The Prison Chronicle ~リアルタイム刑務所日記~
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mob妻

mobの妻です。独断で記事を書かせて頂きます。


大変沢山のご意見ありがとうございました。


突然ではありますが、諸事情のため、The Prison Chronicle ~リアルタイム刑務所日記~を打切りにさせて頂きます。


励ましのコメントにはいつも勇気付けられ、反対意見のコメントにはいつも考えさせられました。


たかだか20代で、世の中を語れそうにはないのですが、意見さえくれない人間もいる中で、主人の件に関して、またそれを社会問題と結びつけて、色々な方向から意見を下さった方々に感謝致します。


前回の130件のコメントの中には、確かに考えるに値しないものもいくつか含まれていましたが、それも全て読ませていただき、その上で自分自身の答えを見つけることが最善だと受け止めています。また、記事に関してもそう受け止めて頂ければ幸いです。


どんなに小さな事柄であっても、いつ何が起こって、そのときどうなるのか、どうするのか・・・そして、その後どうなるのか、どうするのか・・・それは自分自身によって引き起こされるものなのか・・・誰にもわかる訳はなく、日々直面する出来事に細々と悩み、考え、進んでいくのがごく自然なことではないかと考えています。


ちなみに超能力等は別として・・・


ただ、どんな理由があるにせよ、直面した出来事によって招いてしまった最悪な現実を、決して時の流れと共に軽視し、忘れてはいけない。絶対に繰り返してはいけない。『反省』とは何か?見えづらく、伝えづらいもので、正直きちんと答えられないのですが、それだけは絶対に忘れないよう二人でブログを綴ってきました。


悪い事をしてはいけない。これは常識です。


ただ、悪い事がこの世に存在する。これもまた常識です。


後者の常識を覆せたならそれ以上に良い世界はないと思う。


ありふれた一般論ですが、それ以上の事はない。


そんな世の中を目指すために一人一人が出来る事は、一人一人の意見が違う様に、様々であっても良い筈で、今のmobに出来る事は、自分の経験と後悔を伝えることだった。たったそれだけのこと。それがこのブログです。


獄中結婚で連れ添い、これからも私たちだけのThe Prison Chronicle ~リアルタイム刑務所日記~は続きますが、ブログは時期を見て削除致します。


これまで応援してくださってありがとうございました。













その17≪懲役の無限連鎖≫

年度初めといえば、大概どこの会社に於いても人事の異動があるのではないだろうか?


御多分に漏れず、この刑務所でもそれは実施されたのだが・・・


その結果、本当に素敵な人事が誕生してしまったのである。


私なんかにしてみれば、刑務所自体が初めての経験なので、入れ替わる前の人事と比較するしかないのだが、以前と比べると遥かに厳しさが増したように感じている。 (実際にもう何人もの懲役達がその被害?に遭い、懲罰を受けているのだ)。


しかし、この刑務所に10年も20年も務めている同囚は、「確かに厳しくはなった」とは言うのだが、10年も前の刑務所の処遇から較べれば、「こんなのはまだまだマンガ」なのだそうである。


聞くところによれば、昔は本当にムチャクチャだったのだそうだ。


ちなみにこれは余談ではあるが、この刑務所には10年や20年どころか、なんと50年も前から務めている囚人がいるのである。(お会いしたことはないのだけれど)。


昨年、監獄法という法律に取って代わり、受刑者処遇法という新法が執行された (数年前に名古屋の刑務所で、囚人が看守に殺されたことに端を発していると思われる) のだが、その際、規制が緩和され、居室内に持ち込み可能な品物が大幅に増えたこともあって、全受刑者の領置品 (刑務所側に預けていた個人の品物) 調べが行われたのだが、そこで起こった出来事がまた凄いのである。


何でも、この人は刑務所に来た当時に自分が娑婆で履いていた靴を領置していたらしいのだが、約50年ぶりにその靴を入れていた箱を開けてみると・・・・・・中には預けた靴ではなく、砂が入っていたそうなのである。


果たして酸化したからなのか、はたまた、微生物か何かに分解されてしまったのかはよく解らないのだが、50年という途方も無い時間が当時はまだ靴だった物を、ゆっくりと砂の様な物に姿を変えてしまったのであろう。


恐るべし50年。こんなところに居たら、人間もそうなってしまうのかも知れない・・・・・。


靴が砂になっていたという話も相当ビックリさせられたのだが、個人的に何より驚きなのは、この閉塞された空間で半世紀もの年月を経ているというのに、この先輩の自我が破壊していないという点である。


その精神力は驚嘆に値する。私はきっと耐えられないだろう。


大分話は逸れてしまったが、こうして新たに構成された人事によって、今後暫くの間は管理下に置かれる訳なのだが、単に厳しく締め付けるスタイル (良い方向に改善されたと思われる部分は今のところ見受けられないので) に私は些か疑問を感じている。


何と言っても、ここは泣く子も黙るLB刑務所である。


海千山千の懲役達に今更小言を言って揚げ足を取ったり、怒鳴り散らしたりすることに一体どれくらいの意味が有るというのだろうか?


確かにほんの2、3ヵ月前までのこの刑務所は、私から見ても 「刑務所ってこんなんで良いのであろうか?」 と思える程、やりっ放しな面が多々見受けられたのだが、そのぬるま湯に慣れきってしまった懲役達を急に熱湯に入れようとしたところで、いたずらに火傷をしてしまうだけなのは目に見えている。


前途した通り、懲罰を受ける懲役の数が飛躍的に増えてしまったのである。


一見すると、みせしめ的な意味でこの作戦は功を奏し、効果を上げたかの様な感じもしなくはないのだが、私に言わせれば、このやり方には大きな矛盾が生じていると言わざるを得ない。


刑務所というのは本来、他の受刑者とお接触を極力避けなければならない筈である (反目している者同士を近づける訳にはいかないし、出所後のことなども考慮されるので) 。


