メタメタの日
『受験算数 難問の四千年をたどる』 岩波科学ライブラリー 2012年
『かけ算には順序があるのか』 岩波科学ライブリー 2011年
『和算で数に強くなる!』 ちくま新書 2009年

今年は桐生悠々生誕150年ということで、主筆を務めた信濃毎日で『抵抗の水脈』という連載が始まっています。

昨年「めでぃあ森」は、悠々を師と仰いで1944年にフィリピン沖で戦死した哲学者武重靉仙の遺稿集を刊行しました。遺稿集を刊行した愛娘のインタビューともども本日(12月14日)紹介されました。

「信濃毎日新聞デジタル」に会員登録(無料)すれば、読むことができます。

 https://www.shinmai.co.jp/

遺稿集『自然科学としての道徳哲学をめざして』

はアマゾンから。https://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E9%81%93%E5%BE%B3%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%97%E3%81%A6-%E6%AD%A6%E9%87%8D%E9%9D%89%E4%BB%99/dp/4910233113

  数の計算を図で示すということは、数を量として扱っているわけですが、中国の人民教育出版社2001年版の教科書は、乗法の導入に□や〇を縦横に配列したアレイ図を使い、自然数の加乗を個体量で説明している。https://ameblo.jp/metameta7/entry-11162549314.html

 

 

 4行5列のアレイ図で表されている総数は、4+4+4+4+4あるいは5+5+5+5の加法算、4×5あるいは5×4の乗法算の、どの算(式)でもよいとしている。

  この場合、4や5は何の数なのだろうかという疑問が生じる。

 

 一方、中国語では「4个5」「5个4」という表現があるようで、教科書に示されている。个は箇の略字で「4个5」は「4箇の5」、即ち「4」は「5の集まり」を1として数えた4だから、5が被乗数で4が乗数となる。

 

 海南教育出版社2000年版や同じ人民教育出版社でも1994年版を見ると、「5个4」は5箇の4だから、加法算は4+4+4+4+4で、乗法算は4×5で、乗号×の前(左)が被乗数で、後(右)が乗数と教えている。

 

 

 ところが、人民教育出版社2001年版は、被乗数と乗数の区別をなくして、最初から因数としているわけだが、「4个5」「5个4」という表現も教えているわけで、すると「5个4」や「4+4+4+4+4」は、一列4個が5列あると解釈して、被乗数を4、乗数を5としているはずである。しかし、この教科書では、一列あたりの数(被乗数)や列の数(乗数)という区別を教えないわけだから、4や5は、縦の〇の数4、横の〇の数5となるのだろうか。

  すると、1個の○はダブって数えるが、それでいいのだろうかという疑問(60年前の私)や、単位の計算は、個数×個数=個数^2ではないのか等という疑問が出てくるのでしょう。

 

 「被乗数と乗数の区別をなくして,最初から因数として扱うと,量の扱いではやはり不具合があって,教師たちの 丁寧な対応によって乗り越えているところである」(杜 威)

https://www.nier.go.jp/seika_kaihatsu_2/risu-2-310_s-china.pdf

(181頁)

ということになるのでしょう。

 

  だから私はかけ算の導入にアレイ図を使うことに大反対で、日本の算数教育は、かけ算を最初に教える時にはアレイ図を使っていないし、今後も無いと思っている。

  日本の教科書では、導入の1,2週間後?にあたる、九九の暗唱が5の段から、2の段、3の段、4の段まで進んだときにアレイ図で、交換法則に気づかせているものがあり、私もこれがいいと思う。他の教科書も、小2のかけ算のまとめでアレイ図を示し、交換法則を確認している。

  導入の最初からアレイ図で被乗数・乗数の解釈が交換可能であることを示すやり方は、数研出版の文科省非検定の「学ぼう!算数低学年用」だけがそうしているけれど、被乗数・乗数の考え方を教える時に、その解釈が交換可能のことも同時に教えるというのは、教わる側にとっては実際どうなのだろうという疑問は残る。数研も、被乗数と乗数の区別をなくして、最初から因数として扱うというやり方ではないのだから。

 

資料:

現代数学における乗法の定義では, 2つの因数には違いがあり,因数の順序があること。

 

(1)デデキント(1880)『数とは何かそして何であるべきか?』(第6版1930)ちくま学芸文庫121頁

   数の乗算  提議

        m.1=m

              mn´=mn+m

 

(2-1)ペアノ(1889)『算術原理』https://books.google.co.jp/books?id=v4tBTBlU05sC&pg=PAPA83&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false 96頁

   乗法 定義

      1.  a∊N . Ɔ . a×1=a

             2.  a,b∊N . Ɔ . a×(b+1)=a×b+a.

                 ab=a×b ; ab+c=(ab)+c ; abc=(ab)c.

