oh! lovely days

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愛しき日々の記憶

Amebaでブログを始めよう!


久しぶりすぎてどう書き始めて良いものか・・・笑

更新が無い間、心配してくださった方々に
この場を借りてご報告させてください。

そして、私自身の記録の為に
この2年3ヶ月の日々のことを。


今、私の身体の中では34週目になる新しい命が鼓動を刻んでいます。


正直、「不妊」とは無縁と思ってました。
今まで生理不順とも生理痛ともずーっと無縁だったから。
婦人科なんて行ったこともなかった。

「よし、子供を作ろう」と決めたのは2013年7月。

しかし、待てど暮らせど赤ちゃんはやってこない。

「1年妊娠しなかったら病院に行こう」と
そう決めていたので、

2014年7月、初めて病院へ。

ギリギリ会社帰りでも間に合って
土日も開いている
という理由で選んだ、(一応)不妊専門のレディースクリニック。

ここで私の「高プロラクチン血症」が判明し、
パーロデルを数ヶ月服用。

加えて「排卵障害」と診断され、
クロミッド服用とhcg注射を打つこと数ヶ月。

しかーし、それでも待てど暮らせど赤ちゃんはやってこない。


精神ズタボロ。
たくさんたくさん泣きました。


2014年12月。
blogから離れました。

毎日毎日1時間ゆっくりお風呂に浸かりながら好きな本を読んで
早く寝て早く起きて
ジョギングをして朝日を浴びて
休日は夫と遠い街までもどこまでも歩いて
ひたすら自分の暮らしを見つめ直していたような・・・。

この時期に一人で見た映画「アニー」は
きっと一生忘れないかな。

The sun'll come out tomorrow
So you gotta hang on till tomorrow
Come what may

背中を押してくれた、大切な曲。


2015年2月の終わり。

「人工授精に挑もう」と決意。

同時に、病院を変えました。

二子玉川にある、田園都市レディースクリニック。
不妊治療で有名な病院です。

人工授精をするといっても夫の検査も色々必要になる為、
この病院での1周期目はとりあえずタイミング法で。

ここで、まさかの幾つかのことが判明します。

・高プロラクチン血症ではない
(恐らく、前の病院は血液検査をやるべき時期を間違えていた)

・排卵障害ではない
(恐らく、前の病院は判断ミスをしていた)

・卵巣嚢腫有り。手術適応の大きさ。
(前の病院では「この白い影、なんだろね~?」で済まされていた)

こうして、卵巣嚢腫問題が浮上し、人工授精よりもそちらが急務に。

それでも医者は望みを捨てずに
「妊娠しやすくなる薬だから」と
ここで初めてプラノバールを処方されました。

プラノバールを服用すると1週間生理が遅れる人もいるようで、
妊娠のことよりも卵巣嚢腫のことで頭がいっぱいだった私は
むしろ「早く生理がこないかな」と
ひたすら念じていたのだけど・・・

1週間以上経っても生理が来ず。

まさかまさかの・・・転院してあっけなくコウノトリ来訪。
3月の終わりでした。

自己判断になりますが、
基礎体温表から見ても
私は黄体機能不全気味だったのだと思います。
だから、高温期を維持するプラノバールが効いたのではないかなと。


けれど。
きっと一番は私たちと赤ちゃんのタイミング。

私は何度も泣きながらも
心のどこかでずっと
「夫婦にとって一番良いタイミングで赤ちゃんはやってきてくれるよ」
という誰かの言葉を信じていました。

本当に、その通り。
信じられないくらい、その通り。


本音を言うと、
私も夫も子供は苦手です。

それでも私が子を授かることを願ってやまなかったのは
生きる者としての本能なのかなぁ。

今はただ、ごにょごにょ動く命がたまらなく愛おしく、
早く逢いたくて仕方がありません。


そして。
溢れ出てくるのは
私を取り囲む全ての人と出来事への
”ありがとう”

オープンな性格ゆえ事情を話してる人も多かった為、
家族はもちろん
沢山の友人や同僚が安堵し祝福してくれ、
私のマタニティライフを支えてくれました。

きっと私、何の問題もなく授かっていたら
この世に命が生まれることの奇跡も
不妊で悩んでいる人の気持ちも分かり得なかったと思います。

私の周りには同じように不妊と向き合っている人が少なくありません。
そのような人達にこそ一日も早く赤ちゃんがきますようにと
いつもいつも願ってやまないのです。



今日から里帰り。

予定日は11月の終わり。

産声が聞こえるその瞬間まで
しっかり大切にこの命を守ろうと思います・・・☆