したがって、同じ工場内の懲役意外と触れ合う機会は一年の内に幾度と無いのである。


ちなみに、顔を合わせる機会があっても、原則として会話などは一切認められないので、それを破れば不正交談という規律違反行為となり、取調べの対象となってしまう。


このように、他の工場の懲役おの接触を刑務所側としては最も嫌う筈なのだが、最近の傾向では、一旦、懲罰に落ちてしまうと元居た工場にはまず戻ることが出来なくなってしまったのである。


昨年度までは、事犯にもよるのだが、工場内での喧嘩やチンコロ (密告の意味) でもしない限りは懲罰が済めば元居た工場に帰ることが出来た。


だから私は現在のスタイルは本来の刑務所の意向に反するものなのではないかと思えてならないのである。


何故かと言うと、懲罰後に元の工場に戻れないということは、他の工場へ配役されることを意味している。


それをすると何が起こるのかというと、まるで ”笑っていいとも” の様に友達の輪がどんどん拡がっていくという現象が起きてしまうのだ。


更に、これは単なる友達などではなく、互いが漏れなく犯罪者 (しかも世間で言うところの凶悪犯が多い) なのだから、お世辞にも世の中にとって有益な繋がりとは言えないのでは?という気がするには私だけだろうか・・・・・。


毎日、この様にして何人もの懲役があっちへこっちへと行ったり来たりするものだから、連鎖ははっきり言って無限なのである。


この刑務所は一応、壁で工場を隔ててはいるものの、実際のところ余りその意味は果たせていない。


この狙いのよく解らない、おかしな新システムは何を隠そう、この刑務所の新人事が編み出したものに違いないが、この矛盾点についてはどう考えているのだろうか?


厳しく締め付けることで、一時的い刑務所内の秩序はほんの少しだけ改善されるかも知れないが、そのお陰で犯罪者同士が余計に結びついてしまうので、その分、未来の世の中の秩序は何倍も悪くなるという可能性を秘めてしまわないだろうか?


刑務所で知り合った者同士が意気投合し、出所後に一緒になって事件を犯すという話はよく耳にする。


だから、もしかしたら全国の刑務所で懲罰などのきっかけによる他工場への移動を極力減らす政策を一斉に実施すれば、世の中の犯罪率が1%でも低下させられるのかも知れないと思うのである。


まあ、私は偉そうなことなど言える立場ではないが、所詮、給料を貰うだけに働いている人達にとってはこんな問題はどうでも良いのかも知れない・・・・・。





4月分作業賞与金 → 2421円         TOTAL → 25216円

その16≪逮捕から四年目にして思うこと≫

人生に於いて、たった一度しか訪れることのない今日という日。


時計の針は決して左回りに進むことは無いのだ、という現実をこの生活を始めた時から一体、何度意識させられたことだろう・・・。


時間と自由というものを、軽視して生きてきたことを私は今になって烈しく後悔している。


ちなみに、ここで言う後悔とは、今回起こした事件に対するものとは違う。


確かに事件については幾度と無く反芻し、考えさせられる事はあったのではあるが、結局のところ、あれはヤクザの世界に自らの意志で足を踏み入れた結果なのだから、自業自得と言わざるを得ない。


あれは私の中では、どちらかと言うと後悔というよりは反省の部類だと考えている。


そうではなく、ここで私が言いたいのは、時間と自由というものの重要性に気付きもせず、未来への明確なビジョンもロクに描かず、  ”ただ、場当たり的に生きてきただけ”  とも言える、その己の無能さに対する後悔なのである。


あくまで結果論でしかないのだが、あのまま娑婆で何も気付くこと無く、ただイタズラに歳を重ねていたかと思うと、私は心底ゾッとしてしまう。


まぁ、でも、逆に考えると、こんな所に堕ちて来るまで人生に於いての最も重要であろう部分をまるで意識しようともしなかったのだから、私という人間が相当のうつけ者であるという事実は受け入れざるを得ない。


後悔は決して先に立ってはくれないが、 「どうしてもっと早く気付けなかったのだろう」 と考えることしきりである。


私はふと思う。こうやってだらだらと文章を書いている間にも、私の出所は刻一刻と近付いて来ているのだから、それはそれで喜ばしい限りなのだが、それと同時に人生のタイムリミットも全く同じ速度で近付いている訳で、しかも、そのどちらが先に我が身に訪れるのかは誰にも分かりはしない。

それこそ、神のみぞ知るところ (私は無神論者ですけど) だ。


ふいに人生に残された時間なんてものは、有るか無きかもはっきりとしない、そんな曖昧な存在でしかないのでは?という気がしてくる。


終わりというものに対して、こちらが向かっているのか、それとも向こうが迫ってくるのか、時間というものの仕組みは良く分からないが、少なくとも今後の私の人生は、ただ待つのではなく自分から向かい続けるものにしなくてはならないと強く思っている。


受動ではなく、能動である。


だから 「失敗した時に笑われるのが嫌だ」 などと考え、やりたい事を躊躇するなど愚かにもつかない行為と私には思える。


何をしていようと、時間というものは一つの方向へと休むこと無く進み続けているのだから。


自分の内面を文章によって表現するという作業を下獄してから続けてきた訳だが、この行為は私に色々な事を教えてくれる。


外へ向かって書いている筈の文章は、そっくりそのまま自分の胸へと向けられるものであるからだ。


そして、その時々の心境は、如実に文章に表れている (私にしか分からないのかも知れないが) と思ってる。


手紙として全て発信しているので、手元にはほぼ何も残ってはいないが、十数年後にまとめて読むのがちょっと楽しみである。


まぁ、私がその時に腐った人間になっていなければの話ではあるが・・・。


殺人事件を犯し、警察署に出頭してから、既に丸三年が過ぎ、拘禁生活も四年目に突入したが、残された刑期 (満期まであと十三年くらい) の中で、私は何を考え、そして何を想うのだろう。


今のところ、私の中では経過は順調だと言える・・・・・と思う。









3月分・作業賞与金 → 2,447円


TOTAL  →22,795円      

その15≪刑務所内に蠢くhater(ヘイター)達≫

今回も前々回にも登場している、件の先生なのだが、彼は最早、完全に常軌を逸脱してしまった様だ。

(単に私が気付くのが遅かっただけかも)


