『神曲』地獄巡り43.マレボルジェの最深部の噛みつき魔 | この世は舞台、人生は登場

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 『地獄篇』第30歌は、次のようなギリシア・ローマ神話から素材を取った直喩表現で書き始められます。

 

 セメレーの件でテーバイの人々にたいしユノーが立腹し、その怒りを一再ならずぶちまけていたころだった。アタマースはすっかり気が狂い、両手に二人のわが子を抱いて行く妻を見て叫んだ、「網を張れ、そこの路で牝獅子を一頭、仔獅子を二頭つかまえてやる」そして仮借ない爪をのばすと、その一人、レアルコスという名の子を掴み、振りまわして岩に叩きつけた。妻はもう一人の子と〔身を投げて〕溺れ死んだ。(『地獄篇』第30歌1~12、平川祐弘訳)

 

「セメレの件でテバイの血統に対してユノが立腹した(Iunone era crucciata per Semelè contra 'l sangue tebano)1~2」出来事から「アタマスが正気を失った(Atamante divenne insano)4」事件までの間には、複雑ではありますが有名な神話的物語が存在しています。その二つの事件の間を埋める神話の必要事項を簡略に見ておきましょう。

 

 

 カドモスは、数名の従者をつれてテバイにやって来ました。そして従者をアレス(ローマ神マルス)神の泉に水を汲みにやりました。しかしこの泉を護る竜が従者たちを殺してしまったので、カドモスはその竜を退治しました。そしてアテナ女神の助言により、その竜の牙を地面に播くと、そこから武装した男たちが出てきました。その武者たちは互いに殺し合い、最後に5人だけが生き残りました。それがテバイ貴族の5家になり、カドモスは彼らの王になりました。そしてカドモスは、軍神アレスとアプロディテとの娘ハルモニアと結婚して、アウトノエ、イノ、アガウエ、セメレの4人の娘と、ポリュドロスという息子が生まれました。その4人娘は、全員が数奇で不幸な運命を辿りました。(オウィディウス『転身物語』第3巻1~137で描かれています。)

 

セメレの悲劇
 まず末娘セメレは、ゼウスに愛されたので、ゼウスの妻ヘラ(ローマ神ユノ)の嫉妬をかいました。そしてヘラに騙されて、セメレはゼウスに本当の姿で来てほしいと懇願してしまいました。ゼウスは約束していまった以上、仕方なく雷電の姿で閨にやって来たので、セメレは焼け死んでしまいました。母セメレの胎内にいたバッコスは月足らずでしたので、取り出されて月が満ちるまでゼウスの太腿に縫い込まれました。(『転身物語』第3巻253~315で描かれています。また日本語訳の多くは「股間に縫い込まれた」となっていますが、ギリシア語では「メーロス(mēros)」、ラテン語では「フェムル(femur)」という言葉が使われていますので、「腿、もも」とするのが正しいようです。)

 

アガウエの悲劇
 

母や叔母から殺害されるペンテウス

 

 一方、セメレの姉アウトノエとアガウエは、バッコスを神とは認めませんでした。それに怒ったバッコスは、復讐のためテバイにやって来ました。エルリピデスの『バッコスの信女たち』は、この復讐の模様を題材にした悲劇です。バッコスは、彼自身と彼の母セメレを侮辱している伯母アウトノエとアガウエを懲らしめるためにテバイにやって来ました。まず、二人の伯母とテバイの女たちから正気を奪い、森の中で狂乱状態にさせました。その時、祖父カドモスから王の座を譲られていたアガウエの子ペンテウスは、その狂乱の女たちを連れ戻すために森に入りました。そころが、逆に、母を始めとした狂女たちに八つ裂きにされてしまいました。正気にもどったアガウエとアウトノエは、自分たちの行為を悔いて巡礼の旅に出ました。
 

アウトノエの悲劇
 カドモスの娘アウトノエの息子アクタイオンの身の上にも不幸が襲いました。オウィディウスは、「孫(アクタイオン)は不幸の最初の原因になった(Prima nepos ・・・ causa fuit luctus)第3巻138~139」と書いていますので、テバイ王家を襲った悲劇の中では、ペンテウスの事件よりも前に起こった惨劇だったようです。 彼は、アポロン神の子アリスタイオスを父として生まれ、ケンタウロス族のケイロンによって育てられたエリートでした。現代風にいえば、アキレウスの兄弟弟子ということになります。(『地獄篇』では第7圏谷血の川プレゲトンを渡るときケンタウロス族の大将として登場しています。)

