沖縄1968。

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東京 1968 最終回

水原さんからマイクを渡された勝さんは内山さんの耳元で何やらボソボソと... 

「はい、わかりました。石橋さん、サンフランシスコね、イントロお願いしま~す」 
すかさず石橋さんがメロディを崩した感じでイントロを弾き始める。

これなら歌い出しやすいってなわけで、さすが石橋さん、心得ておられる... 

ガンさんが席から立ち上がり、勝さんにブランデー・グラスワイングラスを手渡す。

それを左手に持ちながらゆっくりとグラスをまわす。

グラスの中で軽く波立つ琥珀色の液体を静かに見つめながら、やがておもむろにドスの利いた低音で,そっと囁くように... 

ムードⅠleft my heart in sanfrancisco 
high on a hill it call's to me ムード 

内山さんのヴァイブがシンプルに歌に絡まる。 
僕もケニーも目をつむりながら、自分たちの奏でる心地好いサウンドに自らの身を預ける。 

客席の皆も身体をゆっくりと左右に揺らしながら勝さんの歌声に酔い痴れている。

勿論、口を開く人なんて誰もいやしないってもんさ... 

ムードwhen Ⅰcome home to you sanfrancisco  
   your golden sun will shine for me ムード 


ワン・コーラスが終わると同時に店中が大拍手の嵐さ。 
勝さんはといえば、もう上機嫌でマイクを振って歓声に応えている。 
客席の水原さんは、やはりブランデーグラスに口をつけながら目を細めて 
「あんたにゃ負けたよ」 
ってな顔で微笑を浮かべている。 
ガンさんも安岡力也の手をとりながら大喜びだ。 

ヴァイブの間奏を終え、また、歌が... 
途端に店中がまたシ~ンと静まりかえる。 

見るとガンさんが客席に手招いた内山さんの耳元に何やら囁いている。

どうやら何か打ち合わせをしているようだ。 
勿論、僕は直ぐにピ~ンときたけどね。 

やがて戻ってきた内山さんは今度は石橋さんの耳元で何かを囁いている... 
それから僕の方を見た内山さんの顔には 
「次はピアノについていってね」 
って書いてあるのが、もうアリアリってなもんだ。 

歌が終わり拍手が続く中、今度は石橋さんがこれでもかっていうぐらい大げさなタッチでBマイナーのアルペジオを弾きまくる。 
僕も負けじとアルコ(弓)を取り出して思いっきり対抗さ。 
ケニーはマレットに持ち替えてバスタムでロールを。 
こりゃイヤでも盛り上がるってなもんだ。 

お客さんたちはこれから何が始まるのか、そりゃもう、とうにわかってるわけで、皆、待ってましたとばかりに目を輝かせて拍手と歓声で催促の嵐さ。 

勝さんはヤレヤレってな顔をしながらも満更でもない表情で、手に持っていたブランデー・グラスを客席に置き、ステージに戻り、僕達にウィンクをすると、先ほどまでの酔いどれていた姿がまさに嘘だったかのような素早い動きでさっと身をかがめ、そのまま微動だにしない... 

「お~」という声にならないどよめきが... 

盛り上げるだけ盛り上げたその後で内山さんの合図でスパッと音を切った僕達もじっと次の展開を見守るだけさ。 
やがて伏せていた顔をおもむろに上げ、白眼を剥いて大げさにまるで見得を切るってな感じでさーっと店内を見渡したその顔は 

嗚呼、モノホンの座等市だぁ... 

ムードおれたちゃな... 

僕はもう全身鳥肌さ!

 

 

 

 

こうして僕の1968年は終わったわけで...

 

 

そして、僕のブログも

とりあえず、これにて終了!

 

 

 

 

 

お暇でしたら

「東京1968 その1」からお読みくだされ↓

https://ameblo.jp/lm089622/entry-12332649372.html

 

 

 

東京 1968 その46

ガンさんは、控え室に真っ赤な顔をして入ってくると 
「内山さん、オミズが次のステージで歌うって言ってますんでよろしくお願いしますわ」
「えっ、大窪ちゃんのバンドじゃなくって?」 
内山さんが目をまん丸にして訊ねると 
「いえね、連中のとこで歌うと何か仕事の続きみたいになるからどうしても内山さんの方でって言うんですわ」 
「成る程ね、それも一理ってもんだ。わかりました。じゃ、もうちょっと休んだら行きますよ。それとガンさん、勝さんは?」 
「いやぁ、そりゃあどうでしょうかねぇ...大将、既にずい分と酔ってますからねぇ...私もつきあわされて、もうベロベロですわ、ハッハッハ」 

そんなわけで、次のステージは急きょ「水原弘オン・ステージ」ってな具合になったのさ。 
何とも不安になった僕は 
「内山さん、あの、譜面とかは?」 
「えっ?ないない。大丈夫だよ、どうせズージャ(ジャズ)歌うんだから。何かあったら石橋さんについていって、ホホホ」 

テネシー・ワルツでバンド・チェンジをすると、直ぐに水原弘さんがブランデー・グラスを片手にステージにやって来た。 
他のお客さんたちは、一体これから何が始まるんだろうってなもんで、皆固唾を飲んで見守っている。 
「やあ、よろしくです。2,3曲歌わせてもらいますわ」 
ドスの利いた低音でそう言うと、水原さんは順番に僕達に頭を下げた。 
一瞬目が合うと、そのあまりの眼光の鋭さに僕なんて思わず「コエ~」なんて後ずさりしちまうほどの迫力ってもんだった。 

「じゃ、オール・オブ・ミーでも...」 
すかさず石橋さんが間髪を入れずにイントロを弾き始める。 
ケニーも張り切ってブラシをスティックに持ち替えた。 
「ヨ~シ、やってやろうじゃねぇの」 
僕も武者震いってもんだ。 