先日も、ある懲役の一人が診察を願い出たところ、診療室に現れた先生は、何と驚くことに頭にヘルメットを被り(襲われる事に対する防衛手段ではないかと推測される)、何処から持ってきたのか、熊のぬいぐるみ(プーさんではない)を胸に抱き、その熊ちゃんの頭を撫でながら

「どうしたんでちゅか?」

と、こう宣ったんだそうである・・・・・・・。


当然、その屈辱以外の何物でもない対応に腹を立てた・・・と言うか、呆れた懲役が、そのまま帰ったことは言うまでもない。


何でそんな事をしてしまうのだろうか?と思わず首を傾げたくなるのではあるが、何度も書く様に、私は懲役刑という刑罰に身を服している訳なのであるから、如何に理不尽な処遇と言えど、甘んじて受け入れなければいけないのだと思っている。


それに、質はどうあれ衣食住の世話にはなっているのだから。


但し、私はこんな医者の世話には出来るだけなりたくない。それだけは確かである。


さて、ここらで本題に入るとしよう。


ほんの数日前の出来事なのだが、我が工場内にてある由々しき事態が発生したのである。と言っても、これは一般社会の常識からしてみれば、はっきり言って取るに足らないというか、どうでもいい、といった部類に入ってしまうのかも知れないが、ひとたび刑務所内で起こってしまえば大事なのである。


一体何が起こったのかといえば、それはs、マイナスドライバーが一本と、T字のカミソリが一本無くなったのだ!!

・・・・・それだけ。


あ、そう言えば、ある人のシャンプーの中身が全て捨てられて、代わりに水が入れられてたってのもあった。


これの何処が大事なのかと思われるだろうが、刑務所側からしてみれば、ドライバーなんかは逃走に使用される恐れがあるだとか、武器として使用される恐れがあるなどといった理由で普段から厳重に管理されているのである。


一日の内に七、八回は点検を行っているだろうか。


カミソリに関しても似たようなもので、無くなった際には武器や自殺に用いられることを警戒しているのだ。


そんな訳で、これ等の物が一つでも無くなってしまえば、即座に作業は中止となり、発見されるまでは作業はおろか、工場内に併設されている食堂内で座ったまま黙想を余儀なくされるのである。


そして、工場には警備隊やら金線(制服の帽子や袖に金色の線が巻かれている刑務官の通称。要はお偉いさん)やらが大勢でやって来て、工場内の全てをひっくり返されるのであった。


こうして、まるで同時多発テロの如く一日の内に約2.5件の事件が発生した訳だが、これ等が単なる紛失ではなく、悪意を抱いた者の犯行であることは自明である。


詳しい内容は、検閲の都合上、割愛させて戴くが、孔子か誰かの言葉にもある通り、人間の行動には必ず動機があって、その動機をどの様に発展させて行動しているのかを考えれば、その人は絶対に自分を隠すことは出来ないのである。


ドライバーやカミソリが無くなった場合は、勿論それを管理していた人間が責任を問われる格好となる。


私の工場は、以前にも書いた通り洋裁工場なので、ミシンを扱う人にはドライバーが一本ずつ配られているのだが、ドライバーをなくしてしまった (と言うより、盗まれてしまった) 人は、すぐに発見されない限りは懲罰の対象となってしまう。 (というかなってしまった)。


カミソリに関しては工場担当(オヤジ)が管理者なので、きっとオヤジは上司から怒られたことだろうと思われるのだが、要するにドライバーとカミソリの管理者を困らせたい人、又は足を引っ張りたい人が犯人である可能性が極めて高い、というところに辿り着く。


この様にして消去法を繰り返してゆくと・・・・・。


幸い次の日には、ドライバーは犯人と思しき男の作業席に隠されているところを発見され、カミソリに関しては別の男が作業拒否を突然し、どうやら既に自供をしたのだそうだ。


ちなみにこれ等の犯人は周囲の予想とピタリと一致していた。


犯人共はバレてしまった以上、決して工場へは帰って来れない(何をされるかわからないので)。


自業自得である。


おそらく、何処の刑務所のどの工場にも、この様なヘイター(ねたみ屋)達は存在していると思われるのだが、こいつ等には ”人でなし” という言葉がピッタリである。


何せ、どんなに真面目に務めていても、こいつ等の心無い行動たった一つで懲罰となり、仮釈放を目指している懲役の出所は先延ばしになってしまう (無期囚は一度でも懲罰に落ちてしまうと、出所が3~5年は延びると言われている) からである。


今回の様に犯人がすぐに解れば良いが、この様な不逞な輩がその辺でのうのうと生活しているかと思うと非常に不快である。


刑務所に限らず、娑婆でもタチの悪いヘイター共が、あの手この手で邪魔をしてくると思うが、そんな時は自分の周りから即座に追い出してしまう事をオススメしたい。


きっとそれが一番の解決策に違いない。






一月分賞与金   2216円


二月分賞与金   2218円


6等工  時給14円70銭


トータル  20348円

その14≪懲役にも色々≫

新しい年を迎えて、早くも一ヶ月が過ぎてしまったのだが、ここ徳島刑務所では新年早々、不祥事が起こりまくっている。


もしかしたら、これ等のニュースはローカルでしか放送されていないのかも知れないが、刑務官が飲酒運転で捕まってみたり、ブログを開設している職員が、ブログ上で受刑者の個人名を使用して、懲役処分になってみたりと、こんな調子でいったら、一体どんな一年になってしまうのだろう、と私は憂慮せざるを得ない。


そして、前回も書いたように、医務の先生も相変わらず、思考のルーティンが何処かズレてしまっているようで、風邪で入院している懲役に対し、食事療法という名目の下に、三日間の絶食(下痢をしているからという理由で)させたりしている。風邪で体が弱っている者にとって最も必要なものは、他でもない栄養なんじゃないか?と私は思うのだが、それは素人の考えなのだろうか?