 

(2-2)ペアノ(1891)『数の概念について』(共立出版『現代数学の系譜2』131頁)

  積の定義

      a,b∊n. ⊃. a×b=0[(+a)b]

      「a×bとは0に右作用演算(+a)をb回だけほどこしたものとする」(小野勝次解説)

(3-1)高木貞治(1904)『新式算術講義』ちくま学芸文庫26頁

   「同一の数aを幾回も加へ合はせて得らるべき和は此数と加へ合すべき回数bとによりて全く定

   まるべし。(略)此算法は即ち乗法にしてaは被乗数,bは乗数,求め得たる和はa,bを乗したる積

   (a×b又はab)なり。(略)乗法の意義は次の式により明に書き表はさる。

        a×1=a

        a×b=a+a+a+…+a

                      (1)  (2)  (3)  …  (b)

 

(3-2)高木貞治(1949)『数の概念』講談社BLUEBACKS 38頁

    乗法  定理

      任意の数aに関して,xの函数f(x,a)が

         f(0,a)=0 

           f(x+,a)= f(x,a)+a

    なる条件によって,一意的に定められる。

    f(x,a)が即ち積xaである。(乗法の定義)

 

(4)彌永昌吉(1972)『数の体系』岩波新書78頁

    自然数の乗法   定義

        x・1=x,

        x(y+1)=xy+x

  

(5)遠山啓(1972)『代数的構造』(日本評論社新版1996)113頁

     積

        x・y(xyとも書く)はつぎのように定義する。

           x・1=x,

           x・y=xy+x

 

(6)足立恒雄(2002)『数 体系と歴史』朝倉書店

     定義(自然数の乗法)

       まず任意の自然数mと0との積m・0は0であると定義する。

            m・0=0

       次に,mとnの積m・nが定義されてとき,mとn´の積m・n´を

            m・=m・n+m

       によって定義する。

 

 

  以上,(1)から(6)の8文献の乗法の定義が,表現に違いがあっても,同趣旨になっているのは,いずれもがペアノの公理系に立脚しているからでしょう。

  因数の順序は,高木1949のみが,乗数・被乗数で,他はすべて,被乗数・乗数

 

 

 

  ●●+●●+●●

を、かけ算の式として、2×3 と表してもいいし、3×2 と表してもいいという主張がある。 

 私も賛成である。 ということは、

  ●●●+●●●

を、3×2 と表してもいいし、2×3 と表してもよいということになる。

 

 ということは、 3×2 という式を

「●●●+●●●」    の意味で解釈してもよいし、

「●●+●●+●●」 の意味で解釈してもよいことになる。

 2×3 の式についても同様である。

 

「1つ分3個の2つ分、3の2倍、3+3、…等々」の解釈 vs

「1つ分2個の3つ分、2の3倍、2+2+2、…等々」の解釈。

(後註1,2)

 

  これらの解釈は通常「式の意味」と言われ、積の数値「6」は「式の値」と言われ、

「式の意味」と「式の値」は区別されるのが一般的な理解である。(後註3)

 

 かけ算の場合と同様にわり算の場合も、

  例えば、6÷3=2 の式は、

「(●●) (●●) (●●)」 とも、

「(●●●) (●●●)」 とも

解釈していいし、実際に解釈されている。

(小学生への授業の実践例http://www6.plala.or.jp/maeda-masahide/3warizan.html )

 

 つまり、 6÷3=2 の意味は、

「6個を3等分すると1つ分は2個」vs「6個を3個ずつ分けると2つ分できる」であり、

  「全部の数」÷「いくつ分の数」=「一つ分の数」 の式とも、

  「全部の数」÷「一つ分の数」=「いくつ分の数」 の式とも解釈できる。

 6÷2=3の式についてもまったく同様である。

 

 つまり、かけ算の 「2×3」 と 「3×2」 は、

は違うが式の値は等しく、3行2列に並べたアレイ図の二通りの見方

(横一行の個数を1つ分と見るか、縦一列の個数を1つ分と見るか) を示している

(「1つ分といくつ分」の数値2と3を交換している。つまり交換法則) だけでなく、

「1つ分×いくつ分」と「いくつ分×1つ分」と、1つ分といくつ分の表記の位置(順序)も交換している。

(これは、伝統的に、交換法則とは言われなかった。)(後註2)

 

  一方、わり算の 「6÷3」 と 「6÷2」 は、式も異なり、式の値も異なるが、

同一の状況を表していると解釈もできる。

  しかも、その同一の状況は二通りある。

「(●●) (●●) (●●)」 と

「(●●●) (●●●)」 がある。

 

 「10000÷2=5000」と「10000÷5000=2」なら、

1万円を2人で山分けするか、1万円を5千人に2円ずつ分けるか!

 どちらの式もどちらの意味に意味付与できる!!!

