KissKickHugHang


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Life,Words&Mind(後半)

 

7・キット晴れになる

 

こーいうコード使ってシングル書いて

って渡されたPのデモ音源に入っていたメロの

サビの2小節と設定リズムだけ使って書いたもの

 

人のエッセンスが一滴でも入ったメロで

曲を作り歌うのはこの曲が最後です

 

それ以降は100%オーガニック俺

 

なにかの番組のタイアップ曲

 

プロモーションに行った時だったか

歌詞について屈辱的なことを

すれ違いざま見知らぬ男性に言われ

なんだと!!というか誰だ!!となった

(怒りのあまり正確には思い出せないけれど

前作聴いて期待してたのに これは幼稚で響かない

君はこんな歌詞書く人じゃないでしょ?

次はもっと頑張っていい歌詞書いて

的なことだった気がする)

 

シングル用に使える言葉の加減や調整が

まだうまくできない頃

ことシングル曲に関しては

リサ語を使い らしさを表現することに

苦悩していた頃に言われたので

核心をつかれてキツい一発だった

 

アルバムとシングルで

Mixが多少違うらしいが

何がどう違うのか全く覚えていないけれど

ワタシの事だ 何かゴネたに違いない・・・

 

8・Promise

 

自分の声以外のコーラスワークを聴きたくて

男性コーラスたくさん入れてもらったけれど

自分の響きに合う人っていないと気づいた

というか自分が人の響きに合わないのか?

 

この作品を機に 他者のコーラスは

足りない成分を補足する時以外は入れなくなった

らしさとは経験の上に成り立っている

 

私には珍しい 打ち込みビート

もっとハネてれば もっと私らしいグルーヴ

ですがこれ以上ハネるとポップじゃ

なくなるということは理解している

 

9・天へと昇ろう

 

これと対になってる軽妙な歌が

最後のSTARTIN’ OVER NOWだと思う

過去すぎて だと思うとしか言えませんが

改めて聞いて方向性的にそーかなと

 

愛をちょうだ編とありますが

他の編があるわけでは多分ありません

他の編を書こうと思ってたかもですが

書いたのか 書かなかったのか ハテ

 

気楽な歌を楽なトーンで唄いたい

前作の反動が出ている曲

オタマジャクシがいっぱいで

メロディがコロコロと笑い転げ回るような

ライトな曲をこの頃よく書いていました

 

10・Rain,rain,go away

 

歌唱力なさすぎて 想像通りに

歌いこなせなくて凹んだ1曲

もっと上手に歌いたかったけれど

この頃の限界は情けないけどココ

 

かといって これ以上の歌を

今は唄えるのかと言われたら

唄えますとは言えませんし

歌えませんと言いそうですが

バラードやミディアムロッカバラードを

唄いこなせる実力もなかったのに

唄える唄えない関係なく

作る事はできたし 求められたので

 つい唄ってしまっていました

 

アレンジ的には アコースティックで

もっと そっと悲壮的に語るように

歌いたくて作ったはずですが

キーが上がり 派手になったので

それに合わせて強く唄うのに苦労しました

 

ME AND・SLOW BIRD・RAINは

このアルバムにおける

ミディアムバラード3部作

 

11・STARTIN’OVER NOW

 

ポップでも1st時とは違うポップさ

 

自分は硬派ではなく軟派だと思っていたけれど

売り出し方が正統派 本格派 硬派で

そうじゃないのにそう思われて困っていたので

メッセージ性だとか 深い意味を持たない

なんか今誰かが走り去ってったな~

って感じるくらいの軽妙な歌を

たくさん書いていた頃

 

作る時 唄う時 録る時に

心の負担にならない軽さを

このアルバムには求めました

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

1stと違う点は「軽さ」これが全て

ビート感やギターの音色

ネットリ ビッタリ ギッチリ

そーいったものをひたすら薄めて

楽曲の面白さ メロディのハネ感とか

転がり方とか Dメロを増やして

1曲の中の展開 表情を豊かにしたり

自分の強みとは何なのか

この子の個性はどこなのか

ガールポップとの違いはどこなのか

そーいうのを知らしめるために

このときできる表現をひたすら試した

試行錯誤な1枚です

 

*アルバム制作に纏わるエトセトラはNoteまで

Life,Words&Mind(ライナーノーツ前半)

1.Hello,Darkness myself

 

このオケ録の時にベースのトニーの第一声

キミのグルーヴは素晴らしい!

っで鼻の穴が広がり悦に

 

ハローダークネスマイセルフというワードが

この頃の自分を言い得て妙

 

舌が上顎をかすめる「 L 」発音が好きなのと

気分転換に近所を散策していた時に

やたら綺麗に咲いていた花がライラックで

誕生季節の春の花だったことや

この曲を書いたのが5月なので

この単語を歌詞に使いたかった

 

アレンジはツイストやゴーゴーのような

昭和のおとーさんおかーさんが

懐かしさに涙するクラシックレトロ感を含みつつ

ワタシの好きなスカした軽さがあって

自分の体内グルーヴに合っている

 

「夢を見るのも楽じゃない」

この言葉がこの曲のすべてを物語ってます

 

この頃の孤独感や迷子感が

ポップな曲調とワード選びで

深刻に聴こえずに済んでいて好きな1曲

 

鬱々しい歌を鬱々しく唄うのが

似合うと思われがちですが

痛い 辛い 悲しい 苦しい 寂しい

そのナイーブな感情をポップに

天邪鬼に唄うのが最もぽいと思ってる

 

2・Nervous

 

