今夜(10・28)8時からNHK教育TV見てください。

「きらっと生きる」です。

触手話通訳として、出演します。


見逃した人は

http://www.nhk.or.jp/kira/  


白い紙から言葉が浮かび上がるーなんて素敵なことだろうと思ったこともあるけれど、点字を勉強するというのはなんと地味なことなんだろう!手話なら語源に感心したり面白いのに。僕には合わないな~ パソコンやブリスタはまだましだけど、でも指点字をマスターするためには仕方がないのかな~ いつになることやら。

 昨日、5年ぶりにある夫婦にお会いしました。

ご主人は中途失聴者、奥さんはフィリッピン人です。

その奥さんが日本語はもちろん手話が上手になっていることに

びっくりしました。

 ご主人に聞くと「気持ちを伝えたいから手話を覚えてもらった」

とのこと。もちろん奥さんはそれに応えるべく努力をされたのだと

思う。一緒に生きていくには当然「気持ちを伝えること」が必要、

そのためには通じるコミュニケーション手段が必要となる。

それを獲得すべく努力する・・・すばらしいことだなぁ。

 今頃、読者になってくれた人がいると思ったら shinさんだったのか。

実は最近、視覚障害者と聴覚障害者の考え方の違いで悩んでいます。

僕は元々、手話を習うことからこの世界に入っているので、聴覚障害者の考え方については分かっているつもり、だから、ろうベースの盲ろう者のガイドは楽しいし、やりがいもある。ところが視覚障害者の人の考え方はどうもよく分からない。声の出る人も多いし、その言葉で傷つけられる事もある。

 友の会としてやっていく以上、お互い力を合わせてほしいが難しい。

コミュニケーションが取りにくいだけじゃないような気がする。障害者の心理学も勉強しなくてはいけないな。

<盲ろう者と共に>

 盲ろうと言う障害について、盲ろう者の生活、コミュニケーション方法などについてお話してきましたが、社会環境についてはどうでしょう。

 盲ろう者は家を一歩出ればガイドをする人(手引者)が必要です。また今、どんな所にいて周りの環境はどうであるのかといった情報を提供する人が必要です。誰かと話すときや講演を聞く場合は通訳をする人が必要です。つまりガイド・通訳者が必要であるということです。

 そんな大切なガイド・通訳なのですが、その派遣制度がまだ和歌山にはありません。それじゃ今は「ボランティアでやっているのか」ということになると思うですが、実は「全国盲ろう者協会」の訪問相談員利用券というのを使っています。でも派遣制度ができると訪問相談員の制度はなくなります。行政に盲ろう者を理解していただき、盲ろう者に適した派遣制度を立上げてもらう必要があります。

ガイド・通訳を養成する講座は昨年、県の委託を受けて私たちが始めました。

 現在一時廃案になっている「障害者自立支援法案」ですが、近いうちにまた国会で審議され採択されることでしょう。その障害者自立支援法との関係もあって、行政は盲ろう者のガイド・通訳を養成、派遣する必要があります。そのため私達は県や市に何度か足を運んでいますが、初めのころは「盲ろう者」についての認識はほとんどありませんでした。最近ではやっとご理解いただき、今日の講演会も県の事業の一つということになっています。

 ところでこの田辺市の場合ですが、障害者自立支援法については寛大な対応を予定されているということはお聞きしていますが、盲ろう者のガイド・通訳派遣制度についてはどうでしょう。田辺市に盲ろう者の方がどのくらいいらっしゃるか、どんな生活をされているのか、まだ確認出来ていないのが現状ではないでしょうか。 

 盲ろう者の方のガイド・通訳をしていると本当に疲れます。それぞれの方に合った通訳をしていると「頭の中がぐちゃぐちゃに」なります。会議をしていても全員に伝えるのは本当に大変。「盲ろう時間」というのもあるくらいです。また伝わりにくいことから誤解も生まれますし、一度生まれた誤解は解くのに何ヶ月もかかる、いやずっと解けないこともあります。でもここで考えてみて下さい。友の会に参加することも無く、家に引きこもっていると一人でもんもんとした毎日があるだけです。人と話ができる、喧嘩できる、笑い合うことができる。それは本当に素晴らしいことだと思います。