ムードAll of me  why not take all of me ムード 
始まっちゃえば、後はもうスイングするっきゃないんだ。 
知ってる曲でホッとした事もあり、何か妙に楽しくなってきた僕なのさ。 

ムードcan't you see Ⅰ'm no good without you ムード 
グラス片手に水原さんもノリノリだ。 
ボックス席にデ~ンと坐っている勝さんも満面笑みってなもんで、隣に坐っているガンさんと何やら楽しげに話しこんでいる。

その隣じゃ、相変わらずクラーク・ゲーブルを決め込んだ大窪さん。

そして一番端には、ガンさんに無理矢理呼ばれたのか、いつも態度のでかい安岡力也が妙にお行儀良く、何やらかしこまった感じで坐っていた。 
いずれにしても、何やらすごい場面ではあるわけで... 

「ハ~イ、ヴァイブ~」 
水原さんはツー・コーラスを歌い終えると、内山さんのソロにバトン・タッチだ。 
内山さんは得意の早弾きで煽りたてる。 
店内も大いに盛り上がってらぁ。 

「ピア~ノ」 
お次は石橋さんだ。

俄然張りきった石橋さんは、何かいつもより妙に音数が多いソロで更に盛り上げる。 

「さあベースもいってみよ~か~」 
ええ?ええ?ベースもって、何だよ僕がソロとるの~? 

水原さんは、わざわざ僕の前まで来るとマイクをベースに向けた。 
頭が真っ白になった僕は、夢中になって弾いたもんさ。 
何をどうやって弾いたのかまったく憶えちゃいないけど、気がつきゃ水原さんが僕にウィンクをして 
「イェ~イ、若者に拍手~」 
つられて店内は大拍手で、僕はすっかり得意満面! 

お次はケニーとヴァイブでフォーバースだ。 
ケニーも顔を紅潮させて全力投球だ。 
頑張れ、ケニー! 

突然マイクを使って水原さんが指示を出す。 
「ヨッシャ~、このまんまルート(ルート66)ね。サビからいくぜ~、ブレーク!」 

ムードGo through St.Louis  jop-lin' Missouri ムード 

こりゃアカヌケてらぁ、実にカッコ良い。 
いきなりブレイクしてサビから歌い始めるなんざ誰も思いつかないってもんさ。 
テンポも大幅にアップだ。 

ふと気がつくと、席で手拍子をしていた勝さんが我慢できなくなったのか急に席から立ち上がると、隣の席に坐っていた一見モデル風の髪の長いやたらイイ女を誘い出してダンスフロアに登場。 
酔って足元が覚束ないっていうのに、その子とジルバを踊り始めたのさ。 
これには店内のボルテージも益々上がる一方ってなもんだ。 

しかし、この後更に店中が興奮の坩堝と化す事になるんだ。

 

 

東京 1968 その45

相も変わらず連夜大盛り上がりの「最後の20セント」だった。 
でも、僕はうすうす感じていた事があるのさ。 

ある夜、僕は休憩時間にケニーを誘い表に出た。 
「あのさ、ケニーはどう思う?今のままで大丈夫だって思ってる?」 
「えっ、何の事さ?」 
「バンドの事に決まってんじゃん」 
「大丈夫って、どういう意味で?」 
「毎晩あんなに盛り上がってるけどさ、俺達のバンドでやりくりできてるって思う?」 
「ん~、まあな。確かに皆踊りたいわけでさ、うちのバンドじゃ全然盛り上がってねえもんな」 
「でしょう?やっぱりヴァイブとウッド・べースじゃ迫力ないもんねぇ」 
「でもよ、そんな事俺達が考えなくっても良いんじゃねえか? バンマスに任せときゃ良い事だろよ」 
「うん、そりゃそうなんだけどさ。コージとやってた時も結局盛り上がんねぇって事でさ、やっぱりエレキ弾いた方が良いのかなってさ、そんな雰囲気になったんだよね。だからさ、ここでもそうなるような気がすんだよなぁ...」 
「でも、しんやはエレキは今さら弾きたくねぇんだろ?」 
「そりゃそうだよ。何たってウッド弾けるようになりたくってやってるわけだしさ」 
「ま、俺だってジャズのコンボで叩きたいからやってるんだしな」 

そんな僕の危惧は、あっという間に別の形で現実のものになったんだ。 
翌日の夜、休憩室で僕達が休んでいるところにガンさんがジョーさんを伴い入ってきた。
「いやー内山さん、お疲れ様です~」 
「ガンさん、毎晩すごいねぇ。これじゃ儲かって儲かってしょうがないねぇ、ホホホ」 
「いやホントに有難い事ですわ。それでね、今夜はちょっとお話がありましてね」 

ほ~ら来たぞ。僕はケニーにそっとウィンクをした。 

「どうしました?」 
内山さんもちょっと不安気な顔でガンさんに訊ねたもんだ。 
「ああ、僕から言いましょう」 
ジョーさんがガンさんをさえぎって語り始めた。 
「実はですね内山さん。お客さんから言われたんですが、ま、実は同じ事を私も思ってはいたんですがね、もう少し、何て言いましょうか、そのダンス・タイムっていうか、そいつを充実させたいなぁと。あのダンスっていっても勿論ゴーゴーダンスの事なんですがね」 
ガンさんが更にジョーさんをさえぎると 
「いえね、内山さんね、私は音楽はジャズをメインにやっていきたいなっていうのは今でも思ってるわけですわ。ただね、やっぱり12月っていう事もありますしね、ここは一発デーハ(派手)にぶちかますところかなぁって、ジョーにも言われましてね」 

