mj23のブログ

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映画、音楽、アート、建築、本、演劇、ワールドサッカーなど今まで出会って来たおもしろいことや最新のものにフォーカスして自分のことばで紹介して行きます

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 この一年間に初めて出会って何度か話をしたりした人って、意外と少ないと思う。このご時世対面で挨拶を交わしたとしてもマスク越しなので街ですれ違っても双方とも気が付かない。更に何度か会って話をするという機会を見つけるのは至難の技だ。具体的に書けば思い当たる人が、もしかしたらいるかもわからない。公園のカモの行進から始まり、中村哲、入管法、選挙、七人の侍、スラムダンクなど。短い時間のうちに交わされたいくつかのトピック。生産者と消費者と単純に割り切れば、そこには会話は最小で済むはずだが、探り探りではあるがお互いの共通の話題を見つけていく作業は余計で無駄なことではある。ただ不思議と記憶に残る。これを喉に引っかかった小骨のよう、と喩えるのだろうか。それは人生の余白に描いた落書きみたいなものだと思う。後で振り返るとなぜ描いたのかは忘れてしまっている。描かせたのは、おそらく、あの時の熱に違いない。度重なる緊急事態宣言、ウィシュマさん、東京2020、ワクチン接種と副反応、衆議院選挙のあの夏の熱量。きっとそうなのだ。

 新しいことに挑戦するとのことで会いに行けばいつでも会える関係はなくなってしまう。でもこれは別れではないような気がする。亡くなった人を想うとき、それは必ず場所とセットだという。人は去っても場所はそこにあり続ける。時として落書きを見て2021年夏に思いを寄せることになるのだろう。それはきっと別れとは違う感覚なのだ。

 3✖︎3の升目の仕切りが入っているプラスチック製の容器(これはやぐやのお正月おせち御膳にすっぽり収まる寸法とか)に計9品のお酒が進むおつまみが盛り付けられているというコロナ禍が生み出した最強の逸品テイクアウトメニュー(日替わり)です!

ネーミングセンスも相変わらずで秀逸です。

 

 マトリックスを左上をA1として右に行くとA〜C、下に行くと1〜3と表記します。

 

 A1砂肝の和風コンフィ B1なます&オイルサーディン  C1合鴨のくんせい

 A2藤間さんの干物   B2やぐやの豚角煮       C2鶏とレンコンのピリ辛

 A3ポテサラ       B3タコの梅マリネ         C3矢口家のナス炒め

 

                                                                                        ※料理写真はなし(2020.05.29謹製)やぐやFB参照

 

A1砂肝の下に小径ズッキーニを敷くという絶妙なコンビネーション、グレー&グリーンの色目も綺麗

A2お店の定番メニューの門外出、干物でも脂が乗っている絶品鮭ハラス

A3人気メニューのポテサラの上に葉紅葉(グリーン)がふわりと乗っている、具は色々多過ぎてわからない

B1お正月のなますだ!シメサバ風のオイルサーデンの背のシルバーが鮮やか

B2こちらもお店の人気メニューが真ん中に鎮座、マッシュポテトが升からはみ出さんばかりの盛りつけ

B3お布団のように敷かれた玉ねぎが甘い!タコも柔らかいものだなあ(コウペンちゃん風に)

C1気前よく6枚くらい乗っている(うろ覚え)酔いが回って来た??添え物の野菜はセロリのピクルスだ

C2ほどよいピリ辛具合、レンコンも歯ごたえを残していて、ご飯が欲しくなる

C3矢口家のは輪切り小径ナスを形そのままに炒めている?ナスの紫がきれいに残っている

 

 つまり、肉、魚、野菜がバランスよく配置されていて、これだけの手の込んだ料理を作りたてで自宅で味わえるという

しあわせ感は舌にも筆にも表せない(池波正太郎風に)。量的には1〜2人分というところか。料理のアテ?には日本酒は

もちろんのこと、ワインでも焼酎でもなんでもオールマイティにできている。緊急事態制限解除後も残ると店主は言っているが

このプライスを含めたお値頃感からすると気が変わらないうちに一度ご賞味頂いた方がよろしいかと。。。

 安心安全で旬な食材、優しい味付け、でも料理人さんの魂がこもったプロの味が自粛に疲れた心身を癒してくれること間違いなしです。

 

 ➡️写真なしでイメージつかめない人はお店FBにお料理デビュー当時の写真があります!ぜひ

 

 

ル・コルビュジェの近代建築五原則になぞらえてポスト・コロナ時代の建築5原則を考えてみた。

①他者による危険

②0→2の距離感

③室内は感染源

④テレワーク

⑤個人の健康維持

 

さてこれからどんな建築のプロトタイプに変化していくのだろう?