 <「盲ろう」を受け入れる>

 盲ろうという障害は大変な障害です。見えない聞こえないということは、静寂と暗闇の世界にいるということです。コミュニケーションの問題もありますから、孤独を強いられる障害です。

 盲ろう者として生きるということは、その障害を受け入れ、乗り越え生きていくということです。

 盲ろう者の方は、今までに「盲ろうを受け入れた」「盲ろうを乗り越えた」経験をお持ちです。すごいことだと思いますが、実はそんな方は少ないのです。受け入れられない、乗り越えられないで、家でじっとしている、毎日苦しい生活を送っていらっしゃる方のほうがはるかに多いのです。

 ろう者の場合を考えてみましょう。ろう者のかたには「ろう」であることに誇りを持って生きていらっしゃるかたが多いです。それは素晴らしいことです。

でも生まれつき持っていた「網膜色素変性症」が何かがきっかけに出てきたり、糖尿病が原因で夜、目が見えにくくなってきた。視野狭窄が起こってきたというような場合。盲ろうを受け入れるなんてことはとても難しいです。「わたしはまだ見える、盲ろう者ではない」と思う。これは当然です。聞こえないという障害だけでも大変なのに、その上見えないという障害まで受け入れるなんて出来ません。「まだ見える」ということはいいことなのです。無理に盲ろう者の仲間に誘う権利は誰にもありません。しかし、聴覚障害者が視覚にも障害をもって盲ろう者になる確率は高いです。「アッシャー症候群」と言って網膜色素変性症からくるものです。

それに比べ視覚障害者の場合は、病気から盲ろう者になることは少ないかもしれません。ただし糖尿病を除いては。それじゃ視覚障害者がどんな時に盲ろう者になるかと考えると「老人性難聴」があります。年を取ってきて耳が遠くなってきたらと考えると怖いですよね。自分から情報を得ようとすると点字しかないように思います。和歌山の盲ろう者の方でいつも寝ながら「点字毎日」という新聞を読んでいらっしゃる方がいますが。視覚障害者と視覚障害から盲ろう者になった人の違いはといいますと、例えば視覚障害者の講演会があって音声通訳を頼んだとします。講演の内容を通訳者が声で通訳します。すると他の視覚障害者から「静かにしてくれ」と言われます。これも辛いですよね。

 また健常者から盲ろう者になった方の場合。それまで障害者とは無縁だった人が、ほんの何年かの間に見えなく聞こえなくなった。精神的にもはるかに大きい壁を乗り越えて生きていかなくてはなりません。私たちの会にもいらっしゃるのですが、彼女がある時こんなことを言っていました。

「私は盲ろう者になって、毎日毎日苦しい生活をしていた、家族にもあたりちらしていた。そんな時不思議な力が突然働いて、周りの人に優しくなれるようになった。すると自分自身すごく楽になれた。」この不思議な力というのが何なのかわかりませんが、皆さんにもそんな経験ありませんか。「あんなに悩んでいたのは何だったんだろう」っていうような経験は。

 ところで、このように健常者が「盲ろう者」になるということは、決して少ないケースではないようです。特に緑内障、白内障、網膜色素変性症、糖尿病、突発性難聴等、注意しなければ他人事ではなくなります。

 もう一つ「盲ろうを受け入れる」ということでお話したいのは、本人が受け入れ、乗り越えるというのは当然大変なのですが、同じように大変なのは家族です。今もし皆さんのご家族の方が見えなく聞こえなくなったらどうしますか。手術で治るようであれば、するように勧めるでしょう。変われるものなら変わってあげたいと思うでしょう。もし本人に子供がいるとどうしますか。中には体面を考えて家から一歩も出さないという方もいるかもしれない。施設に入れるという人もいるかもしれない。でもその施設で人間らしい生活が送れるでしょうか。コミュニケーションはどうしますか。

 私たちは盲ろう者のお母さんを何人か知っています。お母さんというのは本当に素晴らしいですね。でも素晴らしいからこそ「もしこのお母さんに何かあったらどうするのだろう」と心配になります。全国には盲ろう男性と結婚した健常者あるいはろうの女性が何人もいらっしゃいます。これも素晴らしいですね。

