こはにわ歴史堂のブログ

こはにわ歴史堂のブログ

朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。


☆ こはにわ歴史堂のブログへようこそ ☆

ABC朝日放送で2013~14年に放送されていたコヤブ歴史堂にて、「こはにわ先生」を担当していた歴史教師の浮世博史のブログです。進学塾浜学園の社会科主管・教育研究室主管、進学塾希学園社会科主管を歴任、大阪の私立四天王寺高校・中学の教諭を経て、現在奈良の私立西大和学園高校の社会科教諭をしています。歴史の楽しい話など、色々していきたいと思っています。

これからもよろしくお願いいたします。

【 活動報告 】

摂津市公民館・富田林東公民館・藤井寺市「かがやき学級」「いきがい学級」にて歴史の講演をさせていただいております。。「歴史おもしろ裏話」「ここまで変わった歴史教科書」の講演を実施しました。また各種、楽しい歴史の講演などの依頼も受け付けております。

【 おしらせ① 】

幻戯書房さんから、本ブログの「日本国紀読書ノート」が書籍化されて『もう一つ上の日本史』として出版されます。
2/25日を予定しております。
https://note.com/genkishobou/n/nf357fb2d8ceb

【 お知らせ② 】
すばる舎さんから、『宗教で読み解く日本史』を出版させていただきました。
日本史を宗教をキーワードにして眺めていく… よろしければお読みください。

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%A7%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%87-%E3%83%A8%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%AF-%E3%83%8B%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%B7-%E6%B5%AE%E4%B8%96/dp/4799108743

【 お知らせ③ 】

書籍『超軽っ日本史』の続編、『超軽っ幕末史』を電子書籍で出版しました。

よろしければご購読ください。

http://www.achibook.co.jp/books/1161/




【 お知らせ④ 】

関東ローカルですが、テレビ朝日「ガリベンガーV」の特別講師として出演させていただいています。

★文英堂より★

9月30日に大学入試、センター試験対策の「世界史」問題集


浮世博史のセンター一直線! 世界史B問題集/文英堂


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世界史選択の受験生のみなさん、是非、ご利用ください。

★アチーブメント出版より★

『超軽っ日本史』『日本人の8割が知らなかったほんとうの日本史』
 こはにわ先生こと浮世博史の著作。お読みいただければ幸いです。

超軽っ! 日本史―原始時代~安土桃山時代編―/アチーブメント出版


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海に浮かぶ氷山と

発泡スチロールの塊を想像してください。

どれだけ大きく見えても、発泡スチロールはふわふわ漂っているだけ。

小さく見える氷山は、その海面下に何倍もの氷塊があり、むしろそちらが本体。

大言壮語の「主義・主張」と、

多くの研究者たちの研究成果の累積は、

発泡スチロールの塊と海面の上に出ている氷山くらいの差があると捉えてほしいと思います。(序章より)

 

ネットや様々な書籍に蔓延する日本史の俗説、デマ、ヘイト…

なんとか整理したいと思いました。

多くの研究者たちは、日々、黙々と、学を曲げず、世に阿ることなく、研究を重ねておられます。

 

彼らになりかわって、などと大それたことは考えていません。

もう、これ以上、歴史がねじ曲げられて誤解されて、彼らの努力が無視され嘲笑されるのは見過ごせないと思っています。

あの、ちょっといいですか?

と、誰かが手をあげるところから、始めたいと思いました。

もっと的確に、もっとわかりやすく説明できる人もおられるでしょうが、まず、最初の挙手の、ささやかな勇気をふるったと思っています。

 

上巻は2月25日、下巻も3月下旬に出ます。

https://genkishobo.exblog.jp/amp/27975847/?__twitter_impression=true

長く連載してきました「日本国紀読書ノート」が幻戯書房さんから書籍化されることになりました。

書籍化にあたって大幅に加筆、修正もして、単なる読書ノートではなく、日本史の概観、現在の新しい研究成果をお知らせするものに仕上げたつもりです。結果として同時に多くの研究者の、歴史を学ぶのに役立つ良書の紹介もできたと思います。