この歌詞は 確かロスに行った時点では

完成させてなくて

オケ録りの時 仮歌も一緒に録るので

その時のために現地入りした当日の夜中

眠い目こすってホテルで書きました

 

男女間のよくある痴話喧嘩を

唄ってみております

 

ギュンギュンギターが入っておりますが

まくし立て感がこの曲には合っているので

ギターソロというものが好みではないけれど

許容できました

 

3・Erostic Girl

 

こーいう掴みどころのない曲を作るのは

この頃から得意中の得意

軽快なシャッフルビート

このアルバム通してワウギターが多用されて

いるのだけど ワウの浮遊感が

この頃の情緒に合っている

 

自分の性質である小難しさ 複雑さを

楽曲にも表現した方が こいつは

面白いというのを理解してもらいたくて

ひたすら選曲会にニッチでマニアックな曲を

落とされても落とされても

めげずにぶち込み続けた

 

確かこの曲を書きながら見ていたTVで

(BGVを流しながら曲を作る癖があった

今はTV自体ないのでやらないけれど)

刺激を求め スパングルなものに

傷つくとわかっていながらも

惹かれずにはいられない危うい

若者たちの(当時同年代)

街頭インタビューの映像があり

20代の恋愛事情を書きなさいと言われてたので

それについて書いたつもりでいたら

こーいう恋愛のことじゃないと言われた

でも ヘンテコで面白いということで

無事採用されて超嬉しかった曲

 

「ゆっくりと今を楽しめばいい」

この一言がこの歌の全て

 

4・Slow Bird

 

デモタイトルは「グライダー」

打ち合わせの待機中NO暇つぶしに

チョロチョロギター弾いてたら

メロがブワッと湧いて10分位で作った曲

 

Aメロの展開コードはP曰く

いい曲が書けるコード進行らしいが

その名前はよくわかってない

 

朗報としましては コードネームなんて

知らなくても良曲は書けるし

コードを知って入ればたくさん曲が書ける

というのはイコールしません(ワタシの場合)

 

センスは実力を超える時がある

と信じてやまない

 

紅葉の実が竹蜻蛉のような形をしてて

それがクルクルと螺旋を描きながら

落ちていく様が好きで 子供の頃グライダーと

勝手に呼んでいたその紅葉の実が

イカロスの姿と重なって

SLOW BIRDになりました

 

このアレンジはよく出来たアレンジだ

 

20年以上ぶりにアコースティックライブで

唄った映像がyoutubeに上がっているので

気になった方は視聴回数 回してください

 

元demoキーで演奏をお願いしていたのに

(アコースティックの場合は

楽器との熱量をあわせるために

元demoキーに戻して唄うことが多い)

しれっと原キーで演奏され 唄いながら

殺意を覚えたことをそのライブのMC

でチクった記憶があります

 

滑舌よく明るいトーンで唄うことを

ずっと言われていたので

想像通りのイメージで歌えず残念ですが

今でも大好きな1曲

 

5・Me and my Shadow

 

シングル曲

タカラ缶酎ハイのCMソングで知った

方が多いのでしょうか?

 

おじさんキラーソングと呼んでおり

プロモーションに行くと

当時40代位の男性陣がこぞって

この曲が好だというので そう命名

 

別れに対して追ったり縋ったり騒いだりせず

実際は千切っていく激しい痛みがあるのに

どこにも自分の存在 気配を残しさないで

風みたいに綺麗に去って

熱くもなく冷たくもない温度がある

そんな悟り歌を作りたかった22歳

 

これこれこんなことがあって

こんな想いがあったからこーした

みたいな歌詞の書き方は珍しいけれど

シングル曲に決まっていたので

濁らない(自分の悪い癖を出さない)

言葉選びを意識した思い出があります

 

出だしの

「見上げた空に幾千の星がかかる頃

短いあの夏が胸に蘇る

なぜ一番大切なものだけいつも失くすのだろう」

という言葉をノートに書いた絵面?

風景というか映像は今でもはっきり覚えてる 

 

なかなかな美メロです

自分からこんな出来のいい子が生まれたとは

信じがたい気もしますが間違いなく産みました

シングル用に書いたにしては

産みの苦しみはなかったので

無痛分娩といえます

「すばやく」「BLUE SKY」「キット」

このシングル3曲は人の息がかかっていたけれど

初めての自分100%シングル曲

 

6・Life,Words &Mind

 

王道ファンクロックアレンジ

 

エトセトラにも書きましたが

この歌録時高熱を出していて

スタジオのソファで震えながら待機

 

粉薬が飲めなくて マネージャーに

オブラートに包んでもらったのだけど

うまく飲み込めず 喉で溶け窒息しかける

 

ブースに椅子を用意してもらい

力を集約する一点が必要だったので

スタンドマイクを仮設してもらい

それにつかまりながら気合いで唄った

自分を昨日のことのように覚えています

 

歌う時に体調が良かった記憶がない

 

その頃の置かれた現状に

あたしゃ何も悪くない!というボヤキの深刻度を

ファンキーな曲調で誤魔化しています

Pに嫌味な歌詞だよね~と言われたが

怒りと悲しみが伝わってニンマリしました

 

サビに「~フィーバー」と入っているコーラス

実は 一箇所だけ「ビーバー」と言ってます

聴いてもわかんないくらい混ぜているので

聴き取ることは不可能と思いますが

そんな風にRecを楽しむ余裕があったなんて

胸熱案件です

 

(後半に続く・・・)

GO ON AND ROCK IT!(後半)

7・どのレールに乗って

 

電車の効果音はやめてほしいと

反対したのを反対された

 