内山さんも半ば諦め顔で 
「成る程、そりゃ~ごもっとも。で?」 
「ええ、それでですね、12月の間だけでも、もう一つバンドを入れてみようかと思うんですわ」 
「ほう、2バンドで...そりゃまた豪華版だ」 
「ええ、それで内山さんもご存知のドラムの大窪さんのバンドをですね、如何でしょうかね?」 
「ああクボちんね。シックス・ジョーズで一緒でしたから、よく知ってますよ」 
「でしょ?その大窪さんがですね、オミズ(水原弘)のバンドの残党集めて今ご自分でやってらっしゃるんですわ。確かラッパとサックス入れて6人だったかな?ボントロ(トロンボーン)はどうだったかなぁ...」 

そんなわけで、翌週になるとさっそく「20セント」のステージには僕達と「大窪弘&ニュー・ジョーズ」の2バンドの楽器が所狭しと並ぶ事になったのさ。 

ま、僕とケニーにしてみりゃ休憩時間の楽しみが増えたってなもんで、それはそれで大歓迎って事ではあったのさ。 

リーダーの大窪さんは、内山さんと同年輩で細身の長身。 
髪をオールバックにして口髭をたくわえ、まるでクラーク・ゲーブル気取りのえらいお洒落な伊達男って感じの人だった。 
「お~、うっちゃんのバンドはえらい若いメンバー使ってんだなぁ。二人っともえらくカッコ良いじゃねえか。何かGSって雰囲気だよなぁ」 
僕達にもやたら愛想の良いこの人は、たちまち僕とケニーをその虜にしてしまい、ケニーはステージの間中もずっと大窪さんの後ろに陣取り、そのテクニックを少しでも盗もうと、そりゃ一生懸命ってなもんだったのさ。 

トランペットとテナー・サックス、それにギターとべース(勿論エレキね)そしてピアノとドラムの6人編成の「ニュー・ジョーズ」は、確かに音量的にもサウンド的にも遥かに僕達を凌いでいるのは自明の理ってなもんで、 
「こりゃ、早々に次の仕事場を探さなきゃなりませんね」 
なんて、弱気一辺倒に落ち込む内山さんだったわけで... 

そして、ある夜も遅い時間... 
僕達が演奏している時に、大窪さんのバンドを励ます意図もあってか、水原弘さんが客として訪れたのさ。 
元々「ニュー・ジョーズ」っていうのは水原弘さんの伴奏専門の「ブルー・ソックス」というバンドのメンバーでもあったらしいや。 

「オッス!元気してる?」 
なんて言いながら、既にだいぶ酔いも回った感じの水原さんはバンドの正面のテーブル席にどっかと腰を下ろした。 
直ぐにブランデーを携え駆けつけたガンさんが 
「あ、いらっしゃい。今夜はお一人で?」 
「いや、一人じゃねえよ。大将と一緒だよ。あれ、どこ行っちまったんだ?お~い、大将~」 

ん?っと思って振り向くと、
「何だ、この店は~ まるで迷路じゃねえか...」 
なんてブツブツとつぶやきながら、ちょうど僕のすぐ隣を 通り過ぎる一人の男。 

あっ、勝新だぁ... 

 

 

東京 1968 その44

この頃「最後の20セント」に連日のように来ていた二人... 

その一人は安岡力也。 
おそらく当時シャープ・ホークスは既に解散していたのかもしれないけれど、それにしても彼の人気はなかなかのもので、女性客なんかはおずおずと握手をしたりサインをせがんだりで、彼も満更でもないってな顔つきでそれに快く応じていたもんだ。 
確かに、背も高く日本人離れした彫りの深い風貌と精悍な身体つきは男が見ても惚れ惚れする程のものだった。 
どうやら彼の今後の進路を相談するべく、事務所がガンさんに頼み込んでいたらしく、そのせいもあってほぼ毎日のように店に顔を出していたってわけさ。 

「あいつにはキック・ボクシングをやらせてみようって考えてるんですよ。何たってガタイが良いしね、パワーは十二分ってもんですわ。ま、問題は根性ってとこでしょうかね」
ガンさんは控え室で内山さん相手にそんな事を話していたもんだ。 

もう一人というのは、トランペッターの日野皓正さん。 
当時既にジャズの世界では若手ジャズメンを代表する、れっきとした売れっ子スターだった日野さん。 
でも事務所(白木秀雄クインテット以来のナベプロ専属)としては、さらに一般世間にもその名を広く知らしめようと躍起になって画策をしていたわけで、そのプロデュースの一翼を担っていたのが、やはりガンさんって事だったんだ。 

日野さんはいつも一人トランペットの入ったケースを手にやって来ると、ピアノカウンター席の一番隅に坐りガンさんを相手に何やら小声でボソボソと話しこんでいたもんだ。 

ある日、ガンさんの提案で突然日野さんと僕達が共演するって事になったのさ。 
「じゃ、日野ちゃんよろしくね」 
なんて言いながら内山さんはさっさと客席の方にトンズラだ。 
「あれ?内山さんも一緒にお願いしますよ」 
いちおうは先輩をたてながらも、頭の中じゃ演奏曲目を考えている日野さんさ。

僕達でも間違いなさそうで、お客さんも知っているような無難な曲... 