 アクタイオンは、仲間を連れて山奥で網や武器を使って狩をしていました。獲物が沢山とれたので器具を撤収して狩の仕事を打ち切りました。そしてまだ陽が高いので森を散策することにしました。その森は狩の女神で処女神アルテミス(ローマ神話のディアナ)の聖域でしたので、その女神もまた狩を終え、妖精たちに付き添われて、泉で体を清めていました。たまたまアクタイオンは、森の中で迷って、その女神が全裸で水浴している姿を見てしまいました。アルテミスは、アクタイオンが彼女の裸体を見たと吹聴しないように、得意の投げ槍で殺そうとしました。しかし手元には武器は何もなかったので、水を口に含んでアクタイオンの顔に吹き付けました。すると若者の頭から角がはえて、身体が鹿に変身してしまいました。その鹿になったアクタイオンが森をさ迷っていると、彼が飼っていた数十匹の猟犬が彼をめがけて襲いかかりました。その結果、鹿になったアクタイオンは、自分の飼い犬に食い裂かれて死に絶えました。(『転身物語』第3巻138~252)

 

イノの悲劇

 カドモスの四姉妹の中で、イノだけが悲惨な目にあうことなく、良き夫アタマスと、幼いレアルコスとメルケルテスの二人の息子と共に、幸せな生活を送っていました。その原因は、イノだけが甥にあたるバッコスを神と認めて、妹セメレ亡き後、幼神の養育をしていたからでした。それを知ったセメレの恋敵であった大女神ヘラは、イノだけが平穏であることを許すことができませんでした。
 ユノ大女神は、彼女の復讐を復讐の女神エリニュス(ローマ神話のフリア)たちにさせようとして冥界へ降りて行きました。復讐の女神は三姉妹で、アレクト、ティシポネとメガイラでした。ユノ大女神は、復讐の女神たちをおだて上げて、彼女たちにアタマスを破滅させようと画策しました。その役を進んで引き受けたのはティシポネで、彼女はすぐさまテバイに向かいました。その時の復讐の女神ティシポネの出で立ちは、血糊の付いた松明を持ち、血染めの外套をまとい、蛇がのたくる帯をしめていしました。付き従った従者は、ルクトゥス(Luctus、悲しみ)、パウォル(Pavor、恐怖)、テッロル(Terror、不安)、インサニア(Insania、狂気)でした。復讐の女神ティシポネがアタマスの館の門の前に立つと、門柱は恐怖で震えました。アタマスの妻イノは怯え、アタマス自身も恐怖で正気を失って、家の外へ逃げ出そうとしました。しかし、復讐の女神は行く手を塞ぎ、二人に向かって毒蛇を投げかけました。蛇はイノとアタマスの胸にまとわりついて毒を吐きかけました。

 

 『狂気に取り憑かれたアタマス』アルカンジェロ・ミリャリーニ(Arcangelo Migliarini)、1801年作

 

 まずアタマスが狂気に取りつかれて、息子レアルコスとメルケルテスを連れた妻イノの姿を二匹のライオンを連れた牝ライオンに見えてしましました。それゆえに、そのライオンを退治しようとして妻のあとを追い掛けました。さらに、微笑みを浮かべて幼い手を差し延べるレアルコスを母の腕から奪い取ると、石投げでもするかのように子供を放り投げました。するとレアルコスの頭が岩に激突して砕けてしましました。それを見たイノも狂気に襲われて、もう一人の子メルケルテスを腕に抱えて、髪を振り乱し叫び声をあげて海の断崖へと走っていきました。そして岸壁の上から、幼い息子を抱きかかえて海中に身を投げました。天空からその様子を見ていた美の女神アプロディテ(ローマ神話のウェヌス)は、孫娘イノの余りにも悲しい最期に心を痛めました。それゆえに、大洋神ポセイドン(ローマ神話のネプトゥヌス)に頼んで、イノを「レウコテア(Leukothea)」(ギリシア語で「白い女神」の意)という女神に変え、幼子メルケルテスを「パライモン(Palaimōn)」(ギリシア語で「闘士」の意)という海や港の守護神に転身させました。

