ノン・リン・ニョロ子の「のんほい日記」

ノン・リン・ニョロ子の「のんほい日記」

ほどほどに仲良し三姉妹と、
まずまずの仲の両親との5人で、
毎日そこそこ楽しく暮らしてます♪

長女リンの高校生活、

3週間が過ぎました。

 

初めての自転車通学、

毎日の弁当づくり(←これは私)

 

新しいことづくめで

いろいろ気になる母。

 

ある日、帰宅したリンに

 

 

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聞かれて分かった…

ウザっ

 

ウザい母親に、キレもせず叱責もせず

「小学校1年生じゃないんだから、

いちいち聞くな!」という真意を

遠回しに伝えてきた娘。


やんわりと、でも確実に

詮索momの急所を突いてきた。


参りましたm(__)m

中1のとき、英語の教科書を読んで

peopleをピーポーの音から

「警察官」と訳した長女・リン。
 
「違うわっ」と突っ込んだら
「あ、ピーポーはパトカーじゃなくて
救急車だから、救急隊員か!」
ときた(;´∀`)
 
そんなリンも高校生になり、先日
リビングで英語の予習をしていました。
 
日本語文を英文に直す問題らしい

 

んんんっ!?

 

ナイキな若者?

 

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おっっおぅ。。。
独特の言い訳(-_-;)
 
英語の名前を「横文字」って、
明治生まれの婆ちゃんか!
 
そして、
とても内気なピーターは、
おそらく全身ナイキコーデはしない。

三姉妹の末娘・ニョロ子6年生になりました。

 

新年度の始まりは、どのクラスも

自己紹介や係決めなどで「学活」が

多くなるもの。

 

新しく担任になった先生は

ぱっぱと事を進めるタイプのようで

やるべきことが早く終わって、

あとはなんとなく自由時間になり

おしゃべりタイムになった。

 

そこで、ニョロ子と友達が

「先生、トイレ行ってもいいですか?」

と聞いたら

 

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ニョロ子は考えた。
静かに廊下を進むには
どうしたらいいか…
 
 
ぽくぽくぽく チーン
ひらめいた!
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忍法★でんぐり返しの術
 
 
「ちょっ、ちょっと、やめて!
余計に目立つよ」
 
という冷静な友達の意見で
帰りは普通に歩いたらしい。
 

6年になっても、

心は小3男子 v(^^)v

2月だったか3月だったか・・・

三女ニョロ子がまだ5年生のときのこと

 

ある日、学校から帰ったニョロ子を見て

気付いた。

 

「あぁ、そうそう。これはね…」と

ニョロ子が説明を始めた。

 
玄関を出る直前に書いて、
すぐに通学帽を目深にかぶったので
私はちっとも気付かなかった。
(私に気付かれるとうるさいから
隠していたらしい)
 
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鏡文字(反転)で書くのって
難しいからね。
途中から油断してしまったらしい。
 
人と話さないで済むように
体調不良を表明したのに、
逆に、おでこの謎の文字が気になって
いつも以上に人に
話しかけられるという(;´∀`)
 
 
策士策に溺れる
とは、このこと!
 
いや、策が小5じゃなくて
小3男子のそれなのよ。
 
とほほ
 

前回の続きのような

続きでないような話

 

この春、高校へ入学する長女リン。

春休みの間に、進学予定の高校で

説明会が開かれました。

 

合格発表から日が浅いので

高校の制服はまだなくて

それぞれ出身中学の制服で参加します。

 

中学校の制服を最後に着るのは

実は卒業式ではなく、

高校の説明会です。

 

 

さっそく春休み中の宿題が配られ、

また、腕がちぎれそうなほど

大量の教科書を抱えて

説明会から帰宅しました。

 

 
父親あるある!?
で、済ませてよいものだろうか(-_-;)
 
娘の制服姿をほとんど見る機会がない
サラリーマンパパならまだしも、
うちの夫は在宅仕事で
毎朝、リンを見送っているのに。
 
3年間、夫が見ていた娘の姿は
何だったのか!?
裸以外はほぼ同じに見えてる?