(意味を確定したいなら単位を付ければよい。

「10000円÷2=5000円」「10000円÷2円=5000」

「10000円÷5000円=2」と「10000円÷5000=2円」) 

 

  畢竟、同一の式が二つの意味を表していると言うか、二つの意味が同一の式で表せると言うか、あるいは二つの式が同一の意味を表していると言うか。

 どちらにしろ、式(記号表現)は「意味」(具体的解釈)より抽象的で、式と意味が1対1対応しないのだから当然の話と言える。

 

 

  註1:この場合、被乗数と乗数とでは、それぞれの単位「1」が異なり、積の単位「1」は被乗数の単位「1」と同一である。つまり、被乗数と積の単位「1」は●であり、乗数の単位「1」は、(●●)または(●●●)という、●の集まりである。

 

  註2:この場合、ab=baの交換法則の証明をどうするか、という問題は別にある。

 

「交換法則は証明するものであり、被乗数×乗数=乗数×被乗数 は証明できない」ことについて

https://ameblo.jp/metameta7/entry-12601825664.html

「被乗数×乗数=乗数×被乗数」を公理とする

https://ameblo.jp/metameta7/entry-12603010578.html

●●+●●=●●×●● に違和感がある

https://ameblo.jp/metameta7/entry-12604907211.html

 

 註3: ネットで、「式には数以外の意味はありません。 3×4、4×3、11+1、14-2、24÷2 これらは全く同じ意味です。」という発言を目にしたが、式の数値が同じなら式の意味も全く同じと言うのは、暴論であろう。

 

 

(私は、被乗数に助数詞を付けて名数にすることで、被乗数と乗数は種類の違う数ということをはっきりさせることがありますが、助数詞を付けなくても以下のように議論ができます。)

 

        2+2=2×2を、

  ●●+●●●●×●●

と表すと、多分多くの人が違和感を感じると思う。

 違和感が生じるのは、掛算の二つの2を同じ●●で表すところだと思う。(私は、そう) 【後註1】

 足し算の二つの2と掛け算の内の一つの2は、何を1とした2かと言うと、●を1として数えた2です。しかし、掛け算の残りの2は、●●の集まりを1として数えた2です。前者の掛け算の2は被乗数と呼ばれ、後者の2は乗数と呼ばれる。被乗数と乗数の違いをはっきりさせるために、

  (●●)+(●●)=(●●)×2 

と書けば、違和感は減るでしょう。右辺の(●●)が被乗数で、×2の2が乗数です。(もちろん、

  (●●)+(●●)=2×(●●)と書いても可です)。

 

 加減数と被乗数を( )の中に入れて表すと、●●●+●●●は、(3)+(3)、あるいは掛算で (3)2または2(3)と表せるし、 (x)をy個加え合わすことを、(x)+(x)+…+(x) あるいは(x)yまたはy(x)と表せる。

この表記を使えば、乗法の交換法則(普通はxy=yxと表す)の証明は、次のようになる。

 

   (x)+(x)+…+(x)

  = (x)y

  =((1)+…+(1))y

  =(y)+…+(y)

  = (y)x

 つまり、(x)y= (y)x  【後註2】

交換法則xy=yx は、(x)y= (y)x となり、(x)y=y(x)ではないことになります。

 

 ( )を使う流儀は、被乗数・乗数の別を左右の位置の違いで表すのではなく、( )の有無で表すため、交換法則(x)y= (y)xは、(x)y=x(y)とも表せます。こう表わすと、交換法則が示しているのは、一つの数を被乗数とすることも乗数とすることも出来るということで、別に被乗数・乗数の別が無くなるわけではなく、x 、yのどちらかが被乗数とか乗数になるわけではないので、因数と呼ぶということが分かります。

 

 一方、(x)y=y(x)という式は、(x)をy個加えることを二通りの式に表せることを示しています。この式は、数学では伝統的に交換法則とは呼ばれることはなく、敢えて言えば、同一事態を表わす異なる式ということになるのでしょうが、被乗数×乗数の順で書く流儀が大勢を占めていた時代では、そもそもy(x)という書き方が認められていなかったということになります。

 

  以上の流儀は、被乗数に助数詞を付ける代わりにカッコで括った(括っただけとも言える【後註3】)わけですが、カッコを使う以外に、数字は、ローマ数字とインドアラビア数字で区別し、文字は、大文字と小文字で区別するという流儀も考えられます。

  Ⅳ×2=Ⅷ、3×Ⅴ=ⅩⅤ、Ⅵ÷Ⅲ=2、Ⅵ÷3=Ⅱ

などと、かなりのところまでは計算はできるようだが、煩雑になるのは避けられない。

 

  冒頭で触れたように、被乗数と乗数は、単位1とするものが異なるのに、その違いを意識することなく、小学校以来ずっと計算してきて、それで支障が生じなかったというのは、あらためて考えると不思議な思いに囚われます。

