サッカー中心の生活!
お立ち寄り、ありがとうございます!

2011年9月から、お休みをしておりましたが、またブログを復活する事にしました。<(_ _)>

2011年3月11日に発生した東日本大震災では、自然災害としては戦後最多の尊い命が奪われたことに、謹んでお悔やみ申し上げます。

まだまだ不自由な生活をされている方が多い今、一日でも早く普通の生活に戻れることを祈っています。

$サッカー中心の生活!


サッカーやスポーツで何が出来るかわかりませんが、でもサッカーとスポーツを通じて、日本にメッセージや救いの手を差しのべてくれている人たちが沢山います。


その人たちに、「日本が元気になった!」と一日でも早く伝えられればと思っています。


頑張れ!日本!!  頑張ろう!日本!!


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上を目指すためには

新聞で記事になっていた湘南ベルマーレの経営に、RIZAPグループが参画する事が、正式に発表されました。

 
湘南ベルマーレにとっては、市民クラブとして運営している中で、上を目指すためには、予算規模を拡大する必要がありました。
 
この10年間で、J1に4回昇格しましたが、中心選手が他クラブへ流出してしまい、3回の降格を味わっています。
 
チームの中心選手を残すためには、やはり選手の年俸に割ける予算を、これまで以上にする必要がありました。
 
それ以外にも、下部組織から選手を育てる「育成」の環境改善にも、費用が必要となっていました。
 
願わくば地元の湘南エリアから、経営参画してくれる企業を、現在のフロントの皆さんは、願っていたと思いますが、残念ながら10年間に手を上げてくれた所はありませんでした。
 
そうなると、全国展開や世界展開をしている企業にアプローチしていくしかありません。
 
それと共に、ユニフォームなどに掲出する広告スポンサーでは、一時的にはスポンサー料として、運営資金が入ってきますが、契約期間が終了したら関係が終わってしまうケースは、これまでも沢山ありました。
 
今回は、新たに運営会社を作ることになり、上手くまとまった訳です。
 
経営の安定については、昨シーズンにV・ファーレン長崎の経営が危なくなった時、ジャパネットが経営参画して、チームは安定感を取り戻し、初のJ1昇格まで手に入れました。
 
Jリーグ開幕時は、当時の企業チームがプロクラブに姿を変えましたが、時間の経過と共に、最初からJリーグ参入を目指したベンチャー企業といえるクラブが増えていきました。
 
後発のクラブは、ほとんどが後ろ盾となる企業がなく、経営に関しては、大変な状況は毎シーズンJリーグ事務局から発表される業績結果をご覧になればおわかりになると思います。
 
この様なことは、今後もまだまだあると思います。
 
ニュースでも伝えられていますが、湘南ベルマーレにとっては、J1リーグで安定して戦えるチームとして、タイトルを獲得すること。下部組織から引き続き選手を育成すること。そして、検討されているスタジアム問題を解決することが、これからの大きなテーマとなります。
 
 

横浜フリューゲルスの思い出

親会社の撤退で、横浜マリノスと合併した横浜フリューゲルス。

今年で、その出来事から早いもので20年が経過します。

アマチュア時代は、横浜サッカークラブに、全日空が加わり、横浜トライスターに改名。そして全日空横浜サッカークラブを経て、横浜フリューゲルスに。

横浜サッカークラブは、古河電工の先輩であり、現在ノジマステラ神奈川相模原の監督&GMの菅野将晃さんが、所属していました。

また、横浜トライスターになる際に、携わられていた方々が、方向性の違いを感じて新たに作ったクラブが、Y.S.C.C.横浜になります。

フリューゲルスと鹿島アントラーズは、意外と縁があって、1992年には、ヤマザキナビスコカップの初戦(@笠松陸上競技場)で対戦して、アントラーズが勝利しました。

同年のプレシーズンマッチでは、のちに彼らの特別活動地域である熊本市水前寺競技場でも、試合をおこないました。

1994年元日の天皇杯決勝(@国立競技場)で対戦して、アントラーズは退場者を出しても、後半アディショナルタイムに大野俊三君のゴールで、延長戦に持ち込みましましたが、延長戦で立て続けにゴールを奪われて、フリューゲルスが優勝しました。

1995年には、県立カシマサッカースタジアムにおいて、レオナルド選手の歴史に残るリフティング・ボレーシュートを決めた相手が、フリューゲルスでした。


1996年の前半戦最終戦、国立競技場で両チームが対戦した試合は、シーズンのベストゲームと評価されるほどの好試合でした。

1998年の元日、天皇杯決勝(@国立競技場)では、チャンピオンシップでジュビロ磐田に優勝された事で、選手達は「このままでは終われない!」という高いモチベーションで大会に臨み、柳沢敦選手のゴールなどで、フリューゲルスを下して、ナビスコカップとの二冠でシーズンを終えました。

そして1998年12月、天皇杯準決勝(@大阪長居スタジアム)で対戦。フリューゲルスにとっては、負けた時点でチームとしての活動が終わる状況でした。

このシーズンは、鹿島アントラーズがリーグ優勝を果たしていましたが、特別なモチベーションの中で戦ったフリューゲルスは、チームとしての一体感がありました。

試合中に、マジーニョ選手と薩川了洋選手が、激しくやりあって、二人共退場となる展開でしたが、それでもフリューゲルスの選手達は冷静にプレーをしていたのが、とても印象に残っています。

天皇杯決勝の結果については、皆さんもご存知なので、省かせてもらいますが、この時期はフリューゲルスがなくなり、ベルマーレも親会社の撤退で市民クラブの道を歩んでいき、エスパルスは親会社が変わったりと、Jリーグにとって大きな変化のあった時期でした。

