夏木陽介さんのブログで、こんな報告をすることになろうとは、思ってもみませんでした。1月14日の午前10時46分、都内の総合病院で夏木さんが腎細胞癌のため、亡くなりました。81歳でした。つい先頃まで元気で、こんなことになろうとは誰も想像だにしませんでした。

 

 

ぼくもまだ呆然としておりますが、多くの人々に愛された夏木陽介さんの最期を報告しなければと思い、この文章を書き記すことにしました。

 

昨年の10月2日、微熱が続くので心配だということで、弟さんが夏木さんを病院に連れて行ったところ「肺炎だ」ということで、入院することになりました。14日に退院し、クルマ仲間で10月28(土)・29日(日)に高野山をメーンステージにして開催されるクラシックカーのラリー「ヴェトロモンターニャ」に参加するかどうか、相談しました。

 

夏木さんのマンションに見舞いに行くと、ご本人は「肺炎は治ったし、参加したい」とのことでしたが、ナビゲーターとして同行する予定だったぼくがこれを強く止め、そのかわり、11月13日(月)都内のレストランにいつものようにクルマ仲間で集まることにしました。この日は楽しい時間を過ごし、夜、夏木さんからこんなメールがとどきました。

 

<あの集まりは健ちゃんなしには始まらない! 楽しい時間でした。有り難う。また近々、時間ができたら会いましょう。よろしく。夏木>

 

事態が悪化するのはこの後、11月25日のことです。

肺炎の入院で脚が弱っているとまずいということで、ストレッチ(膝の屈伸運動)をしていたら力が入らなくなり床に崩れ落ちたということで、翌朝再び病院へ行き、そのまま入院。29日に胸椎の癌が発見されました。

 

12月3日に見舞いに行くと、歩けない状態で、しかし意気は軒昂で、冗談を飛ばし笑ってました。家に戻ってくると、しかしこんなメールが届きました。

 

<年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、ではありませんが辛く感じる事もあります。いつまでも同次元でいて下さい。夏木。>

 

これが、夏木さんがぼくにくれた最後のメールになってしまいました。長いつき合いで、夏木さんがこんな弱音を吐くのはこれが最初で最後です。自らの死を、初めて意識したのかもしれないと今は思います。

 

12月27日に集中治療室に入り、午後に意識を失い、そのまま意識を取り戻すことはかないませんでした。お医者さんにMRIの結果を見せていただくと、おそらくは癌細胞とおぼしきものが脳のあちこちに出来ていて、それが意識を取り戻せない原因だろうということでした。

 

ただ、枕元で話しかけると、唇が微かに動いたりという反応はあり、ちゃんと聞いているんだなということは感じられたのです。

 

「このまま目を覚まさないなんて極悪もいいところだからな。起きろ、夏っちゃん!」とぼくは何度か声をかけました。

 

弟さん達ご親族が集まり、やれることはぜんぶやり──1月9日に集中治療室を出て個室に移り、既にご報告したように1月14日の午前10時46分、静かに息を引き取りました。

 

簡単ではありますが、以上が夏木陽介氏の末期の経緯です。

告別式はご家族だけでおこなうとのことです。

 

太陽のように明るかった夏木陽介。この間まで好きなクルマを乗り回しヴェトロモンターニャにも参加する予定だったのに、あっという間のことで、ぼくもまだ現実感がありません。この地上に夏木陽介がいないなんて、信じられない。

 

 

夏っちゃん、あなたはぼくの最高の先輩にして最愛の親友で、太陽のように周囲を照らし暖めてくれていた。ありがとうございました、そしてお疲れさまでした。

 

心よりご冥福をお祈りします。

 

友人代表 

山川健一(作家/東北芸術工科大学教授)

 

 

 

追記

 

ご報告申し上げます。

 

俳優・夏木陽介は「仕事は楽しく 遊びは一生懸命に」を貫いた幸せな人生でした。

本日 近親者のみで静かに見送ることが出来ました。

長い間応援して下さった皆様に心より感謝申し上げます。

ありがとうございました

 

