ゴダールよりもデ・パルマが好き

ゴダールよりもデ・パルマが好き

映画監督を目指す大学生、清原悠矢の映画生活

「京都太秦物語」10月8日DVD発売決定!

メイキング助手として参加しました!

http://www.ritsumei.ac.jp/eizo/kyotostory/index.htm

======================================


採点基準

100点 有り得ない、有り得たら映画を見るのをやめる
 90点 素晴らしい、生涯ベスト級
 80点 とても良い、年間ベスト級
 70点 良い、十分に楽しめた
 60点 良い所もあるが、欠点が目立ち始める
 50点 欠点が多い、DVDで十分
 40点 良くない、何度も眠たくなった
 30点 とても良くない、半分眠ていたような気がする
 20点 最低、劇場を破壊したくなった
 10点 最低、制作会社を破壊したくなった
  0点 有り得ない、有り得たら映画を見るのをやめる
Amebaでブログを始めよう!
「封印殺人映画」
2006年・アメリカ・Going to Pieces: The Rise and Fall of the Slasher Film
監督:ジェフ・マックィーン

ゴダールよりもデ・パルマが好き-封印殺人映画1


















IMBdでの評価は高いようだけれども、これは今一つだった。
ホラー映画の中でもスラッシャー映画と呼ばれる、いわゆる
殺人鬼モノに焦点を当てたドキュメンタリーで、名場面集と
作品に関連した人たちのインタビューで構成されている。
ジョン・カーペンターやトム・サヴィーニ、ウェス・クレイブンといった
大物が登場するのは素直にうれしいのだけれども、
どうにも聞いたことあるような話ばかりだし、次々に
チャプターが進んでいってしまうので、
一つ一つの作品やその時の社会現象について
ゆっくりと話を聞くことはできない(*1)。
面白くなってきたな、と思うと次の話へ移行してしまう。
あまりにも編集が早すぎるせいで、名場面として
登場するフッテージも細切れにされており、
ゆっくり見ることができないし、もちろん怖さもない。
ドキュメンタリー作品というよりもまるで特典映像のよう。
ホラー映画を見ない人にとっては、グロテスクなシーンも多く、
門戸が閉ざされているというのに、逆にホラー映画好きからすると、
物足りなく感じてしまうような実に中途半端な作りになっている。
原題を「Going to Pieces」というがこの映画自体が
一番バラバラになってしまっている印象を受けた。

ゴダールよりもデ・パルマが好き-封印殺人映画2







スラッシャー映画の歴史をまとめておくと、
源流といえるのは1960年の「サイコ」と「血を吸うカメラ」。
スラッシャー映画のお約束を確立し、古典となるのが
1978年、ジョン・カーペンターが低予算で撮り上げた「ハロウィン」。
その流れに乗って登場し、娯楽の一ジャンルとして
スラッシャー映画を定着させたのが「13日の金曜日」。
「13日の金曜日」に便乗して「血のバレンタイン」など記念日ホラーが氾濫。
しだいに批評家などからのホラー映画への風当たりが強くなり、
特に「悪魔のサンタクロース」が良識者の反感を買う。
しだいに、質の低い亜流作の量産によって飽きられてしまう。
しかし、落ち目だった流れの中で「エルム街の悪夢」が大ヒット。
(作品内で言われているように流れを上向きに変えたというよりも、
第1次スラッシャーブームの最後のあがきだったように見える)
その後、ヒット作の続編を連発したことで、また飽きられてしまう。
90年代になって「羊たちの沈黙」が登場し、サイコ・スリラーが流行。
1996年に、スラッシャー映画を見て育ってきた世代に向けた
メタ・スラッシャー映画ともいえる「スクリーム」が大ヒットとなる。
それ以降、観客がスラッシャー映画に慣れ親し見ながら育っていて、
そのお決まりを理解していることを前提としたスラッシャー映画が作られ、
現在に至るまで、ロブ・ゾンビやイーライ・ロスなどの新たな才能が
次々と現れ、また新しいブームを作り出している。

