にも長期旅行者がいたんだねぇ。あ、もしかしたらタカハシさんのことかな?どんな人だった?」
「ちょうどマサさんと同じくらいの髪の長さのオジサンでした」
「ふーん、それじゃタカハシさんじゃないなぁ。そんな長期の人だったらどっかで会っていてもおかしくないものだけどね」

と、その時は深く考えなかったのだが、一時間くらい経ってからふと思いつく。
ひょっとしてそのオジサンってもしかして・・・。

「モロッコで会った人って、もしかしてマラケシュの屋上テラスのカフェで会わなかった?」
「そう!何で知ってるんです?」
「俺だよ、それ(笑)」
「えぇ??」

俺も鈍い方ではあるが、彼女の鈍さも相当のようだ。
まぁ、俺はモロッコではあの頃、ジュラーバを着てヒゲも伸ばしっぱなしだったからなぁ。
彼女の方も、今はセネガル女性と同じような衣装でばっちりきめていて、お互いに風貌ががらっと変わっていたのだ。
それにマラケシュで会った時はほんの少し話してすぐ別れただけだったし、数ヶ月ぶりに会ってすぐに気がつかなかったのも無理はない。

ま、大した話じゃないんだけどね、何となく可笑しかったので書いてみた。
それにしても・・・オジサンですか。
歳は取りたくないものだのぉ・・・(苦笑)

レトバ湖

Dakar3-1 ゴレ島とアルマディ岬を見終えた後も、しばらくの間ダカール滞在を続けていた。
旅仲間のタカハシさんなどは、物価が高い上にやたらとスリの多いダカールが嫌いらしく「よくあんな町で長居できるねぇ」とメールで呆れ果てていた。
確かに物価や治安の面を考えると、居心地がいいとは言いがたい町なんだよね。

でも、このダカールにも個人的にとっても気に入っている物が二つあった。
日本大使館の図書館とセネガル料理である。

ダカールの日本大使館にはちょっとした図書館が併設されていて、日本語書籍の貸し出しもしてくれる。
旅行者による情報ノートも置いてあって、周辺各国のビザ取得情報やアフリカ各地の旅情報など、便利な情報がびっしりと記載されていた。
考えてみたら、ダカールから先の場所について、まだあまりよく知らないんだよね、俺。
旅行者の少ない西アフリカで、その最も旅行者が少ない季節に来ているからなぁ。
他の旅行者にも全然出会わないし、今まで情報交換のしようもなかったのだ。
ちゅうわけで、毎日のように日本大使館に出向いては、情報ノートから有効な情報を書き写したり、面白そうな本をごっそり借りてきては宿に持ち帰って読みふけっていたのである。

Dakar3-2 もう一つのお気に入りはセネガル料理
市場の横にちょっとした屋台街があり、毎日そこに出向いてはマフェ(ピーナッツから作ったカレー)やチェプジェン(魚や野菜の煮込みを炊き込みご飯に乗せたもの)やヤッサ(甘酸っぱい味付けの野菜炒めをご飯に乗せたもの)やスプカンジャ(オクラに似た食感の野菜を魚のダシで煮込んだもの)などに舌鼓を打っていた。
モロッコから先は大した料理など期待できないだろうという先入観があったのだが、意外にもこのセネガル料理がかなりの美味なのである。
しかも米食が基本なので、御飯党の俺には嬉しい限り。
このセネガル料理さえあれば、あまり日本食が恋しくならない程だ。
モロッコ料理もそれはそれで美味かったんだけれど、あっちは主食がパンだったからなぁ。
ちなみに、この辺の国では日本人のように米粒一つ残さず平らげたりはしないで、みなある程度皿に残して帰って行く。
中国と同じように食事は量で持て成す習慣があるらしく「もう食べ切れません満腹です御馳走様」という意味がこもっているらしい。
中には半分近くも残していく人がいて、勿体ないなぁと思っていたら、屋台のおばちゃんが後で残飯をまとめて乞食の子供たちに分け与えていた。
うーん、上手くできているもんだね。
逆に残さず平らげたりすると、足りなかったのかと思われて、また皿にぐわっと追加で盛ってくれたりする。
大飯食いの俺にはまことに嬉しいお持て成しである。