父の見ている謎の世界に
めまいをおぼえる娘でした。

 

先日、長女リンが中学校を卒業しました。

 

受験前も毎日昼寝をむさぼるリンに

こっちがひやひやしましたが、

なんとか第一志望に合格し、

本人いわく

「決め手は睡眠かな」だって(^^ゞ

 

さて、合格発表の1週間ほど後

入学予定の高校で説明会が開かれ、

親子で参加しました。

 
そこで、私の元同僚と再会!
たまたま娘同士が同級生で、
同じ高校になったのです。
 
私「わ~、久しぶり。
よっちゃん(娘さん)大きくなったね。
前に会ったの、もう10年ぐらい前かな。
ほんと、ママに似てるねぇ!」
 

 

よく知らないおばちゃんに

一応返事はしてくれたものの

苦虫を嚙み潰したような表情を

見せたよっちゃん。

 

反省がてら、あとでリンに報告。

「説明会で、知り合いの娘さんに

『ママに似てるね』って言ったら

嫌そうにしてたわ…」

 

リン「当たり前でしょ!

私、いっつも言ってるよね。

母と一緒にいるところを人に見られて

『お母さんにそっくり』って言われるのが

本当にイヤって!!!

それなのに、なんで人に言うの?

あぁ、、、かわいそう。

その子の気持ち、痛いほど分かるわぁ」

 

すごい剣幕で怒られ、呆れられた。


しょぼーーーん

 

「でも、その子のママ、

キレイだからいいじゃん」

とは、言いませんでした。

そういう問題じゃないことは分かってます。

 

悪気はないけど、配慮もない(><)

無神経なおばちゃんで

ごめんなさい、よっちゃん。

 

 

数日後・・・

昔の職場の後輩とランチ♪

数年ぶりに会う後輩は、ママになって

小さな女の子を連れていました。

 

私「初めまして、さっちゃん。

何歳? 4歳なんだぁ。かわいいね。

さっちゃん、

ママにそっくりだね」

 

 
思いっきり顔をほころばせて
「うんっ」

 

きゃわいいいいいいいい(*´▽`*)

 

 

よっちゃんもリンも、10年前は

今のさっちゃんみたいに

大好きなママとぎゅっと手をつないで

満面の笑みを浮かべてたんだよね。

 

喜びいっぱいの「うんっ」が、

「はぁ」の生返事に変わる10年の月日。

 

親としては

ちょっぴり悲しくて切ないけど、

10年の年月を経て

手も心も少しずつ離れていき、

今や立派な思春期ガールになった証かも。

 

10年後のさっちゃんに同じこと言ったら

どんな反応するかしら( *´艸`)

 

そんなことを思う

懲りない無神経BBAでした。

 

はじめに

今から8年前、

現在13歳(中1)の娘ノンが

年長のときの話です。

 

病名:PANDAS(パンダス)

小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害

↑google translate の自動翻訳が便利

 

なお、今から2年前(小5)に

再発したときのことは

すでに記事にしました。

同じテーマの中にあります。

 

前回書いたように

小児科の副山先生にPANDASと診断され、

半年間悩み続けたチックや不安の症状が、

治療を始めて、少しずつ少しずつ

緩和してきたノン(当時6歳)でした。

 

 

PANDASと分かる前

一番不安がひどかった時にかかった

児童精神科では・・・

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この時は、匙を投げられましたが

(←語源は、江戸時代

医師が薬匙を投げたことらしい)

それ以降も数か月に一度、

ドクターHを受診していました。

 

「H先生、聞いてください。

パンダスと診断されて、薬を飲み始め

不安症状が少しずつ落ち着いてきたんです」

と、嬉々としてお伝えしたら・・・

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「そうは言っても、先生!

H先生が以前お勤めの〇×病院の小児科で

今、実際に治療をしてるんです。

日本ではあまり知られていないけれど

アメリカではある程度一般的な病気なんです。

ご自分で調べもせずに全否定するのは

違うんじゃないですか!?」

 

なーーーんて言えたら

かっこいいんですが、

いつでも長いモノには巻かれて

生きてきた蚤の心臓の私が

言い返せるわけもなく(T_T)

 

閉店ガラガラ

↑私の心のシャッター音

 

それ以降、ドクターHの前では

パンダス・溶連菌・抗生剤などの

関連ワードは一切口にしていません。

 