回教徒でもあるまいし、三日も絶食なんかさせられたらたまったものではない。


こんな具合で、刑務所職員にも様々なタイプお人間がいるのだが、懲役に至っては、さらに多様な人種が存在している。


まあ、刑務官というのは国家試験に合格する程度の頭脳が、最低限度備わっているのだから、そもそも懲役と較べること自体が間違いの様な気もするが、懲役というのは本当に変わった人が多いのである。


中には作業中に、一人でブツブツ喋っているので、どうしたのかと思い聞いてみると、真顔で「シッ!!今、宇宙人が窓の外に来ているから、静かにしてくれ!!」(どうやら交信中らしい・・・・・。)と言う人がいたり、夜中に寝言で、演歌を前奏付きで三番まで完唱してしまう人(しかも本人はその歌を知らないのだと言う・・・・・。)がいたり、シーチキンは海鳥の肉(うみどりってどんな鳥やねん!!)出来ていると、本気で信じて疑わない人がいたりと、結構、強烈なものだ。


もっとも、本当に強烈な人は、工場に下りる事が出来ないので、独居拘禁されているのだけど・・・・・。


この様に、変な人を挙げていくとキリが無いのだが、私が観たところ、まともなと言うか、常識的な考え方の人というのは全体の3~4割程度なんじゃないかと思われる。


こればかりは、堅気もヤクザも一切関係は無い。


そもそも刑務所(しかも、ここはLBだし)は犯罪者しか居ないのだから無理も無いか・・・・・。


しかし、刑務所というのは何もおかしな人ばかりが来るという訳ではない。


ヤクザ的な表現になってしまうが、組織や誰かの為に、ジギリをかけて務めに来る人も中には居るのである。


そりゃ、罪だけを見てしまえば、殺人などを犯しているので、世間で言うところの”悪人”の様にも見えるのかも知れないが、私情とは全く別のところで、事を決心する訳であるから、これはなかなかに真似の出来る事ではない。


私の工場にも、昨年末に二十年の刑期を立派に務め上げていった人がいる。


この人は、二十代の半ばから服役していたのだが、現役のヤクザであるが為に、満期での出所(警察にヤクザとして登録されている人は、離脱届を受理されない限り、ヤクザとして扱われるので、仮釈放の対象になることはない)となった。


二十年間、自分の意志を曲げる事無く、務めたこの人も凄いと思うのだが、驚くべきはこの人を二十年間、待ち続けたこの人の奥さんなのである。


聞けば、娑婆にいた頃に一緒に生活した期間は、なんとたったの半月程なのだという。


余りにも美しい話なので、少しだけ書かせて貰ったのだが、この人が如何に素晴らしい人柄の持ち主かを窺い知る事が出来る筈である。


昨今の、結婚してはすぐに離婚をするという、責任感の欠落してしまっているエセカップルに、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものである。


こんな、ドラマにでもなってしまいそうなケースは、ごく稀だろうと思うのだが、懲役の中にも素晴らしい人が存在するのだという事が少しは解って戴けたら幸いである。


確かに、法律を犯した者以外が此処に来ることは有り得ない(冤罪は別として)のだが、例えば、自分の家族を殺した相手を殺したら、果たしてその人は悪人だろうか?


殺人を正統化するつもりなど更々無いが、快楽や金欲の為だけに人を殺した人も、止むに止まれぬ事情から人を殺した人も、何もかもそれこそ、クソもミソも一緒くたにされ同じ部屋にいて、生活をさせられている。


犯行に至る経緯は、人それぞれ、千差万別だが、ここでは互いが同じ様に感情を殺し合って、日々を送っている。


これが、現実の刑務所の姿なのである。




   12月分賞与金  1811円         TOTAL    15924円


その13≪最低な一ヶ月≫

 師走に入り、ここ徳島でもかなり冷え込みが厳しくなってきている。


巷ではノロウイルスが猛威を振るっている様だが、風邪なんかは流行っているのだろうか?


私は、先日ちょっと酷めの風邪に見舞われてしまい、病舎へと放り込まれてしまった。


この刑務所は、熱が38度を越えると強制的に入病させられてしまうのである。


徳島刑務所へ収容された経験がおありな方(あんまり居ないと思うけど)ならば、必ず耳にした事がある筈なのだが、この刑務所の医務に対する噂というのは、聞こえてくるもの全てが耳を疑うようなものばかりなのである。


噂と言っても、これは殆どが実際に懲役達が身を以って経験してきたものばかりなので、噂と言うよりは実話と言った方が正しいのかも知れない。


私が聴いた話にはこんなものがある。


目の痛みを訴えて、診察してもらったところ、「じゃあ、ちょっと口を開けてください」と言われ、口の中を調べられると(何を調べられたのかは一切不明)、帰りしなにアスピリンを一錠渡されただけで診察が終了し、その後、約一年間、同じ様に目の痛みを訴え続けたにも関わらず、「水道水でよく洗うようにして下さい」という、どう考えても適切とは思えない処置を受け続けた挙句、一向に視力も回復しないし、痛みも和らがないことから、何とか娑婆の病院で診てもらおうと頑張った結果、先日それに成功したのだが、診察の結果は何と、目の水晶体が無くなっていたのだという。

水でいくら洗っても良くならない訳である。


その他にも、「咳が止まらない」と言って、のどの痛みを訴えたところ、「じゃあ、ちょっと前立腺を調べるから、パンツを脱いで下さい」と言い、ゴム手袋をした手でケツの穴に指を突っ込み、血まみれにすると、「うがいを沢山するようにして下さい」などと言ってみたりと、とにかく常軌を逸しているのである。(何でこんな事をしてしまうのかは、全く不明です)


ここまでは、人から聞いたものなので、中には誇大な表現が含まれているかも知れないが、今回私が入病した際にもちょっと驚くべき発言をされてしまったので、書いてみようと思う。


これははっきり言って、娑婆では考えられない事だと思うのだが、私は入病する直前に、熱が38.4度まで上がっていたので、先生に「薬を飲むとウイルスが増えると言われているので、飲まない方が良い」と、こう宣ったのである。