*「お別れの会」の準備を致しております。

 詳細が決まりましたらお知らせいたします。

 

               1月22日   オフィス夏木

 

 

 

夢はよく見るらしいが眼が覚めた時は全部忘れていて殆ど覚えていない。昨夜は犬を枕に寝ている夢を見た。昔と言っても10年程前まで愛犬のラブラドールを枕にして昼寝をした、彼は可哀想な位飼い主の気持ちを理解し言う事を聞く様に産まれてきた犬種であると共に我が家の大人だけの家族でのんびりと何不自由なく育った為か16才で旅立って行くまで一度も怒ったのを見た事がなかった。昨夜見た夢の犬は極寒の地で沢山の仲間の先頭に立って犬橇を引くアラスカン マラミユートと言う犬種でその風貌は狼の様だが性格はとても温和で我慢強く、昔から一度は一緒に生活をしたいと思っていたが何分にも暑さには弱く日本では北海道でしか飼う事は出来ないと諦めていた犬が夢に出てきて一緒に昼寝をしてくれた素晴らしい夢、それも名前も考えても見なかった【シユウ】秋と言う犬だった。神様?が長い間働いたボーナスに送ってくれた世界で一番贅沢な贈り物。何もしなくても良い、何も考えなくても良い自由な「時間」の中にどっぷりと浸かってこの半年を過ごし、そろそろ
目を覚まそうかと思っている、今日この頃です。夏休み陽介、それなりですが元気です。
これまで体験した事のない寒くて永い冬、桜の開花宣言があってから数日経っているが未だ五分咲きにもなっていない。私の棲みかは世田谷区桜ヶ丘、隣の地名は「桜」その隣は「桜ヶ丘」「桜新町」あと数日で満開になると一年で一番と言っても良い素晴らしい景色になる。身体の免疫力を高める新薬を2月の初めに服用してから10日後あたりから朝起きると目眩がして体に力が入らない日々が続いたが3ヶ月前から予約してある後期高齢者の運転免許証の書き換えやら50年前のジヤグアEタイプの車検に行ったりしていたが目眩は2週間経っても一向に変わらない、ひょっとしたらと思って体温を計ったら40度近くだった。インフルエンザでもなく身体のどこも悪い訳でもないので多分服用した薬の副作用だろうと思ってドクターに相談して薬を変えてもらった結果今はやっと回復しつつある。 16歳になった誕生日を待って取得したバイクの免許証、あれから数十年、後期高齢者の講習を受けて取得した免許証を貰いに行った
。係員が届けてくれる時何故か「おめでとうございます」と言って手渡してくれた「有り難う」と言ってもらって帰り道、何か変だと思ったら高齢者で免許証の更新が出来て「おめでとう」と言ってくれたのだろう。素直にアリガトウ。
春一番』が吹いて永い冬が峠を越したと思ったら又々寒い日が続き冬眠から醒めるのも未だもう暫く時間が掛かりそうな気配だ。先日行われた7年振りの同窓会は嬉しさもあり又来られなかったメンバーの事を考えると一寸ばかり悲しく淋し思いもあった。ある週刊誌に当日の模様と私のコメントが掲載されていて、その中で『青春とはなんだ』の私の出演条件にスタッフ ルームに麻雀台を置いてくれと言ったと言う一文が出ていたがそれだけ見た人には私が如何にも我儘者の様に思われそうたが、実は映画の世界からまだ始まったばかりのテレビ映画の世界に足を踏み込むあたり当日は現在のドラマと違いテレビ映画は16ミリのニュース用のキヤメラで撮影をして後からアフレコと言う写した映像に合わせて声を入れると言う原始的なやり方が普通だったが余りにも時間のロスや出演者に掛かる肉体的な負担やストレス、ましてや一年間と言う長丁場続ける撮影にはいくら若くて元気の良い私でも大変だと思い出演を断った。そこで東宝テレビ部は如何なる条件なら出て貰えるのか条件を