患者が遠慮するのもおかしな話ですし、

だったら先生を代えればいいんですが

子どもの心理系はどこも大盛況で

3つ星レストランより予約が難しい

と言われるほど(個人の見解)

 

また、ドクターHは基本的に

患者寄り添い型ではないんですが、

時々人生の真髄のような言葉を

ポロリと発するので、それを求めて

今に至るまでずっとかかっています。

 

いわば、ポロリ中毒(笑)

 

++++++

 

【ある耳鼻科で】

 

現在服用している薬について

ドクターに質問され、

パンダスの説明をしたところ・・・

 
何か知らんけど、
めっぽう怒られちゃった(;´Д`)

 

 

PANDASという病気はまだ一般的ではなく、

解明されていないこともあったり、

医師の中でも否定派がいたりと

意見が分かれる病気です。

 

「PANDASという病気が世の中に

もっと知られるようになったら、

救われる人がいるんじゃないか」

 

そう思うのは素人だからかもしれません。

病気というのは

そんなに単純なものではなく、

様々な要因が絡み合って

発症するのだとも思います。

 

それでも、

ノンと同じような症状で

困っている子どもたちに

治療の手が差し伸べられることを

祈らずにはいられません。

 

 

はじめに

今から8年前、

現在13歳(中1)の娘ノンが

年長のときの話です。

 

病名:PANDAS(パンダス)

小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害

↑google translate の自動翻訳が便利

 

なお、今から2年前(小5)に

再発したときのことは

すでに記事にしました。

同じテーマの中にあります。

 

前回の続き

 

町角小児科の紹介状を持って

〇×病院の副山先生を受診

 

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地域の医療を担う総合病院の

小児科部長もご存じなかった。

 

「まず、他に原因がないか

一通り検査をしましょう」

 

・採血

・レントゲン

・MRI

そして、溶連菌検査

 

ところで

その頃のノンは、不安がどんどん増幅し

家から外へ出るのも一苦労でした。

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病院という異空間で

白衣の怪しい人たち(←ノン視点)に囲まれ

不気味な機器を用いた検査の数々。

 

どんなに怖かったか分かりません(><)

 

恐怖におののきながらも

なんとか乗り切りました。

 

その結果

・溶連菌→陽性

・血液検査

 →ASO基準値以上(632)

・その他異常なし

 

ASO値が高いのも、

溶連菌感染の特徴らしい。

 

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ふり返ってみると、これが

PANDAS治療の第一歩でした。

 

抗生剤を服用して、徐々に

大きな不安を訴えることはなくなり、

それでも溶連菌はなかなか陰性にならず

2か月後に初めて陰性となりました。

 

 

保育園の出席帳を引っ張り出してみると

 

11月からは、お休みシールばかりだったのが

2月のページには3つだけ出席シールが…

 

ノンの生活が少しずつ、でも確実に

元に戻り始めた証。

 

抗生剤治療を始めてから

すでに約3か月が経っていました。

 

そして迎えた3月、卒園式。

年長の1年間は、4月初日の発熱に始まり

チック→不安→不登園と、しんどい日々。

楽しい思い出はほぼないけれど

なんとか卒園式に出席できた、

それだけで涙があふれる母でした。

 

本人はケロッとしてましたが(^^;)

 

そして、4月には

小学校入学 ヾ(*´∀`*)ノ

 

家の押し入れにこもって

不安に震えていたノンが、

通学班でお姉ちゃんたちと

一緒に登校できる日が来るなんて!

 

それもこれも、副山先生、

そして副山先生を紹介してくださった

町角先生のおかげです。

 

どちらにも共通して言えるのは、

奇妙奇天烈な病気を訴える母親を

頭ごなしに否定せずに、

また「はっ!?パンダの複数形かよ」

とも突っ込まずに (笑)

耳を傾けてくださったこと。

 

PANDASと診断されたことで

(正しくは、治療してみたらどうやら

PANDASだったね、という結果論)

今、ようやくスタート地点に立ちました。

 

病気の性質上、完治というわけにはいかず

溶連菌暴露によって再発を繰り返します。

 

ここから、ながーーーいPANDASとの

付き合いが始まりますが

副山先生と出会えたおかげで

前向きに治療に取り組むことができました。

 

昨年3月に〇×病院を退職されるまで

7年間、副山先生にはお世話になりました。

先生には感謝しかありませんm(__)m

 

 

以上

「PANDASと診断されるまで」シリーズ

全7回、終了です!

