会館のホールで青森ペンクラブの懇親会は行われた。その前に会員で舞踏家の福士正一が壬生のライブ音源をバックに会場で踊る。だいぶ前に、金木町の太宰の斜陽館で壬生のギターにシンセサイザーで、福士が踊ったときの再現だった。おどろおどろしい舞踏で、土方巽の舞踏芸術のようだ。口に何かの紙を咥え、乱れた髪には花飾り、黒い着物もはだけての狂気。壬生の作詞作曲の『砂山』は、津軽の十三の砂山祭りがテーマでどろどろとして土俗の叫びで、三上寛などの故郷で、壬生も泉谷しげるなどと同じ傾向でうたう。それは追悼の儀式になる。

 福士正一はわたしの高校の後輩で、家が古本屋の裏で暮らしているので、よく彼の自宅の舞台を見た。それが終わると、わたしの席がないので、お酌しながら周り、少しは飲んだが、食べるものがない。それは、出欠のはがきと通知が亡くなった事務局長のところに行っていて、把握できないのだ。席が二つ足りなくなる。

 またみんなに斎藤と壬生の思い出を一人5分くらいで話してもらう。わたしの番になると、青森に帰ってくるのが葬式ばかりで、これからはみなさんは絶対に死なないでくださいよ、葬式で呼ばれるのはたくさん、今度は結婚式で呼んでくださいと、見渡したら、いないか。すると、仲間の女史が、喜多村さんがしたらと言う。この年でもわたししかいないか。

 斎藤と壬生とひょうたん俳句会というのにも参加していた。四季に集まり、句会をやった。もうずっとやってはいないが、そのときの斎藤の俳句を思い出してみんなに披露した。

妻だけを愛してゆくぞ冬の道

 あのときは奥様も俳句会に入って、小説の同人仲間であったが、持病の薬の誤飲で急死した後の句会であったか。

 

 お開きとなり、いつもは故人二人がいれば、二次会にスナックでカラオケだと、肩組んで行くところが、しんみりで、それでも五人くらいが、近くのジャズ喫茶のブルーノートに行く。わたしも帰ってきたらきっと寄る店だ。86歳のマスターと奥さんがやられている。そこでも壬生の録音したCDで彼の歌を聴いて飲んだ。みんなまだ信じられないと、生きているんじゃないのかと口々に言う。わたしもそうだが、急死すれば実感がない。

 

 夜更けて、仲間の車で郊外のネットカフェまで送ってもらう。泊まるところはそこよりなかった。桜祭りでホテルは満室。あってもべらぼうに高い。ネットカフェの会員証もシニア割だ。個室がありベッドがある。テレビでは映画が見放題で、ドリンクバーでコーンスープや野菜ジュース、コーヒーなどを飲み、ソフトクリームもお替り。考えてみたら、昼から何も食べていなかった。腹が減ったが、ドリンクでいっぱいにする。そんなに酔ってもいなかった。

 そのネットカフェにタクシーで前に斎藤と二人で来た。彼はまた酔えばぐでんぐでんと捨てたくなるほど本地なくなるが、人道的にそうはゆかない。それで、ネットカフェの個室に二人で寝ようとなったが、おまえと抱き合って寝るのかと彼は笑う。そういう会話も思い出す。

 

 翌朝は親戚でペンの理事をしている仲のいい旦那が車でわたしを迎えにきてくれた。朝の9時に壬生の家に線香を上げにゆく。歩いても少しあるが、彼が連れて行くと、世話焼きなのだ。そのところはわたしと似ている。壬生の家には久しぶりで来た。浅虫温泉に家があったときは、電車がなくなるのが早いので、飲んでタクシーも高いから、壬生の家によく泊まった。その布団を敷いて泊まった仏間で奥さんとも久しぶり。壬生のことは電話で聴いたが、改めて聴いて、人のあっけない死に方に呆然。まだ二七日なので、先のことだが、壬生のパソコンにわれわれの同人誌の小説か詩が入っているので、そのうちわたし宛てにメール添付で送ってくださいと頼んだ。斎藤が死んだことは知らないで驚いていた。奥さんが壬生の机の上にこんな原稿があったと、持ってきた。それは最近書いてプリントアウトしたものか、三篇の詩があったが、死んじまったというまるで自分の死を予言するような詩で驚いた。息子さんたちも、遺書のような詩を机で見つけてやはり思いを同じくしたという。それが同人誌に出すものであれば、本人の予感みたいなものではないのか。風呂で倒れて救急搬送されて病院で五日目に亡くなる。倒れたのは脳梗塞で、前にもやったから、あたり返しなのだ。癌で肺の半分近く切除していたので、呼吸が最後は停まって、助からなかったという。

 

 親戚の旦那は外の車で待っていて、そこからわたしをおふくろの老人施設まで連れて行って、そこで別れた。明日もまた二人で車で弘前の斎藤の葬式に行く約束もした。足のないわたしには助かる。

 おふくろの施設は来るたびに食べられるお菓子など土産に寄るが、元気そうだ。今年の誕生日で103歳になる。湘南のどら焼きを食べさせていたら、壬生の奥さんから電話があり、明日の斎藤の香典を預けたいというので、居場所を教えたら、さっそく施設にやってきた。おふくろのことは聴いていたが、初めて見て、わたしとどういう関係かおふくろに挨拶していた。

 

 昼飯時は邪魔になるので、わたしも昼飯は外で食べようと、外出する。飲食店はいっぱいあるが、タブレットで書きものもしたいので、生協のイートインで鯖鮨など買って、食べながら、この記録を書いていた。青森の特産のお菓子なんかも。

 施設に戻る。今度は妹が車で来た。午後は墓参りに一緒に行く。おふくろと三人で持ってきたコーヒーやドリンクを飲みながら話して、写真とビデオも撮り、それから暇する。今度は六月の大人の休日倶楽部のフリー切符で来よう。三か月おきに来ている。

 妹とホームセンターに行って、墓に撒く除草剤を買った。墓の手入れをする人が誰もいない。前は近くに住んでいた叔父がしていたが、叔父が死んだら、わたしの三男も平塚に来たから、青森には誰もいなくなる。盆のときには帰れないが、雑草だらけでは困るので、墓に除草剤を撒いておいたらいいと、裏まで撒いた。霊園の桜は満開だった。今年は遅いかと思いきや、逆に例年よりは早くなる。母方の墓参りもして、それから妹にスーパー銭湯まで送ってもらう。夕方から、極楽湯という全国にある温泉だが、青森は銭湯料金で480円と安い。日曜で芋洗いだ。露天風呂に入り、炭酸泉、イベント湯、ジェットバス、サウナとゆっくりと入る。

 そこから歩いてドンキホーテで食べるものを買い、こんど撤退するヨーカドーで晩飯をいただき、マックでコーヒーとなる。撤退した後に神奈川のスーパーのロピアが入るとか。

 歩いてネットカフェまではそんなにかからない。二泊目だが、三千円くらいで朝飯もつくし、映画ばかり見て寝不足にならないように早めに寝ようか。