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🎆
去年、高校時代の同級生が誘ってくれて、みんなで花火大会へ行った。それは「SUGOI 花火」というイベントで、ユーミンの楽曲に合わせて花火が上がる一夜限りのものだった。
始まる前にサプライズでユーミンが登場し、
会場のボルテージは最高潮に達した。
その時のユーミンの言葉が沁みて🥹
わー!!ってなっていた心が、一気に、しん、とした。
「今そばにいる人だけじゃなくて、
会いたくてももう会えなくなってしまった人たちにも思いを馳せて、
永遠にしたい一瞬を、どうぞ心ゆくまで今宵は楽しんでください」と。
会いたくてももう会えなくなってしまった人の顔が浮かんだ。真夏の夜風が、通り抜けた。
💫
「Yuming Tribute Stories」は、6人の豪華作家陣による、
ユーミンの名曲をモチーフにしたアンソロジーだ。
小池真理子さんの「あの日に帰りたい」を読みながら、
私はいつに帰りたいかなと考えた。
帰りたい日もあったりするけれど、20年後くらいには、
今に帰りたくなりそうな気がした。
個人的には「冬の終わり」が大好きで。
この物語にも出てくる、一色紗英ちゃんと内田有紀さんのドラマ「その時ハートは盗まれた」を夢中で見ていたあの頃が、ぶわっと思い出された。私の青春の曲。
江國香織さんの「夕涼み」、これから聴くたびにこの物語の光景を思い出すのだろうな。二度と戻らない時間と対峙する、無言のひととき。やるせなさと、微かな希望。
一瞬を永遠にして大花火
花火大会の次の日、
ユーミンの言葉を忘れたくなくて、
一句作った。
永遠にしたい一瞬に、これからも出会えますように。
🍵
サントリー美術館にて「大名茶人 織田有楽斎」。
戦国時代、信長の弟でありながら、信長、秀吉、家康に仕え、家康より長生きした稀有な茶人、有楽斎。
ちなみに有楽町の地名にも由来するとかしないとか。
以前、有楽斎が主人公の小説(岳真也著「利休を超える戦国の茶人 織田有楽斎」)を読んで以来、タイムスリップできたら一番に会いたいほど惹かれている。
だって、凄くないですか?この3人に仕えながら、殺されることなく乱世を生き抜いたのが。
同じく茶人の千利休でさえ、切腹を命じられたのに。
年表を読むと、戦に出るより、調停役を任されることが多かったみたいで。名だたる武士たちが一目置く、有楽斎という人となりを、もっともっと知りたいのです。
年表で一番気になったのは、利休が切腹をする一ヶ月前に、秀吉とともに利休を訪ねているのです。
その時、どんな会話がなされたのか。
その時、時代が動いたのか。
ああ、知りたいなぁ。
「鳴かぬならそのまま生きよホトトギス」
織田有楽斎四百年遠忌実行委員会が作成した、この一句を知った時、胸を突かれました。
鳴かないままでも、いいんだよ、と。
言われたような気がしました。
愛知県にある、有楽斎の茶室、如庵も、
いつか行きたい。
本日は家で、展覧会オリジナルグッズの懐紙に、
とらやの「都の春」をのせて。
懐紙には、織田信長が用いた家紋、
織田木瓜紋がカラフルに。
父が元気なうちに読もうと思って手に取った、
チョン・ジア著『父の革命日誌』が、もう、もう素晴らしかった。
パルチザンとして生きた父の突然の死。
葬儀のために故郷に帰った娘の前に現れたのは、思いがけない弔問客たちだった。
娘が知らなかった父の様々な顔。
知るたびに恋しくなり、輪郭は濃くなってゆく。
悲しみとユーモアが充満し、放射する。
死によってよみがえる生に、泣く。
私が30代後半で、叔父が事故で亡くなったとき、
しばらく誰かが死ぬ小説を避けていた時期があった。
人が死ぬのは、現実だけで十分だと。
幸い、ここ数年は、身内がみんな元気だ。
でも、生きているのが当たり前になると、
その尊さが薄まってしまう時もある。
今、この小説を読めてよかった。
明日は父に、いつもより優しくなれそう。
3月16日発売
「アジアシネマ的感性」
インタビュー記事がアップされました🥰
同日サイン会もあります。
既にお申し込み頂いたみなさま、ありがとうございます✨
まだ各回空きがありますので、お時間あります方はぜひ、
いらして頂けましたら!
⚠️サイン会の申し込みは、3月7日までです⚠️
まだまだ先だなぁと思っていたのですが、
あっという間ですね!
ここ最近は、トークイベント後にサイン会があったりしましたが、あまりゆっくりお話しする時間がなく🥲
単体でサイン会は久しぶりです。
時間を4回に分けて区切ったので、お一人お一人と、お話しするお時間もあります。
いつもいらしてくださる方も、お久しぶりの方も、
はじめましての方も。
お待ちしております🥹
サイン会の申し込みは、コチラから
⇩