「じゃ、最初はダーク・アイズいきましょう。Gマイね。早目。イントロ8小節、ヨロシク~!」 
石橋さんがこれ以上ないってな早いテンポでイントロを弾き始める。 
ケニーも素早くブラシをスティックに持ち替え、やる気充分! 
よ~し、やってやろうじゃないの。 
僕の心臓はもうバクバクさぁ。 

内山さんの十八番「アイ・リメンバー・エプリール」でバカッ早い演奏にはだいぶ慣れた僕とケニーも、やはり相手が日野さんともなると妙に必要以上に肩の力が入り過ぎてしまうせいか、たった一曲が終わった時点で情けない事に息も絶え絶えってもんだ。 
そんな僕達を見かねたのか、日野さんは 
「じゃ、次はスローいきましょうかね...ん~と、スター・ダスト。D♭」 

情感たっぷりにヴァースを吹く日野さん。 
その後を追いかけるように、これまた負けじと思いっきりハートのこもった石橋さんのピアノが続く... 

店中がシーンと静まりかえって、そこにいる誰もが皆、目を閉じて聴き入っている。 
何故か日野さんは僕の前に移動してくると 
おもむろにメロディを吹き始めた... 

考えてみりゃほんの4ヶ月前には、ウッドベースを買ったは良いけれど右も左もわからずに、この先自分の人生がどうなっていくのかという不安な気持を自分で誤魔化しながら、池袋西口の「ジュン・クラブ」で日野さんのライブを客席の最前列に陣どってベーシスト稲葉国光さんの指先を瞬きもせずまるで取憑かれたように一心不乱に凝視していた僕だったわけで、その僕が今、突然のハプニングとはいえ、あの時のあのステージでスポットライトを一身に浴びながら燦然と輝いていたあの日野さんと一緒に演奏をしているわけで... 

日野さんの奏でるメロディのあまりの美しさと、これ以上はないといった心のこもった石橋さんのピアノの音色を聴きながら、僕の頭の中をこの一,二年の出来事がまるで走馬灯にように過(よ)ぎっていく。 
何か無性に胸の奥の深いところが熱くなり、目に涙が溢れてくる。 

日野さんはふと振り返ると、優しい笑顔のまま小さな声で僕に 
「イェ~イ」 

僕の目から涙がこぼれた... 

 

 

東京 1968 その43

「最後の20セント」の仕事はそんな調子で、何が起きるかわからないハプニングの連続の刺激的な毎日だった。 

昼は昼で、僕とケニーはバンマスの内山さんのお供をしてのスタジオ巡りさ。 
この時代はまさにスタジオ・ミュージシャン花盛りってなもんで、テレビCMや劇伴の音録り、レコーディング等々、都内の録音スタジオは早朝から深夜まで24時間フル稼動さ。 
売れっ子ミュージシャンともなるとギリギリのスケジュール調整をしながらまるで渡り鳥のようにスタジオからスタジオへと楽器片手に飛び回っていたんだ。 

もっとも、ピアノは勿論の事、ヴァイブとかの大がかりな楽器になると各スタジオそれぞれに前もって用意されているわけで、身体一つで出かけりゃ良いものを、そこは転んでもタダは起きない内山さんとしては、何が何でも自分のヴァイブを持ち込んで「持ち込み料」をしっかりといただいちゃおうってな寸法なわけで...

おそらく一時間4000円ぐらいのギャラだったと思うけど「持ち込み料」も同額出ていたんじゃないのかなぁ。 

スタジオに着くや否や僕達三人は内山さんの車の後部座席とトランクからバラしたヴァイブをスタジオに運び込み、あっというまに手際よく組み立てて 
「さあ譜面ちょうだい」

ってなもんで、な~に横を見りゃちゃんとしたスタジオ専用のヴァイブがしっかり置いてあったりするわけで、この業界で生きていくには相当な鉄面皮になれなきゃななんてしみじみ思う僕とケニーだった。 

いつも内田さんと一緒になるUさんというベーシストは、一見職人さんってな感じの、まるで、そう須田さんを彷彿とさせるような人だったんだ。 
最初はちょっと近寄りがたい雰囲気だったんだけど 
「何だいユウはうっちゃんのバンドでやってんだって?」 
なんて言いながら僕の左手の指先をつまんで 
「まだ日が浅いんだなぁ。しっかり練習しなくっちゃな。ちょっと弾いてみなよ」 
なんて言いながら渡されたばかりの譜面を見せて、僕に自分のベースを弾かせてくれたりしたんだ。 
「これって、すごい高そうですね...」 
「ああ、これはペルマンだよ。一生モンだよ。鳴りが違うだろ?ユウが弾いたってすげえ良い音してらあね、ハハハ」 

また、ある時には買ってきたばっかりのフェンダーのジャズベースを(この頃、やっとエレキ・ベースが市民権を得るようになってきたのさ。でもスタジオじゃまだまだエレキ・ベースのスペシャリストっていうのが現れておらず、このちょっと後に登場することになる江藤勲さんがあっというまに席捲する事になるんだ) 
「どうしてもエレキじゃなきゃ駄目ってぇんでさ、しょうがねえから買ってきたよ。何かおもちゃみてえでよ、参っちゃうよな。ユウはこんなの得意なんだろ?ちょっと弾いてみなよ」 
なんて言いながら僕におしつけ、顔は笑っていても意外に真剣な眼差しで僕の右手のポジションを凝視してたりするのにはいささかビックリってなもんさ。 
「そうか、ウッドとは弾き方がだいぶちがうんだな。全然別物って頭で考えなきゃなんねえな。そりゃあそれで面白いかもな」 
何やら一人で納得ってな面持ちさ。 

そんなある夜。 
その日は12月だっていうのに朝から結構な雨が降っており、その雨の中も昼間っから早稲田のアバコ・スタジオや青山一丁目のラジオ・センターとかを相変わらず内山さんのお供でかけ巡った僕はもう疲労困憊もいいところで、「20セント」の休憩時間中も控え室のソファでガーガーと白川夜船を決め込んでいたのさ。 