そして、その代わりに熱が38.5度を超えた場合は座薬をくれるのだと言う。


つまり、38.4度の私は対象外と言う訳だ。


このたった0.1度のボーダーラインは一体何を意味するのだろうか・・・・・。


しかし、このときの私は心身共に弱りきっていて、一刻も早く布団にもぐり込みたかったが為、それ以上は何も言わなかったのだが、これって適切な処置なんだろうか?誰か教えてくれ。


結局、私は、それからの5日間、息が白くなってしまうような部屋(当然、暖房は無い)の中で、薬も何も一切投与されないままの状態で、寝たきりの生活を余儀なくされたのだった。


ちなみに、風邪で入病した人は原則として、読書もテレビも筆記も一切禁止なので本当にただの寝たきりなのである。


まあ、でもお陰で「薬なんかが存在しなかった時代の人達は、いつもこんな風にして風邪を治してきたんだろうなぁ」などという、娑婆では決して味わえない貴重な体験をすることが出来たので、とりあえず、良しとしといてやろう・・・・・。


これでは、あんまり先生が居る意味が無いのでは?と、思わず考えてしまいそうになるのだが、その代わり、二度とこんな目には遭いたくないという強固な意志が生れたので、私が今後の風邪に対する予防策に万全を期す事は言うまでもない。


こうして5日間の後、無事に熱も下がり、昼前から工場へと戻され、ようやく普段通りの生活が帰ってきたかに思われたのだが、その日の午後にちょっとした悲劇が私を見舞ったのである。


私は現在、諸事情により”臨済宗”という宗教に入り、月に一回、座禅を組んでいるのだが、その際、座禅は会議室のような場所で行う為、まずは足が折りたたみ式の机を、部屋の隅に片付けなければならないのである。


そして、約一時間程の座禅が済むと、再び机を元有った場所に戻すという作業が行われるのだが、その際、私に手渡された机は足が完全に伸ばされておらず、ロックが掛かっていない状態だった様で、私が机を床に置いた瞬間に、足が再び折りたたまれてしまい、そのまま落下してきた机の角が、私の右足の親指の爪をピンポイントで直撃したのである。


何とも間抜けな話なので、余り書きたくはなかったのだが、何せ、その時の痛みは相当に強烈なもので、数秒後には爪は内出血を起こし、全体がどす黒く変色し、時間が経つにつれ歩行すら困難な状態になってしまったのである。


一時は、恥ずかしいから黙っておこうかなとも思ったのではあるが、余りの痛みに耐えかねた私は、事の次第を工場担当に告げると、オヤジは「すぐに医務へ行け」と言う。


前途したように、日頃から悪い噂ばかりを散々聞かされていた事がどうにも引っ掛かり、医務へ行くことは少々ためらわれたのだが、冗談抜きで本当に痛かったので、私は医務診察を受ける覚悟を決めたのだった。


片足を引きずりながら診察室へ到着すると、足を診た先生は開口一番「これは抜爪するしかないね」だって・・・。


最悪こうなるであろう事は予想していたのだが、何やらその前に誓約書に署名が欲しいのだと言う。


誓約の内容が箇条書きされていたのだが、その中の一つに「抜爪後に傷口からばい菌が入っても一切の責任は追及しないこと」と書かれていた。


これを見た時は、一瞬どうしようかなと悩んだのだが、今更後戻りも出来ないので、渋々サインを済ませると、先生はすぐさまペンチのような物を取り出し、麻酔も何もしないまま、爪を抜きに掛かった。


その際、激痛と共に、爪の内側に溜まった血は3メートル程吹き飛ばしたが、無事に?抜爪は終了した。


それから包帯などを巻き終えると先生は「痛み止めはいりますか?」と聞くので、「お願いします」と答えると、ポケットの中からアスピリンを4錠取り出して渡してくれた。その後、車椅子にせられ、自分の舎房まで送ってもらった私は、ようやく不幸な一日も落ちついたと思い寛ごうとして、ふと足のほうに視線を移すと、包帯が真っ赤になり、血がポタポタと水溜りの様になっているではないか!


それからちょっと経っても血は全く止まる様子がなかったので報知器(これを押しとかないと、オヤジは部屋の前で止まってくれない)を押し、事情を説明すると、またもや私は医務へと連れて行かれる羽目になった。


そして診察室へ到着すると、血で真っ赤に染まった足を診た先生は開口一番こう宣ったのである。「アスピリンは血液をサラサラにしてしまうと言われていて血が固まりにくくなってしまうので飲まないで返しといてください」と・・・・・。


「さっきテメーが痛み止めっつってくれたんじゃねーのかコノヤロー!」と、思わず突っ込んでやりたくなったのだが、先の刑期が長い私は、ここで怒るのは得策ではないという結論に瞬間的に達した為、グッとこらえる事になんとか成功した。


ちなみに、私と現在同房の懲役などは、医務のあまりに杜撰な対応に腹を立て、数ヶ月前に先生をぶっ飛ばしている。(勿論、こんな事をすれば懲罰である)。


おそらく過去にもこの様なケースが幾度と無く起きているのではないかと推測されるのだが、診察室の椅子は、それが武器として使用されないようにと、太い鎖でもって厳重に繋がれているといったありようなのだ。


抜爪した日から4週間が経過した現在、傷口は順調に回復し、ようやく入浴も許可された。


不幸にも今回は立て続けに二度も医務の世話になった訳だが、私の個人的見解としては、医務の対応は噂されている程は酷くなかったように思われる。


確かに、常軌を逸腹したかの様な言動は幾らか見受けられた気もするが、結果的には治っている(私の場合は)。


おそらく、杜選な対応をされた人というのは、された本人にも何かしらの原因があるのではないかと思う。


懲役である私が官の味方をするような事を言ってはどうしようもないのだろうが、普通に考えて幾度と無く患者からパンチやキックや頭突きをくらっていたら、性格が少々歪んでしまったとしても仕方ないのではなかろうか?


