佐倉は今日の出来事を思い出していた。

急遽着陸した全くの未知の空港。入国管理官とやや喧嘩腰でやり合う中国人の一行

フィンランドはシェンゲン条約加盟国だから本来で有れば自国への入国査証はイコールシェンゲン条約国への入国査証となる。最終目的地がドイツであればシェンゲン条約国であるので彼らも査証は持っているだろう。この場合は連中の査証はフィンランド入国に対して有効なのだろうか?ルフトハンザがチャーターしたヘルシンキ市内行きのバスの中で日本旅券のありがたみを実感したのを何となく思い出した。


一息付くと佐倉はバーに向かった。

CET(欧州標準時)午後8時。ざっと計算するととなると5~6時間は寝ていた事になる。

突然の来客を飲み込んだ割にはバーは空いていた。特に空腹では無かったが、ロシア上空ではただただパワーポイントと格闘していたので体がアルコールを欲していた。グラスワインにしようかとも思ったがどうせ二杯、三杯と頼むのは分かり切っていたので2002年のボルドー一本とチーズの盛り合わせを頼んだ。


一杯目に口を付けたところで佐倉の目に見覚えのある男の顔が映った。少し離れた席でかなり険しい表情で向かいの男と話している。「確か会社で見たはずだが........」。僅かなキーワードを手繰りながら必死に思い出そうとする。「下山だ」、と、思い出すと共に途方も無く不自然な感覚が佐倉を襲った。もう一度同じ作業を繰り返す。「そうだ、やつは今イスラエルに行ってるんだった」。

下山には東京本社で何回か顔を合わせただけで、恐らく向こうは私の事を知らない。彼はごく最近までLCD事業部のマーケティングマネージャーをやっていたが、ほんの三ヶ月前までは全くの畑違いの部門にいた。彼の異動から僅か三ヶ月の間に研究開発のヘッド、生産管理のヘッドとその部下二人、それとマーケティング部門の若手3人が会社を去った。うちの様なアメリカの会社の日本法人では人の出入りは頻繁にあるが、一人の人間の異動の直後にキーメンバーがごそっと抜けたとなると尋常では無い。そもそも異動そのものに無理があったのだが、彼を引っ張ったアメリカ人の事業部長が本社COOのお気に入りという事もあり周囲も当初は声を大にする事は無かった。

結果としてLCDに関する無知と性格の悪さが最悪の結果を招いたのだが、鳴り物入りで異動させた手前簡単には事は済まない。そこに渡りに船だったのがイスラエルの化学会社との合弁のオファーで、とりあえず色々と理由を付けて下山を彼の地へ送り込んだ。

この異動の直後に全社員向けにメールが発信され、「Folks, this is the nastiest guy in the world」の強烈な一文、続いてJPEGファイルが添付されていた。開くと下山の顔のアップ。発信元アドレスの持ち主は半年前に既に退職しており、所属していた部門は下山とは全く無関係だったがこれはITの甘い管理のせいだと判明した。


序章

眼下には何度か見たフランクフルト郊外の街並み。
天気はあまり良くなさそうだが雪は積もってないし未だ暗くないから空港からのアウトバーンはそこそこ飛ばせるかな。佐倉はぼんやりとレンタカーを走らせている図を想像していた。
もう直ぐファイナルアプローチのアナウンスが流れるだろう。しかし何故か似たような景色が繰り返されるだけで一向に空港に近付かない。「景色が繰り返してる」佐倉はそんな事をぼんやりと考えていた。一瞬の後、空に黒いカーテンが舞う様に辺りが真っ暗になると、続いて一面が雪景色となり荒っぽいアプローチでLH711、ボーイングトリプルセブンは真っ暗な空港に着陸した。


目が覚めると時計は午後10時を指していた。テレビは付けっ放しで理解不能の言語が耳から入るが脳には届かない。佐倉は徐々に今日の夕方に起こった事を思い出そうとしている自分がいる事に気付いた。でも、半分寝ぼけていて何が現実なのか分からない。手探りでベッドライトを点けると、少なくとも自分が今ホテルの一室にいる事は理解できた。そして視界に入ったミネラルウオーターの水を飲むと「Suomen」の文字が目に入る。と同時に数時間前の出来事が一瞬にして脳の中でクリアーになった。「Crystal clear」。先週の電話会議でアメリカの同僚が口癖の様に使っていたセリフを思い出し苦笑する。「Crystal clear」。今度は全ての事態をはっきり把握できた。

2006年12月15日10時30分成田発LH711フランクフルト行きはロシア上空を抜けた辺りでティクリラ管区(ヘルシンキ)の管制塔よりバルト海からドイツ・ポーランド北部にかけての記録的な低音と吹雪によりこれより先のジャンボ着陸可能な空港が全て閉鎖された旨の通信を繰り返し受信していた。時刻はCET正午。サンクトペテルブルグに戻るかヘルシンキ・バンター空港に着陸許可をもらうか選択肢は二つである。
機長のハンス・ハイトマンは旧東独出身で、壁崩壊直後に両親と共にケルンの親戚を頼って「西側」に移住してきた。幼少の頃の不快な思い出から2006年の今日でも「東側」には自然と警戒感を持ってしまう。もっともこの場合ルフトハンザのマニュアル、及び欧州航空連合の規定に従えばこの可愛らしくさえ有るバンター空港へ到着するのが第一選択肢である。
管制塔から着陸許可が出た。フランクフルトから比べれば地域限定の小型機専用空港程度であるが、この国の表玄関である。ハンスはドイツ国内とヘルシンキの往復の経験は何回もあるがいずれも機体はCRJである。バンターからアメリカ本土にトリプルセブンが一日数本でているから空港側の受け入れに関しては何も問題は無い。後はマニュアル通りに一つ一つ手順をふんでいくだけだ。