「さて、今日は雨も降ってる事だし皆の自宅を回って送ってあげましょう。菊地君もだいぶお疲れ気味のようですしね、ホホホ」 
そんなわけで、仕事が終わり僕達一同内山さんのマークⅡに乗り込むと 
「先ずケニー君を茗荷谷ね。それから菊地君が成増の手前で、石橋さんが蕨、と。それで僕は西新井へ戻れば良いって事ですね」 
車が走り出し、僕はまたまた睡魔に襲われる。 
車のウィンドウを激しく雨が叩く。 


「ラジオでもつけましょうかね?」 
助手席に坐った石橋さんの提案で、内山さんがカーラジオのスイッチを入れる。 
何やら洋楽がかかっている。インストルメンタルのようだ。 
この曲何だったっけかなぁなんて半分眠りかけた頭で考える。 
青山一丁目の交差点を越えたあたりで音楽が終わり、男のディスク・ジョッキーが喋り出す。 
「いやあ、それにしても今日の昼間の事件にゃあ驚きましたねぇ。驚天動地っていうのは、ああいう事を言うんでしょうねえ」 
ん?何かあったのか?今日は昼前っからずっと外に出ててニュースなんて何も知らないぞ。 
内山さんも同じ気持とみえて手をのばしてラジオのヴォリュームを少しだけ上げた。 
「しかし、驚きました。三億円強奪なんて、まるで小説の中の話じゃないですか。ねえ、ラジオお聴きの皆さんだって三億円ってどのぐらいの金額なのかおそらく見当もつかないでしょう?」 

キーッというけたたましいブレーキ音と共に横にスリップしながら車が急停止だ。全員が前につんのめり、手を伸ばして身体を支えるのに精一杯さ。 
「さ、三億円...強奪...盗まれたぁ?三億円だってぇ?」 
内山さんがうつろな目で宙を見つめている。 
僕達も何も言葉が出なかった... 

権田原の交差点のちょっと手前、道路の真ん中で横を向いて停まったままのマークⅡを叩く夜の雨はますますその勢いを強めるばかりだった。 

 

 

東京 1968 その42

山崎唯さんの次は桜井センリさんの登場だ。 
「どうも、よろしくね」 
桜井さんは、とっても腰の低い物静かな方で、とてもこの人がいつもテレビの中で大暴れしているあの人とはどうにも思えなかったもんさ。 
「じゃ、B♭でブルースいきましょうかね」 
そう言いながらおもむろにミディアムテンポでイントロを弾き始めた。

そのサウンドが想像以上にダンモな事に僕とケニーは思わず顔を見合わせたもんだった。 

さっそく皆がフロアに出てきてジルバを踊りだす。 
いつにまに来ていたのか入幕したての人気力士貴ノ花の姿が見える。 
そして、さらにひときわ目立つ沢田研二の姿も。 
お相手は誰かとよく見りゃザ・ピーナッツの片割れが... 
さすがに彼女の踊りはモノホン(本物)で、まるでテレビのショーを見ているようなそんな錯覚すら覚えてしまう僕だった。 
(二人が結婚をするのは、このずっと後ですが、僕の目にはこの頃二人は既に親密な関係ではなかったのかと...) 

控え室に戻った僕達を待っていたのは、蓋のついた大きな深皿とドンブリに盛られたライスだった。 
僕たちの後を追いかけてきたジョーさんが 
「さ、これが今日の夕飯です。おそらく召し上がった事のない料理だと思いますよ」 
と言いながら蓋を取ると一気に湯気が室内にサーッとたちこめ、えも言われぬ良い匂いが... 
「これは麻婆豆腐っていいます。本邦初、当店の一押しメニューなんですよ。ま、とりあえず召し上がってみてください」 

サイの目状に切られた熱々の豆腐に挽肉がからんだそれは、まさしく僕達の誰もが初めて経験する味だった。 
「こりゃあ、美味い!何杯でもご飯が進みそうだね。それにしても熱いや、ホホホ」 
内山さんが感嘆の声をあげる。 
「これはビールにも合いそうですね、ほんとに美味い。この辛味が絶妙ですねぇ」 
石橋さんも目を細めて嬉しそうだ。 
僕とケニーは、もう声も出ずにひたすらフガフガと貪るように食べ続けていた。 

夜の10時を過ぎても次から次へと客が入ってくる。 

やがてハナ肇さんが宮川泰さんを伴って登場だ。 
ナベプロの連中も一斉に立ち上がり最敬礼さ。 
ガンさんも慌ててとんでくると 
「ああ、お久しぶりです。本日はありがとうございます。おかげ様で何とか開店にこぎつける事ができました。さっきまで裕也と力也も来てくれてましてね。ま、相変わらずでした。 バンドもですね、シックス・ジョーズにいらした内山さんにお願いしましてね、ハイ」 
内山さんも満面の笑みでペコペコお辞儀を繰り返している。 

ド派手な中国服を身につけた宮川さんは 
「お~、うっちゃん、久しぶりだなあ。元気そうじゃないの」 
「ああ、何とかやってるよ。宮ちゃん、何か弾きなよ。さっきはセンリさんと山崎さんが弾いてったんだよ」 
「ああ、ちょっと待ちなよ、一杯ぐらい飲ませてよ。それからね」 

やがてニコニコしながら石橋さんとバトンタッチをした宮川さんは、僕の顔をしげしげと見ながら 
「ユウ、若いねぇ。今いくつ?」 
「はい、19ですが...」 
「19か?良いなぁ、これから楽しい事ばっかりだよ、きっと。じゃあカミン・ホームでもいくか、ホ~レ」 
そう言いながら左手でゴッ~ゴ~ンとベース・パターンを弾きだした。

