☆美剣雷覇☆公式ブログ 『ならぬものはならぬ』

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皆さん、お久しぶりです!
美剣雷覇です。

本当に久しぶりとなってしまいましたね。
野球もオフシーズンとなりましたし、こちらのブログも更新頻度を上げれるようにします。

さて、今回は東京メトロの車両を紹介させていただきます。


◎7000系
有楽町線と副都心線で運用されている車両です。東京メトロだけでなく、相互乗り入れをしている東急東横線、東武東上線、西武有楽町線・池袋線にも運用されています。
17000系が導入され、7000系を見れるのもあと少しだと思います。


◎13000系
日比谷線で運用されている車両です。乗り入れ先の東武伊勢崎線でも運用されています。日比谷線といえば、個人的には03系のイメージがありましたが、03系は今年の2月28日限りで運用が終わったみたいですね。


◎9000系
南北線で運用されている車両です。乗り入れ先の東急目黒線と埼玉高速鉄道でも運用されています。先進技術の導入、地域との調和、人に対するやさしさをコンセプトに製造されたそうです。


過去に丸ノ内線で運用されている02系を紹介しましたが、あまり良い写真ではなかったので、改めて02系の写真を載せますね。


今回の東京メトロの車両の写真は2年以上前に撮影したものなので、もっと前に撮った車両を紹介できるように更新を頑張ります!





ブログを開いてくださってありがとうございます。

美剣雷覇です。

今回は歴史のことを書いていきます。
歴史のことを書いていくのはかなり久しぶりになりますね。

前回、歴史について書いたときは板垣退助さんの生誕の地について書きましたが、高知には偉人の生誕の地がまだまだあります。今回は土佐の偉人の生誕地について書いていきます。


☆河田小龍誕生地☆

河田小龍は幕末から明治で画家として活躍をされた人物です。画家としてでなく、河田小龍は16歳の頃から藩儒学者の岡本寧浦の門下に入りました。
米国から帰国したジョン万次郎と寝食を共にして、ジョン万次郎から聞いた外国の話を「漂巽紀畧」にまとめて、日本の開国に益しました。
のちに河田小龍は坂本龍馬に世界の情勢を語り、洋船操縦技術習得の急務を述べました。
亀山社中土佐海援隊で活躍をされた長岡謙吉、近藤長次郎、新宮馬之助らは河田小龍の弟子でした。

河田小龍の生誕の地は、高知の観光地であるはりまや橋の近くにあります。

生誕の地には石碑があります。なかなか立派な石碑です。


☆平井収二郎誕生地☆

平井収二郎は武市半平太を中心とする土佐勤王党に参加し、尊王攘夷運動に奔走しました。藩主である山内豊範に従って上洛し、他藩応接役として活躍しました。
土佐藩を尊王攘夷に転換するために平井収二郎は青蓮院宮に令旨を請いて藩政改革を迫りました。しかし、土佐藩の最高実力者である山内容堂が青蓮院宮に問い詰めたことで計画は失敗し、激怒した山内容堂は土佐勤王党の活動を禁止するとともに、平井収二郎を帰国させて投獄しました。そして間崎哲馬と弘瀬健太と共に切腹を命じられました。

平井収二郎の妹の平井加尾は坂本龍馬の初恋の相手であったという説があります。

平井収二郎誕生の地には石碑があります。線路横にあるので、列車の中からも見ることができると思います。


☆後藤象二郎誕生地☆

後藤象二郎は義理の叔父の吉田東洋の教育を受け、吉田東洋の推挙によって幡多郡奉行や普請奉行になりました。しかし、吉田東洋が暗殺されると、後藤象二郎は任を解かれてしまいました。
その後、藩政に復帰をされると、藩命で長崎に出張をし、そのときに坂本龍馬と会談をして接するようになりました。そして、山内容堂に説いて大政奉還を実現させました。
明治維新後の後藤象二郎は板垣退助と共に自由民権運動に参加をしました。

聖泉幼稚園の前に「後藤象二郎先生誕生之地」と刻まれた石碑があります。石碑の横には後藤象二郎の生涯が書かれたものがあります。


坂本龍馬誕生地もありますが、こちらは別の機会に紹介したいと思います。
土佐藩は有名な歴史上の人物が多いと改めて思いました。
初めて青春18きっぷで大阪から東京へ行ったとき、永遠と続く静岡県で体力を奪われていきました。ただ、昨年に大阪から熊本まで青春18きっぷで行ったことで免疫力がついたのか、久しぶりに大阪から東京へ行ったときは苦痛に思わなかったです。

今回は静岡県で運用されているJRの車両を紹介します。


◎211系5000番台
ラッシュ対策のためにオールロングシートになっている車両です。長距離を走るにもかかわらず、お手洗いがないという。長時間お手洗いに行けない可能性があるのがイヤですけど、個人的には車両のデザインは好きだったりします。