俗説、デマ、ヘイトなどなど、ネット上にあふれているさまざまな歴史の話が、どのように、あるいはなぜ、浸透してしまっているのかを考えてみました。よろしければお読みいただければ幸いです。

 

 過まれるを改むるの善の

 これより大きなる無し

 ~慈円 『愚管抄』より~

 

https://note.com/genkishobou/n/nf357fb2d8ceb

 

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E3%81%A4%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2-%E3%80%8E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%B4%80%E3%80%8F%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88-%E5%8F%A4%E4%BB%A3-%E8%BF%91%E4%B8%96%E7%AF%87-%E6%B5%AE%E4%B8%96%E5%8D%9A%E5%8F%B2/dp/486488191X/ref=pd_sbs_14_img_1/356-1592743-1821143?_encoding=UTF8&pd_rd_i=486488191X&pd_rd_r=b45384a4-64ac-4a87-aea0-04d00a45e998&pd_rd_w=KwkuV&pd_rd_wg=DrnL1&pf_rd_p=ca22fd73-0f1e-4b39-9917-c84a20b3f3a8&pf_rd_r=H14VE058AXJNX2BVC8FK&psc=1&refRID=H14VE058AXJNX2BVC8FK

すばる舎さんから、『宗教で読み解く日本史』を新しく出させていただきました。

 

宗教の話、というとついつい堅苦しくお考えかもしれませんが、歴史の随筆、という感じで読みやすくしたつもりです。

人々の信仰と生活の積み重ねが、日本の文化の一面。

宗教は、当時の社会や人々の生活を映し出す鏡のようなもの。

人々の信仰から日本史を眺めてみました。よければお読みください。

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「四大文明」というが「四大河文明」とは言わなくなりました。

 

メソポタミア・エジプト・インド・中国を「四大文明」と説明します。もちろん、文明はこの四つだけではありませんが、あくまでも代表的な「四つ」として紹介する、という形になっています。

授業では、「この四つだけでは無いんだよ」と説明した上で、それぞれの話が始まります。

四十歳以上の方ならば、「四大河文明」と「河川」と関連付けて説明します。

そのため、インド文明は「インダス文明」、中国文明は「黄河文明」とかつては説明しました。いまでも、間違いではありませんが、「インドの文明」として、インダス川流域に紀元前2500年ころから出現したインダス文明に限定せず、紀元前1500年以降にガンジス川にまで支配が達したことを受けて、大きく「インドの文明」と括るようになりました

ちなみに、かつては紀元前1500年に北方遊牧民のアーリヤ人が「侵入」した、と説明していましたが、「侵入」を「進入」と表記するようになりました。

「侵入」だと、インダス文明をアーリヤ人が「滅ぼした」かのような誤解を与えてしまいますし、しかもかつてはアーリヤ人がインダス文明を滅ぼした、というように説明していた時もあったのですが、現在では、インダス文明の衰退後、アーリヤ人が「進入」したことがわかっています。アーリヤ人がインダス文明を滅ぼしたわけではありません。

中国文明の場合は、「黄河・長江流域にも文明が成立した」というように、黄河流域だけでなく、長江流域の文明にも言及するようになっています。よって「黄河文明」と限定することはなくなりました。

エジプト文明の「ピラミッド」の扱いも、昔とはずいぶん変わりました。

「エジプトはナイルの賜物」とその著『歴史』で書いたヘロドトスが、「ピラミッドは10万人の奴隷が20年かけて造った」と記していたこともあり、長くピラミッドは王の墓で、奴隷が造営したもの、と考えられてきました。

ところが、クルト=メンデルスゾーンという学者が論文を著して以降、この考え方が大きく変わっています。

奴隷労働によって建てられたのではなく、報酬(ビールやパン)を与えた農民による労働によって造られた、というように考えられるようになりました。ピラミッド造りは「公共事業」としての側面が強かった、という考え方です。

ピラミッドを造るための村に残された人々の日記からも、お祭り行事のように楽しんでピラミッド造りに参加していたことがわかるようになりました。

ただ、農閑期の失業対策、とまで断言していいかどうかは、議論の余地が残されていますが、奴隷による強制労働の成果、という説明は現在ではしません