てなわけで、ダカール暮らしを楽しんでいるうちに、日に日に気持ちが沈没気分になりかけてきていた。
ん、こいつはいかん傾向だ、気分転換にどこかに行ってみるとしよう。

Dakar3-3 まだ行っていない見所にレトバ湖があった。
フランス語ではラック・ローズと呼ばれ、日本語に訳せば「薔薇の湖」という場所。
湖中に生息するプランクトンの作用で、湖水が綺麗なピンク色に染まっているという湖だ。
ダカールからちょっと遠いこともあって今まで何となく行くのを躊躇っていたのだが、この際だから思い切って行ってみようじゃないか。

市バスやミニバスや乗合いタクシーを乗り継いで、ダカールから3時間かけて湖に到着。
ん?全然ピンクじゃないじゃないか。
季節がらか、それとも日の光の加減なのか、くすんだ焦げ茶色にしか見えない。
写真で見たのとはえらい違いだ。
ガイドブックには乾季にはピンクに染まるようなことが書いてあって、一応今も乾季のはずなんだけどなー。
ちょっとがっかり。

Dakar3-4 湖の周囲ををてくてく歩きながら先に進むと、奥の方で塩の積み出し作業をしている人たちがいた。
湖のほとりに小さな村があって、村人たちが総出で作業を続けている。
どうやらこの村人たちは湖から採れる塩で生計を立てているらしい。
男たちが底の平らな小船で湖に繰り出し、スコップで船一杯に塩を入れて持ち帰ってくる。
それをバケツで汲みだして、頭に載せて天日に干す場所まで運ぶのは女の仕事。
乾いた塩をより分けて袋に詰めるのは老人たちの仕事となっている様子だ。
子供たちはそこかしこで無邪気に遊んでいる。
ドロ川みたいな色の湖を眺めているよりは、こっちの方がよっぽど見ていて面白い。
休憩中のおっちゃんたちや村の女の子たちと少し話していたら、帰りがけに記念にと岩塩を少し袋に入れて持たせてくれた。
うーん、岩塩なんか貰ってもどうしようもないんだけどな、気持ちが嬉しいからありがたく頂戴しておこう。

さてと、ダカール周辺の見所も全て見終えたことだし、ぼちぼち南下の旅を開始しなきゃだなぁ・・・。

ゴレ島とアルマディ岬

Dakar2-2カーボベルデから戻ってから数日後にタカハシさんとメグミちゃんはガンビア方面へと南下していった。
俺はダカール周辺の観光がまだだったこともあり、一人この町に残ることにした。
写真の整理やホームページの編集など、やらなければならない作業も溜まっていたので、もうしばらくこのダカールで過ごすことになりそうだ。
彼らには当分会えなくなりそうだなぁ。
短期旅行者宣言しているメグミちゃんのペースには追いつけないだろうし、比較的のんびりペースのタカハシさんにも運がよければガーナ辺りで会えるかどうかといったところだろう。

Dakar2-1実は、モーリタニア滞在中に気がついたのだが、写真を焼いて保存してあったCDの大半が、猛暑のためにデータが破損され使えなくなってしまっていたのだ。
大事な大事な写真たちがパァ・・・うぅ。
幸い、ほとんどのCDは同じものを二枚ずつ焼いて、一枚を日本の実家に送り、もう一枚を自分用に持ち歩いていたので、完全に失ってしまったファイルはそう多くはない。
だが、ホームページの編集を進める上でモロッコで撮った写真のうち何枚かを壊れかけのCDから救出する必要があり、その作業に思った以上に時間がかかってしまった。
うーん、この先もクソ暑い地域を旅しなければならないことを考えると、何か別の保存方法を考えなきゃならないなぁ・・・。

そんなこんなで、ちまちまとパソコン作業を続けながらあっという間に一週間が過ぎた。
本当はパソコン作業だけなら5日ほどで終了したはずなのだが、長時間のパソコン作業の合間に気分転換のため戦国時代の日本に出かけたり、13世紀のモンゴルの草原で騎兵部隊を引き連れて暴れまわっていたのはここだけの話だ。
パソコン作業と日本列島統一とユーラシア大陸統一が一息ついたところで、今さらながらだがダカール観光を始めることにした。

Dakar2-3 まずはダカールの町のすぐ近くに浮かぶゴレ島へ。
フランス植民地時代に奴隷積出港として使われていた島だ。
鉄道駅近くの港から船に乗り、30分ほどで島に到着。
島には植民地時代の建物が美しく残っていて、全体的にのんびりした空気が漂っている。
車がないせいかもしれないが、まるでこの島だけ時が止まっているかのようなレトロな雰囲気じゃないか。
ダカールの街の喧騒がウソのようだ。

