長女リンの高校生活、
3週間が過ぎました。
初めての自転車通学、
毎日の弁当づくり(←これは私)
新しいことづくめで
いろいろ気になる母。
ある日、帰宅したリンに
聞かれて分かった…
ウザっ
ウザい母親に、キレもせず叱責もせず
「小学校1年生じゃないんだから、
いちいち聞くな!」という真意を
遠回しに伝えてきた娘。
やんわりと、でも確実に
詮索momの急所を突いてきた。
参りましたm(__)m
三姉妹の末娘・ニョロ子6年生になりました。
新年度の始まりは、どのクラスも
自己紹介や係決めなどで「学活」が
多くなるもの。
新しく担任になった先生は
ぱっぱと事を進めるタイプのようで
やるべきことが早く終わって、
あとはなんとなく自由時間になり
おしゃべりタイムになった。
そこで、ニョロ子と友達が
「先生、トイレ行ってもいいですか?」
と聞いたら
6年になっても、
心は小3男子 v(^^)v
2月だったか3月だったか・・・
三女ニョロ子がまだ5年生のときのこと
ある日、学校から帰ったニョロ子を見て
気付いた。
「あぁ、そうそう。これはね…」と
ニョロ子が説明を始めた。
前回の続きのような
続きでないような話
この春、高校へ入学する長女リン。
春休みの間に、進学予定の高校で
説明会が開かれました。
合格発表から日が浅いので
高校の制服はまだなくて
それぞれ出身中学の制服で参加します。
中学校の制服を最後に着るのは
実は卒業式ではなく、
高校の説明会です。
さっそく春休み中の宿題が配られ、
また、腕がちぎれそうなほど
大量の教科書を抱えて
説明会から帰宅しました。
先日、長女リンが中学校を卒業しました。
受験前も毎日昼寝をむさぼるリンに
こっちがひやひやしましたが、
なんとか第一志望に合格し、
本人いわく
「決め手は睡眠かな」だって(^^ゞ
さて、合格発表の1週間ほど後
入学予定の高校で説明会が開かれ、
親子で参加しました。
よく知らないおばちゃんに
一応返事はしてくれたものの
苦虫を嚙み潰したような表情を
見せたよっちゃん。
反省がてら、あとでリンに報告。
「説明会で、知り合いの娘さんに
『ママに似てるね』って言ったら
嫌そうにしてたわ…」
リン「当たり前でしょ!
私、いっつも言ってるよね。
母と一緒にいるところを人に見られて
『お母さんにそっくり』って言われるのが
本当にイヤって!!!
それなのに、なんで人に言うの?
あぁ、、、かわいそう。
その子の気持ち、痛いほど分かるわぁ」
すごい剣幕で怒られ、呆れられた。
しょぼーーーん
「でも、その子のママ、
キレイだからいいじゃん」
とは、言いませんでした。
そういう問題じゃないことは分かってます。
悪気はないけど、配慮もない(><)
無神経なおばちゃんで
ごめんなさい、よっちゃん。
数日後・・・
昔の職場の後輩とランチ♪
数年ぶりに会う後輩は、ママになって
小さな女の子を連れていました。
私「初めまして、さっちゃん。
何歳? 4歳なんだぁ。かわいいね。
さっちゃん、
ママにそっくりだね」
きゃわいいいいいいいい(*´▽`*)
よっちゃんもリンも、10年前は
今のさっちゃんみたいに
大好きなママとぎゅっと手をつないで
満面の笑みを浮かべてたんだよね。
喜びいっぱいの「うんっ」が、
「はぁ」の生返事に変わる10年の月日。
親としては
ちょっぴり悲しくて切ないけど、
10年の年月を経て
手も心も少しずつ離れていき、
今や立派な思春期ガールになった証かも。
10年後のさっちゃんに同じこと言ったら
どんな反応するかしら( *´艸`)
そんなことを思う
懲りない無神経BBAでした。
はじめに
今から8年前、
現在13歳(中1)の娘ノンが
年長のときの話です。
病名:PANDAS(パンダス)
小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害
↑google translate の自動翻訳が便利
なお、今から2年前(小5)に
再発したときのことは
すでに記事にしました。
同じテーマの中にあります。
前回書いたように
小児科の副山先生にPANDASと診断され、
半年間悩み続けたチックや不安の症状が、
治療を始めて、少しずつ少しずつ
緩和してきたノン(当時6歳)でした。
PANDASと分かる前
一番不安がひどかった時にかかった
児童精神科では・・・
この時は、匙を投げられましたが
(←語源は、江戸時代
医師が薬匙を投げたことらしい)
それ以降も数か月に一度、
ドクターHを受診していました。
「H先生、聞いてください。
パンダスと診断されて、薬を飲み始め
不安症状が少しずつ落ち着いてきたんです」
と、嬉々としてお伝えしたら・・・
「そうは言っても、先生!