そして、何よりここは刑務所なのだ。


綺麗ごとなのかもしれないが、我々は所詮懲役なのである。


少々のことは仕方がないと割り切って我慢するべきだろうと思う。


今まで重ねてきた悪事を清算していると思えば安いものである。


そんな訳で、受刑生活始まって以来の最低な一ヶ月だったが、いよいよ今年も残すところ僅かである。


娑婆では今頃、街中クリスマス一色といったところだろうか。


刑務所のような男臭いところでは、そんな気配は微塵も感じることはないが、その分、早く娑婆に戻りたいと思う気持ちは高まる一方である。


今年一年は予定通り、無事故で過ごすことに成功しているが、謙虚な気持ちを忘れることなく、残りの日を過ごし、気持ちよく新しい年を迎えたいと思う。




  10月分の賞与金  1867円     11月分の賞与金   1641円    トータル14113円

       


その12≪刑務所のありかたとは・・・≫

「刑務所は、刑を執行するところであり、刑の執行は厳粛なものです。あなたは、この刑務所で生活している間を通じて、自分の犯した罪に誠実に向き合い、真剣に反省をするとともに、二度と犯罪に手を染めることなく、健全な社会の一員として生活していくため具体的な計画を立て、自身を持って出所していくことが期待されています。当所では、あなたが改善更生と円滑な社会復帰に向けて真剣な努力をすることをできる限り応援します。(以下省略)」


と、入所時に配られた”受刑者生活心得”にある。


さて、そもそも刑務所とはこうあるべきなのだろうが、実際のところはどうなのか、今回はそこら辺について書いていきたい。


私が考えるに、世の中の犯罪者の犯行動機の多く(勿論例外も多いが)は、その根底に「貧困」(要は金が目当て)というものが存在しているのだと思う。


日本国内で飢え死にをした人の話は今のところ余り耳にした事は無いが、本当に生活に困って犯罪に手を染めてしまうという人は意外と多いのである。


まあ、当の本人が怠けてきたのが悪いと言ってしまえばそれまでなのだが、十人十色という言葉がある様に、皆が同じレールの上を進めるかというと、それは否である。


そして、そのレールから逸れてしまったり、社会に馴染めなかった人達が何かしらのきっかけで犯罪を犯し、刑務所へと送られてくる。


私の様な殺人事件は動機が金銭絡みでも何でも無いので参考にはならないが、大概の金に困った人が犯す罪というのは、詐欺や強盗、窃盗なんかじゃないかと思う。


そして、上手いこと娑婆に金を残してきた人ならまだいいが、殆どの人は手元には何も残っていない。


それでも、せめて周囲の人達が手助けしてくれるのなら、まだ何とかなるのだろうが、事件を起こしたことによって家族や知人から縁を切られたり、元々身寄りが居なかった、という人達の未来には辛い現実が待っているのである。


刑務所の中に居る間は、衣・食・住が保証されているので、生きて行く事に何も問題は無いのだが、いざ、刑期の満了と共に社会に放り出された時、こういった人達が社会復帰を果たす術は皆無に近いのではないか?と私は思うのである。


何故かというと、前回も書いた通り、刑務所で得られる賃金というのは微々たるもの(短刑期の人は特に)で、家も仕事も持たない人が知っている頃とは勝手が変わってしまっている世界へと放たれるからである。(一応、保護会といって、ボランティアで仕事を斡旋してくれるところはあるらしいのだが)。


心の準備以外は何も準備ができていないとという状態で、どうやって社会に溶け込めというのだろうか?


少しは逆の立場でモノを考えて欲しいものである。


これでは折角刑務所に居る間に反省していたとしても、不本意にも前回と同じ様な道を辿ってしまうという結果を招いてしまうのではないだろうか。


ある程度の歳がいっていれば尚更のことである。


この世の中から犯罪を無くすことは不可能だろうが、減らす事はやり方次第では可能だと思う。


刑務所側(つまり国家)も、先に書いた様な最もらしい文句を並べるのならば、もっと具体的な社会復帰を果たす為の協力をしていくべきだと思う。


間違い無く刑務所の中には優秀な人材が数多く眠っている。


刑罰を受けるというのは、罪を犯した代償なのでこれは仕方ないが、刑期が満了したので「ハイどうぞ」と娑婆に放り出すだけでは、根本的な解決には繋がらないというケースが多いのではないだろうか?


昨今、犯罪者は増加の一途を辿っている。


刑務所へのリピーターがその一端を担っているのが原因の一つなのかもしれない。


今のところ私には周囲の協力が多々ある為、あらゆる面で助かってはいるのだが、ほんの些細なきっかけ一つで私もリピーターになりかねない。


明日は我が身とならぬ為にも、この先の受刑生活を心して掛かろうと思う。





9月分の作業賞与金  1281円        トータル  10605円

その11≪時給は9円と10銭≫

 この文章は舎房内、つまり寝起きをする部屋で書いている訳だが、「今回は何を書こうかなぁ」などと考えながら、ふと天井を見上げると、何気に凄い発見をしてしまった。


 それは、天井に使われている素材がアスベストなのではなかろうか。という事である。


 これは専門家に聞いた訳ではないので断言はできないのかも知れないが、私の見たところ、十中八九間違いないと思われる。


 聞けば、この刑務所内の建物の多くは築30年以上と古く、よって建造当時はアスベストが人体に有害であることが、世間ではまだあまり認知されていなかっただろうと推測されるのだが、ほんの数年前にアスベストに関するニュースが世間を騒がせていた事を思い出す限りでは、「こんな部屋で暮らせるワケねーだろ!!」と考えてしまうのが、ごく一般的な感想ではないだろうか。


 だいたいこんなものは刑罰の一環でも何でもないのだから、互いの為にも問題が表沙汰になる前にとっとと手を打つべきなのではないかと私は思うのだが・・・。


 この有害な物質について余りくどくどと書きすぎたが為に手紙の発信が許可されなくなってしまっては本末転倒もいいところなので、そろそろ話題を変えるとしよう。


 以前、確かT.P.Cその2の中で、作業賞与金(つまり我々受刑者が働いて得る賃金)が余りにも安すぎると愚痴をこぼした記憶があるのだが、今回は現在の私の作業等工及び収入について書いてみようと思う。


 まず作業等工に関する説明をさせて頂くが、これは簡単に言えば作業賞与金を計算する時の基準となるもので、受刑者は刑務所側から指定された作業に就くと、10等工から1等工までのいずれかに格付けされることになる。