小さな島なので30分もあれば一通りぐるっと周ることができる。
「奴隷の家」などいくつか博物館があるけれど、中身はどれもしょぼいものばかり。
それよりも島内をあてもなくぷらぷらと散策しているだけで結構楽しい。
ちょっとしたタイムトリップ気分を味わうことができるおすすめの場所だ。

次に、アルマディ岬という名のアフリカ最西端の岬に行ってみることに。
ダカールの町があるベルデ岬半島そのものがアフリカ最西端と言えないこともなく、その中でも本当の最西端に当たるアルマディ岬までわざわざ出向く観光客はそう多くはない。
だが、旅人の中には、どういうわけか端っこ好きというか先端マニアというか、どうしても一番先の最果ての地に立ってみないと気が済まないという連中が少なくないのだ。
俺自身は特に先端にこだわる趣味はないのだが、その気持ちは分からなくもない。
長い旅路の果てに辿り着いた最果ての地、そこには独特の旅情もあれば、ある種の達成感のようなものがあるのだろう。
せっかく近い場所にいることだし、軽い気持ちで足を伸ばしてみることにした。

Dakar2-4 ダカール市内から市バスを乗り継ぎ、バスを降りた場所から2キロほど歩いて岬に到着。
岬の前には魚や貝をバーベキューにして売る店がいくつか並び、その横に磯と極々小さな浜辺があるだけ。
浜辺では地元の人らしき家族連れが海水浴を楽しんでいる。
うーん、こいつは旅情に浸れるような場所じゃねぇなー・・・と思っていたら、磯辺の向こうに海側に突き出た堤防のようなものが見える。
聞くところによると、その先が本当の最西端に当たり、そこはクラブ・メッドという五つ星リゾートホテルの敷地の中にあって宿泊者以外は入れないとのこと。
ぬ?
先っぽにはそれほどこだわらない俺だが、金持ち以外お断りみたいな場所には意地でも入ってみたくなってきたぞ。

とりあえず小さな石垣をまたいで越えて敷地内に潜入するが、あっという間にホテルの従業員らしき黒人の兄ちゃんに見つかって追い出されてしまった。
ホテルの宿泊者は白人ばっかしだからなー、東洋人はどうしても目立ってしまうようだ。
その後も隙を見計らっては何度か侵入を試みるが、その都度見つかって追い出される。
磯辺にうじゃうじゃいるウミウシをつついて遊んでいる振りをしつつ、再度隙をうかがっていたものの、もうすでに完全にマークされているようで、兄ちゃんは石垣から動かずにずっとこちらを見張っている。
しばらくの間、磯辺と石垣を挟んでにらめっこと達磨さんが転んだ状態が続く。
そうこうしているうちに、彼との間に気持ちの通じ合いというか、厳しい戦いの末に生まれる堅い友情のようなものが芽生えてきたかというと、そんなことは全くなく、もういいかげん諦めて帰りなさいという冷たい視線が地元の海水浴客からも注がれる始末なのであった。

ぐっ、いたしかたあるまい。
今日のところは大人しく引き下がってやるとするか。
何度も書くようだが、最西端ごときにはちっともこだわってないので、別に悔しくも何ともないのだ。
それに、何だあの、いかにも人工的な造りの最西端は。
あんな後から取って付けたかのような岬は俺は認めんぞ。
俺が辿り着いたあの磯辺こそが本来の最西端であることは誰の目にも明らかであろう。
というわけで、見事アフリカ大陸最西端に到達した達成感を味わいつつ、ダカールへと帰途に着くのであった。

カーボベルデ3 - ダカールに帰還

CaboVerde3-1 カーボベルデで俺らが泊まっていたソル・アトランティコの宿では朝食が付いている。
ちょっとしたビュッフェ形式の朝食なのだが、今まで同宿の謎のネパール人集団によって俺らが席に着く前には先にあらかた食べつくされてしまっていた。昨日までの朝食では、よくてパンとコーヒーくらいにしかありつけていなかったのである。
おい、そこのネパリ親父よ、ジュースを二杯飲むのはまだ許すが、バナナは一人一本で我慢しておきなさい。

最後の日くらいは彼らを出し抜いてやろうと、朝食が準備される朝8時には食堂に待機して、全ての品を三人分テーブルに揃え、予約済みのような形にしてやった。
後からのこのこやって来たネパリ集団はそれを見て、あちゃしてやられたなと苦笑い。