出して欲しいと言う話になり、実は最近フランスのエクレール社から16ミリて同時録音ができるキヤメラが開発らしいのでそれとドイツで開発されたゼンハイマーの高性能のマイクロフォンを大至急手に入れて欲しい、もし予算が無いならそれは私が買いましようその代わりスタジオに冷房装置を設置して、撮影の余暇を楽しむ為にスタッフルームに麻雀台を置いて下さいと提案した、結果東宝は全ての条件を満たしてくれて撮影は順調に進み良い結果も残す事ができた否そればかりか何処の撮影現場もテレビ映画はこのシステムをとる様になつた。先日の同窓会て映画の世界からテレビの時代に変わった時苦労はありませんでしたかと言った質問をされたのあれからもう50数年経っているから言える話だがこんな事もありました。言う話が肝心の部分が割愛されてスタッフルームに麻雀台を置いてくれと言う私の我儘だけの事になり憤慨している訳ではないがあの時代のテレビの世界に一石投じた事も覚えてくれている人がいたら幸せです。 朝晩はまだ冷え
込みますが春の気配を感じらる頃になると何か素敵な事か起こりそうな予感がしてわくわくします。来週は81才の誕生日結構頑張っている自分を褒めてやります。万歳。
♪空に燃えるでっかい太陽…♪で始まる「青春とはなんだ」から52年、6年振りの同窓会は浜畑賢吉君 中村雅俊君と生徒諸君達100人が一同に会して同窓会が行われた。この長い間に不幸にして旅立った仲間達、そして来たくても何らかの理由で来られなかった人達に思いを馳せながら最後は♪「勝って帰らにや男じやない」を全員の大合唱で再開を約して別れた。撮影当時は生徒役の若者達とは先生と学生と言う関係もあった為だろうか年の差を多いに感じたが、年を重ねると80才の私と70才近い彼等との間にはなんの壁も感じられずまるで何の抵抗もなく同級生の様に同じ空間を共有出来たのは嬉しい限りだった。来年は今回は欠席だった竜雷太と村野武範も是非参加して呉れる事を心から願っている。
例年になく暖かく静かなお正月を迎える事が出来ました。昨年は各地で地震や大雨による災害や竜巻の被害がおき、地球温暖化の影響の為かポロシャツから翌日はダウンジャケットを着る様な秋を楽しむ間も無く冬になると言う変な気候で久しぶりに風邪を引いたがどうやら正月前にはなおり、何時になく平和な新年を迎える事が出来た。今年は5年8ケ月振りに『第9回青春学園同窓会』を1月14日に行う事になった、発起人は私と竜 雷太、浜畑 賢吉、村野 武範、中村 雅俊の先生達と当時の生徒諸君が新年会を兼ねた同窓会をやるが何しろ最初の「青春とはなんだ」から半世紀、50年も経っているので元気で何人位の生徒達が出席出来るのか心配だし楽しみだ。新しい年にあたり今年も元気で楽しい年にしたいと思っています。皆様にとってもより良い年になります様に…!A Happy new Year to everybody!
二年に一度行われる東宝映画のスタッフと俳優の交流会「同友会」が一昨日の土曜日に行われた、例年だとスタジオを借りきつてやるのが恒例だが出席者の数が今年は160名と前回より41人減っている、この中には昨年皆から愛されながら世を去った小林柱樹さんや白川由美さん、そして俺のテレビ出演の殆ど「青春とはなんだ」「太陽野郎」「東京バイパス指令」等々で一緒に苦楽を共ににした松森 健監督も入っていた。この同友会も前々回より前回の間に50人のメンバーが居なくなり、又今回は40人減り少しばかり淋しい会になつたが、宝田明 司葉子 星由里子 菱見ゆりこ 最近は電子書籍で作品を発表している私と同年代の江原達よし君、アメリカ在住だが必ずこの会には来て下さる戦後の東宝映画の大スター杉 葉子さんそして皆でより良い映画を創る為に協力しあつた仲間達との二年に一度の再会。楽しい時間を有り難うございました。