〈50点〉 

*1 インタビュー中、やたらと歩いていたり、ボートに乗っていたり、
   フラフラ、クルクルと妙に凝ったカメラワークが何故だか笑えた。
「オールド・ドッグ」
2009年・アメリカ・Old Dogs
監督:ウォルト・ベッカー

ゴダールよりもデ・パルマが好き-オールド・ドッグ1


















なんだか無性に、呑気なアメリカン・コメディが見たくなって、
レンタルビデオ屋のコメディの棚に立ってみると、前々から
見たいと思っていた「僕の大切な人と、そのクソガキ」や
「かぞくはじめました」「僕が結婚を決めたワケ」と言った
気分にぴったりな映画が並んでいたのだけれども、
コメディ映画なんかいつもだれも借りていないのに、
どういうわけかどれもレンタル中だった。
仕方なく、やたらと本数だけは多いのにほとんど借りられて
いなかったこの作品をいまだに「パルプフィクション」の
イメージしかないトラボルタの顔に誘われて借りてみた。

ゴダールよりもデ・パルマが好き-オールド・ドッグ2







期待どおり、ほどほどに面白い良質なコメディだった。
アメリカで公開された時は批評家筋から嫌われたというよりも
完全にコケにされていたが、これほどの映画を駄作扱いするとは、
アメリカ映画もまだまだ大丈夫だな、という妙な気持ちになってしまう。
このほどほどに面白い、というのは極めて職人的な技術のいる
ものであり、日本映画にはこれほどの円熟は見られない。
日本映画界には傑作か駄作かの2種類しかなく、
この作品のような安心して子供に見せながら
自分も楽しめるような健康的な作品は見当たらない。

アカデミー賞や映画祭なんか狙うつもり全くありません、
というただ観客を楽しませたいという姿勢も潔く、
脚本もそのためだけに全神経をつぎ込んでいて、上手い。
ただ、演出はお世辞にもうまいとはいえず、テンポが良すぎるために、
十分にタメを作りきれていなかったりするのは勿体ない。
また、過剰なまでの顔芸や体を張った軽はずみなネタが多いのは、
現場の中が良すぎたことの功罪かもしれない。

ゴダールよりもデ・パルマが好き-オールド・ドッグ3








ジョン・トラボルタとロビン・ウィリアムズという異色ともいえる
2人が絶妙なケミストリーを生み出していて、まるで漫才コンビのようだ。
名優2人が自ら「オールド・ドッグ」の代表として、自虐的に
年寄りネタをしつこいまでに披露していくのがとても面白い。
マット・ディロンが間抜けなボーイスカウトとして登場し、
2人と争うキャンプのシーンには爆笑してしまった。
ディズニー映画らしく本当の悪人が出てこないのも、この作品の
あくまでも、悪ふざけ、という楽しい雰囲気をぶちこわしにすることがない。
子供たちがどんな状況であっても2人を信じているのもまた良い。
クライマックスの「I knew it」というセリフがすべてを言い表している。

〈70点〉 


「ソーシャル・ネットワーク」
2010年・アメリカ・The Social Network
監督:デヴィッド・フィンチャー
(IMDb:8.2 Metacritic:95 Rotten:97)

ゴダールよりもデ・パルマが好き-ソーシャル1



















冒頭から恐ろしく饒舌な会話に引き付けられる。
字幕を追うのが大変なほどのスピードで、
話される話題も現実的に行ったり来たりする。
これ以降、終幕まで全編が会話で彩られ、
それ以外の要素はほとんどない。
この“会話”こそがアカデミー賞最有力とされる本作の
唯一のアクションであり、最大の魅力だ。
このシーンでの主人公マークの性格は嫌な奴以外の何物でもなく、
すでにこの時点から、観客の感情移入を否定し、
この映画がストーリーの映画ではないことを提示している。