すかさず僕もそれに続く。 

8ビートならケニーも手馴れたもんさ。

ガンガンと宮川さんを煽って叩き続ける。 
「お~、良いぞ良いぞ、いいリズムだ~」 
すっかりノリノリの宮川さんは、アドリブをしながら椅子から立ち上がったり身体を回転させたり、その度に客席は大歓声で盛り上がりってもんだ。 

我慢が出来なくなったのか、とうとうハナ肇さんが客席から立ち上がりステージにやって来ると 
「ちょっと俺にもやらせろや」 
そう言いながらケニーと入れ替わりドラムを叩きだしたのさ。 
もうそれだけで店内は嬌声の嵐ってなもんだ。 

アドリブの中に、クラシックや歌謡曲のメロディを面白おかしく入れながら弾きまくる宮川さんと、ひたすらオカズも入れずに目をつぶったまま黙々と8ビートを叩き続けるハナさんの間で全力でベースの弦をはじいている僕... 

この先、毎晩のようにこういう事が続くんだろうか。 
何か夢を見ているような楽しさと、それでいてひどく緊張を強いられるような、そんな複雑な思いの19歳の僕だったわけで...

 

 

東京 1968 その41

石橋さんは山崎唯さんに呼ばれ、何やら水割りを手に話が弾んでいる。

後で伺った話では、石橋さんは若い時分にウッドベースを弾いており、何と植木等さん(Gt)と山崎さん(Pf)と三人で米軍キャンプ回りの仕事をしていたらしい。

世が世なら、石橋さんがクレイジーキャッツのメンバーだったなんてぇこともあったわけで...いやぁ、何とも楽しいや。

 

内山さんはガンさんの隣で内田裕也さんと談笑。 

昔の武勇伝に花が咲いている模様なり。

僕とケニーはとりあえず控え室に戻りソファにどっかと腰を沈めた。

「ああ、疲れた~」 
しばし二人は無言のまま... 

「ベース、聞こえてる?何かさ、自分で弾いてて自分の音がよく聞き取れないんだよねぇ」 
「うん、聞こえちゃいるよ。俺はすぐ隣だからね。ま、あんだけ客席が騒々しかったらしょうがねえだろ。エレキじゃねえんだしさ」 
「自分の音が聞こえないで弾いてるのって、すっごく疲れるんだよね...」 
「俺達に聞こえてりゃ良いんじゃねえの?所詮ヴァイブとピアノとウッドじゃヴォリューム的にはこういうハコ(店)にはむかねえよな。もっと静かなとこだったら雰囲気バッチリなのにな」 

ヴォリュームが出ないのは、やっぱり僕がまだまだ未熟なせいなのだろうか。

何たってウッドを初めて手にしてまだ半年も経ってないわけだし... 
それにしても、須田さんなんてフルバンドで、しかもあんなに大きなハコ(赤坂・クラブ月世界)で平気の平左で弾きまくってるんだもんなぁ。やっぱりすごいや。 


次のステージは最初からハプニングが... 

ピアノの椅子に坐っていたのは石橋さんじゃなくって山崎唯さんだったんだ。 
「山崎で~す、よろしくね。寛ちゃん(石橋さん)の代役で~す」 

そしてガンさんが店中に聞こえるような大きな声で 
「皆さん、トッポ・ジージョのショー・タ~イム!」 

店中の大拍手の中で、いきなり山崎さんは目にもとまらぬ速さでアルペジオを。 
鍵盤の上を山崎さんの両手が縦横無尽にかけめぐる。

まるでマジックってな感じさ。

終いにゃ鍵盤の外まで両手がとび出しちゃったりで、もうそれだけでウケるウケる... 
そこから突然「トゥ・ラブ・アゲイン」が始まり僕とケニーもあわてて後からついていく。 
どちらかといえば音数の少ない石橋さんとは正反対に、猛烈に饒舌な山崎さんの華麗なプレイは確かにショーアップする事は間違いないようで、やっぱり名前のある人っていうのはどこかがちがうもんなんだなぁなんて妙に感心しきりの僕だったわけで... 

「は~い、Gマイナー!4つ(4ビート)でねぇ~」 
僕とケニーにウィンクをしながら突然、曲が変わる。 
すかさずついていく僕達... 
山崎さんが弾き始めたのは「すてきなあなた」だった。

ミディアム・テンポでエロール・ガーナー風に... 

「バイ ミ~ ヴィスタ~シェ~ン♪」 
山崎さんは歌いながら満面笑みをたたえ、実に楽しそうに弾いている。

客席でも中尾ミエさんが立ち上がって箸を指揮棒のように振りながら大きな声で歌っている。

皆で大合唱ってなもんだ。

 
嗚呼、店中がひとつになっている... 

沖縄の米軍キャンプで、黒人兵が次から次へとステージに上がってきて30分も40分も歌い続けた「スタン・バイ・ミー」... 
僕は何かあの時に感じたものを、今この瞬間にも感じていた。 

やっぱり、音楽やってて良かった... 