9月24日(土曜日) 23:30~24:00

「今を生きる・時代の先駆者たち~高将の名言」 BS-JAPAN

松平健さんと八塩圭子さんが司会のトーク番組に出演します。

 

 

楽しいトークが出来た様な気がします。

夜遅い番組ですが、時間があったら見ていただければ幸いです。

 

 

米アカデミー賞で短編最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したことがある

日系三世のSteven Okazaki監督が少年の頃から大ファンだったという

三船敏郎さんの生涯をフィルムに残した「MIFUNE LAST SAMURAI」が

やっと完成し試写会で見られる運びとなりました。

かつて三船さんと同じ時間と空間を共有して沢山の思い出と多くのことを

学ばせて貰った後輩として、当時のことを知っている人達が少なくなった今

及ばずながら制作に協力できたことは嬉しい限りです。

この映画は世界中で公開される予定なのでたくさんの人に観ていただけたらと

願っています。

 

久し振りのBLOGで報告だけでごめんなさい。

又、近々書かせていただきます。

 

 

 

 

関東地方が今日やっと梅雨明け宣言をした。

毎日湿気の多い日が何週間も続き、ともすると体調を崩しそうな日々もあったが

<梅雨明け宣言>と聞いただけで元気になれるって人間は不思議な生き物だと思う。


7月は白川由美さんの突然の訃報が入った。

この10月には80歳の誕生日<傘寿の会>をやろうと計画していた矢先の出来事だった。

東宝映画で数々の名作を残した名監督の成瀬巳喜男監督が亡くなって10数年前から毎年行われている<偲ぶ会>には今年も宝田明さん、司葉子さん、星由里子さんは出席したがいつも明るいお由美さんの姿は無かった




TV映画のウルトラマンが今年で50周年記念でNHKが特番を組んだり、いろいろなイベントが行われているらしい。

私はあの番組とは関係ないが、ウルトラセブンでアンヌ隊員役を演じた後輩のひし美ゆり子さんのイベントに昔夏木プロダクションにいた俳優の与座重里久と共に出席して楽し1日を過ごしたことが思い起こされた。

重里久は現在台湾で俳優として頑張っているいるようで益々の活躍に期待したい。



また7月は盟友山川健一君と小野昌朗さんの誕生会と山川君のこれまで出版した著書85冊が全部電子書籍化されたのを記念して仲間たちが集まった。

小野さんの日本で初めて設計したCLASSIC F1がMONACO GRAND PRIXを走ったこと同様皆んなが元気で活躍しているのは嬉しい限りです。


アメリカと日本を股にかけて活躍しているギターリスト吉田次郎さん。

今年は初めて手掛けたアメリカ映画も公開される予定で張り切っている次郎さんのライヴに出かけた。

今回は平井堅やエヴァ ンゲリオンの音楽を手掛けているジャズピアニストのクリヤ・マコトさんとゲストのマリーンのライヴ。

1年振りだったが素晴らしいライヴに楽しいひと時を過ごさせてもらった。

背中きり見えないクリヤさんのピアノを弾く肩から背中の筋肉がアスリートと全く違った付き方でプロの凄さを再発見した。

昔車の絵を沢山描いていた頃AAC?というクラブに属していた。

そのクラブの事は現在どうなっているか解らないが、知り合いから紹介されてAAF<AUTOMOBILE ART FEDERATION>の第5回作品展に行って来ました。
久しぶりに沢山の素敵な絵画に会えて、今年の熱い夏はまた絵を描きたいという刺激をいただきました。

感謝。感謝です。



昨日は雑誌<男の隠れ家>の写真撮影に二子玉川近くの遠くまで見渡せる駐車場に50年前のJAGUARで出かけた。

幸いな事に梅雨明け宣言の前の日で気温も28度位で古い車にとってはラッキー。

もし一日ずれて 今日だったら大変だったかもしれない。



明後日の都知事選挙が終わると8月。

BSの収録や幾つかの取材や先日富士サファリランドに行った日は雨だったのでお天気の良い日にもう1度行 く予定?

