顔の文化誌 (講談社学術文庫)/村澤 博人
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【内容説明】
顔に対する美意識は、その時代の社会や文化によって規定されてきた。顔の歴史は社会・文化の歴史でもある。どのような顔が美とされ、なぜそれが選ばれたのか。感情を面に表さない「顔隠しの文化」、横顔よりも正面顔や背面の美を意識する「正面顔文化」はどのように生まれたのか。文献を丹念に考証し、実験も交えながら、顔を通して日本文化の新しい見方を提示する画期的論考。
学術書なので書評ではなく、軽いまとめと感想を書いていこうと思う。
でも、読了したわけではないので、章ごとに面白いと思ったところをピックアップして投稿する!
第1章 古代から中世の顔
日本古代の絵画にみる美意識の中で、もっとも古い資料となるのが『鳥毛立女屏風』と『吉祥天女像』がある。
この2つの美人像は、大陸や半島から、当時の唐の文化が憧れの時代のものであるが、その後の歴史を見ると日本で定着することはなかった。
・鳥毛立女屏風
・吉祥天女像
ここで気付いたのが、この上の2つの美人像は、俺の知っている古代の美人像『引目鉤鼻』ではないこと。
吉祥天女像って引目鉤鼻じゃなかったのか、、、よくよく見ると全然違うし、先入観だったのか、、、とちょっと衝撃を受けた。
では、その引目鉤鼻は、いつごろ誕生した美意識なのだろうか。
引目鉤鼻は、大陸の文化の影響から脱し、国風文化の形成期になる平安時代に誕生する美意識である。
この美意識は『源氏物語絵巻』などの絵巻物に描かれた貴族の女性の中に見出すことができ、十二単を着て髪を垂髪にして、白くやや下ぶくれの丸顔に上記の引目鉤鼻と呼ばれる様式で目鼻立ちが描かれている。
・引目鉤鼻
実は、この引目鉤鼻は徹底された『様式美』で、美人なら必ずこの様式で描かれ、表現されている。
引目鉤鼻は具体的に顔のパーツを要求するが、それは1つの形態であり抽象なのである。
引目鉤鼻から、それなりの美意識を感じることはできても、一人一人の存在感を感じることができないのはこのせいである。
美=様式化なのである。
逆に『醜』の美意識の場合はどうなるだろうか。
醜の場合は、美と違い、様式化されずに具体的または写実的に表現されている。
髪が縮み上がっている、目が窪んでいる、目が見開いている、背が高い、鼻が高い、などと文章での記述が具体的であり、絵画の中でも引目鉤鼻の様式化された描写と比べると存在が際立って見える。
図で例をあげると、男衾三郎絵巻では、男衾二郎の妻がこのように描写されている。
高校で習った落窪物語でも醜い主人公が継母にいじめられていたけれど、落窪物語の主人公や男衾二郎の妻は、現代の美意識に照らし合わせると美人なんだろう。
ここでひとつ疑問がでてくる。
なぜ、美を様式化しなければならなかったのか。様式化の根底には顔隠しの文化があり、女性は自分の容姿を見せないことが奥ゆかしくしたしみ深く、教養があるとされた。
絵巻物に描かれた貴族階級の顔が様式化されて引目鉤鼻に表現されたのも、顔を見せない=見ない=隠すといった文化が存在したものと解釈できる。
様式化された美は没個性であり、個人を特定できるものではない。内面の動きを外に見せないという意味で、顔隠しの文化の一翼を担っていたのである。
かなり端折って纏めてしまった^p^
眉の化粧、お歯黒、男色のことも書きたかったけど面倒になったwwwwwwwww