 それから、作業の内容によってA作業、B作業、C作業と3種類に区分されていて、私の様なミシンを使った洋裁や、食事を作る炊場、受刑者の髪を切る通称刈り屋(がりや)などなど、機会や器具を用いた物品制作作業や、比較的高度な知識及び技能を要する作業はA作業、体の不自由な人や問題ばかり起こすが為に昼夜共に独居に入れられている人などの居室内のみにおける作業はC作業、A作業とC作業以外の作業はB作業に区分されている。


 更に、A作業は1等工まで昇等が可能なのだが、B作業は3等工、C作業は5等工までしか昇等できないのである。


 私は幸いにもA作業なので1等工を目指せるのだが、そこに到達するまでの期間は、およそ3年の時を要する。


 勿論、昇等する度に収入は増えていく訳だが、現段階の私の収入は微々たるもので、8月の時点で等工は8等工、8月分の月収は1156円と非常に安く、これを時給に換算すると、なんと実に時給9円10銭である・・・・。


 1時間を汗水垂らして働いたところで、あの10円硬貨1枚も稼げないとは何ということだろう。


 娑婆にいた頃には電話1本で100万や200万位は稼げたものだが、私の価値も地に落ちたものである。


 まぁ、過去にこだわる様な腐った根性ではどうにもならないので未練がましい考え方はやめておくとしよう。

 

 それより私はこの微々たる収入をこれから先もUPする度に文末に記録していこうと思っている。


 どうせ先は長いので、塵も積もれば山となるのかどうか見届けてやろうではないか。


 ちなみに、私が刑に服してから稼いだ金額のトータルは8月分を加算すると10480円である(これは以前収容されていた分類センターでの分も含む)。


 この先10年数年、私はこの搾取とも言える強制労働を余儀なくされる訳だが、刑務所にはこの上更に追い討ちをかけるかの様な酷い制度が存在している。


 仮に私が10年後に賞与金を50万円貯めたとしよう。


 その後でもし私が何らかの反則行為(これは過失も含まれる)をやらかした場合に、賞与金が没収されてしまうという類の懲罰が課せられる可能性があるのだ。


 どうせ出所したら服などを買いまくって3日以内に使い切ってしまうことがほぼ確実視されている金ではあるのだが、せっかくの貴重な労働の結晶をそんな理由でむざむざ手放す訳にはいかない。


 私自身が真面目にやっていればそんな心配いらないじゃないか、と思われるかも知れないが、刑務所というのはそんなに甘いところではない。


 嵌められて懲罰になる事など、日常茶飯事(若干誇張)なのである。


 したがって、いくら私がおとなしくしていても、何時何が起こるかなんて知れたもんじゃないのである。


 散々仕事で使われた挙句になけなしの賞与金まで奪われたんじゃせっかく綺麗になってきた私の中身が再び荒んでしまいそうなので、できればそんな目には遭いたくないものだ。


 出所するまでに賞与金は一体いかほどになっているのだろう・・・。




8月の賞与金→1156円     TOTAL→10480円

その10≪無期懲役の人々≫

 私の工場の総員は約60名と、当刑務所に以いては比較的多い方なのだが、その60名の内の約4分の1は、なんと無期懲役の受刑者達である。

 無期懲役とは何かと言えば、刑期の満了が一生訪れないという事だ。即ち、仮釈放でしか娑婆に戻ることが許されない受刑者を指す。

 これだけでは余りピンと来ないと思うので、もう少し説明させて頂くが、現行の法律では有期刑の上限は30年とされている(私がパクられた時点ではまだ上限は2年だったが)。

 無期を宣告されるという事は、単純に考えてもそれ以上の刑が妥当だと判断された訳なのであるから、この人達の起こした事件がどの程度のものなのかは容易に想像がつく。

 参考までに書いておくが、私は殺人が1件と殺人未遂が2件の計3件で、判決が16年だったのだが、もし、殺人が2件、つまり2人の人間を殺していたら、ほぼ確実に無期だったであろうと思われる。

 ちなみに、他人を3人以上殺せば、死刑を宣告されること請け合いだ。

 それから、刑務所には仮釈放という制度があって、昨今では過剰収容ということもあり、比較的多めに貰えるらしいのだが、仮に私が受刑生活を無事故で過ごしたとしても、良くて13年目か14年目といったところだろう。

 無期の人達に至っては、おそらく20年~30年が経過しないと不可能化と思われる。

 更に先にも書いた様に、無期とは刑期の終わりが無い事を意味するので、もし仮釈放されたとしても、それはあくまで仮の釈放なのであるから、どんなに些細な犯罪でも発覚してしまえば、再び無期囚として刑務所に逆戻りとなってしまうのである。

 それだけの事をしてしまったのだから仕方が無いだろう、と言われる方もいるかも知れないが、同囚としてこの様な状況下に置かれてしまった受刑者の心情は察するに余りが有る。

 刑務所の生活では、意地の張り合いみたいな部分があるのでストイックである程尊敬の目で見られる場合が多い。

 そんな訳で、中には無期であることを曖にも出さずに生活をしている受刑者もいるが、彼等の多くは現実に絶望しているに違いない。

 だから懲役達の間では、長期刑の人達を思いやるといった不文律の様なものが存在している。

 具体的な例を上げると、食事の際に出されるデザートなどの甘シャリ(これは甘い物全般を指すスラングである。刑務所では甘い物が極端に少ない為、値打ちがある)をあげたりするのだ。

 無神経な人や、食い意地の張った人はそんな事気にも留めないが、そういうところにこそ内なる気持ちが表れるものだと私は思っている。(ちなみに、受刑者同士の物のやり取りは、全て規律違反です)

 もうお分かりか思うが、無期懲役の人というのは半端じゃなく辛いのである。

 私などは、終わりが見えているだけ楽なものだ。

 人生というのは、いつ何が起こるかは誰にも分からない。

 事件なんかほんの一瞬で起きてしまうのだ。

 いざ、刑務所に来てしまったら、それはそれで学ぶべき事は沢山あるが、こんな所来ない方が良いに決まってる。

 これを見ている人の中で、これから犯罪を犯す予定のある人は、今一度考え直してみてはいかがだろうか?

