四年前だったか、千葉の稲毛で暮らしていたときに、買い物にとイオンのショッピングモールにいつも行くのだが、そこの家電売り場と思うが、昔の懐かしいラジカセが中古ではなく、新品で確か五千円くらいの破格で売られていた。そのときは、まだこんなのが売れるのかと、その安さに驚き、いまだ製造しているのかと首を傾げた。いまどきは、そんな大きなカセット付のラジオなんか持つ若者たちはいないだろう。少し前まではカセットも時代でなくなり(いまはまた復活してきて売っている)、小さなMP3のレコーダーか、スマホでそのままみんな音楽を聴いている。それだから、重く大きなラジカセなんか、誰が使うのか。

 

 ラジカセが出回り、人気が出たのがわたしの高校生の昭和42年ころのときだった。録音ができて、ダビングもできるというダブルカセットが同級生たちも持っていて、わたしも欲しくてたまらなかったので、十七歳の誕生日におふくろにねだって、プレゼントに買ってもらった。それに夢中になり、ラジオから当時流行っていたフォークソングやグループサウンズ、加山雄三の歌を録音したり、友達から借りたカセットテープをダビングしたりして、自分のカセットテープのライブラリーを増やしていた。大学受験のときもレコードから好きな曲をマイクで録音したりしていたら、親父が顔を出して。「いまは、そんなことをしているときじゃないのだがな」と、勉強もせずに音楽にのめりこんでいる息子にそうボヤいたのは覚えている。成績は下がり、志望校にはとても行けないところまで下がる。

 みんな夜中に勉強しては、深夜放送を聴くのが流行った。学校に行くと、昨日のオールナイトニッポン聴いたかという話題になる。今年はその番組も55周年というから、長寿番組で、いまだに聴かれているのか。夜中にひとり部屋で、遠くの電波を拾うのが楽しみになる。短波放送も入り、外国語の言葉が聴こえてくる。雑音の中に静岡の地名が入るコマーシャル。北海道放送はよく入る。バチカン放送を聴いたという同級生の自慢話も学校で聞かされた。

 

 大学進学で上京してからも録音マニアは続いた。タイマーを取り付けて、クラシック番組を留守録するに、競馬新聞に赤ペンを入れるように、FMファンの雑誌の番組表に赤で線引きして、聴いたことのない曲を学校から帰ってきてから聴いた。山手線で、大きなラジカセを肩から提げてイヤホンで聴いていた。競馬中継か株価などもよくラジオで聴いている人はいたから、そういう光景は珍しくはなかった。ただ、単一の電池が何本か入り、重いので、軽いのが出ないかと、大阪に就職したときは、アイワの小さなラジカセが新発売したので飛びついた。青森に帰ってきたら、ソニーのウォークマンが出たし、なんでもそれからは小さくなる。

 

 去年は、話題になった『パーフェクトディズ』の映画を見たが、その中で、主人公がいまだに昭和のカセットをいっぱい持っていて、70年代の懐かしいポップスを車の中で聴いている。そのカセットを中古の専門店に売りに行くと、なんと一本で一万円以上もするのがある。わたしはもう古本屋をやめたので、その情報は知らなかった。カセットが古本屋に入っても無価値で買取はしなかった。いまは、それが高値になる。かなりのプレミアがついているのに驚く。それと同時にアナログディスクも復活と、カセットテープも売られ、ラジカセもまた新品で製造販売しているのだとか。あのときイオンで買っておけばよかったと悔やむ。

 わたしもいっぱいカセットは持っていたが、すべてMDに録音して処分してしまう。そのMDからSDカードに入れていまは音楽は保存しているが、時代と共にメディアも変わるが、リバイバルもあるのだ。レコードも復活してきて、カセットも復活し、ラジカセも売られている。昭和に逆戻りしているようだ。若者たちにはそれが新しく新鮮で、われわれ高齢者には懐かしさで売れる。また60年代70年代の音楽を聴きたいと、録音した昔の歌を聴いている。ビートルズのイエナー・リグビー、ビコーズ、ボビーソロの頬にかかる涙、砂に書いたラブレター、ミッシェル・ポルナレフ、ショッキング・ブルー、オリビア・ニュートンジョン、イーグルス……