彼らとは後で昼頃に公園でハンバーガーを食べている時も一緒になり、お互いに興味があったこともあって色々と話を聞くことができた。
年齢も出身部族もまちまちといった感じの5人組のネパール人団体。
彼ら自身、こんな場所に日本人がいることに驚いていたが、それはこちらも同じこと。
聞くと、2ヶ月くらいの旅程で、中東やアフリカ諸国を周っているらしい。
商用かと思いきや純粋に観光旅行だという。
カーボベルデの後は帰国するだけだそうだが、こんな遠くまで来てしまってネパールに帰るための便を探すのに苦労しているらしい。
最初はひょっとしてマオイストか何かで武器の仕入れにでも来ているのかと勘ぐってしまっていたが、意外と普通の人たちだったようだ。

朝食後に空港会社の事務所に出向いて、リコンファーム(ホントはもっと早くやらなきゃならんのだが)と出発時間の確認をしてきた。
飛行機は時間通りに出るとのことで、2時間前に空港に着くように言われた。
余ったエスクードを使い切るためにスーパーでポルトガルワインなどを買い込んだ後は、他にやることもないので余裕を持って2時間半前には空港に到着。

CaboVerde3-2 んで、空港の発着時刻案内の電光掲示板を見ると、ダカール行きの便は予定より2時間も早くなっているじゃないか。
カウンターで確認しても、やはり2時間早まっているとのこと。
うーん、遅れる分には待てばいいだけの話だけれど、いきなり早めたりして万が一乗り遅れてしまったらどうしてくれるんだ。
以前、フォークランドからの帰りの便でも同様のケースがあって、あわや乗り遅れそうになったけれど、できればこういうのは勘弁してもらいたいものだなぁ。
ま、お陰で空港での待ち時間も省略できたし、明るいうちにダカールに着けそうなので、よかったといえばよかったんだけどね。

ダカールには夕方頃到着して、市バスを使って市内に戻り、別宿のタカハシさんたちと一度別れる。
んで、後で彼らの宿にワインを持って遊びに行ったら、町中の雰囲気が異常に悪いのに気がついた。
日曜でもないのに店が全部閉まっていて、人通りがほとんどなく、怪しげな目つきの兄ちゃんたちがうろついている。
俺自身にも二人連れの物売り兄ちゃんが両側から歩み寄ってきた。
物売りといっても、手にしている商品は腕時計一つとかネックレス一つだけで、まともに商売しているようにはとても見えない。
ダカールではこういう連中には特に要注意なのだ。
ちょっと気を許すとスリや強盗に早代わりするのである。
すかさずかわすことができたけれど、今日はあまり遅くまで出歩かない方がよさそうだ。
聞いたら、今日はどうやらセネガルの独立記念日とやらで祝日であるらしい。
空港から戻る時に通りがかったスタジアムが大勢の人で賑わっていたけれど、おそらく記念式典でもやっているのだろう。
警官たちの多くもそっちに出向いているようで、街中は半ば無法地帯と化している可能性がある。
くわばらくわばらだ。
タカハシさんたちには挨拶だけ交わして、大人しく自分の宿に戻ることにした。

カーボベルデ2 - 旅先での3回目の誕生日

CaboVerde2-1 引き続きカーボベルデにて。
期待通りに、しょぼさ満点の国で三人ともいたって満足しているところだ。
年がら年中眠りこけているかのような、ぼーっとした町にのほほんとした人々。
このひたすらのどかな雰囲気がとても心地よい。

本日はタカハシさんと一緒に島の奥の方を覗きに行って見ることにする。
相変わらず体調不良のメグミちゃんは今日は一日宿で休養を取ることになった。
「二人が戻って来るまでにラスボス倒して見せますよ」と、勇ましくドラクエ5の世界へと旅立って行った。

まずはミニバスで島の中央にあるアソマダの町を目指す。
道はほとんどの区間がまともに舗装されていて、トヨタハイエースの中の狭い席でもそれほど苦にならない移動だ。
途中の景色は荒れ果てたこげ茶色の地に潅木がちらほらあるだけ。
火山島だけあって島全体は起伏が激しく、この島の最高のピコ・ド・サント・アントニオ(1394メートル)の峻峰を横目に眺めながら峠を越え、山間の小さな町アソマダに到着。