 つまり、盲ろう者の家族が「盲ろうという障害を受け入れる」ということは盲ろう者と共に生きるということなのです。またそれは支援者についても言えることかもしれません。

 盲ろう者が自立できる方法を考えながら、どうしてもサポートしなければいけないことだけをやる。それはお世話でもなければ、介護でもありません。それが「盲ろう者と共に」ということかもしれません





 盲ろう者と呼ばれる人々は、全国にどのくらいいるのか。

厚生労働省の身体障害者実態調査によると、18歳以上で在宅の盲ろう者の数は、全国で13,000人と推計されています。和歌山県ではその一割の130人と言われています。しかし先日県の障害福祉課で確認したところ、300人以上の方が視覚と聴覚に障害を併せ持つということがわかりました。でも問題は数ではなくて、それらの盲ろう者の方々がどこでどんな生活をされているかわからないということです。今まで和歌山県で盲ろう者の実態調査が行われたことはありません。全国的にも青森と高知だけのように思います。私たち和歌山盲ろう者友の会で把握しているのは10人余りです。盲ろう者はひとりでの外出もままならず、他者との会話(コミュニケーション)も思うようにいかないため、その存在が把握されにくいのではないかと考えられます。この街のどこかで、ひっそりと孤独に包まれて暮らしている「盲ろう者」がいるかもしれません。






それでは次に、盲ろう者をわかっていただくために一つの実験を行ってみましょう。

「今、ドアが開く音がして一人の人がこの部屋に入ってきました。」

(視覚障害者の場合)

ドアが開く音がしましたので誰かが来たのだろうということは分かりますが、どんな人かは分かりません。

(聴覚障害者の場合)

ドアの方を見ていた人は分かります。ドアが開いて女の人が入ってきた。きれいな人かそうじゃないかは見る人の主観の問題ですが、誰かが来たということは分かります。

(盲ろう者の場合)

全く何があったのか分かりません。

  盲ろう者で東京大学の助教授をされている福島智さんという方がこんなことをおっしゃっていました。「通訳者が伝えてくれること以外、この世の中では何も起こっちゃいないんだ。そう思わないと盲ろう者として生きていけない。」

  次に障害の程度から考えてみたいと思います

先ほど盲ろう者とは視覚・聴覚それぞれ6級以上の程度の障害が重複している方々を対象としていますと言いました。つまりすべての盲ろう者が全く見えない聞こえないのではありません。
 視覚障害には全く見えない「全盲」から少しは見える「弱視」まで様々な見え方の違いがあり、また、聴覚障害にも全く聞こえない「全ろう」から少しは聞こえる「難聴」まで様々な聞こえ方の違いがあります。
 これを整理すると、盲ろう者には大きく分けて①「全盲ろう」、②「弱視ろう」、③「全盲難聴」、④「弱視難聴」の4つのタイプがあるということができます。





<盲ろう者とは何か>

  それでは始めたいと思います、まず「盲ろう者とは何か」ということから

 始めます。

  盲ろう者とは、視覚と聴覚の両方に障害を併せ持つ人を言います。全国盲ろう者協会では「一人の人で目と耳の両方に障害を持ち、そのどちらの障害も単独で身体障害者手帳6級以上」と定めています。

でも「盲ろう」と一口に言っても、みんな違います。何が違うかというと、盲ろう者の場合、その障害の程度や障害を持つに至った過程が違う、従って考え方やコミュニケーション方法が違うということになります。   例えば、生まれた時から、あるいは赤ちゃんの時から目に障害があって視覚障害者としての人生を送っていて、後に耳にも障害を持ち盲ろう者になった方。反対に聴覚障害者として生きてきて、後に目にも障害を持ち盲ろう者になった方。また健常者として大人になった方が、突然視覚と聴覚の両方に障害を持つに至ったという場合もあります。

この三通りの違いは、「盲ろう者」と言う言葉でまとめてしまうにはあまり

にも大きな違いです。その理由は「盲ろう」と言う同じ境遇にありなが

ら、盲ろう者同士お互いが理解できない、お互いの障害を理解できな

い、サポートする人もその違いを考えてその人に合ったサポートをしな

ければいけないと言うことにもなります。


               松と竹   


あと梅が足りないな~

えっ! この写真何かおかしいって?

そんなことないんだけどな~

う~む そういえば・・・・・・・・