ある下総老人の戯言~

ある下総老人の戯言~

私は千葉下総地方に住む一介の素老人です。興味のある社会のできごと、身の回りのできごとについて私なりの感想を書き綴りました。人生楽しく、日々是好日にしたいものです。

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朝、散歩していると何処からともなく金木犀の甘い香りが風に乗って飛んできた。今年は季節のめぐりがいつもの年より少し早いような気がする。

ここ数日、夢中になって読んだ本がある。たまたまブックオフで買ったものだ。その本の題名は「火怨-北の燿星アテルイ」(高橋克彦著、講談社文庫)である。西暦700年代の後半に起きたエミシ(東北地方北部の住人)と大和朝廷の数度にわたる戦いを小説にしたものである。主人公はアテルイとモレ、そして敵将の征夷大将軍・坂上田村麻呂。

当時のエミシは人間扱いされていなかった。獣、鬼扱いだった。この屈辱を晴らし、人間としての尊厳を回復するため、アテルイとモレを中心としたエミシ軍は勇敢にも朝廷軍に立ち向かった。最後は歴史の事実が示すとおり、征夷大将軍・坂上田村麻呂の前に屈することとなるが、兵の数的に不利なエミシ軍が奇策を凝らし圧倒的な兵力を誇る朝廷軍に挑んでいく姿に感動した。

私は北三陸の出身である。私の遠い祖先はエミシだったかもしれない。そういう事情もあり、自然とアテルイとモレに共感することとなる。読んでいて何度も目頭が熱くなった。

それにしても高橋克彦という作家は凄い。流石に直木賞作家である。こんなにも他人を感度させる小説を書けるなんて!!この本をたまたま買ってよかった。

実家の菩提寺の宗派は曹洞宗である。曹洞宗の宗祖は、あの「正法眼蔵」を著した道元。そして、大本山は福井県にある永平寺。私はいつの日か永平寺を訪ねてみたいと心密かに思っていた。

ところが、つい最近ある本を読んでいて、曹洞宗には大本山がもう一つあることが分かったのだ。恥ずかしながら、この年齢になるまでこの事実を知らなかった。

その、もう一つの大本山とは横浜市鶴見区にある「総持寺」である。大きな寺で、石原裕次郎のお墓があるという程度の知識だが、総持寺という寺の名前は以前から少しは耳にしていた。何故、大本山が二つもあるのか不思議に思い、総持寺について少し調べてみた。

総持寺は、もともと石川県の能登にあったということだ。宗の出世道場の資格をめぐって永平寺との間には中世の昔から紛争があったらしい。そこで徳川家康が調停に乗り出し、1615年に両寺とも大本山の名前を使ってもいいということにしたようだ。その後、1898年に能登の総持寺は大火災に遭い、その大火災がきっかけで、1911年に今の鶴見の地に移転してきたということだ。曹洞宗の大本山の一つである総持寺を訪ねてみたいという気持ちが強くなった。


総持寺1
昨日、私は京浜東北線の鶴見駅で降り、総持寺に向かった。鶴見大学歯学部の付属病院の下を通り、コンクリートの広い参道を登った。結構な登り坂である。コンクリート作りの山門をくぐり、仏殿を左手に見ながら大祖堂に向かった。仏殿は少し歴史を感じる木造の建物だったが、大祖堂はコンクリート作りの巨大な、冷たさを感じる建物だった。
1965年に建てたものらしい。大祖堂でお参りを済ませ、石原裕次郎のお墓のある墓地のほうに向かった。


総持寺2
明日
(920)が彼岸の入りということもあり、お墓を掃除する人達がそこかしこに見られた。石原裕次郎のお墓を探したが見つけることができなかった。


総持寺3
大本山総持寺は如何にも都会の中にある寺という感じで荘厳さ、質朴さはあまり感じられなかった。やはり、お寺は山深い森の中にあるほうがいい。お堂も木造で歴史の重みが感じられるほうがいい。

大本山総持寺にはビジネスの臭いがあった。

今の日本国は灰色の厚くて重い雲に覆われているようだ。

安保法案は中々採決できない(私は法案に賛成である)。TPPも暗礁に乗り上げてしまった。沖縄・普天間飛行場の辺野古移設問題も遅々として進展が見られない。2020年東京オリンピックの開催に関してもいろいろとケチが付いた。開催までに本当に間に合うのか心配だ。更に、株価の大幅下落も追い討ちをかけている。直近では、S&Pが日本国債の格付けを下げた。アベノミクスは大丈夫か、不安になってくる。

昨今の自然現象も心配の種だ。茨城県・宮城県での集中豪雨、日本各地で起こる火山の噴火。そして、頻繁に起こる大小の地震。

市井においては、なんの罪もない人がある日突然殺められるという事件が頻発している。

何一つ明るい話題がない。日本は閉塞状態だ。まるで天照大神が天の岩戸の中に隠れてしまったみたいだ。

太陽が顔を出すのはいつの日だろうか。一時の勢いのある日本に早く戻って欲しいと切に願う。