 


 

東京 1968 その40

調理人をのぞいて総勢20人ほどのスタッフを前にジョーさんの訓示が始まった。 
全員が僕達バンド同様「VAN」のスリーピース姿。 
さすがガンさんが集めたというだけあって、見てくれも申し分ない若者が揃っていた。

全員がヤル気まんまんってな感じでジョーさんの話に耳を傾けている。 

「さ、いよいよ始まるぞ。今更もう細かい事は言わない。後は実践あるのみだ。自分の役割をしっかり認識して全力で奮闘してほしい、それだけだ。常に笑顔で、背筋を伸ばして。何よりも大事な事は、この店のスタッフであるという事を誇りに思って動いてほしい。今日は特に芸能関係の方たちや、オーナー及びその関係者の方たちもお見えになる。万事手抜かりのないように。わからない事、自分で対処できない事があったら直ぐに俺を呼ぶ事。俺が指示する。自分で勝手に判断するな。 じゃ、ガンさんからも一言お願いします」 

ひとつ大きく咳払いをすると、ガンさんが一歩前に進み 
「ま、そういうわけだ。俺はもっぱら接客専門だ。現場の責任はジョーに一任せてある。とにかくジョーの言うとおりにしてくれ」 
そう言いながら全員の顔を見渡し 
「いいか、この店は日本にゃ今までなかったまったく新しい内装、システム、スタイルの店だ。言ってみれば日本の水商売に革命をおこすって事でもあるんだ。そのへんをよ~く胸に畳んでおけよ。大げさじゃなくって、今日は水商売の新しい夜明けの記念日になるって事だ...よ~し、じゃスタートだ!」 
「お~う!」 

すかさず「セプテンバー・イン・ザ・レイン」で幕開けさ。 
ケニーがニコニコしながらブラシ・ワークに専念し、僕も黙々と4ビートを刻む。

ヴァイブとピアノがゆったりとユニゾンでリフを奏でると、親指を立てたガンさんが満面に笑みをたたえて 
「内山さん、いいですねぇ...シックス・ジョーズの再来ですねぇ。うんうん、最高ですよ~」 

やがて嬌声が聞こえたと思うと扉が開き何やら華やかな雰囲気の集団がドッと入ってくるのが見えた。 

「あら~、素敵な店じゃな~い」

「面白~い!何か初めて見るわ~」

「セットみた~い」

「ガンさん、おめでと~」

「おめでとうございま~す」 


大騒ぎしながら10人ほどの若い男女がバンドの真ん前のテーブル席に通されてきた。 

あれ、見た顔がいっぱいだ... 
中尾ミエ、伊東ゆかり...それに田辺靖男もいる。

他にも、名前は知らないが何かテレビで見たことのある顔ばっかりだ。 


伊東ゆかりは内山さんに気がつくとススっと寄ってきて 
「内山さん、お久しぶりです。その節はいろいろとお世話になりました」 
内山さんもこぼれるような笑顔で 
「ああ、久しぶり~。ガンさんに頼まれてね、今日からやってんだよ。お父さんはお元気?」 

次から次へと客が入ってきて、ワンステージが終わる頃には、もうほぼ満席状態だった。
よく見りゃ客席のあちこちに見た顔がいる。 
ケニーも興奮しまくりで 
「何か、すげえな、この店。まるでテレビ見てるみたいじゃん」 

ピアノをグルリと囲んだ席には桜井センリさんと山崎唯さんが、その隣にはすごい和服美人を伴い元中日の大スター江藤慎一さんが。 
カウンターを見ると李香蘭の山口淑子さんが3,4人連れで談笑している。 
客席の真ん中でガンさんと大笑いをしているのは内田裕也さんか。

その隣で何やら大きな身体を小さくして神妙な顔つきで坐っているのはシャープホークスの安岡力也だ。 

さすがに満席状態になると僕達の演奏なんて殆ど聴こえないも同然で、そう思って力まかせに弾いたせいもあってか僕はもうクタクタさ。 

 

 

東京 1968 その39

ガンさんは「事務室」と書かれた扉を開け僕達を招き入れた。

10畳ほどの室内には大きなデスクと、これまた大きな応接セットがデンと置かれており、壁際にはロッカーがズラリと並んでいる。 
「このロッカー、自由に使ってくださって結構ですから。端から4つ、バンドさん専用って事でね。それと隅に出入り口、いちおう裏口って事なんですがね、普段はそこから出入りしてください。下駄箱も用意しておきますから。そのまま外に通じてますんでね。ま、ここが控え室ってことでよろしくお願いしますわ」 

この部屋は客席からみればステージとは反対側にあり、ちょうど大きな天井まで届くほどのボトル棚の裏という事もあって、それが良い案配に目隠しにもなっているわけで客席からは完全に死角になっているスペースっていう事なのさ。 
この部屋のすぐ隣には何やら仰々しく「会議室」と金色のプレートに書かれた扉もあり、
「ガンさん、隣は何?会議とかやる部屋なの?」 
さっそく、好奇心旺盛な内山さん。 
「いやいや、名前だけですわ。実は隣はVIPルームってつもりなんですよ。バーンとした応接セットを置いてるだけです。いちおうね、秘密裡に飲みたいっていうお客さん用にね。T会のM会長とかS会のH会長とか懇意にしてくださってましてね。それにナベプロのタレントとかがマル秘の相手とお忍びで飲みたい時とかね。この部屋から出入りする分にゃ客席からは見られませんから。ま、私もそのへんは抜かりがないんですわ、ハッハッハ」 
「成る程ね、さすがガンさんだわな。一種の隠れ部屋ってわけか、いやいやスリリングだねえ」 
内山さんも感心しきりってなところだ。 

ガンさんは、デスクの上のインターフォンを押すと 
「おい、ジョーに事務室に来るように言ってくれや」 

「今、私の片腕を紹介しますから。まだ若いんですが頭が切れるんですわ、こいつが。私も全幅の信頼をおいてましてね」 
「ガンさんの懐刀ってことですね、ホホホ」 

やがてコンコンとノックする音に続いて静かに扉が開き、一人の男が入ってきた。 
「失礼します。お呼びですか?」 
「おお、先ずは紹介するわ。今話してたジョーです。こちらが内山さん、俺がナベプロにいた頃にえらい世話になった方だ。それとバンドのメンバーさんたちだ」 
「初めまして、ジョーです。ガンさんにはひとかたならぬ世話になっております。お見知りおきのほどよろしくお願いいたします」 

