natura*tura

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-日記帳-

Amebaでブログを始めよう!
一体誰のために何をやってどうなってるんだろう

と思うことが本当に度々よくある

みんなあるんだろうな



行き着いた先が今でないことを願って
とにかく通過点を通過する日々





6月25日は母の誕生日でした。

花好きの母が唯一、あまり好きではないと言っていた

紫陽花は、私と母が産まれた6月に花を咲かせる。



幼い頃に

自分の誕生日月に咲く花を

どうして好きではないのか母に尋ねると、

主張しすぎるからと。

花が沢山集まって花となり

一つの木にたわまんばかりにたくさん咲く


それが上品でないそうだ





20年過ぎた今になって、再びその理由を聞いてみると、

紫陽花の花を屋敷の敷地内に植えたらダメだと祖母が言ったからだと。

だから敷地内に紫陽花は植えてはダメだと念をおす。



20年前に聞いた理由を母に話してみると、そんなことを言った覚えはないとアッサリだ。





人が、何かを好きになる理由や嫌いになる理由なんて、

一過性のもので、大したことではないと思う

思った



忘れてしまう前に、大好きな人には好きと言おう

大好きなものを好きだと表現しておこう

好きという、無条件にやさしい感情を、誰かに伝えておきたい



嫌いなものは、いつか好きになる可能性を、根こそぎにとらずに

そっと蓋をしておいて















手紙が遠回りして届いた
大好きな人から、だから、ラブレターと呼びます。




もとに戻るということは、
ほとんどすべてのこと、もの、関係においてないと思う

だから新しい関係が築かれた

居心地が良いものが悪いものに変わって、また居心地がよくなったら、
もとに戻ったように感じるんだろう。
逆は、悪化したと言うかもしれない

なぜか、人は悪いところ、悪いことがめについて覚えてる

でも本当に嫌なことは、忘れてしまう

記憶の奥の奥の奥そこへ


1ヶ月前も、2週間前も、今も同じ世界であるけど、
全然違って見える

世界が変わった
私が変わってフィルターが変わって、
人は世界を真っすぐには見られない


大丈夫、と言われても全く大丈夫と思えなかった私が
明日になったら隣の人に大丈夫と言ってる
そんな風に

たくさん泣いたけど
女の人は笑うより泣く方が、時にストレスが発散されるらしい


今まで信じて守ってきた大事なものとは全く違う大事なものを、私は初めて知って、
それは比較できるものではないはずなのに、
なぜか同じ天秤の上にのせられて、突きつけられたとき、

予想外にも私は新しい大事なものを選べた

選んだというより、今逃してはダメな気がして、しがみついたというか、捕まえたというか頭を下げたかもしれない。

そんな自分の選択に驚いたことと
知っていたけど比較できない全然違う大事なものを、
それでも選んだ、ということ。


あんなに嫌いだと思っていたものが、やっぱり好きになる
あんなに好きだったはずなのに、興味がなくなる


さようなら
こんにちは。新しい世界は毎日。