朝からやたらと腹が立つ。むしゃくしゃとして普段は怒ることのないわたしが怒っている。理不尽に向かって吠えたい。それとも石でも木でもベンチでも、蹴とばして八つ当たりしたい。どうなっているんだ。なんとかしろ。こんなことってあるか。

 

 掃除のバイトがある。10階建のマンションを上から掃除する。まずは、外にあるゴミ置き場の整理だ。空き缶とビンとペットボトル、ダンボール箱、燃えないゴミなどを仕分ける。適当に住人たちは混ぜて出している。ゴミの収集車が来るのは8時半過ぎで、わたしのバイトは7時から9時までの二時間だけだった。箒と塵取りを手に、外回りを掃く。それからエントランスと駐輪場、エレベーターホール、廊下と階段と掃いてゆく。それから雑巾で、郵便受けと玄関自動ドア、門扉、エレベーターの内外、各階の消火栓ボックスからドア周り。それからモップで外の扉までのタイルを拭いて、フロアから階段と拭いてゆく。いい運動になる。時折、手を休めて、富士山と駅前のビルと商店が見渡せるところで、考え込む。いやいや、思い出してはいけない。震えもくるし、なにか涙ぐむ。おかしい。自分がおかしいくらい異常な精神状態だ。

 掃除が終わる。ママチャリで、近くのショッピングセンターに行く。そこのマックでコーヒーを飲みながら、このブログをタブレットPCで書いたりしている。気を紛らすには、何か別のことに熱中するよりない。

 スーパーもあるので、食品を買うに入る。ネギが三本で98円。それは息子が好きだから、切らさない。安いときに野菜は買わないと、いまは天候不順の雨と寒さで、生育が悪い。レタスとキャベツも見たら、小さくひしゃげたものばかり。それも普段の倍はしている。子持ちシシャモが安いので買う。それとチーズも安かった。訳アリと書いている。賞味期限ぎりぎりか。卵も大きなサイズが10個で130円は安い。なんとなく、タンパク質のことが念頭にある。前に、横浜に息子たちと行ったとき、ドンキホーテで、プロティインの大きな袋が千円で売られていた。市価の三分の一でそれはお得と買って、いまは毎日、レタスと黄な粉、すりごま、オリーブオイルに蜂蜜、豆乳とバナナ、それにプロティインも入れてフードプロセッサーにかける。スムージーは毎日息子にも飲ませている。タンパク質を摂るようになったら、なんと、爪が割れて痛かったのが、割れなくなる。ツヤがいい。爪と髪が延びるのが早い。老人もタンパク質は必要だ。

 自転車で八百屋にも寄る。外のサービス品で、ザルに盛った野菜。青森県産のアピオスが二袋で百円とあったので、いっぱい買う。ほど芋という青森の特産品だが、前にもその八百屋であったが、売れないで半額以下で処分していた。みなさん、食べ方を知らないのだ。ムカゴより大きいが、親指の爪ぐらいの大きさの子芋で、塩茹でにしていただく。栄養価は高く、わたしは好きでよく見つけたら買ってくる。

 八百屋の前のスーパーのイートインにも寄る。そこでは読書。いつものコースだ。ぼんやりと外の歩く人を眺める窓際の席にいる。考えたらいけない。思い出したらダメだと、別のことを考える。本はそのためにある。開いて活字の別世界に逃げる。いまは中国文学ばかり読んでいる。莫言、高行健とノーベル文学賞の現代作家。そうかと思えば、今度行く杭州の西湖をうたう、中国古典の詩を読む。李白、杜甫、王維…まさに別世界だ。

 

 そこから、図書館に行く。図書館では本も返して借りるが、新聞も読む。情報を入れないといけない。曜日によるものか、がらんとして老人たちも少ない。

 図書館前の広場には噴水があり、ベンチがあり、木漏れ日がさす。春の枯れ葉が風に舞う。みんな緑で芽吹くときに、散る病葉か。いけない、そういうことを考えては。思い出すな。別のことを考えるんだ。

 

 四歳の孫を保育園に迎えにゆく。お母さんたちもどんどんと迎えに来る夕つかた。じじだと、喜ぶ孫を自転車の後ろに乗せて、二人でしりとり遊びをしながら帰る。ブタ、タヌキ、キツネ、ネコ…動物シリーズも詰まる。

 家に帰ってから、晩飯の支度。孫も腹減ったというから、パスタがいいというので、作る。それでもお姉ちゃんが、ママのところに連れて行くので、向こうでまた晩飯は食べるのだ。じじ、バイバイ、また遊ぼうな。

 

 それからは一人になる。パパは仕事が終わるのは晩く、夜中に帰るときもある。一人の時間が怖い。一人にさせるな。仲間たちから次々にメールや電話が来る。親友の壬生が死んだ葬式から何日も経っていないのに、今度は北の街社の斎藤が死んだと、連絡があった。信じられない。彼とも何日か前に電話で話したばかりだ。嘘だろう。和田さんも亡くなり、半年で、三人も親友が亡くなる。追い打ちをかけるように、ペンの友人から、横山君も亡くなったと、知らせてきた。みんな文学同人仲間だ。72歳でどうしてバタバタと死ぬ。次はおれの番か。昨日、電話をもらってから、一日がおかしかった。体の震えが止まらない。何を見ても涙ぐむ。みんなどうしてしまったんだ。生きている者は、それでも食わせなきゃならない。飯の支度と買い物はする。日常がそこにあり。死んだものはすべてが停止している。そこには行き来のできない川がある。死者と生者のどうすることもできない隔壁。布団に入り、わたしはすべてを思い出して嗚咽する。重いだけの現実が垂れ下がっている。