 

二重の直喩法

 

  一般的な直喩法とは、一つの事象を一つの直喩表現で喩える一対一の比較法です。しかし、『地獄篇』第30歌の書き出しでは、一つの事象(出来事)に対して二つの直喩表現が用いられています。上述のテバイ伝説の素材を使った直喩に続いて、下のトロイア伝説の直喩も使っています。

 

 また運命の女神が、およそ怖れを知らぬトロイア人の気位を一挙に地に落とし、その王〔プリアモス〕も敗れその国も敗れた時、〔王妃〕ヘカベは悲惨にも虜囚の身となり、〔娘〕ポリュクセネの死に会い、〔息子〕ポリュドロスのいたましく変わり果てた姿を浜辺でみるに及んで、苦悩のあまり心が乱れ、気が狂い、犬のように泣き喚いた。(『地獄篇』第13~21、平川祐弘訳)
 

 ギリシア勢に敗れたトロイアの戦後の悲劇は、数々の物語に描かれてきました。上のダンテによる描写は、トロイアの大惨劇を凝縮したエキスです。ただ如何なる料理もエキスだけでは本当の味を知ることができないのと同じで、ダンテの描いた9行の表現だけではトロイア敗戦後の残酷な情況を知ることはできません。また逆に、その戦後の残酷さを知ることによって、ダンテの表現の真の意図を知ることにもなります。
 トロイア敗戦後の悲惨さは、エウリピデスの悲劇『トロイアの女たち(Trōiades)』に最も鮮明に描かれています。しかし、ダンテが古代ギリシアのエウリピデスを読んでいたとは考えられません。ダンテの脳裡にあったのは、矢張りオウィディウスの『転身物語』であったことは間違いありません。とくにヘカベ(Hekabē:イタリア語Ecuba)とポリュクセネ(Polyxenē:イタリア語Polissena)とポリュドロス(Polydōros:イタリア語Polidoro)が登場する場面は、第13巻399行目から575行目までに描かれています。その要約は次のようです。

 

 難攻不落といわれていたトロイアの城は炎上して陥落しました。ローマを築くためにトロイア陥落前に脱出したアエネアスを除いて、ほとんどのトロイアの英雄たちは戦死してしまいました。戦争の原因になったパリスもピロクテテスによって殺され、トロイア王プリアモスはアキレウスの子ネオプトレモスによってアキレウスの墓前で殺されました。しかしトロイアの女たちのほとんどは、奴隷としてギリシア兵たちに分配されて、それぞれの国へ連れて帰られました。トロイアの王女の中で最も美しいカッサンドラは、ギリシア軍の総大将アガメムノンの所有となり、ミュケーナイに連れて行かれました。しかし、夫の留守中にアイギストスと深い仲になっていた王妃クリュタイメストラによって、アガメムノンと共に、カッサンドラも殺害されました。

 

ポリュクセネ

 トロイアの老いた王妃ヘカベも奴隷となって、娘ポリュクセネに付き添われてギリシアへ連れて行かれることになりました。途中、風向きが変わるのを待つために船隊がトラキアに停泊していた時、アキレウスの亡霊が現れました。その亡霊は、彼の恩を忘れて立ち去って行くギリシア軍を咎め、ポリュクセネを生贄に捧げるよう求めました。それを聞いたアキレウスの息子ネオプトレモスはポリュクセネを父親の墓の前に連れて行きました。その時ポリュクセネは、すでに覚悟を決めていて、奴隷になるくらいならば死んだほうが増しだと思っていました。ネオプトレモスが彼の父の墓前で、剣を抜いて犠牲の儀式に取りかかりました。するとポリュクセネはネオプトレモスを見て言いました。「私の高貴な血をお使いなさい(utere generosa sanguine)。もう猶予はいりません(nulla mora est)。剣で私の喉でも胸でも刺しなさい(aut tu jugulo vel pectore telum conde meo)」(『転身物語』第13巻457~459)と、毅然とした態度で死に臨みました。周りの神官たちも涙を流す中で、ポリュクセネは胸を剣で刺されて死にました。