本編はアレンジもライトで

どんどんどんどんポップになって

自分とのギャップが開いていくばかりなので

一番最後に歌うことにしていた頭の落ちAを

ここだけは思うように歌わせて!と

懇願したのを覚えてます

声の出し方とか節回しとか

本編の間や声とは違うんじゃないかと

 

もっと切なく温かいアコースティック感のある

片田舎の路面電車ぽいイメージで作ったけれど

シンデレラエクスプレス感のする

アレンジになってたし(自分的に)

キーを上げておいて さらに最後のサビが

転調すると知った時は殺意を覚えたw

 

今は絶対に書けないであろう上等なポップス

違う誰かが歌ったら もっと良い曲に聴こえるので

誰か カバーして聴かせてください

 

8・Running in the Rain

 

上京してすぐ作った曲

 

ナイトライダーという海外ドラマの

主人公が乗ってる車がポンティアックで

その語感が好きなのと 外国の一本道を

ひたすら爆走してるような曲を

免許ない癖して作りたかった

出来上がりのイメージは

自分の予定速度をオーバーしていた

 

サビのRunning in the rain~を

そのまま続けて唄うか その部分だけ

コーラスとして別録りするか聞かれた

ことだけ覚えてる(そこしか覚えていない)

 

ギターソロ しかも早弾きが苦手なので

アレンジまで意見を出せるように

なってからは全面禁止していますが

間奏あったら何でもかんでもピロピロさせる

そーいうのが本当に嫌でした

意見が言えるようになってからは

ピロピロ禁止令を出しています

 

周囲には こーいう熱く 力強い歌を

シャウトして唄う 背が高くイケイケな

ロックねーちゃんだと勝手に思われていたので

プロモーションに行くと必ず驚かれ

その度に ちんちくりんでスイマセン

(小笑いを取る)というやりとりが

繰り返えさていたデビュー時代

 

あまりにいろんなところで言われるので

最後の方は「あー、よく言われます。」で

話を終わらせていた社会不適合者です

 

9・Baby,baby

 

念願の着席省エネ歌唱スタイル

基本 地獄の軟禁レコーディングでしたが

3テイクほどであっけなく終わった曲

 

録音時に必要な人以外はスタジオ立ち入り禁止 

視界に人がちらつかないように

衝立までしていたのに

(ジャケ写撮影時も遮断スタイル)

同じ事務所のアイドルが

見学に来ると言っていたので見られ(聴かれ?)

たくなくて より一層早く終わるように

集中しての3テイクだったと思われる

 

他の曲ほど声にかかっているエフェクトが

お風呂リバーブじゃなくて

浅く短いリバーブだから

リップ音や声の掠れもまんま採用なので

(掠れや枯れた声とか グリスダウンして唄うと

この頃は唄い直しさせられていたから)

声の響き的には この頃の実際の声に

一番近い声かもしれない

(ハイをあげローを削られているが)

 

この間奏のアコギを弾いてくれた

重鎮ギタリストの方に

これ何枚目なの?って聞かれたので

1枚目ですって答えたら

 え!堂々としてるし こーいうの唄ってるから

(相手がどこの誰だろうが基本態度は変わらない)

もう何枚も出してるのかと思った!

って言われたことを覚えている

 

初々しさ皆無のピっカピカのド新人でした

 

10・がんじがらめのSpiral days

 

AとBとサビの雰囲気が違いつつ

それが1曲に纏まった曲が書きたかった

 

マイナー過ぎないキャッチー感と

出しやすい デモのままのキーだから

滑舌指示以外は自分を出しやすかった

 

某CMソングをイメージして曲を

作ったけど そのタイアップを取るには

キャッチーさが足りないと言われ

売れ線やる才能がないんだと悟った

今でもよくわからないのですが

キャッチーの定義教えてください

 

11・Window

 

オケに参加していた某ミュージシャンに

「○○の曲みたいだね!」と言われて

その○○が嫌いだったワケじゃなくて

実際は真逆のタイプだったのに

○○のようなイメージを求められ

作った曲だったで 言い当てられたのが

悔しくて 恥ずかしくて

恵比寿の地下スタのトイレで

ギャンギャンに泣きました

 

悪意はないとわかっちゃいるが

その某ミュージシャンとは

2度と仕事をしていない

(共演NG二人目w)

 

友達にも リサってこーいう音楽

してなかったよね?って言われて

その度に いちいち泣いてた 

ごめん 泣いた記憶以外残ってない

 

よく出来た楽曲だと思いますが

心中お察しください

 

12・BLUE SKY BLUE

 

某バラエティ番組のエンディング

 

デビューシングルにする説もあったけれど

バラードでデビューすると バラード歌手

になっちゃうからと

2ndシングルにしたと聞いたような?

 

これもどこかのカラオケに入っています

アナタからの贈り物(3円)お待ちしております

 

一曲バラードが欲しいと言われて作った曲

 

マイコプラズマ肺炎でげろげろの喉に

投薬しまくって この爽やかさからは

想像できない必死の形相で唄っている

 

最後のフェイクの”I LOVE YOU BABY”

(ここにフェイク入れてと急に言われて

思うままにやったんだけど ワタシのする

フェイクはいわゆるR&Bじゃなく

アイリッシュなんだそうな)

抜選ワード他になかったのかい?と思ったが

なんども聴いてるうちに この若干の

ダサさが やけに愛しく感じた今日この頃

 

いまやスッカリ失われた透明感も感じるので

ガールポップの素質が全くなかったわけでもない

残念なことに魂がそっち向きじゃない

ばっかりに しこたま苦労したけども

 

歌詞 メロディ アレンジが一番

全部 無理なくピッタリハマってる

(キー以外な!)

