ロベルト・ケンジーニョこと大場健司が死にやがった。

 エスパルスをこの上なく愛した男だった。
だからこそ厳しい目で書き続けた。エスパルスは叱ってくれる存在を失ってしまった。

 そしてオレは、親友だと言ってくれた男を失った。
オレが所属しているチームの内部事情以外のことは何でも話し合った。
オレがそれを話さないから信頼してくれたし、彼が変な探りを入れないから信頼した。

 よく一緒に飲んだ。
居酒屋で朝まで神の存在や死後について語り合ったこともあった。
それを確認しに行くのには早過ぎるだろ。


 昨日はただ愕然とするばかりだった。今日は空虚で満たされた。
仕事に支障はきたしてないが、ふと気を抜くと、思い出がこぼれてくる。

 ぽっかり空いた穴が塞がるのには時間がかかると思うが、頑張ろう。

                    つづく
 怒濤のごとき残留争いが終わった。
入れ替え戦第2戦終了とともに、達成感と疲労感がどっと.

 ジュビロには、いい経験をさせて頂いた。
ハンス・オフト監督と出会い、 クラブの方々を知ることができ、
磐田市だけでなく、浜松市、袋井市、掛川市、そして全国にいる
ジュビロサポーターの温かさを感じることもできた。
彼らのことを考えると、喜びで一杯だ。

 試合が終わるまではもちろん100%ジュビロの一員として
戦ったが、入れ替え戦の相手になってしまったベガルタ仙台の
日本で最も熱狂的なサポーターの方々の切な想いを知っている
だけに、試合が終わると心の一部で痛みも感じた。

 ジュビロが15位以上で終わるか、ベガルタが2位以内に入って
いれば避けられた(これがオレにとっての最高のシナリオだった)
ことだった。しかし、そうはならなかった。そしてこれは勝負の
世界なので、ジュビロの残留のことのみを考えるようにした。
2005年にヴェルディにいたときに残留争いで破れたこともあった
ので、オレにとっては個人的なリベンジの場でもあった。
絶対に落としてはならない、と。

 来期に関してはまだ未定だが、何かが決まれば報告したいと思う。

 では、よい年を。

                    つづく
 長靴を履いたら、中にクモがいて噛まれたの。
足がすごく腫れて、痛かったわ...

 小さい頃、近所のおばさんがこう言っていた姿が一瞬にして蘇ったのは、
バイク用のブーツを履き、ドアから出て2歩進んだときのことだった。
右足の指先でモゾモゾと蠢く得体の知れない何物かの動きをキャッチしたのだ。

 モゾ...「んっ? 」モゾモゾ...「 何なんだ?」モゾモゾモゾ...「 毒グモかっ?」。
草履以外の履物をあんなに素早く脱ぎ捨てたのは初めてだった。

 脱いだそのブーツを逆さまにしてトントンとやると、中からポトリと
転げ落ちたそいつはこっちに向かい、チョコボール並みの褐色ボディを
誇らしげにテカテカと光らせているではないか。

 そしてのんきに「コロコロリー」と鳴き始めた。求愛か?

 恐怖と恋愛の身体的反応は似ているらしい。
また、それら同士は錯覚しやすいので、初期のデートでジェットコースターや
お化け屋敷などに行けば「あれ? あたしドキドキしてる... これってもしかして...」
となるらしい。しかし、コオロギよ。オレには通用しないぞ。お前がオレに起こした
感情は恐怖以外の何ものでもない。

 こんなんでいいのか? 久しぶりの更新。

                    つづく


P. S.:コオロギに驚かされても、コオロキには驚かされないぞ。
 ご心配をかけていた方々へのご報告。

 ここ数ヶ月間、フリーランスの通訳・翻訳をしていたが、
今は奇しくも前回のブログで触れた高原に馴染みの深い磐田にいる。
自然豊かな、のどかなところだ。

 「残留」をキーワードにベストを尽くしたいと思うので
応援を是非よろしくお願い致します。

                    つづく
 高原がボカでプレーしていたとき、全試合がスカパーで生放送された。
普段、サッカーの試合をあまり観ないオレも、ボカサポーターである弟と
一緒に早起き、あるいは遅寝しながら観た。

 なかでも強く印象に残っている試合が、アウェーでアルヘンティノスJrs.と
対戦したときだ。ボカのスキアビ(現ニュウェルス)がピッチに立ったとき、
物凄く大きく暖かい拍手とコールがスタジアムを包んだ。

 アルヘンティノスJrs.の下部組織で育ったスキアビは、久しぶりに帰省して
家族に再会したときの顔になり、アルヘンティノスサポーターに挨拶した。

 相撲を観たときの純一郎ぐらい、感動した!(←古いか?)

 「このクラブでプレーしてホントに良かった...」
スキアビの気持ちはこうであったに違いない。
そして、彼は古巣相手に、手も気も抜かない激しく強いプレーをし、自分の
更なる成長を披露した。



 日本のクラブに目を向けてみよう。
まるでそれがカッコイイことであるかのように、古巣に帰ってきた選手を
ブーイングで迎える。

 オレが選手だったら、
「あっ、そう。ここを辞めてよかった」と、白けるか、
「オレのここでの年月は何だったんだろう...」と悲しく淋しく感じると思うな。


 何故アルゼンチンの選手が古巣でプレーしながら引退しようとするのか。
少しだけ考えてみよう。

                    つづく


P.S.: でも聞いてくれ、Hey, guy!
   あまり気にするな外面
   カタチだけでは形骸
   もしかしたら波立つ海面
   クラブをディスって去った例外
   それは自分で作った印面
   アルゼンチンでもかなりの弊害
   そんなときはブーイングで迎えるメーン。