(注)
アキレウスがポリュクセネを犠牲に求めたことに疑問を感じた中世の人々は、この二人の恋物語を想像したようです。ダンテもアキレスを地獄の第2圏谷に落として肉欲の罪で罰しているのは、中世のアキレウス伝説を信じていた可能性があります。(『神曲』地獄巡り5の「ギリシア最強の英雄」の箇所を参照)。

 トラキアといえば、もともとはトロイアの友好国でしたので、アエネアスがトロイアを脱出してその国に新しい城を築こうとしました。しかし、もはやその国はギリシア方に寝返っていましたので、アエネアスたちがすぐに脱出してエーゲ海を南下したという出来事があります。そのような曰く付きのトラキアに、プリアモス王と王妃ヘカベは、トロイアの形勢が悪くなりかけた頃、トロイア王家の最も幼い王子ポリュドロスを大量の財宝をつけてトラキアの王ポリュメストルにあずけました。しかし、トロイア陥落後、財宝に目が眩んだトラキア王はポリュドロスを殺害して海に投げ捨ててしまいました。その時ちょうど、母ヘカベもギリシアへの移送中にトラキアに滞在していてました。そして、ポリュクセネの生贄事件が起こったのもその時でした。ヘカベが娘の遺体の血を洗い清めるために海岸に行きますと、息子ポリュドロスの死体が浜辺に放置されているのを見つけました。ヘカベは恐ろしい形相になって怒り狂いました。そして同じ捕虜の身のトロイアの女たちを伴ってポリュメストル王のもとへ押しかけ、王の両眼を潰し、顔を噛み砕いて殺害しました。ヘカベは大きな口を開けて叫ぼうとしましたが、犬に変身してしまっていたので、吠え声が出るだけでした。
 

噛みつき亡者ジャンニ・スキッキ

 

『噛みつき亡者ジャンニ・スキッキ』 ウィリアム・アドルフ・ブグローWilliam-Adolphe Bouguereau (1825~1905) 1850年頃の作。正式な題は『地獄のダンテとウェルギリウス(Dante e Virgilio all’Inferno)』

 

 テバイの狂女の直喩もトロイアの狂女の直喩もダンテが描出した詩行を読んだだけではその激しさが十分に伝わっていません。その詩句の背後にある物語を知って初めて理解できるものです。上述しましたギリシア・ローマ神話を把握してから、次のダンテの詩句を読みましょう。

 

 だがテーバイの狂女やトロイアの狂女にしても、なるほど残酷で、獣や人の体を傷つけはした、だが私が見た蒼ざめた二人の裸体の亡者ほどではなかった。彼らは噛みつきながら突っ走ったが、ちょうど餓えた豚が檻から外へ飛び出した時のようだった。その一人がカポッキオに追いすがるとみるや、その項(うなじ)にかぶりついて引き倒し、石だらけの谷底を腹ばいのまま引きずって行った。とり残されたアレッツォの男がふるえあがって私にいった、「あの狂人はジャンニ・スキッキだ、猛り狂ってああして人に噛みついてまわる」。「おお!」と私はいった、「もう一方は誰だ?君の背に喰いつかなければいいが!面倒でなければ、奴が遠ざかる前に名を教えてくれ」(『地獄篇』第30歌22~36、平川祐弘訳)

 

 『地獄篇』第30歌で描かれている地獄は、前段歌第29歌に描かれた場所と同じ第10濠(ボルジャ)なのに、刑罰の種類が異なっています。第10濠の前半地区には、この世で儲けた悪銭が疥癬となって身体を覆っているので、その痒さに苦しんでいました。その多くは贋金造りで、「自然物を使った優れた猿(buona scimia di natura)」たちでした。しかし、その濠の後半地区では、無我夢中に相手の身体を傷つけてまわるという狂乱状態になっていました。こちら側にいる亡者たちは、同じ詐欺師でも書類を偽造したり虚偽の言動をした罪人たちです。

 噛みつきあいながら走っていた(mordendo correvano)「二人の青白い裸の亡霊(due ombre somorte e nude)」のうちの一方は、「ジャンニ・スキッキ(Gianni Schicchi)」という名の亡者でした。その名前は、カポッキオと一緒にダンテに付いて来た「アレッツォの男(l'Aretino)」と呼ばれているグリッフォリーノという亡者が教えてくれました。そのジャンニの亡霊は、今まで噛みついていた亡者を放して、今度はダンテと一緒に来たカポッキオに噛みついて濠の底へ引きずっていきました。