 

 

【後註1】

●●=●●×● と書けば、違和感はもっとはっきりする。

しかし、こういう書き方に違和感を感じない人もいる。R.クーラント、H.ロビンス共著『数学とは何か』(森口繁一監訳)3頁には次のようにあります。しかし、これに違和感を感じなくなることが、数学が分かるようになることではないようです。

 

 

 

【後註2】

交換法則の証明を、被乗数と乗数の区別にカッコを使わないと、次のようになる。

   x+x+…+x

  = xy       

  =(1+…+1)y

  =y+…+y

  =yx

 つまり、xy=yx。

 こう書くと、xのy個の累加で定義した2行目の式(被乗数x×乗数y)から、4行目の式が等式変形で導かれるということ、

   xy=y+…+y

は、(被乗数x×乗数y)の式が、乗数yの被乗数個x分の累加(乗数y×被乗数x)として表されているわけで、(被乗数x×乗数y)=(乗数y×被乗数x)の証明ではないのかという疑問が、やはり生じる。

  xyの代わりにabを使い、被乗数を大文字とローマ数字で、乗数を小文字で表すと、

     A+A+…+A

   = Ab        

   =(Ⅰ+…+Ⅰ)b

   =B+…+B

   =Ba

つまり、Ab = Ba。

2行目と4行目を見れば、

  Ab=B+…+B

だから、(被乗数A×乗数b)=(乗数b×被乗数A)の証明になっているのではないかという疑問は生じません。

 

【後註3】

2×3を、2(3)、または3(2)、とかく方式は、次のような展望も開ける。

2×3×4を、2(3(4))、または、4(3(2))、と書けるし、

1×m×nを、n(m(1))と書くと、m、nを関数や写像と看做せる。

 

 「被乗数×乗数=乗数×被乗数」すなわち【(a)b=b(a)】は、現実世界では成り立たないと困るし、そもそも「被乗数aに乗数bを掛ける」という同じ事を「乗数bを被乗数aに掛ける」と言い替えただけなのに、これが違うのでは、と問われると面食らはざるを得ない。

 しかし、数学では、成り立つかどうかを証明しなければならない命題である。(数学とはそういう学問であるらしい。)しかし、証明出来ないかもしれない。(乗法を定義し、被乗数、乗数を定義し、それらの定義から論理的に左辺から右辺を導くこと、に成功しないかもしれない。)

 

 しかし、証明が出来ないならば、「被乗数×乗数=乗数×被乗数」を数学に追加するという方法がある。(同じ事態の表現が違うだけだから、結果が同じになることは自明なんだから。)つまり、(a)b=b(a)を公理とするわけである。

 

 一方、(a)b=(b)aは証明すべき等式である。「被乗数aに乗数bを掛ける(aをb個加える)」ことと「被乗数bに乗数aを掛ける(bをa個加える)」ことは、異なる事態であり、その結果(積)が等しくなるかどうかは自明とは言えない。しかし、この等式は数学的に証明できて、定理として、昔から交換法則と呼ばれてきた。

 

 すると、公理 (a)b=b(a)が無条件に成り立ち、定理 (a)b=(b)a が証明されて正しいとされた世界では、b(a) =(b)aも成り立つ。(A=B、A=Cならば、B=Cである。)この等式の左辺のaは被乗数、右辺のaは乗数だから、aは被乗数であり且つ乗数である。aを被乗数とか乗数と区別する必要がなくなる。実は既に、(a)b=(b)aが成立したときに、その区別をする必要はなく、故に、昔から、a、bを区別せずに共に因数と呼んできた。

 

 ……数学的にはこういう理路になるのだろうか。つまり、自然数の乗法として、aのb個の和を、(a)bという積で定義するとき、(a)b=(b)a は証明できる交換法則であるが、(a)b=b(a) は証明できない(ような)ので、これを公理として追加すれば(追加した時に初めて)「被乗数×乗数=乗数×被乗数」を安心して使うことが出来る、と。

 

  しかし、そうなると、初めから、2+2+2も3+3も2×3と書いても3×2と書いてもよいことになり、交換法則(a)b=(b)aも証明する必要がなくなるのではないだろうか、という疑問が生じるし、実際に、最近の中国の小学校の教科書には、かけ算を教える最初からアレイ図を見せて、被乗数・乗数という概念を使わず、因数×因数として教えるものがあるが、生徒たちの理解に不具合があって、教師が工夫しているという報告もあった。

https://ameblo.jp/metameta7/entry-11162549314.html

  「単価×個数=個数×単価」は社会の常識であるが、算数では教えない。

 

    教えないどころか、小学校では「個数×単価」の式に×を付けることもある。「交換法則を認めないのか!?」とクレームが上がるところだが、教科書ではちゃんと、小2で掛算を教えるときに交換法則にも気づかせることになっている。

  しかし、この式(一般化すれば「被乗数×乗数=乗数×被乗数」の式)は、交換法則の式とは認められていない。 算数だけでなく、数学でも!

