ネットからダウンロードしたいアプリがあって、そのすぐ下に広告のいらないアプリが待っている。そこのダウンロードをつい押してしまう。そういうことがいまはまかり通り、どうしてか、なんでおまえ、そこに待機していると腹が立つのはみんなが経験していることだろう。サイトの運営者もそうしたところに貼り付けないでもらいたいし、使いたいアプリの会社も迷惑だろう。似たようなアプリが群がる。悪意のあるところはそうした伏兵で、無料と書いていて、実際にダウンロードしてみたら、二週間のお試し期間だけ。それからは高額の利用料を払わせられる。頭にくるのが、そういうウイルスのようなアプリを入れて少しでも使うと、パソコンの中の該当するファイルがそいつのマークに変えられて、そのアプリでないともはや開けなくなる。そういう身代金目的のヤバイところもある。

 

 広告はあまりにも狡賢くしつこいと嫌われる。わたしだけではないだろうが、いろいろとつきまとうと、うるさーいと、そんなところからは絶対に買わないとなる。逆効果で、会社やメーカーの信用も落とすしイメージも悪くなる。どうして、ネットの広告はそうなのか。嫌なやつと、ストーカーのようで、男にも女にも嫌われる。ポップアップ広告も次々と、自分の見ている記事を中断させる。記事を出しているところに邪魔をさせられているようで、広告料が入るからと入れているのが、実は自分の読んでもらいたい記事を途中でやめている人が多いことに気が付かない。その記事の続きを読もうと、その下にある次へというのをクリックしたら、全然関係のない広告サイトに連れ込まれたりする。それでもう消してしまう。紛らわしい位置にいて、見る人を誘導するのはどうか。コンプライアンスと企業では叫ばれている時に、そういうネット広告のルールとマナーを業界全体で決めないといけないのではないのか。どんな世界にもそういう人への思いやりがあっていい。それを無視して、見て見て買って買ってでは、押し売りで強引、街のキャッチセールスと同じではないのか。そういうやつらを取り締まるくらいでないといけない。それで言うことを聴かないのは、広告削除で入れないようにするとか、それぐらいの罰則も必要だ。いまは野放し状態の無法地帯がネットなのだ。

 詐欺はそういうのは無視で、なんでもありありだ。毎日のように来る。それが怪しいと思わないで詐欺に引っかかっている。買わせたり、契約させられていたり、ダウンロードしただけで、いつしか使うという承諾もしていないのに、図々しく入り込む。ウイルスと同じだ。

 

 最近はみんなが詐欺に思えてくる。メールでカード会社や銀行から来ると、内容を疑う。URLが正しいかどうか見たり、本当に重要なメールであっても、信じないから即刻削除。それが何度も来るから、一度電話までした。もはや、成りすましの偽装、友達申請もすべてが投資や金で、綺麗な女の人からはみんな曲者ばかり。要は、欲がないといいのだ。儲け話には乗らない。金なんか欲しいとは思わない。それが身を滅ぼす。みんな引っかかっているのは色気を出すからだ。本当に金がなくて困っている人はないから相手は引くだろう。わたしのような年金じじいも相手にはしない。第一、住んでいるところが安い賃貸で財産なんかないし、何も怖いものがない。

 このブログでも二本で百円の大根を買いあさることを書いているから、きっと詐欺さんも同情して、かわいそうな老人と思っているかもしれない。叩いても埃より出ない。

 

 広告だけでなく、詐欺も多く、ネット自体が汚染されて危険なものになる。きっとこのまま悪化し被害者が増えてくると、腐りきったネットは禁止と、みんなが30年前に戻る。そのころはネットという言葉もなく、パソコンもスマホも持っていなかった。それでも生活していた。カードもわたしが学生時代はなかった。月賦販売はあっても、紙に書く。ATMもできたばかりで、銀行窓口でハンコと通帳で下していた。その時代に逆戻りしたらいい。別に不便は感じない。そのときは訪問詐欺はあったろうが、ネットの見えない悪いやつはいないので、やはり対面で人間相手にリアルな店で売買するのが安心なのだ。