 

物真似名人ジャンニ・スキッキ

 ジャンニ・スキッキという亡者が、なぜこの濠にいるのか検証しておきましょう。ジャンニは、フィレンツェの名門カヴァルカンティ家の人間で物真似名人のようでした。一説では、1280年頃に死亡したと言われていますので、ダンテの一世代前の人物ということになります。ジャンニの物まね技とシモーネ・ドナーティにまつわる逸話を確認しておきましょう。


 ドナーティ家はフィレンツェでも最も富裕な貴族でした。ダンテの妻ジェンマはドナーティ家の娘で、結婚の時(婚約は1277年でダンテの12歳の時でしたが結婚年は不詳)、かなりの持参金付きであったので、ダンテはそのお金で放蕩三昧をして、それを天国篇でベアトリーチェに厳しく咎められることになった、とモンタネッリは『ルネサンスの歴史』で書いています。それは13世紀の中頃の話です。その裕福なドナーティ家の当主ブオーゾ・ドナーティ(Messer Buoso Donati)が危篤におちいりました。ブオーゾは、多くの財産を他人に譲渡したいと望んでいましたので、その旨の遺言書を作ろうとしていました。しかし、息子(または甥)のシモーネ・ドナーティは、遺言作成を妨害しました。そして父ブオーゾが死んだ時も、すでに元気な時に遺言書を作成していたかもしれないと疑って、シモーネは父の死を隠しました。事実、多くの隣人は、内容までは知らなかったのですが、ブオーゾが遺言を作っていたと証言していました。そこでシモーネは、物真似名人のジャンニ・スキッキに秘密を打ち明けました。するとジャンニは「ブオーゾ殿が遺言を作ることをお望みだと言って公証人を呼びなさい」と助言しました。そしてジャンニは、遺体をベッドから降ろして彼が中に潜り込み、ブオーゾに成り済ましました。そして、ブオーゾの仕草と声色を使って公証人に遺言を口述筆記させました。ただし、遺言を告げ始めると、ジャンニは依頼主シモーネよりも彼自身に都合が良いように話し始めました。たとえば、ジャンニがブオーゾの声色で「私はジャンニ・スキッキに五百枚のフィレンツェ金貨(fiorino:一枚3.54gの金)を与える」と言うと、側に控えたシモーネが「父上、遺言にその様なことを書く必要はありません。私がその金貨を彼に渡します」と口を差し挟みました。さらにジャンニは図に乗って、トスカナ地方で最も立派な牝ラバ(mula)を彼に譲るように遺言しました。シモーネが怒りだしましたが、我慢する他はありません。そして最後に、その他の残りの財産はすべて相続人シモーネに譲ると口述させました。さらに、15日以内に遺言を実行しないときは、サンタ・クローチェ聖堂会に寄贈するという条件まで付きました。そしてその偽りの遺言の口述筆記が終わったのち、ブオーゾの遺体はベッドに戻され、彼の死亡が公表されました。(『無名のフィレンツェ人たち(Anonimo fiorentino)』より)


 地獄では噛みつき魔と化した物真似名人ジャンニ・スキッキが錬金術師カポッキオに噛みついて連れ去った後、ダンテはアレッツォの男グリッフォリーノに尋ねました。この箇所は、原文を詳しく調べると矛盾があります。《“Oh,” diss' io lui(「おお!」と私は彼に言った)》の‘lui’は男性形なので「アレッツォの男」を指してることは明白です。しかし《se l'altro non ti ficchi li denti a dosso(もう一方の者が君の背中に歯を食い込ませないことを願う)》(se+接続法ficchihは懇願を表す)という詩句の「もう一方の者(altro)」は、男性形です。(女性形はaltra)。そしてこの「もう一人の者」とは、ダンテたちがこの濠に入ってきたとき「噛みつきながら突っ走った二人の裸体の亡者」の片割れのことだと判断するのが自然です。しかし「やつが遠ざかる前に(pria che di qui si spicchi)、面倒でなければ奴が誰か言ってくれ(non ti sia fatica a dir chi è)」と、ダンテは尋ねました。するとアレッツォの男は、女性の名前を挙げて次のように答えました。

 