ゴダールよりもデ・パルマが好き-ソーシャル2







映像派と言われれるフィンチャーにしては、
派手さはなく、CGの使い方も控えめだ。
(控えめだからこそ、驚異的な技術であるわけだが)
雰囲気は「ゾディアック」に近く、前作よりもはるかに好みだった。
映像の技術に関しては非の打ちどころがなく、
最新カメラRED ONEによる撮影がとても美しい。
美術や衣装に関しても文句のつけようがない。
編集はやや忙しすぎる気がしたが、過去と現在のつなげ方は
意外性のあるもので、作品のテンポを崩さないように、かつ、
観客の思考を止めない的確なものだった。

ゴダールよりもデ・パルマが好き-ソーシャル3








この映画の恐ろしさは、何が面白いのかわからないうちに、
面白いように感じさせられる魔力を持っていることだ。
映像は完璧だし、ジェシー・アイゼンバーグをはじめとする
俳優たちのリアルすぎる演技による会話劇は面白い。
だが、見終わった後に、残るものは何もないのだ。
映像や会話は面白くても、そこにはドラマがない。
ただ、浮かび上がるのは、人間の嫌な部分だけだ。
嫉妬や虚栄心、欲望などがしだいに、あふれ出してくる。
だからといって、マークがそれに対して行動を起こすわけでもない。
仲違いした親友エドゥアルドとの和解も描かれずに終わる。
むしろ、エドゥアルドを主人公として見ると、
そこには感情の起伏があり、ドラマが見えてくる。

ゴダールよりもデ・パルマが好き-ソーシャル3








ラストシーンで、マークはFacebookを通して、
元彼女エリカに友だち申請を送る。
大企業の社長となった後半で、
初めてマークがアクションを起こすシーンだ。
しかし、それもどうなったのか、わからないし、
おそらく、その申請は彼女には届かないのだろう。
Facebookというコミュニケーション・ツールを題材として、
サクセスストーリーを描くよりも、むしろ、皮肉的に、
現実におけるコミュニケーション不全を描いている。
ネットで繋がっているように思いこんではいるものの、
その実は、マークの会話中の態度のように空虚以外の何物でもない。

ゴダールよりもデ・パルマが好き-ソーシャル5









見ている間は興奮させられるものの、最後には、
感動も何も残らず、残るのは、虚しさだけ。
現代のネット社会を描いた作品というよりは、
この作品自体がネット社会の表象であろうとしている。
映画としての強度は圧倒的で、傑作であることに間違いのだが、
多くの人の心にいつまでも残るような名作にはなりえないし、
映画自体もそれを否定しているかのようだ。

〈80点〉 


(2011年8月 3度目の鑑賞後、追記)

マークの性格がただ嫌なやつだと書いたのは浅はかだったかもしれない。
むしろ、プールでの事故に対して「You did」「I know」でしか反応できない
マークこそがネット世代のリアルであり、他人事ではない魅力が
この映画から感じられる大きな要因となっているからだ。
また、映像や会話の面白さがあっても、ドラマがない、とも書いているが、
それはあくまでも今までの映画の見方を基準としたものであって、
新しい文法を生み出したこの映画には当てはまらない。
一見、無機質に見える会話のそこかしこにドラマが隠されている。
たとえば、ニューヨークのレストランでショーンの会話に聞き入る
マークの表情とそれに対するエドゥアルドの反応であったりする。
“多くの人の心にいつまでも残るような名作”というのも中途半端な言い回しで、
言うならば、現在、映画を取り巻く環境を支配している
「ショーシャンクの空に」のような映画で育ってきた世代にとっては
たとえ高評価をしたとしても、心に残るのが難しい映画である、ということだ。
傑作だと認めても名作だとは断定しない人がほとんどだろう。
だが、今から数十年たてば、「ショーシャンク」のような苦悩する
主人公映画は古臭くなるばかりだし、逆に理解されなくなる。
「ソーシャル・ネットワーク」を見てきた世代、つまり
周りにネットやデジタルが溢れた環境の中だけで
育ってきた人間たちがそのうち大多数になるわけなので、
僕を含めた彼らにとってはこの映画が古典となる
可能性は十分に秘めている。
その時、“多くの人の心にいつまでも残るような名作”に
「ソーシャル・ネットワーク」はなっているに違いない。