H先生が以前お勤めの〇×病院の小児科で
今、実際に治療をしてるんです。
日本ではあまり知られていないけれど
アメリカではある程度一般的な病気なんです。
ご自分で調べもせずに全否定するのは
違うんじゃないですか!?」
なーーーんて言えたら
かっこいいんですが、
いつでも長いモノには巻かれて
生きてきた蚤の心臓の私が
言い返せるわけもなく(T_T)
閉店ガラガラ
↑私の心のシャッター音
それ以降、ドクターHの前では
パンダス・溶連菌・抗生剤などの
関連ワードは一切口にしていません。
患者が遠慮するのもおかしな話ですし、
だったら先生を代えればいいんですが
子どもの心理系はどこも大盛況で
3つ星レストランより予約が難しい
と言われるほど(個人の見解)
また、ドクターHは基本的に
患者寄り添い型ではないんですが、
時々人生の真髄のような言葉を
ポロリと発するので、それを求めて
今に至るまでずっとかかっています。
いわば、ポロリ中毒(笑)
++++++
【ある耳鼻科で】
現在服用している薬について
ドクターに質問され、
パンダスの説明をしたところ・・・
PANDASという病気はまだ一般的ではなく、
解明されていないこともあったり、
医師の中でも否定派がいたりと
意見が分かれる病気です。
「PANDASという病気が世の中に
もっと知られるようになったら、
救われる人がいるんじゃないか」
そう思うのは素人だからかもしれません。
病気というのは
そんなに単純なものではなく、
様々な要因が絡み合って
発症するのだとも思います。
それでも、
ノンと同じような症状で
困っている子どもたちに
治療の手が差し伸べられることを
祈らずにはいられません。
はじめに
今から8年前、
現在13歳(中1)の娘ノンが
年長のときの話です。
病名:PANDAS(パンダス)
小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害
↑google translate の自動翻訳が便利
なお、今から2年前(小5)に
再発したときのことは
すでに記事にしました。
同じテーマの中にあります。
前回の続き
町角小児科の紹介状を持って
〇×病院の副山先生を受診
地域の医療を担う総合病院の
小児科部長もご存じなかった。
「まず、他に原因がないか
一通り検査をしましょう」
・採血
・レントゲン
・MRI
そして、溶連菌検査
ところで
その頃のノンは、不安がどんどん増幅し
家から外へ出るのも一苦労でした。
病院という異空間で
白衣の怪しい人たち(←ノン視点)に囲まれ
不気味な機器を用いた検査の数々。
どんなに怖かったか分かりません(><)
恐怖におののきながらも
なんとか乗り切りました。
その結果
・溶連菌→陽性
・血液検査
→ASO基準値以上(632)
・その他異常なし
ASO値が高いのも、
溶連菌感染の特徴らしい。
ふり返ってみると、これが
PANDAS治療の第一歩でした。
抗生剤を服用して、徐々に
大きな不安を訴えることはなくなり、
それでも溶連菌はなかなか陰性にならず
2か月後に初めて陰性となりました。
保育園の出席帳を引っ張り出してみると
11月からは、お休みシールばかりだったのが
2月のページには3つだけ出席シールが…
ノンの生活が少しずつ、でも確実に
元に戻り始めた証。
抗生剤治療を始めてから
すでに約3か月が経っていました。
そして迎えた3月、卒園式。
年長の1年間は、4月初日の発熱に始まり
チック→不安→不登園と、しんどい日々。
楽しい思い出はほぼないけれど
なんとか卒園式に出席できた、
それだけで涙があふれる母でした。
本人はケロッとしてましたが(^^;)
そして、4月には
小学校入学 ヾ(*´∀`*)ノ
家の押し入れにこもって
不安に震えていたノンが、
通学班でお姉ちゃんたちと
一緒に登校できる日が来るなんて!
