この写真は、12年半前、フランス語を独学で始めて半年ほど経った頃の、何だか武者修行のようだったパリ一人旅で、パリ郊外サンジェルマンアンレイのドビュッシーの生家を訪ねた時のものです。1階が観光案内所、2階がドビュッシー記念館になっていました。

10代の頃からずっと好きなドビュッシー。
それなのにドビュッシーの生涯を詳しく知らなかったことに気づきました。
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトは子供の頃によく読んでいた伝記シリーズの中にあって、生い立ちや逸話など頭に入っていて、そしてそのわりにはそれほど(ドビュッシーほどには)好きではないかも、という。

とはいえ、去年初めて第九の合唱に参加して感動を味わい、あらためて偉大さを感じたベートーヴェン。日記など読んでみようかと図書館で借りてみました。
ドビュッシーはといえば、レクチャーコンサートに出かけて青柳いづみこさんの著書も買ってきたのに、開くことすらしていないのでした。



ベヒシュタインがあるコンサートホールでは、もう何年も前、素敵なピアノ演奏をクラシックでもジャズでも聴きました。いくつか忘れられないコンサートがあって、青柳いづみこさんも。

その青柳いづみこさんと、高橋アキさんのお兄様である高橋悠治さんによるレクチャーコンサートを代官山まで聴きに行ったのは、半年以上前のこと。
ドビュッシーにまつわるエピソードと、関わりの深い象徴派の詩をふんだんに。
ドビュッシーは実は○○フェチだった!?
いつもより人間味を感じながら聴いたドビュッシーでした。



自宅から電車で数駅のところにある、ベヒシュタインを備えたコンサートホール。この2月に久しぶりに訪れて懐かしく思いました。
14日がフルートコンサート、15日が高橋アキさんのピアノリサイタルでした。

高橋アキさんのリサイタルで、とりわけ異彩を放ったのは、最初にプリペアド・ピアノで演奏されたジョン・ケージ「季節はずれのヴァレンタイン」。
何とも言えない、ピアノとは別物の不思議な音色。押される鍵がそれぞれバラバラの、響きを奪われた、壊れたおもちゃのようなサウンドを奏でる。それなのに、和声は妙に調和していて不快ではなく、むしろ心地よく、ガムランのような。
休憩時間に見に行ってみたら、ピアノの弦にビスやコインや棒や小石などが挟められたり置かれたりしていて。
もう一度聴きたいと思っていると、再びアンコールで演奏されました。
ふと、もしサティが半世紀ほど遅く生まれていたならプリペアド・ピアノのために作曲していたかしら、などと空想に耽ったりして。

エリック・サティの「最後から2番目の思想」では、詩を語りながら(歌うのではなく)の演奏。
「ハイパー・ビートルズ」は、高橋アキさん自ら稀代の作曲家たちにアレンジを委嘱した、異色のビートルズナンバー。
武満徹さんの思い出話。
終始、気さくな高橋アキさん。

瀟洒なのに気取りのない素敵なリサイタルでした。