ジョーさんは、ちょっと小柄な、それでいて何か日本人離れした、まるで映画でよく見るメキシコの若者ってな感じの風貌で、オールバックにした天然パーマ気味の真っ黒い髪に、立派な口髭をたくわえていた。 
でも何よりも僕の目を引いたのは、彼のその澄んだ大きな黒い瞳だったのさ。

何かちょっと物哀しげな、それでいながらとてつもなく強い意志を感じさせるその大きな瞳は、何か人の心を捕えて離さないような、そんな強い力に満ち溢れていたんだ。 

「おお、若いねえ。ジョーさんは、おいくつですか?」 
「まだ30には少し間があります。若輩もんです。いろいろとご指導願います」 
「いやいや、でも落ち着いてますねえ。さすがガンさんの片腕っていわれるだけの事はありそうだわ」 
「まだまだです。本牧あたりでヤンチャしてたところをガンさんに拾っていただきました」 
「いやあ、何かカッコ良いなあ...」 

さっそく内山さんはジョーさんの虜になっちゃったようだ。 
 

 

東京 1968 その38

12月1日。

夕方5時をまわった頃... 
六本木の交差点を飯倉方面に向かい一本目の路地を曲がると、右手すぐに「瀬里奈」があり、その先はもう真っ暗さ。 
その暗い道をさらに真っ直ぐ歩いていくと、突き当たりの右側に大きなマンションがあり、その一階全部が「最後の20セント」だった。 
既に内山さんの買ったばかりの真っ白いコロナ・マークⅡが入り口付近に停まっており、内山さんは何やらトランクの中から荷物を出し入れしていた。 

「お早うございます。遅くなりました、すみません」 
「ああ、お早う。ちょっとこれ運ぶの手伝ってちょうだい。ベースはもう運んであるからね」 
「はい、すみません」 
昨夜ギルビーの仕事が終わってから僕のウッド・ベースは内山さんの車にヴァイブ共々積みこんでおいたのさ。 

内山さんのヴァイブの部品らしき物の入った大きなバッグを持ち店の入り口の扉を開けると、そこはクロークになっていて、そこに履物を預けるってわけだ。 
真っ赤な絨毯を敷きつめ両側の壁に額入りの何やら前衛的な写真が飾られている狭くて長い通路を歩き、突き当たりの左側の扉を開くといきなり大きなシャンデリアの眩い光が目にとびこんでくる。 
「こりゃ、すっげえや...」 
床はすべて鮮やかな真っ赤な絨毯。壁までがすべて真っ赤っ赤なのさ。

ちょっと低目の黒く塗られた天井には見た事もないほど大きなシャンデリアがいくつか燦然と光り輝き、作りつけの掘りごたつ状の大きな円卓風の客席が等間隔に並び、その客席と20人ほども並んで坐れそうな長いカウンターの間には黒く塗られ格子状に組まれた柱が。 

さらに入り口から右手は客席から一段低くなった広いスペースになっており、そこがステージでダンスフロアにもなっているんだ。

勿論そのすべてに真っ赤な絨毯が敷きつめられているわけで、さらにフロアの周りをグルリと、これは掘りごたつ風じゃなくって豪華な円形のソファ風の客席が取り囲んでいるのさ。 

「おっす」 
ケニーがドラムをセットし終わり、入念にチューニングをしているところだった。 
「お早う。何かすごいね、この店」 
「ああ、生まれて初めて見るよなぁ...でも何か楽しいよな、この雰囲気ってさ」 

さらに驚いたことに、このダンス・フロアの両側には昔の芝居小屋ってな風情の個室的な2階席もあるんだ。どうやらそこには梯子を登って入るようだ。 
「どうだい、すごいよなあ。こんな造りは日本じゃ初めてらしいよ。俺も最初入ってビックリしちゃったよ」 
内山さんが残りの荷物を抱えてやってきた。 

「あ、こりゃ石橋さん大変だなあ」 
見ると、僕達には背を向けた形で弾くことになるグランドピアノが、半ば客席に埋め込まれたってな感じでセットされており、そのピアノを取り囲む形でカウンター風の席が作られているんだ。

つまりピアノを弾いてる間中、至近距離で客と顔を突き合せなきゃならないっていう寸法さ。

こりゃ何とも大変だ。 

内山さんが、これまた買ったばかりの真新しいヴァイブを組み終えた頃、目を丸くした石橋さんが到着し、程なくこの店の主ともいうべきガンさんがマフィアのボスも真っ青ってないでたちで姿を現した。 

「やあ、皆さんご苦労様。どうです、素晴らしいでしょう。こんな内装は日本中どこ探したってありませんや。20年代の禁酒法時代のシカゴのね、それでも何故かチャイナタウン風のね。料理はすべて中華料理。こういう店で中華を出すっていうのも日本じゃ初めてなんすよ... お、内山さん、このヴァイブ新品じゃねえですか?すごいねぇ、ゴージャスですなあ、うんうん」 
「今日がおろしたてなんですよ。店に合わせてね、ディーガンの一番高いヤツです。ヴァイブの最高峰でね、いささか気張っちゃいましたよ、ホホホ」 
「いやいや有難いですねぇ、気をつかっていただいちゃってね。 いやあ良いなあ。見るからに高級品って感じですねぇ。うんうん。 
そうだユニフォームに着替えますか。あっちの裏が事務所になってましてね。皆さんの控え室にも使ってください。さ、どうぞどうぞ。あれ?ところでタイコさん変わりました?」 

 

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