 と言うより、日本では、明治に洋算を学んだときから、交換法則の式は、このような式ではなかった。それが算術(当時の「算数」)での扱いであり、算術が算数となり、用語が変わり(「一つ分の数・いくつ分」が主流となり)、量の考え方が取り入れられるようになっても、算数の中では生き続けてきたと言える。

 

 数学的には、交換法則ab=baは証明する必要がある定理である。

 証明するには、乗法abを定義しなくてはいけない。

 (b+b+…+b)とbをa個累加することをabの定義とすると、aが乗数、bが被乗数であり、baの式は、bが乗数、aが被乗数となる。

  つまり、( )内を被乗数とすれば、交換法則は、a(b)=b(a)であって、a(b)=(b)aではない。これが数学の伝統的な交換法則の理解であった。

  もっとも西洋での最初の理解は「(a)b=(b)a」(被乗数×乗数=被乗数×乗数)であって、これが洋算として日本に移入され、定着して広まった。

  「a(b)= b(a)」(乗数×被乗数=乗数×被乗数)という解釈は、欧米でも20世紀になってから主流になったらしい。

  しかし、どちらにしろ、「a(b)=(b)a」あるいは「(a)b=b(a)」(被乗数×乗数=乗数×被乗数)という解釈は、西洋でも日本でも社会では通用していただろうが、数学の内部でも算数の中でも交換法則として正当化されることはなかったようだ。(交換法則を証明するときに、自然数の場合は、数学的帰納法を使う。無理数では、√2・√3=√3・√2の証明を幾何学的な直観に逃げずに初めて証明したのは、本人の言によればデデキントということになるようだ。)

 

 一方、算数教育では、交換法則は「証明」するものではなく、九九表などから「発見」するものであった(小2の段階で)。発見した交換法則が、個別の数の場合だけではなく、一般的にも成り立つことは、アレイ図などで「説明」される。アレイ図を使う交換法則の説明は、「一つ分の数(被乗数)は、aにしてもbにしてもいいね」だから、(a)b=(b)a である。(あるいは、a(b)= b(a) である。)

 たとえば、10円玉を縦に3個、横に4個ずつ並べたアレイ図による説明を式で書くとすると、30円+30円+30円+30円=30円×4=(10円+10円+10円)×4=40円+40円+40円=40円×3 と等式変形されることになる。つまり、「30円×4=40円×3」であって(あるいは、4×30円==3×40円であって)、どちらにしろ、「30円×4=4×30円」とはならない。(*註1)

 

 かくして、社会の常識の「単価×個数=個数×単価」(一般化すれば「被乗数×乗数=乗数×被乗数」)は、乗法の定義から始めて、算数・数学の交換法則として導けるものではないようだ。(*註2)

つまり、この等式が成り立つことは別に確認する(定義する)必要があるらしい。だったら、社会では昔から通用しているのだから、算数・数学としてもちゃんと正当化して、小学校でもきちんと教えてほしいと思う。

 

 

(*註1)10円玉を1円玉に替えても同じことである。3円+3円+3円+3円=3円×4=(1円+1円+1円)×4=4円+4円+4円=4円×3  しかし、被乗数を無名数にすると、3+3+3+3=3×4=(1+1+1)×4=4+4+4=4×3  となり、途中式を取り出すと、3×4=4+4+4 となっている。これは、3×4の式が「乗数×被乗数」を表わしていることになり、「被乗数×乗数」で定義した式が「乗数×被乗数」の意味にもなることを表わしているのではなかろうか。

(このこと自体は、https://ameblo.jp/metameta7/entry-12570650602.html をめぐって、攻守所を変えて、twitterで、台風@taifu21さん午前0:07 · 2020年3月1日から指摘を受けたことがあり、その時は、私は否定する立場だった。)

 

(*註2)上記(註1)のアイデアを基に、数年前に、「被乗数×乗数=乗数×被乗数」は証明できるのではないかと試みたことがある(「「社会の常識」は数学的に証明できるのか」)が、コメントを求めた紙つぶてさんからは、「数学的に証明出来る筈がないではないか」と一笑に付された。https://ameblo.jp/metameta7/entry-12297154871.html

 今回のこの論考も、紙つぶてさんの指摘から考え続けていることの成果であるが、数学的におかしな記述があったら、私の責任であり、結論部分(小学校でもきちんと教えてほしい)には、紙つぶてさんは、必ずしも賛成ではないかもしれない。

https://ameblo.jp/metameta7/entry-12297786523.html

 加法(たし算)を定義する前に乗法(かけ算)を先に定義する数学があることは以前に聞いたことがあり、そういう数学なら、乗法の定義に被乗数・乗数の概念は必須ではないだろうと思っていた。