 あれは不埒な古代〔キプロス〕の〔王女〕ミュラの亡霊だ、父親にたいして道ならぬ恋心をいだき、父親と罪を犯すために他人の姿に身をくらましてやって来た。ちょうど向こうへ走り去った奴が、一群の先頭を行く女王〔馬〕をわが物とするために、不適にもブオーゾ・ドナーティに化けて遺言し、書式にかなった遺言書を作った、それといわば同じ罪だ。(『地獄篇』第30歌37~45、平川祐弘訳)

 

 噛みつき合っていた裸体の亡霊の一方は、「不埒な古代のミュラの亡霊(l'anima antica di Mirra scellerata)」でした。女の亡者、少なくともこの世にいた時は女だったミュラという王女の亡霊でした。それゆえにダンテが「もう一方の者」に男性形代名詞‘altro’と言ったことには疑問の余地があります。第6濠にいた偽善者のように刑罰として重い外套を着せられていることはあっても、地獄の亡者たちは、男も女も原則的に「裸体」です。そして、上の詩行の中で女の亡霊を男性形で呼んだのは、暗くて遠目なので男女の区別がつかなかったのか、または罪を犯して地獄に落ちてしまえば男女の区別もなくなるということか、いろいろな解釈が可能になるようです。

 

ミュラの禁断の恋心
 ミュラ(Myrrha、伊語Mirra)という亡霊は、悲しい運命を背負った王女でした。彼女の伝説は『転身物語』(第10巻298~502)に描かれています。その物語の粗筋を見ておきましょう。

 

 キュプロス島の王キニュラスと王妃ケンクレイスとの間にはミュラという美しい娘がいました。近隣や遠く東方の国々からも立派な若者たちがその王女に求婚しました。父王キニュラスも娘の婿に誰を選ぼうか苦心していました。娘に選ばせようとしても、ミュラは父王を見て涙を流すばかりで、夫を選ぼうとしませんでした。ミュラは父王に恋をしていたのでした。父王はその様なこととは夢にも思わず、「どの様な夫を選びたいか」と尋ねると、ミュラは「あなた様のようなお方を(similem tibi)」と答えました。その娘の言葉の真の意味を知る由もない父王キニュラスは、親孝行な娘だと喜びました。一方ミュラは、父親を愛してしまった苦しさの余り、死を選びました。そして帯を柱に結びつけて首を吊ろうとしましたが、乳母がそれを察して止めに入りました。最初は、乳母が自殺の訳を問いただしてもミュラは答えませんでした。しかし、乳母が何でも叶えて上げると神々に誓ったので、ミュラは実の父親を愛してしまったことを打ち明けました。すると、忠義心を誤った乳母は、なんとかミュラの望みを遂げさせてやりたい思いました。王妃でもありミュラの母親でもあるケンクレイスが、ケレス女神の祭礼で昼夜を通して九日の間留守にしました。その間に、乳母は、余所の美しい娘だと偽ってミュラを父王の寝床へ忍ばせました。暗い部屋でしたので、父王キニュラスは、実の娘と気づかないでミュラと禁断の関係を結んでしまいました。幾晩かその関係を重ねた後、キニュラスは、忍んでくる女がどの様な姿か知りたくて松明を灯してしまいました。すると自分の娘であることが分かり、余りの驚きと後悔の念で、近くにあった剣を抜いてミュラを殺そうとしました。しかしミュラは、夜陰に紛れて逃げることができました。彼女は、キュプロス島を脱出して、アラビアとバンカイアの地を抜けて、シバの国に辿り着きました。そしてその時、父王との間に宿した子が生まれようとしていました。ミュラは別の姿に変えてほしいと神々に祈りました。するとミュラは、没薬になる樹液を出すムッラ(murra、伊語はmirra、英語はmyrrh)という樹木に転身しました。その胎児は樹木の中で育ち、樹皮を破って産まれました。その子は、成長した時、美しい女神アプロディテと冥界の女王ペルセポネの二人の女神に愛されることになる美少年アドニスです。

 

 声帯模写と形態模写を使ってブオーゾ・ドナティの遺言書を書かせたジャンニ・スキッキと、余所の娘だと偽って父親と交わったミュラとを、ダンテは同罪だとみなして、地獄の第10濠の中を、噛みつき合いながら走り回らせています。