 

この後もブルースカイブルーのような

バラード作って欲しいと言われることが

多かったので この曲はスタッフ受けも

とても良かったのはこんなワタシにもわかる

 

健康でキレイな肺でも 青筋ものなので

聴きた~いなんて戯言いったら唇縫いつけます

思い出と夢をこれ以上壊させないでくださいね

 

シングルのジャケット撮影で 麻や綿素材の

白を基調にしたオーガニック系の衣装を用意され

ネジネジ巻きNOストールを巻かれ

ナチュラルでオーガニックで無害な風貌で

(普段 エンジニアやレッドウィング履いて

ゴリゴリな格好していたのに)

ハートが閉じ込められた鳥かごの前で

頬づえついてと言われた時は

東京で一体何してるんだろうと思った

 

しかし 中途半端に小心者なので

言われるがまま されるがままで

意志を閉じ込めておりました

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

と これにて全12曲分の作者による

ライナーノーツを書き終わったわけですが

たいした記憶も残ってないくせに

ライナーノーツ書くなんていって

ほんとに ごめんなさい

 

ライナーノーツって多分 こーいうのじゃ

ない気がしなくもないが

 

これらの楽曲を作っていた頃 住んでいた

部屋の間取りだとか 人参炒めてたら

当時腰まであった髪に引火して

焼身しちゃうとこだった 

そんな嘘のような本当の話だとか

(髪がほんの少し燃えただけで

すぐに消火したから 火傷はなし!)

 

その部屋で起こった霊障の数々だとか

昼の14時起床 そこから日の出までの時間を

音楽に捧げていた気になってたけど

昼夜逆転してただけで

普通に結構寝れてたんじゃん とか

元プロミュージシャンの 今は亡き

仲良しだったおじさんからアルバム全12曲の

アレンジについての感想が書かれた ながーい

手紙を貰ったことや

(基本 これらはお前には

似合わない 自分がPなら こーいう楽曲で

こうアレンジをしただろうという内容だった)

 

近所(地元の)にあったゲイバーのマダムが

知り合いのゲイにシングル100枚買って

配ったわぁ~って言ってくれたことを思い出して

死期でも近いのか?なんて思ったりもしたけれど

生きてきた(どーでもいいこと多めの)証

結構残ってるじゃん!

エピソード濃度はシャバシャバだけど

なんて思った次第でございます

 

GO ON AND ROCK IT!のエトセトラは

Noteにて有料公開しております

 

このアルバムを作るにあたって感じた または

体験したドロドロした内容を 作詞家っぽく

言葉の持つリズム感を大事に 自由に

悲劇を喜劇にするつもりで書き上げました

 

私の愚かさ 人間性 音楽性をそれでも

愛する自信があり 多少の小銭を

持っている方のみ

物は試しに読んでみてください

無理強いはいたしません

 

ただ いい感じに暇はつぶせますし

クスッと出来ます

 

このアルバムを手にとってくれた方 ありがとう

手にし損なった方も ありがとう

今更 手にしたくなった方 勧めはしないし

そもそも廃盤なので 入手できないと思いますが

その気持ちだけ ありがとう

GO ON AND ROCK IT!

ありがとう

 

ワタシというロック(ポップも)を

食べすぎて嫌いになるくらい召し上がれ!

 

*noteにはサポート機能があります

サポートしてもいいよという方が

おりましたら 応援お願いいたします

15枚目のアルバム制作のチカラに

させていただけたらと思っております

 

ー呉梨沙でLisaでLISAでLISAGOー

GO ON AND ROCK IT!(前半)

 

「GO ON AND ROCK IT!」/呉 梨沙

(先ずは前半6曲のライナーノーツ)

 

1・偉大なるヴィーナスの星の下

 

上京直前 一番最後に作った曲かなと

与えられた選曲権3枠のうちの1曲

 

初めましてワタシですソング

 

*母親の天中殺真っ只中に産まれた

*映画「エクソシスト」を観にいった

両親が家に戻ったら それまで

ハイハイしか出来なかったはずのワタシが

柵につかまりニコっではなくニヤって笑って

仁王立ちしていたのが映画より怖かったらしい

*5月生まれ おうし座の支配星は金星

=ヴィーナスの星の下にいるから

芸術的センスに長けていると信じてた(る)

*この頃は腰まで髪があった

*下唇舐める癖があった(今はない)

 

とまぁ なんかその時の自分ぽさを

切り刻んで歌にした

 

サビの地声トップキーはもう 

だせる気しない だす気ない 出ない

当時でギリギリなのだからして

29年物の喉の傷み具合を

甘くみてもらっちゃ困る

多分 今とは発声も違うと思う

(胸声とか頭声とかそーいった類の)

 

元々は「あけはなした(タラララララ)」と

ラップなノリで作ったのだが

歌い出しの頭を全部

「あ~けはなした(ターララララララ)」

と伸ばして唄ってと言われ

演歌みたいだからヤダと

断ったらその断りを断られた

 

スライドギターを響かせた

軽めのブルースロックにしたくて

作った曲ではあったけれど

この手のチャラチャラした

ビートの軽いアレンジは好きなので

この変化はよかったと思う

 

2・さけられない奇跡

 

年齢的 世間的に見れば この楽曲が

当時の等身大だと思われるのだろうが

作っておいてなんですがギャップに苦しみ

レコーディング時に暴れん坊将軍になった

 

その割に歌詞も歌も曲調にあってるので

性格は別としてポップスの素質も

全くなくはなかったんだろう

多少はあったことが悔やまれる

全くなければ良かったのに

無駄に器用な自分を恨無しかない

 

ミント感溢れる 爽快なポップロックや

R&R、8ビートが体内リズムにあまりなく

なので#2、3、11のような曲調を

自発的に作ることがなかったけれど

こーいうコード感で こーいうノリの

こーいう内容の歌を作ってくださいの

リクエストになんとか応えられたことは 

その後の作家活動には大いに役立ちました

 

商業作家は えぇ!? はい??