 しかし私達がよく知っているように、乗法とは、同じ数(m)が複数(n)あって全体の数を求めるときに、m+m+・・・+mと、mをn個足した結果を記した「九九表」を利用して、m(被乗数)のn(乗数)倍を求める同数累加の簡約法だから、被乗数・乗数の概念は乗法に必須だろうと思っていた(註1)。

※(註1) 4+4+4+4=4×4 という、左辺たし算、右辺かけ算の式では、4という数が6つ出てくるが、すべて同じ4というわけではない。単位を付けてみると分かるが、たとえば、4m+4m+4m+4m=4m×4 だから、元の式の4つの4と右辺の1つの4は、4mという量を抽象した4であり、右辺の残り1つの4は倍数(比)を表わす4と分かる。つまり、このかけ算では、4mが被乗数で、4が乗数である。

 

 被乗数・乗数の概念は、歴史上、乗法の誕生において必須だったし、乗法を教えるときに(特に導入段階で)必須であり、数学という学問においては乗法を定義する上で必須だろうと思っていた(註2)。交換法則導入後は、被乗数・乗数は、共に「因数」と呼ぶが、それは、被乗数・乗数という概念が無用になったのではないことは、https://ameblo.jp/metameta7/entry-12570650602.htmlに書いた。

※(註2) たとえばペアノは、1889年の論文「算術原理」では、乗法を以下のように再帰的に定義している。「×」の左のaが被乗数、右のb、(b+1)が乗数となる

 1891年の論文「数の概念について」(共立出版『現代数学の系譜2』小野勝次・梅沢敏郎訳・解説)では、以下のように、同数累加で定義している。4行目位以下は訳者の解説。aが同数(被乗数)、bが累加数(乗数)となる。

  

   というわけで、「かけ算に被乗数・乗数という概念は必須だろう」という発言を「twitter#掛算」でしたところ(註3)、必須ではないという意見が噴出して、アレアレと思っていたら、被乗数・乗数が必須でないことを示すには、被乗数・乗数を使わない定義を一つでも示せばよい、たとえば乗法をアレイ図で定義し、そのドット数をひとつひとつ数えることにすれよいという意見が出てきた。

※(註3) 発言の切っ掛けは、twitterで「「かける数」「かけられる数」という概念自体がナンセンス。ちゃんと理解している人は、「かける数」「かけられる数」を理解しない。」という発言を目にしたことだった。

 

 7行8列のアレイ図を描いて、7と8のペアを数値56と結びつけるのに、56を、

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7+7+7+・・・+7(被乗数が7、乗数が8)あるいは8+8+8+・・・+8(被乗数が8、乗数が7)と同数累加で求めるのではなく、一つ一つ数えるというなら、確かに被乗数・乗数の概念を使わずに乗法を定義できるかと思ったが、「数える」際には、記数はインド・アラビア数字の10進法位取り記数を使うのだろうし、命数は日本では漢数詞(十進法)で口誦するのだろう。

 すると、1(一)、2(二)、……と数えて、9(九)、10(十)までは、確かに「一つ一つ」数えているが、11(十一)、12(十二)となると、足し算の概念を使っているし、19(十九)の次は、110(十十)ではなく、20(二十)、つまり2×10(二つの十)(乗数が二、被乗数が十)と掛け算の概念を使っているし、56(五十六)は「五つの十と六」と、掛け算の概念と足し算の概念を併用している。

 つまり、数えるときに使っている数の表現には被乗数・乗数の概念が使われているのだから、「7と8」から「56」を導出するときに「一つ一つ数えるのだから被乗数・乗数の概念を使わなくても乗法を定義できる」というのは無理だし、掛け算(同数累加)の概念を使っている数を使うのに掛算(同数累加)を使わないで一つ一つ数えるというのも「不自然」な話である。

 それとも、m行n列のアレイ図の積をmnと定義し、mやnに数値を代入しない。数を抽象(捨象)した文字を記号として使うのであって、0や1を使っていたとしても、それらを単なる記号として使う体系なのだ、ということだろうか。

 

以下、最近、twitterの発言の再録。

 

#掛算 戦前の算術(小学校、中学校で教えられ、実社会でも日用算術としてある程度通用していた)の掛算の流儀は,現在の日用算数とかなり違い、次のようなものだった。

 

① かけ算の式は、被乗数×乗数の順序だった。「Aをn個加え合すことを、Aにnを掛けるという。Aを被乗数、nを乗数、加え合せて得た和を積という。積を式にて表すには A×n と書く」高木貞治『師範教育数学教科書(算術及び代数)』明治43、https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826333/13

 