本格的な暑い夏になりますが皆様お元気でお過ごし下さい。











5月13日から16日までモナコで行われたクラシックカーの

F1レース「10e GRAND PRIX DE HISTORIQUE GP」に

30年前からの良き仲間であり親友の小野昌朗さん42年前に

日本人として初めて設計して作ったF1が走った。


結果は40台中予選26位、レースは13位という素晴らしい結果だった。

小野さんは「東京R&D CEO」という忙しい立場にもかかわらず毎年高野山で行われているヴェトロモンターニャや福井のフレンチトーストピクニック等のクラシックカーイベントにも時にはドライバーとしてまた時にはナビゲーターとして

ご一緒してもらっている。

素晴らしい仲間の快挙は嬉しい限りです。



80歳の誕生日、傘寿の会を祝ってもらった時の写真です。

誰かが代表して1枚を撮って皆に送れば良いと思うが、

この日は5人のスマホやカメラでレストランのお姉さんが

ハイチーズの合図で2回、合計10回のチーズで疲れている私の左が

小野さん夫妻。

右の山川健一さんは東北芸術工科大学文芸学科長で教授・小説家・

Rudies Club Bandのヴォーカルとして現役バリバリの働き盛り。

その上はいつも具合が悪くなった時にはお世話になっている浅沼和生先生

ご夫妻、奥様も整形外科のドクター。

その隣は姫路と東京で「デイフリーク」というイベントや広告業をやっている

谷口正吾君ご夫妻。

1日おきくらいに会っていて様々な刺激とニュースを提供してもらっている

河崎君、最近は山川君に代わってパソコンの先生もしてもらっています。

一番左は長い間マネージャーとして事務所や経理全般の面倒を見てもらって

いる新井さん。


この写真を見て今改めて気付いたのは全員が高野山の常連のメンバーで

車の免許証を持つオーナードライバーでした。



30数年前に徳大寺有恒君や日本で初めてバイクの世界チャンピオンになった

片山敬済君、元ベストバイクの編集長の新見久始君、小野さん山川君たちと月に一度位に食事をしながら好きな車の話をする集まりで始まった。

年が経過する度に帰らぬ人になったり元気な人はその世界のトップで活躍中で頻繁には会えなくなっているが、誰かの誕生日には皆で祝いあい素敵な時間を共有している。

嬉しいことに昔は男ばかりの集まりだったのが奥様同伴になり、

独り者の私には普段感じることのない家庭的な雰囲気が少しばかり理解できるようになったことだ。


明日で大好きな5月も終わり梅雨の季節!少しばかり憂鬱。

PS 

梅雨と言えば雨、雨と言えば22年間楽しみに参加し続けている

高野山のクラシックカーイベントのヴェトロモンターニャ。

紅葉の一番きれいな時期ということで11月の第一土日に行われているが、

生憎5年連続の雨でオープンカーにはかなりシビアな条件となっている。

スリップする落ち葉、風、寒さ等など危険な事があり過ぎ・・・

世界的な気象の変化でこればかりはどうすることもできないかもしれないが、

どうも以前のように楽しんで走れる自信が持てないので今年は一度パスしようかとも思っている。

車雑誌やその種の媒体のカレンダーにはイベントの告知がある程度載るはずだが何故かヴェトロはお知らせがない。

その為か近畿地方以外では知名度が低く、喜んでナビゲーターを引き受けてくれる人で苦労しているのもパスする要因の一つです。


『仕事は楽しく、遊びは一生懸命に!』

傘寿の叔父さんは今日もそれなりにですが頑張っています。