 それでもやりたければ、全て自分持ちであることをどうかお忘れなく。


その9≪イリュージョン≫

 私はこの徳島刑務所に来れて本当に良かった、と最近までは本気で思っていた。

その根拠としていくつかの理由が存在しているのだが、まず一つ目に上げられるのは、食事が良いという点である。

まぁ、所詮は前の施設と較べれば、という程度に過ぎないのだが、毎朝出される味噌汁にはしっかりとダシが効いているし、味付けなんかもまともなものが比較的多く感じられる。

それに、主食=ゴハンとかパンや、副食=オカズの量も(主に主食に限っては作業内容によって量が区別されていて、多い順にA食、B食、C食となっている。ちなみに私はA食だ)もそれなりに多いので、ほぼ毎食私の満腹中枢は満たされている。

御陰様で2ヶ月足らずで3キロも太ってしまった。

懲役にとって”食”はかなりの重要な位置を占めていると言っても過言ではないだろう。


 そして二つ目は、風呂場が超が付くほど綺麗なのである。(昨年新設されたのだそうだ)

以前に書いた分類センターの風呂とは全く違っていて、規模も一度に80人がシャワーを使えるというものである。

勿論シャンプーも今では普通に使えている。

更に、聞いたところによれば、ほんの数年前までは何処の刑務所でも水の使用量に制限があったらしく、頭を洗い流すのに3杯、体を洗い流すのに5杯、そして風呂から上がる際の掛け湯に3杯(いずれも洗面器で)などと決められていて、それ以外の使用は一切認められていなかったそうなのだが、今現在私が見る限りでは使いたい放題である。

時間は15分以内と短いのだが、近所の銭湯の様な感覚で入れてしまう為、入浴は数少ない楽しみの一つとなっている。


 そして三つ目だが、それは刑務官の質が全く違っているという点である。(後述するが、これは決して良いという意味だけではない)以前私が居た東北管区の分類センターがいかに厳しい所だったのかが良く解る。

刑務所には特別警備隊(通称トッケー)という屈強な刑務官(おそらく皆さんは挌闘家です)ばかりで編成された組織が存在している。

その本来の目的は、刑務所内の治安の維持かと思われるのだが、分類センターに居た頃の特警はそれはもう酷いものだった。

その頃の我々の作業というのは居室内で行われていたのだが、彼等は毎日2、3人で巡回に訪れる。

その際、何ともいやらしいことに、この人達はわざと足音が聞こえない様にそうっと廊下を歩き、我々が気付いた時には既に部屋の前に立っていて、中の様子をじっくりと窺っているといった具合である。

センター内では作業中に勝手に会話をしてはならない。

会話がしたい時は”交談札”という札を頭上に掲げ、「交談願います!!」と言わなければならないのだが、刑務官が近くに居ない時には阿呆らしいので誰もそんな事などせずに勝手に会話を交わす。

そんな時に偶然特警が通りかかり、不運にもニヤついたり、よそ見などをしていようものなら、彼等は居室と廊下を隔てる鉄格子付きの窓を力任せに開け放ち(余りにも力を込めすぎて開けてしまう為、その反動で再び閉じてしまったりする)

「お前らは笑う必要なんかねぇんだよ!!」とか、「なんだ、お前らはよそ見してた方が仕事の効率が上がるのか?」などと容赦無くうなり飛ばすのである。

文句の一つでも言ってやりたくなるが、そんな事をすると”担当抗弁”という規律違反行為とみなされ、連行されて取調べを受け、その後には懲罰が待っている。

余程の理由が無い限り刃向かう奴はいない。


 刑務所初体験であった為、この様な環境が当たり前なのだと思い込んでいた私は、此処へ来てかなり拍子抜けしてしまった。

厳しさに限って言わせて貰うと、当社比約10分の1といったところか。

国内の刑務所は「受刑者処遇法」(来た当時は監獄法だったが)という同一の法律下に置かれているにもかかわらず、この差は一体何なのだろうか?

単なる土地柄だけだとはとても思えないのだが・・・。

多くは謎に包まれているが、とにかく今のところゆるゆるなのである。

先輩受刑者の方がよっぽど厳しく指導してくれる。

そんな訳で私は刑務官の誰からも咎められること無く日々を送ることに成功している。


 ゆるゆるなのは我々にとって大いに結構なことではあるが、ちょっと乱暴な言い回しをすれば、これは”やりっぱなし”という側面を含んでいるとも言える。

「漫画実話ナックルズ」という月刊誌を御存知だろうか?

現在売りに出ている8月号のP174に掲載されている記事を是非読んで頂きたいのだが、そこに書かれている内容は誇張など一切されていない事実だと考えて頂いてまず間違いないだろう。

この手の話は周りの受刑者からも本当によく耳にするので、ごく日常的に起こっているものと思われる。

この場で詳述は出来ないが、端的に言うと、お金が消えてしまうのである。いずれ私が同じような被害に遭えば、その時は内容を公表しようと思う。

機会があれば本屋なんかで立ち読みでもして欲しいものである。

ちょっとビックリすること請け合いだ。


 他にも私の耳に入ってくる数々の噂というか体験談には強烈なものが多い。

今のところ圧倒的に悪い内容の話が先行してしまい、更に加速を続けている様な状態だが、当然ながら中にはとても立派な刑務官も存在している。

ところが「悪事千里を走る」という諺にもある通り、良い噂はなかなか広まらないものだが、悪い噂はあっという間に知れ渡ってしまうというのが世の常なのである。

と、一応フォローも入れてはみたが、いずれにしても真実を見極める必要はある。

この刑務所で生活を続ける以上とても他人事では済まされないのだから。

まさに”明日は我が身”なのである。


 規律は極めて厳しいが、しっかりと管理してくれる施設、規律はゆるゆるだがやりっぱなしな施設、どちらが受刑者にとって生活しやすいのかは決め難いが、どちらにしても”備えあれば憂い無し”これにつきるのではないだろうか?

わたしはそう思う。