 わかりました・・・

の連続で メインではないので

自分のセンスは物置にしまって

100%要求に応えきる他ない仕事なので

具現力 忍耐力をこの時死ぬほど

鍛えられた それだけはよかった

 

3・すばやく抱きしめて

 

シングル曲なのにコンベンションライブで

媒体の招待客に向けて1回披露したきりの

ある意味幻の歌(カラオケで唄ったことあるけど

キー高いし テンポ早いし 超難いし)

これを人前で唄って聴かせるときは

引退するときだけと デビュー当時から

決めていて 今日こそ!と思うときが

これまで何度もあったけれど 今んとこ未遂

 

その日が来たら 元demoキーに戻して

「ゆっくし抱きしめて」

(骨粗しょう症気味で節々も痛いから)

って唄ってみますかね

 

最後のフェイクを(ハモり含め)こんな感じで

入れたいと提案して以来 フェイクやハモりを

考えたり出来たりする子だと認識されて

全曲のフェイクを任された

(自分で作っててそれが出来ない人など

いないと思うんだけど どれだけ

具のない容器だと思われていたのだろう)

 

プロモーション行くたびにc/wの

「閉ざされた扉」がいいね

本当はこっちがキミのA面なんでしょ?

って言われるたびに「そーなんです!」

といって スタッフを蒼褪めさせていた

 

どっかしらのカラオケに入ってます

ぜひ唄ってください

BGMとして流すだけでいいです

ワタシに3円ほど手軽に寄付できます☆

 

4・Light Breeze

 

選曲権3枠中の2曲目

 

収録曲の中で一番好きな曲

一見 静かで冷たいけど 実は沸点が高く

青い炎のようなクワイエットロックが

この時から自分がしたい音楽だと思っていた

 

サビの歌詞が少しずつ変化しているので

書いておきながら 今どこ唄ってるのか

よくわかんなくなってた

 

キーは半音下で作ってたし もっと

鬱々しく気怠く唄うつもりで作ったから 

今が一番理想的に唄えそう&似合いそう

いつか機会があったら そのイメージで

唄いたいなと密かに思って はや幾とせ

 

スレートグレーは東京の曇天のイメージ

「東京の」というより 上京してからの

自分の精神状態の色

 

この曲や歌詞を書いていた当時住んでた

都立大学の家賃高いのに猫の額ほどのアパートの

(エレベーターあったから一応マンションのくくりか)

映像が今でも目に浮かぶ・・・と同時に

しつこい新聞の勧誘を論破したら逆ギレして

「ヤクザけしかけるぞ!」ゆーたんで

「どーぞ?こっちも知り合いいるんで

(もちろんいない)」って返したら

捨て台詞言いって帰っていったけど

脅しじゃなかったら 東京湾の

魚の餌になっていたかもしれない

 

そんな楽曲の思い出とは全く関係ない

エグめの+αを これを書きながら

思い出したのでそっとぶち込んでみた

 

5・ONE MORE CHANCE

 

この曲だけ唯一アレンジのイメージある?

って聞かれたような気がする

 

当時 渋谷系が流行っていた時代なので

管楽器の入った軽いサウンドにしたいって

いったような いってないような

 

知らない間にオケが出来てたので

覚えていることがほとんどなくて

詞曲制作時の記憶は精神的な理由でないし

歌に関してもメインではなくコーラスや

フェイクを録ってた時の記憶しか残っていない

 

生まれ変わったら日記を欠かさない

そんなマメ人間になろうと思う

(生まれ変わるなら人間じゃなく妖精になりたい

いい人に黄金色の奇跡の粉をふりかけて

わるい人には悪色の苦痛の粉をかける

っとまたどーでもいい情報をぶち込んでみた☆)

 

元々どんな感じで書いたのかは昔のデモを

聴けばわかるだろうけど 探す気にならない位

ストック音源があるので詮索するのはやめておく

 

6・砂鉄の街

 

選曲権3枠中最後の3曲目

 

上京してすぐに書いた曲

この頃は 映像が見える歌詞を書く

というか曲を作っているときに見えてくる映像を

文字に起こすと歌詞になることが多かった

 

作っている最中は録音ぜず

1曲完全に出来上がってからデモを録るので

メロディが連れてくる言葉を書きながら

作っていったほうが 歌い心地もわかるし

曲もすぐに覚えられるから

大体いつも詞曲同時スタイルだった

 

フェイクソロのラストの高音ファルセットは

自分で作っておきながら技術が伴わず大変だった

 

所謂こういう土臭い泥臭い音楽が大好きなので

この曲が決まったことは嬉しかったけれど

キーが上がって シャウトして唄う

温度の高い曲になったのは残念だった

(曲を作る時はアレンジまで頭の中で鳴っていて

ドラムのアクセントがほんの少し違うだけで

イメージと違って思うように唄えなくなるので

キーもビートは迂闊に人に変えられたくない)

 

座って省エネで歌いたい19、20だった

だってシャウトってホント疲れるし

未熟児産まれ保育器育ちだから体力ないし

でも 腹から声出てまっせ歌唱を

余儀なくされていたので

腹筋だけは縦に割れていた

 

今は横に綺麗に割れている

 

そろそろ完全に椅子に腰掛けて唄いたい

悲喜劇とくとご覧あれ。

お待たせしました! か?