お読みいただきありがとうございました。

 

PANDASについては

いろんな医師の見解、反応があります。

 

次回、番外編で

 

はじめに

今から8年前、

現在13歳(中1)の娘ノンが

年長のときの話です。

 

病名:PANDAS(パンダス)

小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害

↑google translate の自動翻訳が便利

 

なお、今から2年前(小5)に

再発したときのことは

すでに記事にしました。

同じテーマの中にあります。

 

忘れもしない

長女8歳の誕生日。

次女ノンを連れ、かかりつけの

町角小児科を受診しました。

 

私がネットでたまたま見つけた病気に

ノンが当てはまるのではないか?

もしそうなら、

謎の不安におびえるこの子を救う

治療法が存在するのではないか?

 

そんなわずかな希望を抱いて・・・

 

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念のため、PANDASに関する記事を

印刷して持参しました。

 

ネットに出回る怪しい情報を

盲信していると思われないように、

大学病院の医師が書いた

信憑性のある論文を。

 

町角先生はパンダスは

ご存じありませんでしたが

頭ごなしに否定することも

ありませんでした。

 

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熱が出たのは7ヶ月前。

今現在、熱はない。

喉も赤くない。

溶連菌感染症の所見はない。

 

本来ならこの状態で

溶連菌の検査はしないんだけど、

「お母さんの気が済むように」

と前置きして、

検査をしてくださいました。

 

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「〇×病院に行くといい。

僕が知っている一番いい先生を

紹介しましょう。

子どものことを

よく考えてくれる先生です」

 

これが、

この先何年もお世話になる

副山先生と出会うきっかけでした。

 

副山先生が外来の日を待ち、

〇×病院へ向かいました。

 

実は、私たち親子には

馴染みの深い病院なのです。

 

切迫早産の緊急入院で出産し、

898gで生まれたノンが

NICUに4か月半入院。

 

人工呼吸器つけたり、

経管栄養で胃にチューブ入れたりと、

保育器の中でたくさんの管に

つながれるノンを見て

「生きろーーー!」

念じながら、一進一退の日々を

過ごしました。

 

まさか、またお世話になるとは!

 

ただいま〜〜〜っ(^O^)/

 

 

ーーーーー

余談

一番近いという理由だけで

かかりつけにしている町角小児科。

実は長女リンが小6で

腹痛でかかったときにも

〇×病院を紹介してくれたんです。

結果、卵巣腫瘍&捻転が分かり

翌日には腫瘍摘出手術!

 

町角小児科に足を向けては

眠れませぬ m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

今から8年前、

現在13歳(中1)の娘ノンが

年長のときの話です。

 

病名:PANDAS(パンダス)

小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害

↑google translate の自動翻訳が便利

 

なお、今から2年前(小5)に

再発したときのことは

すでに記事にしました。

同じテーマの中にあります。

 

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謎の不安におびえる次女ノン(年長)を

前にして、なす術のない母。

 

「子ども チック 不安」

幾度となく同じ検索をしては
何か新しい情報がないかと

ネットを読みあさっていた時、
ある記事が目に留まりました。
 

溶連菌感染後に急速に発症する精神神経障害を、PANDASと呼びます。精神神経障害にはチック、強迫性障害(OCD)が含まれます。しかし、溶連菌が原因であるという明確な証拠はまだありません。今後さらなる研究が必要な領域です。


むむむっ!?

なんかひっかかるぞ。


記憶の糸をたどってみると
確か、年長の4月に発熱し

1週間ほど保育園を欠席した。
その時はインフルエンザは
陰性で、溶連菌の検査はしてない。
その後すぐにチックが始まり、
数ヶ月後には不安におびえるようになった。

 

記事によると、不安は

PANDASで現れるOCD(強迫性障害)の

症状に当てはまる。

 

4月の発熱が、もし

溶連菌感染だったとしたら・・・

 

すべてが腑に落ちるような気がした。

 

さっそく翌日の11月15日、

かかりつけの小児科を

受診することにしました。

 

解決の糸口さえ見えなかった我が家に

一条の光が差し込んだのは、

姉リン8歳の誕生日でした。