ジーコの一言

DAZNの「THE LEGEND」でジーコのインタビューを見て、チャンピオンシップ第2戦でのユニフォームについて書きましたが、別な話を思い出したので、書かせてもらいます。

ジーコが、「日本サッカー発展の為に、他のブラジル人選手にも話をしていた」という部分です。

他のブラジル人選手は、鹿島アントラーズの選手だけではありませんでした。

それは、1993年のヤマザキナビスコカップのグループリーグでの出来事でした。

試合は、当時は準会員だった柏レイソル vs 鹿島アントラーズで、会場は日立柏サッカー場でした。

当時の日立柏サッカー場は、現在のバックスタンド側がメインスタンドとなっていて、更衣室はプレハブの建物でした。

試合は、ホームのレイソルが、PK戦の末に勝利しました。

この試合では、ジーコはメンバー外でした。

試合を終えると、ジーコの元へ試合を終えたレイソルのカレカがやってきました。

ブラジル代表🇧🇷のCFで、レイソルに来る前には、イタリア・セリエAのSSCナポリで、マラドーナと一緒にプレーしていたカレカです。

カレカは、ジーコに会ってすぐに、ポルトガル語で何かを話し出しました。笑顔はなく、何かを訴えている様な口調でした。

その場は、カレカ、ジーコ、鈴木通訳、そして当方の4人でした。

カレカの話を聞いたジーコは、真面目な顔で話し出しました。ちょっと世間話とは、訳が違うのは、声のトーンでも感じました。

話を終えたところで、鈴木通訳に「どんな話をしていたんですか?」と聞きました。

鈴木通訳からは、「カレカが、プレハブの更衣室などに、ちょっと不満をジーコに漏らしていたけど、それを聞いたジーコが『お湯の出るシャワーも付いているし、何の不満があるんだ?私が行った他の会場では、水しか出ないシャワーの所もあった。そういう不満を漏らしていたら、チームの為にならない。何のために日本に来たんだ?』と返していたよ」と、丁寧に説明してくれました。

「カレカに、こういう風に言えるなんて、ジーコしかいないなぁ〜!」と感心しました。

本当に珍しい場に立ち会いました。

序盤戦の戦い

今シーズンのJ1リーグが開幕して、3試合が終了しました。

ニュースにもなっていますが、新監督が就任したチームは、結果が出ているチーム、下位に沈んでしまっているチームの二極化しています。

結果が出ているチームでは、城福監督が就任したサンフレッチェ広島が、全て1点差の接戦をものにして、3連勝を果たしています。

そのサンフレッチェ広島の前監督だったヨンソン氏を招聘した清水エスパルスは、2勝1分の成績と共に、開幕戦こそノーゴールでしたが、2試合で7ゴールと攻撃陣が元気です。

昨夜の札幌 vs 清水をDAZNで観戦しましたが、清水の守備は、とても安定していて、高い位置でボールを奪った時のカウンターでは、シュートで終われていて、選手達の迷いがないと感じます。

上手くいっているチームの典型例なパターンです。

一方で下位に沈んでいるチームは、チームとしての戦い方が、これまでと大きく変わった事で、まだ十分に浸透していなかったり、慣れていない中で致命的なミスで失点してしまったり、変わった事での悪循環に陥っています。

そのリスクを承知で、やり方を変えているので、「産みの苦しみ」という所ですね。

歯車が噛み合えば、これまでと違った魅力あるサッカーを観る事が出来るのでしょうが、降格というハードルがあるだけに、成し遂げるまで我慢するのか、どこかで見切りをつけて、まず残留を目指す現実路線に切り替えるのか、ファン・サポーターの皆さんも、大いに気になるでしょう。

下位に沈んでいるチームにとっては、先に失点をしてしまうと、逆転する為には2ゴール以上を奪わないといけませんから、かなり厳しいハンデになります。

逆に現在好調なチームも、対戦するチームに分析されて、強みを消される戦い方をされるでしょうから、次の一手を準備しなければいけません。

勢いを止められた時が、次のスイッチの切り替えるタイミングでしょう。

平日開催

今夜は、ルヴァンカップのグループステージ第1戦がおこなわれました。

21歳以下の選手を、必ず先発起用するレギュレーションとなり、リーグ戦で対象となる選手を起用していないチームは、必然的に選手の入れ替えが必要となります。

また週末には、リーグ戦もあり、選手のコンディションを考慮して、大幅に入れ替えるチームもあるでしょう。

リーグ戦で、出場機会に恵まれていない選手にとっては、絶好のアピールの場となります。

開幕から今ひとつ調子に乗れていないチームは、ラッキーボーイとなってくれる選手の出現を願っている部分もあるでしょう。

水曜日に試合がおこなわれる週は、現場もフロントも忙しい毎日になります。

週末の試合を終えて、チームはリカバリーをして、水曜日の試合に備えます。

試合に出場した選手のコンディション、怪我をした選手の状態、試合に出場しなかった選手のコンディションと確認作業が沢山あります。

フロントは、水曜日にホームゲームがおこなわれるのであれば、試合準備や告知に取り組みます。

カップ戦の平日開催は、どうしても観客動員が厳しい数字となるので、いろいろとシーズンスタートぐらいから、集客のアイディアを考えていきます。

その次も、リーグ戦のホームゲームが重なる場合には、一気に準備を済ませてしまう時もあります。

ただリーグ戦とカップ戦では、表示物など変わる部分があるので、その辺りは注意を払わないといけません。

そして今夜の試合が終わったら、片付けもおこないながらも、次の試合も並行しておこなっていきます。

試合会場が、同じクラブであれば、会場にお願いして仮置きさせていただいたりしますが、会場が変わるクラブは、試合毎に備品を運び出さないといけないので、本当に大変だと思います。
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