14枚の歴代アルバムの諸々

書いてみちゃおう企画の1枚目

「GO ON AND ROCK IT!」の

エトセトラをnoteにて30日に

有料公開いたします

こちらではライナーノーツを

公開いたします

(長くなりそうなので 2分割か

3分割にするかもしれませんが)

 

有料にするのは

14ってスッキリしないよな

15枚目作りたいよな

ブログやつぶやき程度ではなく

ちゃんとした読み物 作品を書いて

それが次の作品作りに繋げることが

一番ヘルシーだよなと思ったからです

 

そして言葉に力があることを

信じたいという思いからです

 

全体を通して言えるのは

理解してくださいだとか

誤解しないでくださいと

言いたいわけではありません

 

ただ こんなことが

我が音楽人生にありまして

そんなこんなでこれらの

作品を今まで作ってこれました

というだけのことです

それだけのことです

 

なので 知りたくない

音楽だけで聴いていたい

そんな方の為にも

有料公開にするので

それ以上を知るか否かは

自己責任でお願いいたします

 

一方的に味わった感覚だけを

思い出して書いています

当事者と関係者では受け取り方

感じ方は絶対に違いますが

私物語なのでその舞台においては

全てが真実と言えます

 

我が身に起こった悲喜劇を

振り返るにはいい人生ボリューム

21歳でデビューしたワタシも

今年で51歳です

 

本来は ステージ上や音源で

自分をお見せするのが音楽家

アーティストなのでしょうが

読んでいただけると現状に

ご理解いただけると思いますが

なかなかどうして事を動かすには

皆さんの想像以上に念や燃や粘が

必要になるお年頃です

 

これまでは ほぼほぼ燃で

理想を具現化してきましたが

背中を押す 第三者の神の手が

今まで以上に音楽の力になると

感じています ので

 

背中を押したい気分になって

いただけるように

頭と心をフラッシュバックと

戦いながらフル活用しました

 

もともと 思考が言葉を

言葉がメロディをメロディが声を

そーやって音楽を創造し表現して

きたので いつものように

これまでのように言葉から始めたい

 

これが いつ15枚目に繋がるか

ワタシにもわかりませんが

いつかそこに繋がればいいなと

願いながら書き進めていきますね

 

興味があったら読んでください

おもしれえと思ったら 力一杯

ワタシの背中を押してください

鈍感なワタシが感じる位の強さで

 

全てをお魅せできるよう

女の股に力を込めて

努力すると約束します

 

ワタシがこれまでちゃんと

約束したことがあったでしょうかw

 

聴かせたい 唄いたい音楽が

自分の出番を待って暴れているので

お腹を痛めて産んだ母体として

社会に出す責任を果たさねば

 

母の責任を果たしてから

天獄にいくまで死ねません

 

ワタシはどうやらまだ

性懲りもなく

歌を唄いたいらしい

 

どうぞ ご贔屓に。

恒例の2023年総括と新年の野望。

皆様の初夢が吉夢であればという

願いを込めて 年末ギリギリに

七福神をサクッと落書いてみましたが

効果のほどは いかがでしたか?

 

私は セミマットな金色の龍の

パズル(A5サイズくらいの)を

完成させる 身の丈にあった福が

来そうな予感の夢を見ました。

具現化しますように(念)

 

それでは恒例の旧年総括いきます!

 

1月*人生初有段者になった@太極拳

2月*ここ数年尋ねている駅から徒歩

7分圏内の神社まで1時間迷った

私はミステリーだと思っているが

異常な方向音痴と人はいう

3月*正月太りをオートミールで

解消させるもすぐ飽きる

(一応 解消はさせた)

4月*2段試験必須種目の32式剣

を習い始める 先輩と老師に剣を

譲り受けたので素人ながら二刀流に

徒手もいいが武器が似合うと言われる

5月*40代を10年かけて卒業し

50代入学を五体満足でキメる

6月*平々凡々に過ごしたようだ

7月*老師から仰せつかり

武術太極拳選手権の初日のスタッフ

初経験。点数出し係だったので

選手の演武を升席で見られて

楽しかったけど照明で目を焼かれ

パイプ椅子で腰を砕かれる

8月*暑いが酷くて溶解していたが

ラジオで楽しんでいた甲子園を

配信で見る技を覚え 汗と涙を

たくさん流してずぶ濡れの日々

アルバムのエトセトラを書き始める

9月*残暑に死す

10月*このままでは来年に

顔向けできないと意識改革を始める

お教室でいつも優しくしてくれた

先輩が教室を休んでいた夏の間に

死去していたと聞いてボロ泣き

しながら献舞

11月*Macが無反応になり

修理に大枚が飛んで旅行を諦める

12月*2ndのエトセトラに着手

久々にイラストも描き始める

 

こんな感じで 平和な1年を過ごせて

よかったと思っています

年末の過ごし方が翌年の

生き方に繋がると聞くので

今年はたくさん創造したいと思い

少しずつですがモードに誘導する

日々を送りました

 

結果のほどは・・・12ヶ月後。

 

持病はあれど大病もせず

夢や欲望を忘れず 消えないよう

守っていた種火に 新鮮な空気を

送り込む決意をして2024年を

迎えました

 

皆さんに晒せるほどのレベルに

また自分をアゲテいけるのか

今はまだリハビリを開始した

ばかりなのでわかりませんが

言葉か 声か 絵か 鼻歌か

何かしらでお見せできるよう

精進したします 本当そろそろ

 

まずは14アルバムのエトセトラの

公開から始まると思います

日々 準備を進めていますので

お待ちください(今月中!!)

