総理秘書官のいわゆる「差別発言」が問題となっていますが、その直前までサイバー大学の優秀な学生諸氏との任意ディベートで同様の問題を取り上げていました。
以下は、事件(?)後の私の書き込みです。
著作権は私にあるし、公共の利益に関する問題なので、そのまま公開します。
「好き嫌い」と「差別」を同視したまま思考停止に陥っているマスコミ諸氏があまりにも多すぎて、このまま幕引きがなされようとしていることに危機感を抱きました。

 

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別件ですが、総理秘書官が同性婚を「見るのも嫌だ」などと発言したことが話題になっています。
ここでの書き込みを誰かが読んだのではないかと思われるくらい、タイムリーでしたね(笑)

詳細は、NewsPicksでコメントしましたが、私の考えは以下のようなものです。
オフレコの場で(つまり公には発信しないという約束の場で)自分は「嫌だ」と発言したことを、安直に「差別発言」というレッテルを貼ることには大いに疑問を抱きます。


前にも書きましたが、「好き嫌い」は各人の自由な意思であり、嫌いなものを「好き」だと言わされるのは内心の自由の侵害にもなりかねません。


法律や制度で権利や自由を制限するのならともかく、個人の「好き嫌い」を「差別」と同視するのは、いささか乱暴だと思います。
「私は納豆が嫌いだ」と発言しても、納豆や納豆製造業者を差別したことにはなりませんよね。

「同性婚は法的に絶対に認めるべきではない」と発言すれば「差別発言」になる可能性はあります。
「納豆を法律で発売禁止にすべきだ」と発言するのと同じです。

このあたりの議論がまったくなされないのは、とても残念なことだと思っています。

ヴォルテールの名言を少し変えて、
「私は同性婚は嫌いだ。しかし同性婚を望む人たちの権利と自由は命をかけて守る」
という発想が出てきて欲しいと願っています。

 

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注1)

ヴォルテールの名言のオリジナルは、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」です。

注2)
NHKを始めとするマスコミが「差別発言」と報じていることに危機感を抱きます。多くの人々の「好き嫌い」の感情の発露まで萎縮させてしまいかねません。
秘書官という「公人」による「不適切発言」と表現すべきです。