② 被乗数は名数(単位・助数詞の付いた数)でも不名数でもよいが、乗数は必ず不名数。「乗数は必ず不名数なり」高木貞治『新式算術教科書』明治44、 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087461/16

 

③ かけ算の交換法則を適用するときは、被乗数が名数だったらその単位を取って不名数としてから交換し、その答に単位を付けて名数とする。「被乗数が名数なるときは、その単位の名を去りて後、この法則を適用すべきこと勿論なり」高木貞治『広算術教科書・上巻』明治42、https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/33

 

 しかし、現在の実用算数では、(1)乗数×被乗数の式も書く。というか、被乗数、乗数の区別を意識することはほぼ無い。人数の何倍か、単価の何倍かなどと「倍」を意識するときは、乗数を意識していることになるが。(2)名数・不名数が死語となったから、その区別を意識しない。(3)2m×3m=6㎡という単位を付けたままの計算もする。(4)60㎞/時×2時間=2時間×60㎞/時という交換法則を当然と思っている。等々。

 

 ところが、実社会で通用していることが算数では×にされるのを知るとびっくりする。しかし、算数の淵源は算術にあり、小学校というガラパゴス島で生き残ってしまったものなのだ(さらに進化したものもある)。明治の算術は、和算の伝統を断ち切って、当時の西洋のArithmeticに倣ったものであり、その算術を確立したのは、洋書で学んだり西洋に留学した数学者達であり、高木貞治というビッグネームも含まれるのだが、何故か高木貞治だけは例外扱いしたい心情は何なのだろう(分かるけど)。

 

 

#掛算 名数を使おうが使うまいが、高木であろうが誰であろうが、明治時代に西洋から学んだ洋算の掛け算の流儀は、「①被乗数×乗数②乗数は不名数③交換法則は不名数に適用」であり、これを国民皆教育の「算術」で注入した。和算(珠算)の流儀とも、「五を三倍する」という日本語の慣習とも整合する面があって受け入れられたのだろう。珠算では算盤の右に置いた数「実」に、左に置いた数「法」を掛ける。どちらの数を左右に置くかは有効桁数の少ない方を左に置けばよかった(Limg凌宮「掛け算の言い方/塵劫記」一覧表の「桁数」の欄を参照。)http://limg.sakura.ne.jp/LimgMath/index.php?%B3%DD%A4%B1%BB%BB%A4%CE%B8%C0%A4%A4%CA%FD%2F%BF%D0%B9%E5%B5%AD)から、

 

 洋算では不名数(抽象数)に交換法則を適用するように、和算ではソロバン珠(半具象)に交換法則を適用していた。当時は九九も半九九で交換法則は自明のことだった。かくして、算術の流儀は戦前日本でパラダイム化していったのだが、面積の式などに窮屈なところがあったし、また本家の欧米では「乗数×被乗数」が主流化していき、名数・不名数の区別も廃れて、今の日本では、教科書の「掛順こだわり」に残っているぐらいとなった。日本の「掛順」への最初のクレームは、海外で別の順番を教わった帰国子女の親たちから1965年に上げられることになる。(佐藤俊太郎『算数・数学教育つれづれ草』2010年、46頁)

 

 戦前、この掛算流儀を算術の内から突破しようとしたことは無かったのだろうかとちょっと探したことがあって、林鶴一の明治32年(1899年)の『算術教科書・上』45頁に「積=被乗数×乗数=乗数×被乗数」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826833/27 を見つけて、紙つぶてさんから興味深いコメントをいただいたことがあった。戦前の算術教科書の中で稀有(唯一?)の林鶴一のこの記述(被乗数×乗数=乗数×被乗数)をどう評価すべきか保留だったのですが、4年ぶりに見直し、算術の掛算パラダイムを内から突破しようというものではなく、掛算パラダイムの変則的な説明だという紙つぶてさんの理解が妥当ではないかと思い至りました。

 

 

♯掛算 被乗数・乗数の概念が大事だということは、足し算と比べれば分かる。5と2の和を、(●●●●●)(●●)と見れば、5が1とするのは●、2がと1とするのも●で、同じということがわかる。というか、同じと見ることで足し算ができるわけである。5と2の積を(●●●●●)(●●●●●)と見れば、5が1とするのは●、2が1とするのは(  )で、異なる。5と2の積を(●●)(●●)(●●)(●●)(●●)と見れば、5が1とするのは(  )、2が1とするのは●で、やはり異なる。このような被乗数・乗数の違いは昔から指摘されてきた。かけ算の式で×の左右の数が被乗数とも乗数とも解釈できるので、それらを共に因数と呼ぶということは、被乗数・乗数の概念が不要になったということではない。

 