 

皆さんがこの1年も

無事であるよう

願っています

 

-LISAGO-

 

歪な血。

年を重ねるに従って 遺伝子が目視

できるようになってきた。

 

容姿のみならず 病という形で。

 

祖母はリウマチを患っていて

お灸を据えてる姿が強く残っている

アンマをすると 上手だと褒められて

ちょっとばかし得意げになったものだ

 

そして母親が50を超えた頃か?

へバーデンを発症した。

 

遺伝も関係するかもだけれど

体質が似ていると(多分血管系かな?

似たような疾患にかかりやすいと聞く

へバーデンとは 詳細は割愛だが

指の第一関節の骨が主に腫れ

激しい疼痛もあり 関節が曲がってしまう

難病指定の病気の一つ

 

なので ワタシもいつかはと覚悟していた

母は 自分で終わるといっていたけれど

ワタシも 1年前くらいからか

指に痛みを感じることが多くなり

この1年で右手の小指の第一関節が

控えめなペンだこができたくらいに

腫れた というか筋張った感じ。

 

何もしてなくてもジンジンしたり

指がドアや机に軽くでも当たろうものなら

骨折したんじゃないかってくらいの痛みで

泣き崩れ落ちる程(自分比)

手や指を使わない日なんてないから

常に 毎日 必ず 一回は痛む

痛みはストレスだと思い知った

 

5月にすっ転んで両手をついたんだけど

ソレから親指に違和感を感じて

右の親指の付け根(掌の方)が

腫れはじめたことに気づいた

 

疾患は安静が一番

だけど 一番使う指を使うなって

ソレはもう 生きるなってこと

痛みに耐えながら生きていたら

親指の第一関節が腫れて

反らせることができなくなった

で 右手の痛みが弱まったと同時に

左手の親指が痛みだし(←イマココ)

 

ペットボトルが開けられない

袋の封が開けられない 切れない

摘む 掴む は痛くてしたくない

二ヶ月もしたら 右手の時と同様

痛みのピークが収まる気がするが

本当は避けたい動作

 

タイピングする ギターを弾く

ペンを握る そーいったことは

今のところ無痛でできるけど

次はいつどの指が疼きだして 腫れるのか

指に時限爆弾がある気分。

 

体質的に血に関係した問題があるのかな

 

幼少期は鼻の血管が人より細くって

手が軽く当たったり 埃を吸い込んだ

だけで鼻血がブーブーに出て

救急車に乗ったし 血も止まりにくいし

 

20代は偏頭痛に悩まされ

飛行機に乗ると飛行機頭痛で

目と鼻に剣山刺されたみたいな

細いもので貫かれたみたいな

鋭く激しい痛みが出るので

春に母と伊万里にいった際の飛行機で

発症して地獄を見て鳴子のイカ刺しの

美味しさが半減するほど引きずった

40代では貧血症がひどくなって

目眩 立ちくらみ 青タンが

よく出来て 疲れてない日がない

で、50才目前でへバーデン発症

 

未熟児生まれ 保育器育ちゆえ

健康に常に自信がない

 

ワタシの場合 今のところ

一目でわかるほどの外傷がないし

痛みは人には伝わらないので

健康そのものにしか映らない

だけど 指に難有りだと周囲に

伝えて理解して 少しでも軽減

させないと ストレスが半端ない

これから一生 痛みと共存して

いかないといけないんだぜ

 

美しい指を持って生まれたわけじゃない

だけど 乙女心は完全に失ってないので

受け入れるしかないけれど やっぱりね

ギターが弾けなくなったら切ないかな

 

この病になって 痛みを知って

その指で いまだにバリバリ働いている

母は やべーしすげーわ。

 

生きるって痛い。

ソレでも尚この歪な身体を

愛おしみ慈しむっきゃない

 

 

林檎の本の空気が復活。

Mac book Airがクラッシュして

一瞬 意識が遠のき

新機種を買うか 修理するか・・・

短期間でグルグル思考を巡らせた結果

新機種も買うし 修理もするという

結論に達した。

 

これで当分の間 米と具なし味噌汁生活決定。

 

ワタシは機器がとても苦手であり

なくていいなら携帯ですら本気で

持ちたくないくらい デジタルというものが

苦手でございます

 

理由は簡単に壊れるし

壊れた後が大変だから

 

先月 レンジもモールス信号みたいな

音を奏でるようになり 昭和の

パワハラ的直し方をして 一瞬

正気を取り戻したのもつかの間

誰にSOSを出しているのか

再び信号を送り始めたので

電源をぶち抜いておきました

 

去る者追わずな質なので

「しゃーない」で終わらせがち

なのですが 諦めるには惜しい

過去の産物が塊中に残されていたので

未来の自分のためにも

諦めない勇気(諭吉)でも出すか、と

探しに探した修理屋さんに問い合わせたら

部品もあるし交換ですぐ直ると言われ

一番良心的価格だったので

修理して二日で戻ってきました。

 

「ま いいか」「も いいか」と思いがち。

 

過去より未来が大事 

無くなったなら また 作ればいい

今までそーやって生きてきたけれど

もう少し 自分がやってきたこと

作ってきたもの 残してきたものに

価値をつけてもいいのでは?っと

思ったのもありの救済処置。

 

その上で 新しいものも作っていけばいい

 

荷物(思い出)を増やすのが

好きじゃないから 増やしたいなら

どこかで置いていくしかないと

そうしないと体も心も重くなるから

そーしてきたけれど ソレはきっと

重い荷物を持つだけの筋力が

ないことへの言い訳かもしれないな

 