それもこれも、副山先生、
そして副山先生を紹介してくださった
町角先生のおかげです。
どちらにも共通して言えるのは、
奇妙奇天烈な病気を訴える母親を
頭ごなしに否定せずに、
また「はっ!?パンダの複数形かよ」
とも突っ込まずに (笑)
耳を傾けてくださったこと。
PANDASと診断されたことで
(正しくは、治療してみたらどうやら
PANDASだったね、という結果論)
今、ようやくスタート地点に立ちました。
病気の性質上、完治というわけにはいかず
溶連菌暴露によって再発を繰り返します。
ここから、ながーーーいPANDASとの
付き合いが始まりますが
副山先生と出会えたおかげで
前向きに治療に取り組むことができました。
昨年3月に〇×病院を退職されるまで
7年間、副山先生にはお世話になりました。
先生には感謝しかありませんm(__)m
以上
「PANDASと診断されるまで」シリーズ
全7回、終了です!
お読みいただきありがとうございました。
PANDASについては
いろんな医師の見解、反応があります。
次回、番外編で
はじめに
今から8年前、
現在13歳(中1)の娘ノンが
年長のときの話です。
病名:PANDAS(パンダス)
小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害
↑google translate の自動翻訳が便利
なお、今から2年前(小5)に
再発したときのことは
すでに記事にしました。
同じテーマの中にあります。
忘れもしない
長女8歳の誕生日。
次女ノンを連れ、かかりつけの
町角小児科を受診しました。
私がネットでたまたま見つけた病気に
ノンが当てはまるのではないか?
もしそうなら、
謎の不安におびえるこの子を救う
治療法が存在するのではないか?
そんなわずかな希望を抱いて・・・
念のため、PANDASに関する記事を
印刷して持参しました。
ネットに出回る怪しい情報を
盲信していると思われないように、
大学病院の医師が書いた
信憑性のある論文を。
町角先生はパンダスは
ご存じありませんでしたが
頭ごなしに否定することも
ありませんでした。
熱が出たのは7ヶ月前。
今現在、熱はない。
喉も赤くない。
溶連菌感染症の所見はない。
本来ならこの状態で
溶連菌の検査はしないんだけど、
「お母さんの気が済むように」
と前置きして、
検査をしてくださいました。
「〇×病院に行くといい。
僕が知っている一番いい先生を
紹介しましょう。
子どものことを
よく考えてくれる先生です」
これが、
この先何年もお世話になる
副山先生と出会うきっかけでした。
副山先生が外来の日を待ち、
〇×病院へ向かいました。
実は、私たち親子には
馴染みの深い病院なのです。
切迫早産の緊急入院で出産し、
898gで生まれたノンが
NICUに4か月半入院。
人工呼吸器つけたり、
経管栄養で胃にチューブ入れたりと、
保育器の中でたくさんの管に
つながれるノンを見て
「生きろーーー!」と
念じながら、一進一退の日々を
過ごしました。
まさか、またお世話になるとは!
ただいま〜〜〜っ(^O^)/
ーーーーー
余談
一番近いという理由だけで
かかりつけにしている町角小児科。
実は長女リンが小6で
腹痛でかかったときにも
〇×病院を紹介してくれたんです。
結果、卵巣腫瘍&捻転が分かり
翌日には腫瘍摘出手術!
町角小児科に足を向けては
眠れませぬ m(__)m
はじめに
今から8年前、
現在13歳(中1)の娘ノンが
年長のときの話です。
病名:PANDAS(パンダス)
小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害
↑google translate の自動翻訳が便利
なお、今から2年前(小5)に
再発したときのことは
すでに記事にしました。
同じテーマの中にあります。
謎の不安におびえる次女ノン(年長)を
前にして、なす術のない母。
「子ども チック 不安」
幾度となく同じ検索をしては
何か新しい情報がないかと
ネットを読みあさっていた時、
ある記事が目に留まりました。
むむむっ!?
なんかひっかかるぞ。
記憶の糸をたどってみると
確か、年長の4月に発熱し
1週間ほど保育園を欠席した。
その時はインフルエンザは
陰性で、溶連菌の検査はしてない。
その後すぐにチックが始まり、
数ヶ月後には不安におびえるようになった。
記事によると、不安は
PANDASで現れるOCD(強迫性障害)の
症状に当てはまる。
4月の発熱が、もし
溶連菌感染だったとしたら・・・
すべてが腑に落ちるような気がした。
さっそく翌日の11月15日、
かかりつけの小児科を
受診することにしました。
解決の糸口さえ見えなかった我が家に
一条の光が差し込んだのは、
姉リン8歳の誕生日でした。