#掛算 交換法則を、例えば2行5列のアレイ図で5×2=2×5を説明するときには、横に(●●●●●)(●●●●●)とも、縦に(●●)(●●)(●●)(●●)(●●)とも見れるとしますね。前者は被乗数5、乗数2、後者は被乗数2、乗数5。だから5×2=2×5の式は、被乗数先書なら、被乗数5×乗数2=被乗数2×乗数5という理解になる。もしも、乗数5×被乗数2=被乗数2×乗数5と理解すると、(●●)(●●)(●●)(●●)(●●)=(●●)(●●)(●●)(●●)(●●)ということになり、アレイ図を使う必要がない。

 

 

#掛算 小学2年生が掛算九九を習う時、決して出来上がった九九表を丸暗記するのではなく、九九を自分で構成していくように学習します。

 

(添付は東京書籍『新しい算数2下』平成23年)

8の段で言えば、8×2は8+8だから16、8×3とかける数が1増えると、答はかけられる数だけ増えるから24と。九九の学習は九九の歴史的成立過程を追体験してゆく面もあるわけです。そして各段九九の暗唱を終えた最後のまとめとして九九表全体を見ながら規則性をいろいろ見つけます。3の段の答と4の段の答を足すと7の段の答になるとか、かけられる数とかける数を取り換えても答えは変らない(交換法則)とか、3と7と9の段の答の一の位には1から9までの数字が全部出てくるとか。そうやって、九九暗唱も九九表も自家薬籠中のものとなると、被乗数・乗数の概念も「忘れて」しまうということはあるのでしょう。

 

 

#掛算 明治の日本が洋算を学んだ時、西洋では「被乗数×乗数の順」が主流だったから、そう教わった。最初期の文献に属する塚本明毅『筆算訓蒙』(明治2年)には、「乗者(というものは)原数あり、これに某数を掛て、其総数を求むる事にして、其原数を実と称し、掛くる所の数を法といふ、(略)其実数は必名数にして、法は姑く(しばらく)これを不名数と見て可なり、(略)凡(およそ)乗者、実数を上に置き、法数をその下に置き、」とある。後年、「実数」は被乗数、「法数」は乗数と訳語が定まった。(明治14年、東京数学会社 訳語会)。上・下に置くとは縦書きだからで、横書きなら左が被乗数、右が乗数となる

  次に添付したのは『小学算術書』(小山健三、明治15年)。これを、2×3と書いたら、左の2が被乗数、右の3が乗数と理解するのは「誤読」なんですかね。

 

  続いて、藤沢利喜太郎『算術教科書 上』(明治29年)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826836/22

には、第一の数に第二の数を掛けるというときに、第一の数を被乗数、第二の数を乗数と称すとあるし、藤沢の『算術小教科書』と採択率のトップを競った寺尾寿・吉田好九郎『中学校数学教科書 算術の部』上(明治36年)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1083213/29 には、5が被乗数、4が乗数のとき、5×4と書くとあるが、これを「被乗数×乗数と書く」と理解すると誤読なんですかね。

 

 そして高木貞治の『師範教育 数学教科書 算術及代数』(明治43年)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826333/13 には、Aが被乗数、nが乗数のとき、「積を式にて表すには A×n と書く」とあるが、これも「被乗数×乗数と書く」と理解すると誤読なんですかね。

 このように文献では「被乗数×乗数」とするものしか見当たらないが、「乗数×被乗数とは書いてはいけないと明記してある文献があるのか」と問われることがある(今回もそう)。

 何度も引用したが、高木貞治が、交換法則を適用するときは名数の単位を外せttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826655/33と言っているのは、単位を外さないと「不名数×名数」となり、それでは乗数が名数になってしまい、「乗数は必ず不名数なり」という算術の常識から駄目だということ。つまり「×」の右は乗数であって、「被乗数×乗数」の順であることが自明の前提だったということがわかるのではないですか。

 

 次の論点の「乗数×被乗数」という記法の是非については、本家の欧米でこれが主流になっているように、戦前の算術では許されなかったこの記法を、今では禁止する理由はない。しかし、交換法則を、「被乗数×乗数=乗数×被乗数」と理解すると、2個×4倍=4倍×2個となり、両辺は、同じ事の同じ解釈の異なる記法ということになる。しかし、従来、交換法則は、アレイ図やトランプ配りを利用して、2個×4倍=4個×2倍と、同じ事の異なる解釈として説明されてきた。これは「被乗数×乗数=被乗数×乗数」という理解だから、「被乗数×乗数=乗数×被乗数」は伝統的な理解とは異なることになる。だから、学校教育でも、アレイ図による交換法則の説明だけでなく、記法の交換も交換法則として(そして当然「乗数×被乗数」という記法も)ちゃんと教えるべきだというのが私の持論です。

 

「私は前科者で失業者でインポテンツです」

パソコン通信で知り合った男は言った。

 

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(右写真は、ブックファースト新宿店)