 

隈研吾は

箱(室内)からの開放。今までは大きな箱の中に閉じ込める作り方。人間がいかに不自由であったか。室内にこだわり過ぎた。自然と一体になり、健康と自由を取り戻す。と、ある報道番組にリモート出演して語っていた。

新型コロナ感染症の流行により隈氏が言い続けて来た建築思想に時代が追いついて来たと言う話し方で『新国立競技場』を擁護する発言ともとれる。

 人類学者、哲学者、歴史学者によるリモート・リレー対談。簡単なサマリーを作ってみました。

数字や経済の論理だけでは新常態は進められないし、それだけでは危ういことを知らしめてくれたテーマでした。

 

「ウィルスは差別しない」

 

 他者が脅威になる今までにない事態が突如発生した。武漢の人口は1000万人で東京と同じ規模。そこで完全な都市封鎖を人類史上初めて行った。接触、移動を禁止して今後もグローバル化が図れるのだろうか?

 疫学的な見方は、人を駒としか見ない。数字上の議論に終始している。感染者数、死亡者数。そこには人の顔が見えない。良い意味でも悪い意味でも。

 

 アガンベン(哲学者・イタリア)の言う「死者の権利」の蹂躙、「移動の自由」の制限

 

 新たな哲学の時代、哲学は問いを立てることから始まる。ソクラテスの言う「アブ」の存在。まわりをうるさく飛びまわる。立法府の不在。人類が守ってきたものは現在だけではない。生存以外のいかなる価値も認めない社会が来ることを危惧。現在や生にしがみつく社会はなんと薄っぺらい社会だろうか。日本人にこそ問いたい。

 旧東独出身でベルリンの壁崩壊を経験したメルケルが演説の際に言及した移動制限への思い。移動制限とは刑罰そのものである。その尊い権利を一時放棄してでも守らなければいけない命があった。

 

 感染症の歴史は1万年前から始まる

 

 農業、野生動物の家畜化。農業とは共同作業であり、そこから文明化、都市化が進み、多くの生態系、森林を破壊してきたのは人類だ。文明化とは集まって、協力すること。そしてグローバル化を推し進めてきた。

 「反対のこと」をすることが求められている。「離れ合うこと」、人間が身体を持って集まる(人と会う)、意味が問われている。

 「言葉以外」のコミュニケーション手段が今こそ見直された。今までは身体と身体をぶつけて、直接会って、言葉を使って共感を得てきた。でも「言葉」は「音楽」より後から出てきたもので実は信頼感が非常に低いのを改めて認識した。人類の祖先はアフリカでまず音楽を作った。それが共感を得る唯一の手段だった。そのことを改めて知らしめる機会にもなった。星野源たち音楽家のメッセージ動画が強く我々に訴えかけてきた。「言葉」は嘘だ危険だと。

 「地域に限定されない」世界的な連帯が求められる。生死の問題を通じて共通の意識が醸成される契機だとポジティブに捉え直す。その先に人間らしい新しい社会が営めるのか?世界が救いあう、連携することができるか。

 

 

 日本地図の赤く塗られた地域の分布を見ていると、今年の3月上旬まで、ここには中国人観光客が大挙して訪れていたのだなと思う。日本の名だたる観光地が所在している。春節の7連休が1月24日から月末まであり、札幌では例年通り2月4〜11日まで雪まつりが行われた。昨年12月に武漢で新型ウィルス感染症が発生していた。ここ日本では年明けても銀座中央通りに観光バスを停めて、家電量販店やドラッグストアに吸い込まれていく老若男女の数に変化はなかったように記憶している。

 推測だが世界地図で見ても赤マルの大きい所には中国人観光客が多かったのではないか。ヨーロッパのイタリア、スペイン、フランスのパリ、北米のアメリカ、特にNY、南米のブラジルにロシア。常態の過密人口都市に中国人観光客が入ってくると物理の分子モデルの容器のように密度が上がって色の濃さが増していく。そこに新しい物質が発生する。その名はニューノーマル。それはゲームの規則。環境の変化に対応できる種のみ共存が許される。

 新型だからどの様に感染するのかメカニズムが解らなかった。衛生的であること、空気も新鮮であることを要求する。飛沫及び接触感染であることから、人との距離を2m離すと感染リスクが下がる。マスク、フェイスシールド、消毒液、赤外線体温計、テレビ会議。満員電車が消え、出張や海外渡航が禁止され、各人が家族単位で自宅待機になった。それでも仕事は流れていく部分もあるので今までいかに無駄な移動や会議が多かったことか。2020に東京オリンピックが開催されていたら、起こっていただろう時差通勤やテレワークにある日突然移行した社会。移動が減り、運動機会が減り、睡眠時間が増えた。自宅でリモートで出来ることが再発見された。人々が距離を取っただけでこれだけ経済活動に大きな打撃が加わる。

 各国の対応というか、各国指導者のリーダーシップというか、第2次世界大戦後以降、どれだけその国が成長してきたかを白日のもとに晒したことになる。管理社会か分断か。休業補償の対応、職業差別や倫理観、文化芸術音楽への支援。

 なぜ東京オリンピックが泡のように消えたのだろうか。日本だけに限ってみれば国立競技場コンペの呪縛というのか、新国立は空撮すると大きなゼロにしか見えず、一部ヒビが入っている様に見えて何かを暗示していると見てしまうのは私だけなのだろうか?

何も無かったことを記念する国費を投じたモニュメント。びっくり