青森の新聞 東奥日報の東奥春秋は毎日、ネットで購読しているので、読んでいるが、そこに先日はバイト有用論というコラムが書かれていた。子どもの貧困では六人とか七人に一人というが、飯も喰えない。それで子ども食堂が各地にボランティアでできた。子どもの貧困と言わなくても、親が貧乏だから、生活費が足りない。そういう子どもらは昔もいっぱいいた。わたしの子どものときは、欠食児童というのがクラスにいて、給食は当時はまだなく、弁当をみんな持ってきて食べていたが、その子だけ、弁当もなく、一人ぽつんと、昼の時間になると校庭に出て遊んでいた。別の子どもも近くが家でよく遊びに行ったが、家は借家でも古く狭く、よくこんなところで家族で暮らしていると思った。小遣いもないので、わたしの10円を半分こにして、彼と一緒に駄菓子屋に走った。

 その彼と中学を卒業したらばったりと会った。まだ18歳になっていないのに、彼は赤ん坊を抱いていた。その後に結婚したらしいが、中卒で鮨屋に丁稚奉公して、見習いから、起業して鮨屋を開いて、しこたま稼いだという話で、若いうちから、そういう仕事に飛び込むのもいいと、みんなして話していた。大学は出たけれど、いい仕事がなくて、就職浪人して、親のスネカジリしているよりは、中卒でもちゃんと家庭まで持って、独立起業した彼のほうが数段も生き方では素晴らしいと、みんなそう話していた。

 

 いま、新聞でも書いていたが、若い人たちに仕事を覚えさせ、社会の入口で修行するには、バイトがいいとあった。情けないのが、昨日のテレビでやっていたが、いまは、四月に入社してもすぐに辞める人が続出。それは昔からあることだが、自分で会社に辞めるとは言えず、親に電話してもらったり、辞表も書けないし、上司に会いたくないというので、代行サービスの会社が繁盛しているというのだ。そんな若者はどうしようもない。この先どうするのか、そんなことで。

 そういういきなり社会に出て失敗するのも悪くはないが、その前に予行演習としてバイトを学生時代にしておいたら、仕事とはこんなものかとよく分かり、先輩や仲間にも教えられ、段取りからなにから、こういうものと覚えてゆく。キリストの昔から、学校のないときは、社会がそのまま学校であった。子どもらは、親や町の人たちの仕事を手伝って覚えてゆく。キリストは大工の倅であった。

 

 わたしも学生時代はレコードマニアで音楽に没頭していて、ステレオも欲しいし、コンサートにも行きたい、楽器も買いたいと、それを買うためにバイトは随分とした。わたしのしたのは、19歳のときからで、秋葉原のレコードコーナーでも石丸電機という大きな店でバイトをした。自分の音楽の趣味はそこで活かされた。新宿で緑屋の時計売り場の派遣を土日にしたり、伊勢丹のお歳暮の配達を自転車でしたりした。そのころでも伊勢丹の籠のついた自転車を借りて、市ヶ谷や神楽坂辺りを配達したが、一個配れば50円くれた。一日50個は配達できたから、2500円も日払いでくれた。喫茶店では時給170円のときだから、それは大きかった。それから喫茶店でも同伴喫茶という横浜西口五番街のヤバイところでボーイもした。飯がついたので食費は助かった。アゴ付きのバイトは美味しい。川崎の工場に資材を配送する助手もした。そこもドカ弁とお茶の魔法瓶が各自に付いたので、運転手のおやじさんと二人、多摩川の土手に座って食べながら、タバコも吸った。

 五反田にあった東洋製缶というコカコーラの缶などを生産する工場でも日払いで2千円もくれた。そこも社員食堂で腹いっぱい飯が喰えたし、何よりシャワールームが使えたので、銭湯代が助かった。わたしの作業は缶の底をベルトコンベアで流れてくるセクションの補充係だが、考え事をしていて、蓋が切れてブザーが鳴ると、全部の機械が停止して、職長に怒られたこともあった。

 子どものときから、家業のケーキ屋の工場や喫茶店、ビアガーデンでも手伝わされて、仕事は子どものときから、覚えさせられた。フレンチレストランもやっていたが、そこのコックからも無給で手伝わされて、じゃがいもの皮剥きから、海老の背ワタ取りまでさせられた。

 

 うちの子どもらにもバイトは奨励して、やらせていた。息子たちは古本屋のバイトもさせたが、飲食店のバイトもしていた。娘もショッピングセンターのミスドでバイトをしていた。それで自分の欲しいものを買っていた。子どもらは小遣いがもらえないほど、古本屋は貧乏ではあったが、それだから、親は宛てにできないと、自立精神が育つのだ。自分のことは自分でする、家貧しくして孝子顕るとは親も助かるというものだ。

 

 うちの孫娘たちも来年は高校生だから、学校ではバイト禁止するところもあるそうだが、それはいろんな危険や事故事件に巻き込まれる可能性もあるからだと思うが、ちゃんとしたところなら、許可して、やらせたらいいと思う。そのための職場はハローワークがきちんと管理して、人手不足のところに配属すれば、いまは助かる事業所もあるだろう。教科書の勉強よりは、バイトという仕事の実務のほうがよりいい体験と生の学習にはなる。簿記なんか勉強するより、実務で覚えたほうが分かりやすい。電話応対と接客で、コミュニケーションと言葉使いを覚え、社会と会社のルールとマナーも覚える。挨拶もできるようになり、社会人とはこんなものと理解する。もし、その会社に見込まれたら、そのまま卒業後に就職も容易だろう。

 

 いま、老後のバイトも面白い。いろんなオファーがかかる。なんでもしてみたい。老後資金も稼げるし、それで旅行にも行けて、暇つぶしもできる。いきがい事業団という平塚のシルバー人材センターに登録しているが、四月いっぱいで辞めるマンションの清掃の代わりだが、また頼まれて、新しいところ四か所の会館などの掛け持ちの掃除はどうかと、月に隔週で二回くらいのところもあり、びっしりではなく、気楽にできそうだが、六月から四か所でやることになった。それも朝で終わるし、一日二時間と早起きと体を動かすので、健康にもいい。稼いだ金で海外旅行もしようと考えている。若いときのバイトも面白かったが、いまは老後のバイトもいろんな職場の見聞ができると楽しんでいる。