本日の目的地は島の北岸にあるタラファルのビーチなのだが、ここアソマダには樹齢500年という巨木があるというので、通りすがりのついでに立ち寄ることにしたのだ。
町外れから深い谷底に降りた場所にその木はあった。
熱帯性高木のパンヤノキ(silk cotton tree)で、樹齢500年というだけあってさすがにデカイ。
ま、単にデカイというだけで、それ以上でもそれ以下でもない木である。
季節によっては綺麗な花でもつけるのだろうか。

CaboVerde2-2 この巨木がある谷ではサトウキビの栽培が行われており、牛を利用した素朴な圧搾機を使って男たちが交代でサトウキビ搾りの作業を続けていた。
しばらく作業を眺めさせてもらっていたが、ぼちぼちアソマダの町に戻ろうとする頃に、ちょうど通りがかったトラックがあって荷台に乗せてもらうことができた。
小一時間かけて降った谷なので、歩いて戻るのは少々辛そうだったところ。
汗だくになることもなく、楽々上まで戻ることができたので非常に助かった。

お次はまたミニバスに乗って北のタラファルの町を目指す。
アソマダから先の道はアスファルトの舗装道路ではなく、数十キロにわたって延々石畳の道が続いていた。
ヨーロッパの町で見かける年代物の石畳と違って比較的新しいもののようだったが、これだけの距離に石を敷き詰めるくらいならアスファルトの方がずっと楽にできたんじゃなかろうか。
何か石畳でなければならない理由でもあるのだろうか、ちょっと謎だ。

CaboVerde2-3 タラファルには小さな教会と小さなビーチがあるだけで、期待以上にしょぼい場所だった。
市場近くで売られていたぶっかけ飯で腹ごなしをした後、ビーチにビールを持ち込んで一杯ひっかける。
椰子の木陰で四人の白人女性がビキニ姿で日光浴をしていた。
近づいてお友だちにでもなろうかともちょっと思ったが、よくよく見たら「あれは近づかずに遠目から後姿を眺めているだけの方がよさそうだ」ということで二人の意見が一致した。
二人とも女性の好みについてはそううるさい方ではないはずだが、この場に限って満場一致で不採用案可決。

プライヤまでの帰り道は、来た時の山間のルートとは別の、海沿いの道を通ることになった。
その途中では谷間一面に広がるバナナ園や風車で水を汲み上げる井戸などを車窓から眺めることができた。

宿に戻ると、メグミちゃんの体調はだいぶ回復しているようであった。
「お帰りなさい。ビーチはどうでした?」と聞く彼女。
「いやぁ、かなりよかったよ。白い砂浜と椰子の木が延々続いていてねー。コパカバーナ並みに美人のねーちゃんが大勢いて、いい目の保養になったよ」
「へー」
全く信じていない様子。
ま、当然だろうな。

カーボベルデ最後の夜ということで、晩飯はちょっと贅沢にレストランで食事をすることにした。
町中のレストランを2~3軒覗いてみてテキトーな店に入る。
本当はこの国の名物のロブスターを味わいたいところであったが、季節が合わなかったのか残念ながらどこの店でもメニューには載っていても出してはいなかった。

CaboVerde2-4 タカハシさんはイカとポテトフライ、メグミちゃんはエビとサラダの盛り合わせ、俺は海鮮パエリアを注文。
料理が出てくるまでの間、三人で「アフリカの国名」「アフリカの首都名」で山手線ゲームをして遊んでいた。
二人ともさすがはベテランの旅人である。
まだ行ったことのないアフリカの他の国の地名について俺よりずっと詳しく知っている。
首都名はさすがにちと厳しかったが、国名については54カ国全部言えてしまうから凄い。

出てきた海鮮パエリアは海の幸のダシがほどよく効いてとても美味だった。
スペイン式の料理だが、味付けはややブラジル料理に似た感じがする。
実はこの晩飯では俺の誕生日祝いも兼ねてくれていて、ビールも含め全部二人にご馳走になってしまった。
二人には南米やモロッコの各地でとってもお世話になっているというのに、またこんな美味しい料理までゴチになってしまい、本当に感謝感謝である。
特にメグミちゃんには去年の誕生日もブエノスで祝ってもらっちゃっているのだ。
俺もいつかどこかで恩返ししなきゃだな。

さてと、明日は飛行機でダカールに戻る予定だ。
前置きが長かった割にはひたすら地味であっさりしたカーボベルデの旅であったが、少なくともこの国ののどかな雰囲気はそれなりに味わえたような気がする。
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