新たな相棒もそのうち入手予定

未来への投資をするためには

米か具なし味噌汁のどちらかを

諦めるしかなないか・・・

 

あ また 諦める思考になっている

そこにおかずを足すくらいの

筋力(財力)をつければいいんだ

 

ポジティブってこーいうこと。

 

献套路。

ワタシが太極拳(タイチー)を始めた頃

隣に座っていたのは 背がとても高くて

若い頃 さぞイケメンであったろう90近い

男性で ワタシの名字を見て「台湾の方?」

と話しかけてくれた。

 

戦争で船での通信任務をしており

台湾のなんとかっていう(失念)港にいたと。

で、いつか台湾の人に出会ったら国の命令とはいえ

傷つけて申し訳なかったと謝りたかった

代表として謝罪を受け取ってくれないかと

その方にしてみれば孫ほど離れているワタシに

謝罪の言葉を伝えてくれました

 

どう 受け止めればいいのか戸惑いましたが

長いことずっと心残りだったと仰ったので

バケットリストの1つを叶えることができて

良かったのかなと・・・

 

ソレ以来 もう歳だから身体が動かなくて

そろそろ辞めようと思ってたけれど

貴方がいるから頑張って来ているよと

毎週 台湾にいた頃の話をしてくれたり

上手になったねと声をかけてくれたり

 

そんな中 コロナ禍になり ご高齢のため

2年以上教室を休まれていたけれど

今年春になり復活され 再会した時も

休んでる間 貴方はどーしてるかなと

気になっていたよ 覚えてるよと。

 

体力なくなったから 太極拳はせず

準備運動をして先に帰られるので

前ほどお喋りするタイミングは減ってしまったけれど

上手になったね このクラスのホープだねと

相変わらず褒めてくれました

 

ワタシは夏がからっきしダメなので

毎年2〜3ヶ月 長い夏休みをとります

今年は残暑がえぐかったため10月に復活

で つい昨日 何気なく名簿を見たら

その方の名前に線が引かれていたので

辞められたんですか?と先輩に聞いたら

あなた休んでたから知らなかったのね

夏に亡くなったのよと

 

ソレ聞いた瞬間 自分でもビックリする程

涙がボロボロボロと溢れてきて

準備運動する時も 足首ほぐしながら

涙がスルスル流れてきてマスクがあって

良かったと思うほど 泣きながらストレッチを

するという心乱れた状態で整わせていく

よくわからん状態になっていました

 

教室では 套路を(24の型を全部通すこと)

いつも2回行います

1度目は まだ心も体もショック状態で

散漫だったけれど これではいかん

これは献杯ならぬ献套路だと

上手になったねと言ってくれた言葉を

思い出しながら套路しました

 

ワタシが泣いたのを見た先輩が

一緒にお線香あげに行こうと

声をかけてくれました

 

これを書きながらまた泣いちゃってますが

太極拳は 他のどの武術 スポーツより

年齢層が高いので 誰々が亡くなった

なんて話を聞くことが多いと言います

 

ワタシのことを 娘孫のように皆さん

可愛がってくれて 優しい空間の中で

学ばせてもらっています

 

太極拳を始めるまでは 音楽の世界しか

ワタシにはなくて 内も外もそれだけで

その中の出会いで純粋な出会い 関係は

ファンの方だけで あとはひたすらに

駆け引きが必要な関係だったので

 

ソレしか知らなかったワタシに

そーじゃない世界 関係 心法を

与えてくれたのが太極拳です

だからこそ そこでの出来事 経験を

とても大事にしています

ソレがないと 音楽 芸術 自分に

影響が出るほど支えになっています

 

駆け引きだとか 優劣だとか 下心とか

足の引っ張り合いとか 嫉妬とか

そーいったものがない ひたすら

自分自身と向き合って 感じとり表現するもの

 

年齢に見合わず思考が未熟なワタシに

たくさんを教えてくれた くれる先輩や老師に

改めて 感謝した日になりました

 

誰かの死をもってソレを再確認するのは

愚かしいかもしれない でも 死があって尚

理解できないよりは 少しはマシと思おう

 

タイチーも人間としても

もっと上達します

来週 伺いますね

供養の夏 成仏の夏。

29年間で14枚のアルバムを出した

 

14枚も なのか

14枚しか なのか

 

そのライナーノーツなんかを

覚えている限り書こうと

この夏を捧げているのだが

正直に言おう

 

夏中はおろか年内に14枚分

書き終わりません 絶対に。

 

もっとラフに ささっと

お墓まいり気分で始めたのに

墓を掘ってしまったようだ

 

遺跡発掘作業の方が聞こえはいいか?

 

過去を掘り起こすのだから

やってることは同じか。

 

全ては伝えきれないし

都合の悪いことは

都合よく忘れているだろうが

ワタシのポンコツ加減が

露呈されるだけで なに一つ

かっこいいところはないので

書かない方が身の為では?

そう思ったりもした

 

だけど なんだか供養しなきゃ

ふと そんな気分になったのは

過去がこの夏 成仏したがってる

そんな風に感じたので

 

せめて この夏中に

1stだでも天にあげたいと思って

今 目をショボショボさせながら

ポンコツ甚だしかった

頃のおもひで話を書いております

 

ライナーノーツはこちらで

その頃の話はNoteにて有料公開

する予定です

 

そこまでして知りたくない

知らないままでいたい方が

目にしなくていいように

 

読み物になるくらいの

文章を頑張って書いている最中です

 

それを知って

ワタシのことが嫌いになっても

音楽は嫌いにならないでください

でも 嫌われる勇気は持ってます

 

coming soon...

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