◎313系2000番台
313系は名古屋などでも運用されており、名古屋での313系は転換クロスシートでとても快適です。しかし、東海道線の静岡県内で運用されている313系はオールロングシートです。それでもお手洗いがあるので、211系に比べたら安心して乗ることができます。

東海道線の静岡県内では主にこちらの2つの車両が運用されています。


◎373系
ホームライナーなどに運用されている373系。特急の「ふじかわ」や「伊那路」にも運用されています。かつては「ムーンライトながら」にも運用されていました。


これからも東京へは青春18きっぷで行く機会もあると思うので、静岡の東海道線も利用していきたいと思います。
す2018年に四国に行った時と2019年に九州へ青春18きっぷを使って行った時に中国地方のJRを利用しました。今回は中国地方で運用されている車両を紹介したいと思います。

113系2000番台
湖西線や草津線など関西でも運用されている113系が山陽本線の三原駅〜姫路駅の間、赤穂線、伯備線、宇野線、本四備讃線などで運用されています。中国地方の113系は黄色で、ネット上では“末期色”と呼ばれているみたいです(苦笑)。


115系300番台
山陽本線の三原駅〜姫路駅の間、赤穂線、伯備線、宇野線、本四備讃線などで運用されています。ほとんどの車両は黄色になっていますが、柿色と緑の湘南色と言われるカラーリングの車両も運用されています。
個人的に113系と115系の違いが分からないです(苦笑)。


115系1000番台
こちらの車両も山陽本線の三原駅〜姫路駅の間、赤穂線、伯備線、宇野線、本四備讃線などで運用されています。


115系1000番台
こちらの車両は改造された115系1000番台です。ネット上では魔改造と言われているみたいですね。


115系3000番台
山陽本線の下関駅〜岩国駅の間などで運用されている車両です。2扉の車両で転換クロスシートとなっています。


117系
山陽本線の三原駅から東岡山駅の間、赤穂線などで運用されている車両です。こちらの車両も関西では湖西線などで運用されていますね。


105系
福塩線の福山駅から府中駅間、山陽本線の福山駅〜岡山駅、下関駅〜新山口駅間、宇部線、小野田線などで運用されています。関西では紀勢本線の紀伊田辺駅〜新宮駅間で運用されていますね。


227系
山陽本線の徳山駅から福山駅間、呉線、可部線で運用されている車両です。“Red Wing”という愛称がついています。中国地方では古い車両が多い中、こちらの車両は新しいです。


キハ47形
山陰本線、吉備線、津山線、姫新線、因美線などで運用されている車両です。キハ47形の特徴は扉が両開きになっており、ラッシュ時などに対応できることです。


381系
特急「やくも」に運用されている車両です。

写真のように前面展望できるような先頭車両の381系もある。1番前の席だと絶景を味わうことができると思います。


キハ187系
「スーパーいなば」などに運用されている車両です。なかなか独特な形をした車両ですね。


中国地方は古い車両が多いって言うのが感想ですね。新しい車両は設備などが素晴らしいですけど、古い車両も魅力がいっぱいあると思います。
また中国地方の在来線も乗ってみたいと思います。

2019年は北海道へ2回行ってきました。2018年には行かなかった苫小牧や小樽にも行きましたよ。2018年に北海道へ行ったときに見なかった車両も見ることができました。今回はそれらを紹介していきたいと思います。

735系
735系はアルミニウム合金でできており、北海道で適性かどうかを確認するための試作車らしいです。それもあって2編成しかないので、なかなかレアな車両だと思います。ちなみに2年間の試運転をして問題がないことがわかったそうですよ。


キハ141系
室蘭本線などで運用されている車両です。キハ141系は元々、50系客車でした。

京都鉄道博物館の50系客車

電車や気動車への置き換えもあって余剰となっていた50系客車を改造して気動車にした、キハ141系は匠も驚くビフォーアフターをしている車両です。今も50系客車の面影が残っていますね。


キハ150形
富良野線や函館本線などで運用されていて、積雪急勾配線区で単行運転できるパワフルな車両です。


キハ201系
函館本線で運用されている車両で、731系とコンセプトが共通です。731系電車と編成単位での併結・協調運転が可能です。


キハ183系5200番台
「ノースレインボーエクスプレス」という愛称のあるジョイフルトレインです。夏季には臨時特急「フラノラベンダーエクスプレス」などに運用されています。


キハ183系5000番台
「ニセコエクスプレス」として運用されていた車両です。2017年に廃車となり、今年の夏から有島記念館で展示されるそうです。

北海道のJRもいろんな車両が運用されていますね。また北海道に行ったときにはJRを利用したいですね。